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第45話 デコイ

 ようやく開けたダム堤体上から見える景色は最悪だった。

 巨大なマテリア。敢えて似ている生物を探すなら、4足歩行となったミジンコだろうか。

 寝起きの砲撃には余程ご立腹だったらしく、曲面のボディで軽々と大砲を受け流しつつ、最後には城塞のようなデミロコモへと突っ込んだ。


「愚行、ですね……」


『やはりアイーナカステールですか』


 メリメリと引き裂かれていく大型デミロコモの姿に、口の中が渇いた気がした。

 正直に言えば、既に仕事としては取り返しのつかない失敗だろう。オリゾンテは2両ものデミロコモを失うことになり、その内1両は最大クラスの規模を誇るアイーナカステールだ。

 マダムがあの男との間で何を考え、サテン・キオンという女性の持つ知識に価値を見出したのかは分からない。ただ、それがデミロコモ2両の損失に見合うものかと言われれば、おそらく否だろう。


「最早助かりません。それでも――」


 たとえ予期しない事態に巻き込まれようと、ニコラに与えられた仕事が変わることはない。

 恐怖はなかった。責任を取れない子どもではないのだから。


「蒸気圧は?」


『全力稼働で奴を躱しつつグラスコロネットへ合流する前提だとすれば、道を選ぶ余裕はありませんな』


 後方で待機させている最後のデミロコモ。オリゾンテ商会が誇る最新鋭のグラスコロネットならば、少なくともアレから逃げ切ることは難しくないはず。

 だが問題は、あの巨大なマテリアがスチーマンを見逃してくれるかどうかだろう。

 ニコラも何度かマテリアと戦ったことはある。アイツらは総じて動く物に敏感で、特にそれが機械的な物であればある程執拗に追いかけてくるのだ。

 ベンジャミンの腕を信用していない訳ではないが、仮にあの巨体が自分の知るマテリアらしい動きをしたとすれば。


「温存できる相手とも思えません。ライフルを」


『――まさか、雇い主たる貴女が囮に?』


「このナイトホークはニコラと同じ影。攪乱は得意ですし、蒸気圧の残量から考えても、この身だけであれば逃げ切れましょう」


 オオノ式は特に圧力消費が小さく稼働可能時間も長い。飛び回るような機動も得意で、囮を務めるには最適。


『成程、合理的である、と』


「はい。ニコラもそう思います」


 必要な所に必要なものを。ただそれだけの判断だ。

 だからこそ、ベンジャミンならば躊躇うのこともないだろう。この場において、それ以上の回答なんて出てこないだろうから。


「彼らへの連絡を頼みます、ミスター」


『……承知しました。では後程、グラスコロネットにて』


 ライフルと共に受け取った言葉は、正直意外なものだった。

 気休めなんて求めていない。ニコラが恐れるのは死ぬ事では無いのだ。


 ――重装甲のアイーナカステールさえ容易に踏み潰し、横転させる程の力。とても小型スチーマンが敵う相手ではない。


 手元にある使い込まれたライフルは、ベンジャミンの愛用品だろうか。だとしたら、少し悪いことをしたようにも思うが、彼は執着もなさそうに立ち去っていく。

 餞別だと思えば悪くもないか。


「失敗の報いもまた、私の仕事です」


 役目を果たせない道具には、帰る道なんて必要ないのだ。



 ■



 アパルサライナーと合流してみれば、社長様が細い足でガンガンと床を叩いていた。


『あんの馬鹿商会めぇ……ただでさえスティッチリッパーだけでも邪魔なのに、もう1両まで川塞いでひっくり返るとか最悪!』


 スティッチリッパーをあの場所で埋めたのはお前じゃねぇの? と聞きたかったが、下手に刺激して噛まれても困るのでギリギリ堪える。俺エラい。

 とはいえ、来た時よりかなり険しい道となったのは確かだ。


「どーすんだよ。帰れんのかこれ?」


『瓦礫押し退けながら隙間を抜けるしかないっしょ。だとしても、アイツがどいてくんないと無理だけど』


 アパルサライナーの悪路走破性は、ある意味で見た目にそぐわないものであることは、既に俺も実感している。

 ただ、現在進行形で金属の外装を引きちぎっている化物が相手となれば話は別だろう。何せ向こうの方が明らかに戦闘向けな車体だったのだから。

 そこで俺は肩を竦めつつ、操縦席の方へ視線を流した。


「都合よく生き物のセンセが居るじゃねぇか。なんか手はねぇのか?」


『うーん、マテリアかどうか以前に生物としても規格外ですからね。外見はミジンコのようですが、運動性も高いし攻撃性も強い。何よりどんな食性ならあんな巨体に――』


「授業が聞きてぇ訳じゃねぇよボケ。対策考えろっつってんだ」


「引き寄せるか追い払うかだけど、多分後者は無理だよね」


『表皮は大砲を跳ね返していましたから、むしろあのデミロコモのように、刺激した結果襲われるだけでしょう』


 これだから尖りすぎた変態は嫌なんだ。サテンの方が余程まともな意見を出すじゃあないか。

 しかし表皮の強靭さは確かにサミュエルの言う通りだ。とてもではないが痛痒を与えられるとは思えない。だとすれば、必要なのは釣りだすための餌となる訳だが。


「なら、スチーマンで引きつけよう」


 アッサリとサテンは言い放った。

 お前の持ち物じゃないだろう、というツッコミはしないが、やれやれと思いつつコックピットシートに体重を投げ出す。


『本気?』


「振り向いてくれたらだけどね。どっちにしたって、スチーマンだけじゃ町に帰れないんだし、無難でしょ?」


『うーん……ヒュージはそれでいいの?』


「キヒッ、遠慮なんてらしくねぇだろ。他に道がねぇならやるだけだ。わかったらサッサと爆雷よこしな」


 タムにそんな気遣いのある心があったなんて驚きだ。できればもう少し違う形で発揮してもらいたい。


『あんらぁ、オトコマエだことォ』


「……ついでにそいつも黙らせといてくれ」


 突然響いたメルクリオの声に、背筋がゾゾゾと寒くなる。

 多分冗談だろう。いや冗談であってくれないと困るのだ。俺は断じて男が好きな訳ではない。

 開かれた車体側面のシャッターから、ドラム缶のオバケみたいな爆雷を2つ受け取る。効くかどうかはともかく、驚かせるくらいはできるだろう。

 両脇にそれを抱えたオールドディガーでは手を振ることもできないまま、俺はアパルサライナーを離れ、下流で暴れる金属製ミジンコ野郎に向かっていく。

 中々悪くないスリル感だ。


「ごめんね」


 そう思っていた矢先、またしても意外極まる殊勝な声が聞こえてきた。


「何がだ」


 振り返らないまま問い返す。


「勝手に損な役押し付けちゃってさ」


「ハッ、意外だなァ? んなこと気にするタマだったとはよ」


「失礼だね。私だって責任くらい人並みに感じるよ」


 色々物申したいことはあるが、彼女の不服そうな声がどうしてか俺には面白くて仕方なかった。

 こんな感情も出せるんだなコイツ。なんて。


「言っただろ、他に道がねぇならやるだけだ。むしろ、1本でも道がありゃ上等だぜ」


「死ぬかもしれない道でも?」


「嫌いじゃねぇぜ。ロックでいいじゃねぇか。それに――」


 人間はどんな道を歩いても、遅かれ早かれ最後は死というゴールへ辿り着く。

 勇んで死にたい訳ではないし、何なら可能な限り楽しい生を謳歌したいとは思うが、目の前に結末があるならそれはそれ。

 俺はニヤリと口の端を歪ませながら振り返る。いつもの通り、アウトローらしい目を剥いた表情を貼り付けて。


「相手がなんだろうと、てめぇに死ぬ気なんざねぇんだろ?」


 ぱちくりと、サテンが目を瞬く。

 それも僅かの間で、彼女はゆっくりと息を吐くように肩の力を抜いた。


「……ふふっ。そうだね、そうだ」


『話は纏まったようで何より』


 横から聞こえた声に足を止めれば、どこから出てきたのか、エグランティーヌがいつの間にか隣に並んでいた。


「なんだ銀眼鏡。カラスの姿が見えねぇが、いい作戦でも思いついたか?」


『作戦などと言えるものでは無い。キミらと同じだ』


「ということは、彼女が囮に?」


 声が途切れる。

 損傷した特注の腕を組むネオコーメン式スチーマンは、まるで言葉を探しているようだった。


『……そうなる。非常に合理的な作戦だ』


「ハッ、そう言う割に随分と不満そうだな」


『吾輩が?』


 これまた意外そうな声が返って来る。自覚がないとすれば、こいつも大概重症なのではないだろうか。

 合理主義者の銀眼鏡。にしては歪な戦い方をする奴だとは思うが、それ以上に考え方自体が歪んでいる気がしてならない。


「その変な溶接グラスの奥に、テメェ以外が居るなら知らねぇけどォ?」


「心配ですか、彼女のこと」


『買い被られては困ります。吾輩は情だの縁だの名誉だのという曖昧な言葉が嫌いでね』


「冷めた野郎だぜ。生きてて楽しいかァ?」


 気を利かせたサテンの言葉を振り払い、ベンジャミンはエグランティーヌを前へと進ませる。

 同時に爆音が響き渡ったかと思えば、巨大ミジンコの玩具にされていたデミロコモの残骸が、バラバラと音を立てて飛んできていた。

 目なのか模様なのか分からない、黒い丸と視線がぶつかる。


『お喋りはここまでだ。その爆雷を餌に道を開くのだろう? せめて乗らせてもらおう』


 随分察しのいい化物が居たものだ。とりとめのない問答の時間は、奴が鳴らしたゴングのような足音に、終わりを告げることとなったらしい。

 デミロコモを食い荒らすだけでは飽き足らず、次の狙いは俺かベンジャミンか、あるいはアパルサライナーか。どれもこれも逃がすつもりはないのだろう。


「上等だぜゴミムシがよォ! こいやぁ!」


「こいやー! アハハッ!」


 楽しそうに笑うサテンの声を聞きながら、俺はオールドディガーを走らせた。

 自分よりも遥かにデカく、遥かに強靭であろう喧嘩相手を前に。




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