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第36話 硝子槽

 薄暗い部屋を覗き込む。

 中央操作室と書かれたその場所は、部屋のほとんどを蒸気動力式解析機関の動作機構に占領されており、窓際まで歩いてようやく制御用ハンドルの並ぶ操作卓が顔を見せた。

 机に散らかされたままのクリップボードを手に取ってみる。


「荒れ果ててるけど、中身は特に変じゃない……」


 ダムの水位管理、不具合報告、出勤管理簿、保守点検作業表。そんな感じ。

 不思議なことなんて何もない。ここに居た人たちはただ、普通にダムを維持し管理し運転していたというだけ。


 ――だとしたら、あの大きな傾斜エレベーターはなんだろう。


 私の産まれた国の傍には、貴重な水資源を確保するためのダムがあった。規模はアルジャーザリーの方が遥かに大きいものだが、基本的な維持管理に大きな差があるとは考えにくい。

 ダム湖を調査したり点検するための船なんて、数人が乗れるボートくらいでいいはず。にもかかわらず、あのエレベーターは水に浮くことを前提としていないであろうオールドディガーを軽々と上げられるだけの出力を持っており、床面も不必要に広いものだった。

 深まる疑問に対し、時が止まってしまったかのような部屋は何の答えも示さない。

 私の目指すべき先は、ここではないのだろう。


「なら、地下か」


 地上部はほとんど見回ったはず。となれば、やはり怪しいのは光の当たらぬ場所。

 一層広がる暗がりの階段を、ランプ片手にゆっくり下る。深く深く、底の見えない暗がりを照らしながら。

 経年劣化で崩れた壁は見えるが、荒らされたような痕跡は見られない。そう思えば、タムの考えは正しかったのだろう。

 中途半端に開いたままとなっている鉄扉。セキュリティ制限がかけられていたであろう一般職員立ち入り禁止の文字。


 ――まぁ、そうだよね。


 私の知りたい情報は、当時から誰にでも見せていい物ではなかっただろう。

 そっと扉を押す。蝶番のギィという小さな音にさえ、私の背中は冷たくなったが、やはり空気は動かない。

 窓がなく真っ暗でどこかジメジメした部屋の中を、ぐるりとランプで照らしてみる。

 設備が多く広い部屋。その一角にあった机の上に、ふと目が留まった。


「……新種生物の生産する未知の精製物質について?」


 クリップボードに挟まれたまま放置された紙の束。手に取ってめくってみれば、ハッキリと文字が読み取れた。

 第327号生成実験、付属項目第005長期試験、簡易レポート。

 特異精製物質乙種3号仮称『コンプレティウム』。

 本試験の目的は、付属項目第003試験において確認された、周辺の光及び熱エネルギーを吸収する反応の安定観測とする。

 元々の反応は付属項目第003試験中において、豪雨によるダム流量増加によって、加圧用タービン動力が瞬発的な異常高回転を記録した際に観測された。この事から、実施可能な最大圧力を加え、同様の事象が引き起こされる可能性を検証する。

 実施結果。6ヶ月間に渡る加圧用タービンの定格出力連続運転後、コンプレティウムは付属項目003試験と同様の反応を示し、実験室内の温度を0℃まで低下せしめた。なお、熱エネルギーを吸収後、物質そのものに変化はみられず、吸収されたエネルギーを出力する方法も不明であり、現時点では不可逆的かつ原理不明の熱吸収を起こす物質と定義する他にない。


「熱吸収を起こす、謎の物質……」


 更に続きへ目を通す。どうやら別のレポートとなっているらしい。

 当該試験における物質の推測、および将来性について。

 コンプレティウムは、熱エネルギーの吸収による一切の物質的変化を起こさず、飽和熱量の観測にも至っていない。ただし、質量の大小によって吸収効率は大きく変化している。

 これらの事象から、コンプレティウムは吸収した熱エネルギーを消滅、あるいは別の次元へと転移させる性質を持つ可能性が示唆されている。

 仮に、この吸収された熱エネルギーを意図的に放出、制御することが可能となれば、技術文明の革新的な物質と成り得る。

 なお、付属項目第004の結果から、コンプレティウムは生成状態から切断や破砕等の変化を与えると、これらの特異な反応を一切示さなくなることから、現時点において加工利用は不可能であり、生物精製時における制御方法の確立も課題と――。

 次の紙を捲ろうとしたところで、何も指に引っかからないことに気が付いた。


「続きは無い、か。でも――」


 ランプを持ち上げてみる。

 ぼんやりと照らされた先に、私は小さく息を吐いた。


「一体、ここで何を飼ってたのかな……?」


 浮かび上がるガラスシリンダ。

 ほとんどが砕け散っている中、たった1つ割れ残った物の底に転がる、黒く固まった何か。

 答えには近づいている気がした。それを見つけることが正しいかどうかはともかくとして。

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