カクンと首を傾ける。
「ってぇと?」
「この場所でも完全蓄熱コアに関する研究は行われていた。というか、研究ってだけなら多分中心だったんだ」
「言い切るじゃねぇか」
無価値ではないと言うのは簡単だ。少なくとも、そうしておけば損ではなかったと信じ込める。
だが、サテンは自分に嘘を吐いて慰めるような奴ではないはず。どんな理由があるのかと、彼女の後ろ頭を見つめていれば、楽しそうな目が肩越しにこちらを振り返った。
「完全蓄熱コアの中心になる物質。コンプレティウムは特別な生物の体内でのみ精製される、っていうレポートを見つけてね。ここでは新燃料の研究試験と一緒に、生物実験も行われていたんだよ」
「生物実験……ってこたぁ、まさか」
自分でも分かるくらいに表情が渋くなる。学のない俺でも話の内容と現実が一瞬で繋がったくらいには、辻褄が合いすぎているのだから。
「多分、あのマテリアは生き残りか、或いは全部の元凶なんだと思う。ダムが崩壊したのもアレが大暴れしたからかもしれないしさ」
目を覆った。あまりにも予想通り過ぎる答えのせいで。
「幽霊だの怪物だの、そういうの全部まとめてアイツだったかも知れねぇって事かよ……たまんねぇな」
「それどころか、完全蓄熱コアがここにないのもあの子のせいかも。ダムが破壊されて製造場所を緊急で移した、なんてあり得そうな話でしょ」
「因縁の相手って訳だ。で、そりゃ何処なんだ?」
結果的に、ここで仕事をしていた連中の敵討ちになってしまったらしい。
ともあれ、それで運が向いてくるならサテンの言う通り意味はあったと言える。期待を込めて最大の成果を問えば、彼女はポーチから折りたたまれたコラシーの国土地図を取り出して広げると、中心に示された都市からツツツと南へ指を滑らせた。
「これまでの情報から引き出せた唯一の座標は、ここ」
「コラシー南部砂漠か? あそこにゃ砂しかねぇはずだが……?」
記憶を手繰って訝しむ。ただ、サテンが確信を持っているというのなら、疑うべきは労働者連中に蔓延る常識の方だろう。
しかし、試案を巡らせようとした矢先、背中に軽い衝撃が走った。
「ねーえー、ヒュージぃ。こっち手伝ってよぉ」
腋から覗き込んでみれば、後ろから腰に絡みつく猫耳フード。それもテンションが高いのだか疲れているのだか分からない瞳孔の開いた目が、こちらを見上げているではないか。
「あぁん? もう力仕事はないんじゃねぇのかァ」
「コード貼りが終わらないんだって。この財産たち、ほっとんど置いて帰るんだから、全部ウチのものってしとかないと誰に取られるか分かんないじゃん。ガーディアンも倒しちゃったしさ。えっへっへへぇ」
「わーったわーった! だからぐるぐる絡みつくんじゃねぇ!」
滅多にないお宝を手にしたからか。あるいはさっきまでの死闘のストレスのせいなのか。はたまたその両方か。
タムは壊れているようだった。俺をよじ登ろうとするくらいにしっかりと。
「ふふっ、なんだか親子みたいだね」
「おとーさーん、手伝ってぇ」
「テメェ誰が親父だってぇ!? つか、大人だっつってたのは何処のどいつだコラァ!?」
「ほらほら、そんな怖い顔しちゃダメだよ」
「なーいちゃーうぞー」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! もうヤダこいつらぁ!」
笑うサテンに調子に乗った様子のタム。
キャラじゃないはずだった。少なくとも、こんな風に振り回されるのは。
その割に、どうして俺はギャーギャー喚きながらも、心のどこかで慣れたように思えているのだろうか。
■
長い睫毛が揺れる。
薄く瞼を開けた彼女が、ぼやける視界の中で最初に見たのは、配管の走る天井だった。
自身が横たわっているのは分かる。ただ、消毒液の独特な香りが漂う空間に何故寝かされているのかがまるで思い出せない。
そんな折、ふと見知った顔が彼女の視界に入り込んだ。
「お目覚めですか。ご気分は如何です」
縦に長い顔立ちと、溶接ゴーグルのような形の銀色に反射する特徴的な眼鏡。
ベンジャミン・ヴィカス・モレル。黒く装飾の無いダスターコートに身を包む彼は、微笑を浮かべながら彼女を見下ろしていた。
「ミスター……ここは」
彼女、二コラ・ワルターはベンジャミンから差し伸べられた手を取ることなく、眉間に小さな皺を作りながら体を起こす。
鈍痛はあちこちに走っている。しかし、生まれてこの方戦いにのみ身を置いてきた少女にとって、それは珍しいものでもなかったのだろう。
一方、手の行方を失ったベンジャミンは、誤魔化すように銀眼鏡の端へと白い手袋を添わせつつ、小さくため息を吐いた。
「グラスコロネットの医務室です。車両もつい先程、東部第6信号所に到着致しました」
「随分と、長く眠っていたのですね……私は」
彼女は光が差し込む窓に目を細める。
今のグラスコロネットは往路で使った鉄道信号所の留置線上にあって、専用の大型貨車に積載され牽引の機関車が到着するのを待っていた。それはつまり、先の戦闘から1週間近くの時間を経過しているという意味に他ならない。
「申し訳ありません、ミスター」
ニコラは窓の向こうに視線を向けたまま、小さく瞼を落とす。
硝子に反射する彼女の顔が、ベンジャミンにも見えていたことだろう。はてな、と彼は顎を撫でた。
「何故謝るのです」
「貴方のライフルを、壊してしまったと思います、ので」
「あぁお気になさらず。ただの安物に過ぎませんので」
男はさも今思い出したとばかり、わざとらしく手を叩く。
合理こそ全てと語るベンジャミンのことを、ニコラはそれなりに信用しているつもりだった。しかし、今となっては道化に遊ばれていたようにしか思えない。
「……嘘が下手ですね」
使い込まれていながら、よく手入れの行き届いた旧式のライフルだったことを、ニコラはよく覚えている。
確かにヴィンテージな価値を求めるにはありきたりで、同じ物を手に入れるだけなら難しくないだろう。だが、そうすることの無意味さも彼女は悟っていた。
しかし、ベンジャミンはまるで使い捨てであるかのように鼻を鳴らしてみせる。
「嘘など申しません。価値は人が決めるものです」
「そんなもの、ですか」
「どうか無理をなさらぬよう。今は療養にお努めください。貴女はこの後の方が、余程大変でしょうから」
白い手袋はニコラの肩へ振れると、有無を言わせぬ調子で細い身体を再びベッドへ横たわらせた。
ベンジャミンは彼女を通して雇われた、いわば下請けに過ぎない。オリゾンテ商会からの責任を負わない立場とまでは言わずとも、その重きは間違いなくニコラの方にのしかかる。
そのことを思えば、今少しの間だけでも労りをと、彼は考えていた。何故そんな考えに己が至るのか、自身でさえも疑問に思いながら。
「モレル様、車長がお呼びです」
コツンと鳴ったクルーの踵にベンジャミンは小さく頷くと、ニコラに対して深く頭を下げた。
「では、どうぞゆるりと」
少女は表情を動かさず、ただ瞼を閉じて返事をする。
ベンジャミンにはそれで十分だった。礼を求められる立場ではないから、という意味ではなく、ただ不快と思わないというだけのこと。
呼びに来た兵士の前に立ち、頭が摺りそうな程天井の低い通路を姿勢を正したまま歩くこと暫し。開かれた水密扉を潜って操縦室へ出る。
「何かありましたかな」
伝声管に囲まれた場所に立つ髭面の男に、ベンジャミンは落ち着いた様子で声をかける。
歳は40を数えようかというベテランの車長は、振り返った先に立つ年下の彼にも、わざわざ帽子を取って頭を下げた。
「お呼びつけして申し訳ない。先程コラシー国家防衛隊を名乗る者よりこのような電報が参りまして」
差し出された小さな紙片に、銀眼鏡がきらりと光る。
しかし、それを一瞥したベンジャミンの細長い眉は、程なく跳ねるように歪められた。
「……臨検命令? 我々が?」
「貴殿を疑うつもりなど毛頭ありませんが、何かお心当たりはございませんか?」
「吾輩には何も。しかし、これは……」
コラシー国家防衛隊といえば、名前こそ専守防衛を前提とした雰囲気であるものの、実質的には単なる軍事組織。いわば権力者が自由に扱える暴力装置に他ならない。
それがわざわざ一企業の、普段は人死にが出たところで見向きもしない都市外の話に首を突っ込んでくると言うのだ。外で働く者であれば、誰しもが訝しんで然るべき状況であろう。
「車長、前方を!」
「むっ?」
監視員の声に、ベンジャミンと車長は揃って顔を上げる。
留置線より左を走る本線の先。並ぶ蓄圧タンクと信号設備の奥から、接近してくる列車の姿が見えた。
彼らは外での仕事を生業としている。鉄道の利用など日常のことであり、鉄道車両なんてどれも見慣れた物ばかり。
だが、ゴトゴトと線路を揺らすその列車は、行き交う貨客混合列車などとは比べ物にならない程、デミロコモを輸送する専用の大物車よりなお重々しい。
そのどこか刺々しくすらあるシルエットに、ベンジャミンは密かに息を呑んだ。
「……あれはまさか、シュヴァリエ・ド・フェール、か?」