大地を踏みしめる振動が、機体を通して伝わってくる。
それを尻で感じながら、俺はコックピットの背もたれにゆっくりと体を沈めた。
「怪我してない?」
「ぁあ……? あぁ、しっかしどうすっか」
いつの間にか覗き込んでいたサテンの顔にも、いい加減驚かなくなった自分が居る。
鼻が触れそうな距離だと言うのに、呆れ笑いすら出てこない俺に、サテンは器用に手を伸ばしてくると、こちらの額を軽く指で弾いた。
「戦う以外にないでしょ」
「気楽に言ってくれるぜ。どうやって動かすってんだ?」
軽く肩を竦める。
最後に見えた損傷箇所は主蒸気管だった。その後はモニターも消え、計器類も針を落としたので詳しい状況は分からない。
ただ、蒸気の噴出音が聞こえなくなっている辺り、タンク内の圧力は全喪失した可能性が高いだろう。
力無く問いかける俺に、しかしサテンは立てた人差し指で頭上を指した。
『蒸気管を一撃で……どこでこの機の構造を?」
どうやら余程近づかれていたらしい。中々に聞き取りづらいが、声の主がベンジャミンであり、彼が他の誰かと話していることは理解できた。
『詮索は不要です。彼女の回収を』
『ブローデンはどうされるおつもりか?』
『マダムより、制圧が不可能であれば処理せよと』
「だとすりゃ俺は、確実に殺られちまうな。へへっ、たまんねぇぜ」
予想は当たり。やはりバックに居るのはメリーアンのババアだ。
都市の外で労働者が消えるなんてよくあること。アパルサライナーごと俺たちが帰らなくなったとしても、市民様方の新聞が騒ぎ立てることはなく、組合の中で簡単な注意喚起が出るかどうか。
別に驚きもしない。いつか来ると思っていた日が、今日だったと言うだけのこと。何より。
――奴らの狙いがサテンなら、いきなり殺されるこたぁねぇだろ。それなら万々歳だ。
何故そんなことを考えたのかは、自分でもいまいち分からない。ただ、思ってしまったことは否定もできず、最後は俺もマヌケだったかと肩を落とす。
『慈悲のないお方だ。では、機体の破壊も厭わずでよろし――むっ?』
蒸気ピストンの動作音が聞こえたと思った矢先、ベンジャミンと誰かの声も諸共に、派手な爆発音と衝撃が機体へ伝わってきた。
『車体を滑らせてからの爆雷攻撃とは……あのデミロコモ、なかなか手練れですな』
『……貴方はあちらの援護に回ってください。これ以上時間をかけては仕損じます』
『その細身の小型機でですか? 見た所、オオノ式のようですが』
どうやらアパルサライナーはまだ暴れられているらしい。羨ましいことこの上ないが、手練のエグランティーヌが敵に加勢すれば不利は必死。
とはいえ、何も出来ない俺は外の状況よりも、ほとんど耳にしない名前の方に思考が引っ掛かった。
――オオノ? 確か、遠い東の国で作られてるとかって、変わり種のスチーマンだったか。
外装強度を犠牲に、隠密性と高い運動性を実現したピーキーなモデルだと聞いたことがある。コラシーで見かけたことは無いが。
『詮索は不要と、先ほど申し上げたはずですが』
『これは失礼を』
女の声は余程機体の出処を隠したいらしい。ピシャリと言い切ると、ベンジャミンも言葉を重ねることなくあっさりと退いた。
「ねぇ……もしこの子がまだ動くなら、アレに勝てると思う?」
頬を指で突かれる。振り払う気にもならないが、一体どういうつもりなのか。
「そりゃ動かねぇと勝負にもならねぇだろ。勝てるかどうかはその後だ。つっても、蒸気管ぶち抜かれてんじゃどうしようも――」
と言いながら頭上に再び視線を移してみれば、何故か笑みを湛えるサテンの顔があった。
それも何か、悪戯を思いついたかのような雰囲気で、彼女の細い指は圧力チェック用のスナップスイッチを弾く。
「……あ?」
じわりと針が上がった。
主タンク容量50パーセント、圧力規定値。
「お前、これは」
何をしたのか。珍しく俺の頭は、サテンに問いかけることなく答えを導き出す。
いや、オールドディガーの事だから当然と言えば当然か。
「フフッ、これでも勉強は得意だからね。圧力系制御、返すよ」
主蒸気管バルブの閉鎖を示す緑色のランプ。それは後付けのパネルに2つ輝いており、俺が恐る恐るバルブ操作を遠方油圧に振って、閉止している圧力を抜いてやれば、しっかり赤色が灯った。
生きている。まだ。
『おお、どうやら吾輩の援護は不要なようですな』
ズズンという砲撃の音に、ベンジャミンが何やら感嘆を漏らす。
起動手順通りにスイッチやらレバーやらを叩きつつ、俺は耳をそばだてていた。
もしも、タムが言葉に滲んだ地震の通りだとすれば。
『スティッチリッパーが追いつきましたか。これで作戦は――いえ』
女の声が初めて揺らいだ気がした。
こいつも感情のない機械とは違う。何かが崩れる轟音と共に、今までの余裕が気配から奪われていた。
当然、飄々としたベンジャミンも同じだ。
『なんと愚鈍な真似を……!』
蒸気モーター始動。電源回復。
サテンが後ろでバルブ周りを触る。いくつも並んだ圧力計の針がバラバラに上昇。
『これ以上の損害拡大は望ましくありません。そちらは急ぎデミロコモの制圧を』
操縦レバーを握り、ペダルに足をかけた時、暗闇だったモニターに光が戻った。
気分はどうだ相棒。お前の視界の先で、目をひん剥いてるチビガラスが見えるぞ。
「何が急ぎ、だってェ?」
ナックルプロテクターが動く。ベンジャミンが何かを叫んだ気もしたが、女が何かをするには遅すぎる。
ペダルを勢いよく底まで踏み抜けば、オールドディガーはそれに応えて蒸気を吹いた。
「パーンチ!」
『が……っ!?』
咄嗟に両腕を前に防御姿勢を取れた辺り、流石に手練と言うべきか。
しかし、小型と大型では質量の差が歴然であり、立ち上がりながらアッパー気味のパンチを腕で受けたオオノ式は、派手に後ろへ吹き飛んで行った。
『ワルター氏!?』
「へぇ、そんな名前なのか。ま、さっき分の礼だと思ってくれや。なぁ?」
ぐるりと機体の肩を回しながら、俺はサテンを振り返る。
「蒸気圧規定値、各部動作正常。ふふ、理解したと思うには早かったんじゃないかな」
『……蒸気管をやられて、何故動けるのです?』
サテンの煽るような笑いに、オオノ式はひしゃげた外装を切り離しながらもまだやるつもりらしい。専用品らしき拳銃を腰から抜き放つ。
馬鹿馬鹿しい話だ。相手に同じことをされれば、自分でも引っ掛かっただろう。アレだけ蒸気を漏らせばなおさらに。
「俺だけだったらアレで決まりだっただろうぜ。
『っ! そうか……旧型機の蓄圧タンクはあくまで補助動力。それを現行のパーツで蓄圧式に改造してあるとすれば』
「中型用の増設タンクを並列で使っていてもおかしくない。滅茶苦茶な改造機を常識で見てたそっちの負けだね」
オールドディガーはその名の通り、遥か昔に型落ちとなった時代遅れの化石だ。元々がどんな姿だったのかは、操縦者である俺すら知らない。
元の持ち主であるジジイの言い分を信じるなら、手を入れていない場所を探す方が難しい、とか。どうせ大げさに言っているのだろうが、こいつのタンクが並列で搭載されている事実は揺らがない。
全く、なんと恐ろしい相棒だろう。機体の事ではない。スチーマンに乗った経験すらほとんどない女が、この短い期間にオールドディガーの中身を持ち主以上に把握しているというのだ。
――面白ぇ。
一匹狼と言われていた自分に、こんな感情が芽生える日が来るなんて思いもよらなかった。
認めたくはないが、こいつは確かに相棒なのだと。
『……ミスター・モレルはデミロコモを。これは私が仕留めます』
『しかしそいつは!』
『問題ありません。私1人で十分です』
オールドディガーの半分にも満たない小さな機体が、ベンジャミンを手で制する。
エンブレムは見当たらない。だがこの女は間違いなく、エンブレムを着けるに値しない素人とは違う。
「大した自信じゃねぇかチビガラス。タイマンなら、こっちも望むところだ――が?」
拳と銃。お互いに得物を下ろさないままで、しかし俺たちは同時にダム湖の上流方向へと視線を巡らせた。
地面が粟立っている。乾いた泥が飛沫の様に跳ね、僅かに流れる細い沢がびちゃびちゃと音を立てて。
「お、おいおいおい、なんだよこの地響き」
「まだ何か隠し玉があったのかな? ワルターさん?」
気楽にサテンは問いかけるが、これが正解なら最悪だ。こっちには既に出せるカードなんて残っていないと言うのに。
だが、小さなカラスは低く腰を落としたまま静かに首を振った。
『……違う。ニコラ達じゃ、ない』
「じゃあなんだってんだ!?」
「ヒュージ君、あそこ!」
サテンが指さした先。ダムより上流にある断崖の地形が、大きく崩れ落ちる。
大きな岩が転げ落ち、派手に土がまき散らされて煙となり、またそれを突き破って何かが顔を覗かせた。
「ハァ?」
変な声が零れ落ちた。
大きな1つ目、だと思われる黒い模様。ころりと膨らんだ丸い胴体と、そこから伸びる4本の細い足。
それはあまりに不自然な恰好をした生き物だった。当然、誰も見たことはないだろう。
波打つガンメタルの表皮という、明らかな特徴がある以外は。