道が悪くなり、傾斜もきつくなり、調子の悪い主機関が息継ぎをしつつ進むこと暫く。
「みーえーたーねー」
双眼鏡を覗き込みながら、タムはニヤリと口の端を歪める。自分の目指すものが、夢幻でないことを確信できたからだろう。
周囲を急峻な岩山に囲まれた中、姿を現したのは巨大な歯車構造が多数露出した壁のような人工物。薄く高山植物が生えるだけの周りと比べて、明らかに異質な無機物が渓谷にそそり立っていた。
「アルジャーザリー多目的ダム……本当に現存しているとは」
ナントカ学者だと語っていたサミュエルは、感動してかキラリとメガネを輝かせる。何がそんなに面白いのか、俺にはサッパリ分からないが。
「多目的ってのはアレか? 動力と蒸気のためって意味か?」
「利水と治水、それから実験的な要素があったと聞いています」
「燃料戦争で壊されちゃったから、今じゃただの廃墟でしょうけどねぇ」
聞き覚えのない声に振り返れば、そこには俺と大差ないデカブツが立っていた。
「……誰こいつ?」
「メルさんだよ。砲手なんだって」
サラリと答えるサテン。お前はこれが怖くないのか。
異様なまでに煌びやかで化粧まで塗った外見とは、不釣合いなまでに鍛え上げられた身体。こいつは只者じゃないと頭の中で警報がガンガン鳴っている。
そこらのチンピラなぞ相手にならぬほどの圧だった。
いや、比べること自体間違っているのだろう。しゃなりしゃなりとモデルかのように歩み寄ってきたメルとかいう奴は、そのままぐぐぐと顔を近づけてくる。
「よろしくねぇヒュージちゃぁん。あら、近くで見たらいいオ、ト、コ」
「ひえっ、やめろこっち見んな、こっちくんな」
「ホホホ、そんなに怖がらなくても取って食ったりしないわよォ。そっちから誘ってくれるなら別だケド」
たたらを踏むように3歩下がれば、流石に追っては来なかった。とはいえ、にっこり笑っての舌なめずりには、30対1の喧嘩よりも余程背中が冷たくなっている。
そもそも俺にそう言う性癖はないのだ。中身と見た目がどれほどアウトローでも、恋愛対象は至って健康であると強く自負しており、どはぁと大きくため息をついた。
「濃い奴しか居ねぇのかこのデミロコモ」
「アタシ様は薄いでしょ?」
と、言いながらこちらを覗きこんでくるチビスケ。
「どこが?」
「そこらに居る小柄美少女ちゃんでっす! どぉ?」
きゅるん、なんて柔らかそうな両頬を人差し指で押しながら、普段はどこか眠そうにも見えるジト目が精一杯開かれる。
ため息を1つ。
「……サテン、仕事行くぞ」
「えっ? あ、うん?」
「ちょいちょーい!? 無視は酷くない!? アタシ結構可愛いだろ!? ねーえー!?」
天井の低いドアを潜ったところで、タムが腰目掛けて飛んでくる。
危うくタックルを食らう所だったが、ドタドタという足音から寸でのところで、耳のような意匠の帽子をアイアンクローのような恰好で掴まえられた。
「うるせぇ、くっつこうとすんな。セミかよテメェは」
伸ばした俺の腕の肘辺りでパタパタと上下する、あまりにも短く小さな両手。
全体重を傾け足を踏ん張っても微動だにしないこちらに、なお抗おうとする気骨は認めてやりたいが、流石に力とリーチの差がありすぎた。
やがて何をしても無意味と悟ったらしい。彼女はプゥと頬を膨らせて俺を睨んだ。
「けちぃ。いいもーん、サテンだっこー」
「しょうがないなぁ」
両手を広げたタムを、サテンは嫌がることもなく抱きかかえる。
決して俺の雇い主様は背格好が立派な訳ではない。ただ、そんな彼女をして、タムが年の離れた妹に見えるくらいには小さいのだ。
おかげでチビスケはサテンの胸元に顔を埋める形になった訳だが、暫くキャーと子どもっぽくはしゃいだかと思えば、チラリとこちらを見上げてきた。
「……へっ」
明らかにこちらへ向けて歪んだ口の端に、額へ青筋が浮き上がる。
「なんで勝ち誇ったツラしてやがる」
「ヒュージには触れないもんねぇ。この魅惑のボデーが」
「やっ、あははっ! ちょっとくすぐったいよ」
胸元をまさぐる小さい手に、サテンが身体をよじらせる。
その姿に一瞬でも目を奪われた俺も俺だが、すぐさま馬鹿げた思考を振り払い、タムの首根っこを猫のように掴まえた。
「中身オッサン入ってんのかテメェは」
「悔しいかぁ?」
挑発的に笑う顔に奥歯が鳴る。ギリギリ笑顔を維持できた辺り、自分も大人になったなぁと感心したいくらいだ。
惑わされるな。サテンは見た目こそ美形だが、中身は何を考えてるか分からん女だぞ。それに欲情するなんて。
深く呼吸を1つ。いつもの調子に声を戻す。
「んな訳ねぇだろォ? つか、なんでついてきてんだ」
「ん? そりゃ乗せてってもらわなきゃだし」
あまりに初耳すぎて目が点になった。
乗せてもらうとはなんだ。オールドディガーのコックピットは既に満員である。
「聞いてないんですがァ?」
「固いこと言うなってー。早く色々見たいんだよぉ」
バカも休み休み言え、と口走りかけた所でサテンがまぁまぁと間に割って入る。
「こう言ってるんだし乗せてあげれば? ほら、私の方でもいいしさ」
出かかっていた拒絶の言葉をムッと呑む。
今日の雇い主様は慈悲深いらしい。スキンシップに情が湧いたのか知らないが、この小さな身体を抱えていくというのだから、俺はため息をついて踵を返した。
「……もう好きにしろよ。俺ァ知らん」
「よかったねタム」
「へへっ、あんがと。ヒュージって意外とちょろいよね」
ギチリと拳が音を立て、勢いよく振り返る。耳の良さには自信があるのだ。
「ンンンンン聞こえてんぞコラァ? その舌引っこ抜いてやろうかァ?」
「ピエッ、顔近い! デカい! 怖い!」
「あはは、綺麗な三拍子だね」
サテンの後ろへ逃げ込むタムと、俺と彼女を見比べてケラケラと笑うサテン。
何故かはわからないが、最近こいつのへらへらした面を見ていると気が抜けてしょうがない。おかげで、握りこんでいた拳も解いてげんなりと肩を落とした。
「笑ってんじゃねぇヨ……なんで、仕事前からこんなに疲れなきゃなんねぇんだ」
「まぁまぁ、頑張ってねヒュージ君」
「応援してるぞヒュージ、頑張れ頑張れっ」
ポンと背中を叩いてくる手と、ぴょんぴょん跳ねる小さい影。一体誰のせいだと思っているのだろう。
ゆっくり息を吐く、吸う。
少しだけクリアになった頭で思った事。今の俺は俺らしくない。
ので、俺は高さの異なる2つの頭をガッチリと掴まえた。
「おし決めた。お前らどっちも、さっき見えてたあれの上からポイしてやる」
「「冗談冗談冗談!」」
冷静に言ったのが余計なリアルを煽ったらしい。じたばた暴れる2人を掴んだまま、俺は格納庫へズンズン歩を進めた。
自分がどうして自分らしくないと思えたのかは、イマイチ分からないままなのだが。