『よもや、あれはマテリアか……?』
「い、いやいやいやいや! んな分けねぇだろ銀眼鏡!? あんな小山みてぇなサイズ、聞いたことねぇぞ!?」
確かにマテリアと同じ色味はしている。
ただ、大きな個体と言われる奴でも、精々大型スチーマンとトントンくらいまでしか見たことはなく、噂にすら聞いたことがない。
にもかかわらず、崖を突き破って現れたソイツは、地形そのものと言うべき巨大さであり、のっそりした動きでこちらをダム湖を見下ろしていた。
その衝撃は凄まじく、さっきまで響き渡っていた戦闘の音すら、今はシンと静まり返っており、おかげで鳴り響いた興奮気味な声がよくよく聞き取れた。
『こちらアパルサライナー、サミュエル・レイパークより近隣で活動中の皆様へ。出現した巨大生物は、外見的特徴から超大型のマテリアと考えられます。ですが、今の所強い攻撃性は見られませんし、長い間休眠していた個体であるようにも思えます』
「寝起きってこと?」
『はい。ですが規格外の存在であることに間違いはありません。なので、我々の安全を確保するためには、寝ぼけている内に退避することを推奨します。無論僕としましては大発見ですので、これから暫くここに残って観察したいとおも――ぐえっ』
『って訳で、積み込んだ資材だけかっぱらってそーっと逃げよう作戦なんだけど、帰ってこれそう?』
気弱そうなサミュエルだが、流石はチームアパルサライナーなだけはある。どうやら自分の興味範囲内だと、ブレーキがぶっ壊れる仕様らしい。
とはいえ、生物学者様の提案だ。俺たちに否はないが。
「ちょっと待ってろ、こっちもナシ付ける。サテン」
「そう言う訳なんだけど、君達はどうする? まだ続ける? 諦めてくれるなら私達はこれ以上争わないけど?」
逃げられるかどうかはこいつら次第だ。ドンパチやるのはやぶさかでないが、寝起きに耳元でドラムを鳴らされれば、誰でも殺意が芽生えることだろう。
そんなリスクを背負えるのかと問うサテンに、すぐさま反応したのはベンジャミンの方だった。
『ワルター氏、ここは停戦すべきかと』
『……貴方の合理的判断において、ですか?』
『都市外の仕事にイレギュラーはつきものです。このまま続けては我らも無事では済まず、オリゾンテの損害も大きくなるかと。損切を考えるなら今しかありますまい』
銀眼鏡の人となりを知っている訳ではない。だが噂通りであるならば、こいつは何より合理を重んじるとか。
判断の早さはそれが理由だろう。命と天秤にかけられる合理的判断など、俺には見当もつかない。
一方、ワルターとかいう女は暫く沈黙していた。ベンジャミンが敬語で語りかけている辺り、こっちが元請けなのか発注元なのだろう。
しかし、あんなデカブツ相手にいい案が出るはずもなく、やがて折れたようにオオノ式スチーマンは銃を下ろした。
『はぁ……ままなりませんね。分かりました、そちらの提案を飲みましょう』
物静かというか、まるで感情の乗らない声なおかげで、何を考えているのかはさっぱり分からない。
ただ、俺には何となく不服そうに思えて、その理由があるとすれば。
「煮え切らねぇのはこっちも同じだぜカラス。タイマンなら改めて受けてやらぁ」
『いえ、次はないでしょう。仕事の他に、貴方と戦う理由はありませんから』
しっかり持ち上げてみせた拳に対し、オオノ式スチーマンはハッキリと首を横に振る。
何故だろう。物分かりのいい奴は嫌いじゃないからとフォローを送ったつもりなのに、カウンターで自分が痛い奴判定されるというのは。
「振られたね」
「うるせぇ」
『ハッハッハ! 素晴らしい! 実に合理的ですな!』
「はったおすぞテメェ」
遠慮なく笑う銀眼鏡。こいつとは本気で一度、どちらが上かをハッキリさせた方がいい気がする。
否、サテンが居なければこの場でゴングを鳴らしていたかもしれない。
「まぁまぁ、いいじゃない。とりあえずは丸く収まりそうだし」
本当にそれは丸い収束だろうか。オリゾンテ商会側からすれば、まるで旨味のない作戦となっているはずだが。
まぁ、メリーアンのババアが損をしたところで俺は痛くも痒くもないので、知ったこっちゃねぇと思考を放り投げた矢先だった。
『あっ』
ワルターの声と同時に、頭上を風切り音が飛んでいったような。何かの聞き間違いだろうかと思ったが、続いた爆音が事実だと教えてくれた。
「「ハァ?」」
パーティクラッカーという奴だろうか。派手な爆発が、あろうことか2発3発と続けて巨大なマテリアの上で炸裂している。
見間違いであってほしかった。あってほしかったが、今もドンガチャンガと続く砲撃の音が消えることはない。
前言撤回、耳元でドラムを鳴らされるなんてまだ可愛いくらいだったようだ。
痛みにか、あるいは鬱陶しさにか。ぽっちゃり体型に見えなくもないマテリアは、10発程炸裂した時点で堪忍袋の緒が切れたらしく、山をも揺るがしそうな大音声の咆哮を轟かせた。
「は、話が違ぇぞコラァ!? どこのバカタレだ!? おい銀眼鏡、テメェか!?」
『知らん知らん知らんよ吾輩はぁ。そんな非合理なことする訳なかろうにぃ』
ガックンガックンとエグランティーヌを揺すれば、合わせてふにゃふにゃした否定が返って来る。
だが、こいつでなければやらかしたのは誰だ。
『……もしかして、アイーナカステール?』
ワルターの声に揺する手を止めて頭を巡らせる。
そういえば、デミロコモはもう1両居るとか言われていたような。
「それってそっちの?」
と、サテン。
『はい。オリゾンテ商会所属の大型デミロコモです。10発にも及ぶ連続砲撃が可能な車両は、位置関係からしてもアレだけかと』
『でしょうなぁ』
「やっぱテメェの仕業か!?」
『君は何故吾輩だけを疑うんだァい? そんなことせんと言うとろうに』
「誰より胡散臭ぇからに決まってんだろ!」
ハハハと笑う銀眼鏡。笑いごとではないが、笑うしかできないと言った雰囲気にむしろ腹が立つ。
「喧嘩してる場合じゃないよ……あいつ、明らかに威嚇しながら動き出してるし」
言うが早いか、頭上を大きな影が通り過ぎていく。
当然だろう。寝起きの腹に大砲をプレゼントしたのは俺達ではないのだ。
巨体は相応の重さがあるのだろう。細い四つ足の癖に、体当たりでダム堤体の切れ目を突き破り、なんなら瓦礫に埋もれたスティッチリッパーを踏みつぶして進んでいく。
何となく、あくまで何となくだが、これはダメな気がしてきた。
「クソが、いきなり全部ひっくり返しやがってよ! おいカラス! お前身軽だろ、ダムの上から状況を探れねぇか!?」
『命令しないでください。停戦しただけで、貴方の駒になった覚えはありません』
口の端に力が籠った。このアマ、人が協力してやろうと言う時に。
「お願いできないかな。えっと、ワルターさん?」
『……やってみます』
「なーんか腹立つなァ!?」
その癖、サテンが言えばすんなりと動き出す。これは差別ではなかろうか。
『まあまあ、余計な
「チッ、ストレスで禿げちまいそうだぜ……」
「とりあえず私たちはアパルサライナーに合流しよう」
サテンにモヒカンをポソポソと撫でられる。意外にセットは大変だから触らないで欲しいのだが、振り払うのも違う気がして、俺は口をへの字に曲げながらオールドディガーのレバーを叩いた。
「エグランティーヌはこっちの状況確認と意思疎通をお願いできる?」
『それは機体の名。吾輩の事はベンジャミンと及び下さい、ミス・キオン』
「よろしく、ミスター・ベンジャミン」
何故だろう。こいつらの狙いはサテンであったはずなのに、俺よりずっと紳士的な対応をしてもらえるのは。