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第50話 鉄騎士

 光の差し込むキャビンで、俺は革袋の中を覗き込む。多分、アパルサライナーの中では最高の部屋だろう。

 しかし、そんなものはどうでもいい。大切なのはこの手触り、そして金属の硬さ。

 顔を上げて目が合った部屋の持ち主と、揃って妙な笑みが溢れてくるのも当然というもの。


「へへへ……臨時収入って奴だなこりゃ」


「お互いあってのものさ」


 いっひっひ、とタムは笑う。信号所にも着かない内からボーナス先払いとは、随分気前のいい話だ。

 とはいえ、彼女の得たものは相応に大きい。節約が叫ばれる昨今において、純然たる化石燃料があれだけ出てきたとなれば、商人共に大きな波紋を投げるだろう。


「これだけ利益が上がれば、アタシ様もオリゾンテに手が届くかもしれない」


「ババア相手とは大きく出たな。もし稼げるようになるなら、精々贔屓にしてくれよォ」


「んーふふ、考えといてあーげる」


 タムの小さなグーに拳を軽くぶつける。

 そんな俺たちの姿を見てか、後ろから呆れたようなため息が落ちてきた。


「楽しそうだね?」


「ったりめぇよォ。こちとら金の為に働いてんだぜェ?」


 意気揚々と立ち上がりながら振り返った俺に、サテンは小さく苦笑を浮かべる。


「あはは……シンプルでいいと思う、よ。うん」


「なんだ? 飯にでも当たったか?」


 彼女にしては珍しく、黙ってタムの自室で壁にもたれていた。なんなら、そこに居たことを忘れてしまうくらいに。

 仕事は上手くいったはず。ニコラ・ワルターの件も吹っ切れた様子だったが、まだ何か悩みでもあるのだろうか。

 考えていれば、背中に軽い衝撃と重さが走る。


「ぐえっ」


「ちょいちょい、ウチはそんな悪い食材積んでないんですけどー」


 首にかかった細い腕と、腰に巻き付くこれまた細い足。

 最初あれだけ人の顔を怖いだのなんだの言っていたタムだが、慣れてしまえば人懐こい方が強く出ているのだろう。カブトムシのように俺の背中を上って、モヒカンの横にコツンと顎を置いた。

 しかし、サテンはそれに笑うでも突っ込むでもなく、緩く横に顔を振るのみ。


「体調が悪い訳じゃないよ。多分、ちょっと疲れちゃっただけ。先に休むね」


「……疲れた、ねぇ?」


 扉を出ていくサテンの背中に、何か大きな変化は見て取れない。おかげで顎を掻くくらいしかできないのだが、どうしてか頭上からふんすと鼻息が降ってきた。


「女の子には色々あるんだよ。いろいろ」


「あぁん? もしかして、こないだデカブツとやり合った時か? 身体に怪我だのなんだのはねぇって話だったろ?」


 俺は人より頑丈だ。それはよく分かっている。

 だから、色々となると思いつくのは体の弱さだろう。ただでさえ、女というのは基本的に筋肉もつきにくいし細いのだから。

 と、我ながら納得のいく推理をしたつもりが、タムは呆れたような声を出す。


「ヒュージ、もしかして同性愛者だったりする?」


「んな訳ねぇだろ。どっからそんな話が生えんだ」


「だとしたら、もーちょっと女の子の事は知っといた方がいいんじゃないかなー……色々苦労するよ」


 するすると背中をおりていくおチビ。向き直ってみれば、どうしてか視線を逸らされた。何だこいつ。


「んだよ。なんか分かってんなら勿体ぶらねぇで教えろ」


「は、ハァ!?」


「うおっ?」


 真っ赤になった顔が、勢いよくこちらを振り返る。

 余程予想外だったのか、両の手がわたわたと振られたかと思えば、やがて大きな目がギッと吊り上げられた。


「な、なな、なんでアタシがそんな――お、乙女に聞くことじゃないんだぞ! 馬鹿ぁ!」


 呆然。

 乙女とはなんだろうか。男の俺には、えらく難しい話をされている気がするが。


「じゃどうしろってんだ。お前でダメなら、あー……リヴィに聞いてみりゃ分かるか?」


「うわ……デリカシーの無さって、命知らずの言い換えになるんかなぁ」


 百面相極まれり。ドン引き顔で距離を取られる。


「なんで命の話が出るんだ。分からねぇなら聞くしかねぇだろがよ。そもそも、俺に女の知り合いなんてほとんど――」


 居ねぇぞ、と言いかけたところで、部屋が大きく揺れた。

 否、急ブレーキがかけられたというべきか。

 バランス感覚が良いらしいタムは、すぐさま伝声管へと飛びついて蓋を開けた。


「ちょいサミー? 操縦荒いけどどーかしたー?」


「しゃ、社長、すぐ操縦室へ! 緊急です!」


 サミュエルの切迫した声に、俺たちはまた顔を見合せた。



 ■



 水密扉を潜って操縦室に入る。

 そこにはいつもより多くのクルーが集まっており、人垣を成してざわめいていた。


「何々なーに? もしかしてまた野盗?」


「勘弁しろよ。俺様の相棒ちゃんはボロボロなんだぞ」


 今の俺たちは満身創痍だ。アパルサライナーは残弾も少なく、オールドディガーに至っては片肺な上、あの化物にボコボコにされた損傷も重なっており、賊相手でも戦闘は厳しいだろう。


「だったらよかったんでしょうけどねェ……」


 サミュエルの引き攣ったような声に、俺ははてなと首を傾げる。

 敵でなければなんなのか。タムと共に人垣を掻き分けて中央の指揮台まで上ってみれば、予想だにしなかった姿が否応なく視界に入り、俺の甘い考えを奪い去った。


「な、なんじゃりゃあ……防衛隊の旗ァ掲げてるようだが」


 信号所の留置線に鎮座する巨体。レール4本を占有してなお溢れんばかりの車体に、数多飛び出した砲台と随伴のスチーマン。

 巨大マテリアがダムの怪物なら、それは鉄路の怪物と呼ぶべきだろう。

 あんぐりと口を開けた俺の隣で、タムは指揮台の下を覗き込んだ。


「メル、何か分かる?」


「シュヴァリエ・ド・フェール。コラシー防衛隊が誇る装甲列車よ」


「な、なんだってそんなもんがここに……?」


 メルクリオが何故知っているのかはともかく、防衛隊の巨大な装甲列車が眼前に鎮座しているのは事実。

 それもただ停まっているだけならよかったものを。


『接近中のデミロコモへ』


 車内に緊張が走った。

 止んだざわめきと落ち着いた低い声。ヒリつく空気の中、タムは1人指揮台の上で装甲列車を睨んだ。


『こちらはコラシー防衛隊第二軍団所属、シュヴァリエ・ド・フェールである。登録された識別コードを開示の上、直ちに車両を停止せよ』


「ど、どうしますか……?」


「どうするもこうするもあるか。サミー、機関停止」


 震えるサミュエルに対し、タムは淡々と指示を出しつつ、手元の不釣り合いに大きな受話器を持ち上げる。


「あーあー、シュヴァリエ・ド・フェール? こちらは登録コード、商業A-0014アパルサライナー。所有者はタム・ムラサキ。識別よろしく」


『コードを確認した。A-0014、そちらの車両には臨検命令が出されている。車両を停止した後、こちらの指示に従え』


 人垣が揺らいだ。どよめきが波のように広がる。

 これにはここまで自然に振舞っていたタムも動揺したらしい。手すりを握りしめ、受話器に声を張り上げた。


「なっ、り、臨検の意図を問う! こちらはコラシー都市外営業法、法規範囲内にて事前報告の義務を果たした上で、その内容に沿った商業活動を行っているだけだ!」


『国防上の機密に抵触する為、意図の開示はできない。臨検に抵抗する場合、国防公安局の命令により武力的措置の実施が許可されている』


 感情のない声に低い動作音。キャノピーの向こうで、幾つもの砲台が、こちらへ向けて旋回するのが見えた。

 こちらは商人、向こうは軍人。専門が違う。

 幼く見える横顔から、一気に血の気が失せるのが見えた。


「ッ……こ、こちらに抵抗の意思はない。指示に従う」


『意思を確認した。これより臨検部隊がそちらへ向かう。武装を封印し、その場で待機せよ』


 ガリと音を立て、スピーカーはそれきり黙り込む。

 異様な沈黙だった。誰もが声を、音を発する方法を忘れてしまったかのようで。

 その静寂を初めに破ったのは、筋骨隆々なおネエの溜息だった。


「アタシたち、思ってたよりもヤバい所に触れたのかしらネェ?」


「ぼ、僕らが何をしたと言うのでしょう……?」


「分からん。分からんけど、悪い事はしてないんだし、堂々としてるしかない、よね」


 青ざめたサミュエルと、強がりながらも声を震わせるタム。

 当たり前だ。こいつらは真っ当な商売人で、何も悪さをしていないのだから。

 その上で、可能性があるとすれば。


「あっ、ヒュージ!」


「何もしねぇよ。サテンを呼んでくるだけだ」


 ポケットに手を突っ込んだまま、俺は操縦室を後にし、狭い通路をのしのしと歩いた。

 デミロコモとはいえ、中身はそう広いものでもない。目当ての扉はすぐに現れる。


「おいサテン、起きてるか?」


「聞こえてたよ。臨検が来るんだって?」


 内側から開けられた扉に、俺はサテンが眠りこけていなかったことにまず安堵した。


「なら説明は要らねぇな。面倒だろうが外に出とけ。こういう時、隠れるような真似をしてると碌な目に遭わねぇ」


「そう、だね」


 長い髪を払った彼女は、どうしてかあまり緊張していないように見える。

 淡々と身支度をし、最後にポーチを腰に巻き付けて、小声でよしと言ったところで、ドカドカと無遠慮な足音が響いてきた。


「臨検だ! 全員その場を動くな!」


 兵士の大声に、俺は静かに両手を上げる。

 ここまでの時間を考えれば、最初から臨検の準備は万端で待ち構えていたのだろう。手際の良さに溜め息が出る。


「勤勉な奴らだぜ。何にもしねぇし何にもねぇよ」


 大柄な俺を警戒してか、銃を持った兵士の1人がこちらの前に立ち、指揮官らしき男ともう1人の兵士が部屋の中を覗き込む。


「……異国の女」


 すらりと姿勢を正したサテンの前に、指揮官らしき男の視線が鋭くなったのが見えた。

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