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第46話 疑似餌

 巨大四つ足ミジンコは、乾いた泥の地面を巻き上げながら突っ込んでくる。

 脚の長さだけでオールドディガーを軽く越え、胴体の大きさは小山が動いているかのよう。

 ビリビリと肌が鳴るような緊迫感に、ベンジャミンは早々機体を翻して進路から離れる。だが、餌役を勝手出たこちらはそうもいかない。


 ――そうだ。それでいい。俺を狙ってこい。


 両脇に抱える爆雷という名のドラム缶を、オールドディガーはギギギと軋むように持ち上げる。

 大きく吸って、止め。


「くれてやらぁぁぁぁぁぁぁ!」


 その両方を投げつけながら、俺は機体を横っ跳びに転がした。

 当然、爆雷なんて奴からしたら小石のようだろう。身体で軽々跳ね飛ばそうとし。

 銃声と爆音がほぼ同時に轟いた。


「んー、狙いバッチリだったね」


「てめぇ様の照準精度にゃ恐れ入るぜ。初めて使った癖に、なんで当てれんだよ」


「もうちょっと素直に褒めてくれると嬉しいな」


 全く恐ろしい女だ。渡せと言うから腕の制御を託したら、精度の悪いリボルビングバスのスラグ弾を速射でドラム缶に命中させて見せるのだから。

 ドラム缶の破片がパラパラと散ってくる中、ゆっくりオールドディガーを起立させ、黒く立ち上がった煙の向こうにリボルビングバスを構え直す。

 最高の場所で爆発を食らわせられたはずだが。


「……まぁ、効くわけねぇか」


 ゆらりとこちらを振り返るマテリア。表情は無いはずだが、さっきの突撃時よりも明らかに強い敵意とか、あるいは殺意のようなものが感じられた。


「怒ってるね」


「叩き起されて早々、あちこちから爆竹投げられたら誰でもキレるよなァ」


 歯車のついたハンドルを、止まるところまで回し切る。

 クローラー逆転機後退一杯。そのままペダルを踏み込めば、オールドディガーは猛然と後退した。

 それを追うように、図体の割に細い足が地面に突き刺さる。


「キャーホゥ! おらおら食いついてきやがれ!」


 右へ左へ振りながら、想像よりも機敏なマテリアの踏みつけを躱し続ける。

 化物の感情など分からないが、足元をチョロチョロされるのはやはり鬱陶しいのだろう。しかし、モグラ叩きで叩けないとなれば面倒臭さも出てくるもので、奴は背後で動き出したアパルサライナーの方を一瞥し。

 その黒い目のような模様に、スラグ弾が2発3発と音を立てた。


「よそ見なんて寂しいじゃない。君の相手はこっちだよ」


 リボルバーをブレイクし、悠然と1発ずつ弾を込めなおす。スピーダーすら必要ないと言わんばかりに。

 マテリアにその所作がどう映ったかは分からない。ただ、傷もつかないとはいえ不快感はあるようで、巨体は再びこちらへ向き直る。


「やっぱり痛いのかな」


「大砲跳ね返してたのにィ?」


「あの目みたいな部分だよ。もしかしたら、本当に目なのかも」


「砂が入ってもたまらんて訳か――っとぁ!?」


 痛みがあるならもしかして、なんて考えた矢先、巨体が上から押しつぶすように降ってきた。

 反応が一瞬遅れていたら巻き込まれていただろう。金属質な身体が果たしてどれくらいの重さかは想像もつかないが、スチーマン1機を圧し潰すくらいなら訳ないはず。

 その上、たたらを踏んで後退したこちらを追って、長い前足がワイパーの様に地面を掻き分けてくる。

 後退は間に合わない。跳躍も多分無理。


「ふんぬぅ!」


「わわっ!?」


 躱せないなら受け止めるしかない。機体の腰を落とし銃を手放したところで、両の前腕にマテリアの前足がぶちあたった。

 1発で圧殺に至らなかったのはオールドディガーの強度が故か、それとも化物が力の入りにくい姿勢で攻撃してきたからか。どちらにせよ幸運だったに違いない。

 しかし、だからと言って逃れられる訳でもなく、押し返そうとすれば上がりすぎた圧力に安全弁が蒸気を吹き、フレームがギリギリと嫌な鳴き声を上げた。


「くそ、ビクともしねぇ! おい、何かいい案ねぇか!?」


「そう言われてもなぁ……これは流石にヤバいかも」


 持っていかれそうになるレバーと力比べをする俺に対し、サテンは圧力系をあちこちで触っていた。

 しかし、オールドディガーが如何に強力とは言えどあくまで機械だ。根性で動いている訳ではなく、全開でなおパワー負けしているとなれば、何ができるものでもない。

 吹き上がる安全弁の数が次々と増え、異常を知らせるランプが煌めき、メーターはどれもこれもレッドゾーン。ニキシー管の数字も見たことがない所まで跳ね上がって、コックピットの中でさえ異様な熱を感じた。

 これはいよいよダメかと、レバーに抗い続ける中でそんな弱気が一瞬顔を覗かせた気がした時だ。

 突然、圧力計が緩み安全弁が閉じたのは。


「なんだ?」


 マテリアの腕に押されて狭まっていた視界が開ける。

 反射的に機体を後退させ、奴の長い足から距離を取りつつ、しかしよく分からない事態に俺はサテンを振り返った。


「ううん、私じゃない」


「じゃあ一体何が……」


 俺達は揃ってマテリアを見る。当然、奴に傷がついたりはしていない。

 その代わりに、あの目に見える模様の場所で、派手な火花が飛び散っていた。


『そちらのおかげで、気付いてもらうことができました』


 独特な風切り音は、ベンジャミンの使っていたライフルだろう。機体に見合わない長筒を構えたオオノ式が、ダム堤体の上からこちらを見下ろしていた。


「助かったよワルターさん」


『仕事ですから』


 特に感慨もなさそうに言い放つ彼女に、俺は小さく鼻を鳴らしながら、機体の拳を構えなおす。


「それでも借りは借りだ」


『いえ、あの、だからこれは仕事……』


「テメェの都合なんざ聞いちゃいねぇよ。借りっぱなしなのが気に食わねぇだけだ。つっても、明日の朝日が拝めりゃって話だがな」


 声色は変わらないままだが、妙に困惑した様子が外部音声から伝わってくる。

 だが、俺にはポリシーを曲げるつもりなんてない。


『……変な男、ですね』


「うるせぇ! そっち行ったぞ!」


 ドォと音を立て、地面を蹴り上げながらマテリアは走り出す。

 その表皮でいくつか火花が弾けたが化物は意にも介さず、オオノ式の立つダム堤体の付け根に体をぶつけた。


『っ……やはり、目に当てなければ効かない』


 えぐれる地面と巻き上がる土煙から、ワルターは機体を転がらせて離脱する。

 しかし、散弾のように降り注ぐ瓦礫によって、外装のあちこちに損傷が見られた。


「アパルサライナーはまだか!?」


「スティッチリッパーの残骸を押しのけるのに手間取ってる。まだダメだね」


「こっちだって長くは持たねぇぞ!」


 スチームパイルの制御を解放。片肺で余裕のない蒸気圧を、チャンバーへ送り込もうとバルブレバーに手を伸ばし。


「ダメだよ」


 冷静な声に俺の手が止められる。


「あぁん!? 他に手なんてねぇだろ!?」


「動けなくなるような手段はとっちゃいけない。考えよう」


「考えるったってお前……ぬぉあ!?」


 いきなり迫ったバックキックに対し、咄嗟に両腕を前に防御姿勢を取る。

 オールドディガーは重い。だが、化物からすればちょっと重い石を蹴とばすようなものらしく、機体は泥を削りながらマニピュレータをついて着地しなければならなかった。

 無理矢理な受け身を取ったとて、衝撃にぐらぐらと頭が揺すられるオマケつきだったが。


「いつつ……こ、これでもか?」


「そう、だよ……もしこのマテリアが、ここの施設に書かれていた新種生物の成れの果てだとしたら」


「なんだよそりゃ!? ぬぉぉぉぉ……!」


 細い足が上から降ってくるのを、機体を転がらせて躱す。巨体から見れば枝のように細く脆そうな足だが、こっちからすれば巨木の幹が槍となって降ってくるのと相違ない。

 いい加減、足元をちょこまか動き回る小さい奴を相手に、向こうも焦れてきているのだろう。攻撃性は明らかに増しており、俺は逃げ回ることしかできなくなっていた。

 だというのに。


「一般的なマテリアの弱点は?」


 なんて意味の分からない質問まで後ろから飛んでくる始末。


「ぁあ!? そりゃ熱じゃねーの!?」


「金属の体、だから?」


「理由は知らねぇーよ! ただ動きを止めるか、一瞬で高熱にするかしないとダメだ! じゃなきゃ逃げられちまう!」


 斜めに振りぬかれた足を、しゃがみながらナックルプロテクターで受け流しながら返す。

 スチームパイルがマテリアに有効なのは、高温高圧の蒸気を体の中へ直接、それも一気に打ち込めるからに他ならない。そうすることで、熱から逃れようとしても確実に仕留められるのだ。

 だが、これはあくまでスチームパイルが貫通できる一般的な個体の話。

 ただでさえマテリアは打撃や斬撃に強い。高圧を利用したパイルドライバーでなければ表皮を貫通することが難しく、斬ったり叩いたりだけで仕留めるのは至難の業だ。


 ――砲弾すら軽々跳ね返す体を、スチームパイルが抜けるとも思えねぇよなァ。


 一般的なマテリアなら、外から炙っても殺せはするが、巨体な上にダムを容易に突き崩すような力を持つ奴だ。動きを止めて長々と炙り続けなければ死なないだろうし、そのどちらも実現できる気が全くしない。

 運よくスチームパイルから放出した高温蒸気を嫌がって、逃げ出してくれないだろうか。というのが俺には最後の希望のように思えていたのだが、サテンには別の何かがあるらしい。後ろでドタドタ暴れていたかと思えば、奥から埃を被った無線機を引っ張り出してきて、レシーバー片手にハンドルをぐるぐると回した。


「タム! 聞こえる!?」


『ギリッギリだけどー!?』


 ザーザーとノイズだらけで誰が喋っているのかさえ曖昧な声が、激しく揺れるコックピットの中に響く。

 無線機なんて何処でも使いはしない。お役人様がメーカーと癒着して賄賂を貰うための道具だ、なんてスチーマン乗りなら誰でも笑う代物だった。俺だって、法定検査を通すのに必要だからと奥の方に乗せているに過ぎない。

 それがまさか、こんな形で役に立とうとは。


「この上の物資、何があったか覚えてないかな!?」


『んえっ? えーと……石炭に重油、機械潤滑油でしょ? あと古いグリースと鋼材とかセメント材とかの建材類に……あとなんだっけー? サミー?』


 タムであろう声が遠のく。レシーバーから少しでも離れれば、まともに声すら拾えない。それも暴れ回る巨体を躱しながらなのだから、ノイズすらまともに聞こえてこない時間が果てしなく続くようにすら感じられた。

 しかし、何事にも永遠はない。あるいはほんの僅かな時間だったかもしれないが。


『新燃料実験用資材というのが報告に上がっています。リストはこちらに』


 サミュエルの声は、思いの他俺の耳にもハッキリと届いた。

 ただ、残念なことに。


「なんだそりゃ!?」


 俺にはサッパリ理解できない話だった。


『アタシにも分からん! けど凄そうだからリストに入れた! 回収はできてない!』


 訂正しよう。どうやら自分が特別阿呆な訳ではないらしい。


「新燃料……」


 ただ1人、無線のレシーバーを握りしめている我が雇い主を除いては。

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