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第35話 高低差

 キコキコキコキコ、モンキーレンチを動かす。

 金属メッシュに覆われた、蒸気圧用のフレキシブルホース。その先端のジョイントを固くなるまで回して回して。


「蒸気配管繋いだぞぉ」


「漏れない?」


「今んとこはな。上手くいきゃいいが」


 オールドディガーの増設圧力タンクから伸びるホースは、蒸気圧を外部設備や圧力装備に接続する為のもの。つまり、使い方としてはこれが正解。

 錆びついていても同じ規格の接続口には感謝しなければなるまい。後は、腐食劣化しているそれらが圧力に耐えられれば、というところだが。


「ゆっくりだよヒュージ君!」


「わかってらぁ。ドレン弁解放、じわっと」


 少しずつ少しずつバルブを開けて圧力を送り込む。久しぶりの高圧に設備がギギギと音を立てたが、それも束の間。


「キタキタキタぁ! 圧力計動いてるぞ!」


 雨に流れた錆びのせいで、変な模様がついているメーターだったが、どうやらその機能自体は失われていなかったらしい。

 プルプルと震えながら上昇する針は程なく、レギュレータによって設定された既定圧を示して止まった。


「まだお祈りの時間だよ……ギア上昇位置接続、ブレーキ解除ぉぉぉぉぉ」


 真っ赤に染まった操作機構は、その全てが固着していたことだろう。サテンは体重を乗せるようにして、どうにかこうにかレバーを引き倒す。

 ガギンと何かが外れるような音と同時に、オールドディガーと俺達が乗っかっていた金属製の床板が、周囲に堆積した土砂をザラリと震わせたように見えた。

 ぎこちない振動が走ったのはその直後である。


「おほー! 動いてる動いてるぅ!」


 歯車とシャフトが軋みを上げ、まとわりついた砂を振るい落としながら、巨大な床板がジワリと動き出す。

 成程、船を持ち上げる為の構造という意味がよく分かった。これだけの広さを持つ床板が、オールドディガーの重さもなんのそのと持ち上げるのだから。

 しかしその一方で、駆動部が噴き出す白煙には気になることもある。


「動いたはいいがなんだこりゃ。蒸気を躊躇いなくパカスカ捨てやがってよ。あー勿体ねぇ」


「昔の機械はこんな物だよ。気軽にボイラーが使えて、燃料も当たり前にあった時代に作られてるんだから」


「けっ、贅沢な時代があったもんだぜ」


 今では石炭の1つでも、目が飛び出すような値がする。それも出所の分からない物を下手に売り買いしようとすれば、すぐさま警察組織に目をつけられる有様だ。

 蒸気は大地より与えられた人類における最重要の資源。無駄にしないよう扱うのが当たり前。教育なんて受けていない極貧のガキでさえ、この常識だけは知っている。知っていなければならない。

 だが、このエレベーターが本来の役割通りに動いていた時代には、自前のボイラーを担いだ機械が当たり前で、だからこそ船から発生させられる蒸気を外部動力として駆動するなんていう贅沢機構が用いられたのだろう。


 ――思えば、オールドディガーの生まれた時代もそう、か。


 ジジイがそんなことを言っていたな、とふいに思い出した矢先、エレベーターは鈍い揺れを残して停止した。

 安全柵の1つすら存在しないただの床板は、いつの間にか地面とピッタリ合わさる位置に来ていたらしい。


「とうちゃーく! やー、流石トレジャーハンターさんは目の付け所が違うねぇ」


 真っ先に地面へ降り立ったタムは、目を輝かせながらくるりと身を翻す。

 無理もないだろう。破壊や略奪の損害がほとんど見られない建物がそこかしこに建っているのだから。


「こっからが本番だろ。でぇ? 俺ぁどうすりゃいい?」


「手分けしよう。私はあっちの建物を、2人は向こうの倉庫でどう?」


 サテンはまるで勝手知ったるかの如く、あっさりと行く先を指し示す。

 と言っても、こんな場所に訪れたことがあるとは思えず、1人で行かせて大丈夫だろうかという心配も浮かんだが。


「あれ? ヒュージのこと貸してくれるの?」


「俺ァ物じゃねぇよ」


 全く異なる観点からの疑問に、出かかった言葉はアッサリと塗りつぶされた。


「適材適所ってだけだよ。管理棟の中にオールドディガーは入れないだろうし、タムの方にはパワーファイトできる人が居た方がいい。それに――」


 サテンの顔がピタリとこちらを向いて止まる。それもジッと目を合わせた格好で。


「な、なんだよ。俺様の顔になんかついてんのかァ?」


「噂通りなら、この先に何が出るか分かんないからね。ヒュージ君は誰かと一緒じゃなきゃ怖いだろうなって」


 柔らかい笑顔に背筋が固まった気がした。

 眼球だけを動かして、奴の背後にある建物へ視線を巡らせる。


 ――当時のダウザー達が確実に消える仲間の姿から、この話を封印したのは確かさ。


 脳裏を過る契約時の言葉。

 廃墟としては綺麗な方だ。しかし、人の手が入らなくなって久しいことは窓や建物の汚れを見れば明らかで、薄暗く口を開けたままのドアに砂の舞う光景は、まるで何かを呑み込もうと待っているかのようにも思え。


「……きッ、キヒヒッ!? そ、んな、訳、ねぇーだろがぃ?」


 俺はそこで無理矢理に口角を引っ張り上げた。

 想像するな。あるのは現実だけだ。帰ってこなかった奴は、大概運が悪いか間抜けだっただけ。

 だというのに、サテンは軽く俺の額を指でつついて、反対の手で口元を隠した。


「強がらなくていいよ、私は平気だから。タム、彼の事お願いね?」


「ま、まぁ、2人がそれでいいなら?」


「決まりだね。それじゃ、また後で」


 去っていく背中に何も言えなかったのは、半ば呆然としていたから。

 ホッとする反面、なんで俺はあいつに慈悲をかけられているのだろう、という悔しさも湧いてくる。


「ヒュージ、本気でオバケ怖いんだ」


「だぁから! ンな分けねぇ、っつってんだろォ!?」


 ドスンと地面を鳴らしても、まるで説得力がないことは自分でも分かっている。が、ここで認めてしまうのは沽券にかかわるのだ。

 いつもならギャースカうるさいタムだが、憐れみなのか呆れなのか、今ばかりはチラとこちらを一瞥してから小さく肩を竦めた。


「まぁアタシ様もホラーって好きじゃないけどさ。居るかどうかも分かんないオバケより、アタシはサテンの方が時々怖い気がするよ」


「あん? なんでだ」


 なんで比較対象にあいつが出てくる。確かに底が見えないところはあるにせよ、怖いとは別次元な気がしてならないが。

 しかし、タムは彼女が消えていった建物の入口を見つめながら、耳のような飾りの生える帽子を軽く押さえた。


「サテンって凄く無敵っぽい雰囲気なのに、なんだか時々脆さっていうか儚さみたいなのを感じるんだよ。何考えてるか分かんない、っていうかさ」


「俺にゃ常に分かんねぇーけどぉ?」


「じゃなんで一緒に居るのさ」


 ジト目がこちらを見上げてくる。

 確かに俺は、アイツの考えている事がよく分からない。その部分が怖いかどうかはさておき、一緒に居る理由なんて1つしかないだろう。


 ――相棒。


 一瞬脳裏に浮かんだ答えはシャボン玉のように消えた。


「……仕事だからな」


「そんだけー?」


「他に何があんだよ」


 こちらを覗き込んでくるタムをギロリと見下ろしてみる。

 いつものように顔が怖いなんて怯えるかと思ったが、意外にも彼女は視線を逸らそうとはしなかった。

 僅かに流れた沈黙の後、小さな唇がゆっくりと開かれる。


「……じゃあさ、アタシがアンタを雇っても、一緒にいてくれる訳?」


「金払うならな」


「ヒュージって、意外と真面目だねぇ」


「キヒッ! 俺ほど仕事に真面目な奴ァそう居ねぇぜ?」


 今更気付いたのか、といつも通りの笑いを顔に貼り付け、人差し指と小指を立てたコルナサインをタムへと向ける。

 ただ、その瞬間にこちらを見る目が今まで通りに戻ったような気がした。


「そんな見た目してんのに?」


「人様のアイデンティティにケチつけんじゃねぇよ。ほれ、仕事仕事」


「あっ、待ってよー!」


 ポケットに手を突っ込んでオールドディガーの下へと歩き出せば、パタパタと彼女も後を追ってくる。

 全く、どうにも俺の周りには変な女が集まる気がしてならない。

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