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第31話 無表情

 夕焼け空の下。長く伸びる影の中に、泥濘のような声が溜まっていた。

 奇跡的に死者は出なかった。それでも戦闘を仕掛けた以上、誰もが無傷と言う訳にはいかない。中には大きな怪我を負った者も居る。

 そんな同業を横目に、吾輩は淡々と最奥で指示を出す人影へ歩み寄った。


「これにて、ご満足いただけましたかな。レディ」


 明らかにオーバーサイズなジャケットを着た彼女は、口元を覆う襟の向こうから感情の乗らない、ともすれば虚ろともとれる視線をこちらへ向けてくる。


「ご苦労様です。小手調べとしては十分でした。貴方の情報は正確なようですね」


「嘘など申しません。吾輩はこれでも、ヒュージ・ブローデンの腕はよく知っております」


 出来れば戦いたくない相手だが、と出かかった言葉を呑み込む。

 決して親しい間柄と言う訳でもなく、恐れから己を劣っていると言うつもりもない。奴と私とでは出自が違い、学んできた技術に大きな開きがあるのだ。

 それでも、獣のような男が貪欲に貪ってきた自分に持ちえない力には、畏怖と敬意の両方を禁じ得ないが。


「疑うつもりはありませんが、戦力分析の為には必要なことです」


「結構。契約通り、補填して頂ける限り、こちらに異論はありません」


「書面に虚偽は許されませんので」


 ふむ、と小さく顎を撫でる。少なくとも今回の雇い主は、最低限誠実であってはくれるらしい。

 しかし妙な女だと思う。どこか遠くを見ているような彼女は、荒事とは離れていそうな均整の取れた顔立ちの割に、インナーに青を差した焦げ茶色の髪を揺らし、その奥でピアスを小さく輝かせる。

 吾輩もよく計算機の様だとは言われるが、そんな自分からしてもなお、この女は何を考えているのかがサッパリ読み取れない。


 ――同類、とも思えんが。


 彼女の出自や立場について、吾輩は何も知らない。ともすれば、仕事の為に関係のない情報という奴は、経験上知るべきではない物の方が多い故にこそ。


「では、この先どうなさるおつもりか」


「負傷者は下がらせ、残りの隊で追跡を続行します」


「向こうが停止した場合は」


「様子見を。件の調査を完了したことが察せられるまで身を顰めてください。我々の最大目標は情報の獲得、第二目標はサテン・キオンの確保ということをお忘れなく」


 サテン・キオン。事前に集めた情報では、高原の国であるフルトニスからやってきた旅学者だとか。

 年齢は雇い主とも近いだろう。見た目にも振る舞いにも奇妙な所はなく、異国の服装を除けばまだあどけなさが見える女性、と言ったところ。


「……旅学者とはいえ、手を出すにはリスクが大きいように思いますが」


「全ては契約です。駒の思考に入り込む余地などありません」


 アッサリと言い捨てる彼女に、吾輩は少し尊敬すら抱いた。

 まだ若いだろうに、感情に多少の揺らぎが得られるのではというこちらの考えに見向きもしないとは、随分と達観した考えの持ち主だ。

 誰もがこれ程に感情を揺らがせなければ、もっと世界はやりやすくなるような気もするが。


「素晴らしいプロ意識ですな」


「……普通では?」


 キョトンとした視線を向けてくる彼女は、吾輩の皮肉を理解しなかったらしい。

 徹底的な合理の下に感情を押し殺した結果でないとすれば、それは。


 ――健全とは言い難い。


 散らかる感情の片づけ場所が分からず、その中心で座り込んでしまっているかのよう。

 まるで、親に捨てられた子どもかの如く。


「不躾を申しました。では、仰せの通り今暫く藪の中を行くと致しましょう」


「はい。くれぐれも、悟られないように」


 もしやこの女性は、なんて妄想に近い想像が脳裏を駆け巡ったものの、それを口から吐くことはしなかった。

 正しく整理すべきは見えない他者の感情ではない。己の成すべきに関わるのは仕事の成否ただそれのみ。

 不可解な小娘に気取られることなど、あってはならないのだから。



 ■



 軽傷者数名、損傷軽微。遠征行動に支障なし。

 各所からブリッジに上がってくる報告を、開かれたまま放置されている伝声管に聞いていれば、派手に後ろのドアが開かれた。


「お疲れお疲れー!」


 自らの足で各所を見回っていたらしいタムは、最小限の被害で済んだことに安堵したのか。ご機嫌な様子で自らの定位置へと陣取り、ぐるりと室内を見回した。


「あれ、ヒュージは?」


 私と目が合うや、カクンと首を傾げる。彼が居ないのは余程意外だったらしい。


「もうコンテナで寝るって。意地悪し過ぎてちょっと拗ねちゃった」


 護衛役大儀であった、とでも言いたかったのかもしれない。

 ただ、ヒュージ君は意外とシャイと言うか、人前に出たがるタイプではない一面を持っている。見た目と言動のせいで、誰にも理解されない部分だろうとは思うが。


「贅沢な奴だなぁ。ほとんど一方的だったじゃん」


「私、スチーマンについてはあんまり詳しくないんだけど、ヒュージ君って操縦が上手い方、なのかな?」


 見えない何かに拳を振ってみせるタムに、私はこの際だと率直な疑問を投げかけた。

 知識としては知っていても、現実は大きくかけ離れていること等多々ある。特に私は、都市外で活躍するスチーマン同士が戦う場面なんて、先のハロルド一家を除けばほとんど見たことがないのだ。

 逆に蒸気屋であるタムならば、そういう場面に遭遇する機会も多いのでは、と勝手な想像を膨らませていれば。


「んー、まぁ――」


「そりゃそうでしょォ」


 と、背後から野太い割に柔らかみのある声が響いた。

 コツンコツンと鳴るハイヒールの音。派手に塗られた化粧と美しくくねる筋骨隆々たる身体。


「時代遅れのヘロン甲三ベースの機体でぇ、あぁんなに機敏に動く子なんてアタシ見たことないわぁ」


 ポカンとする私の隣を通り過ぎ、タムの手前で優雅に踵を返した女性、のような男性のような存在。

 その口ぶりから、スチーマンに詳しそうではあるが。


「えっと、この方は?」


「あぁ会ってなかったのかぁ。うちでガンナー長してくれてるメルクリオだよ」


「メルと呼んで頂戴、可愛いお嬢さん」


 とてもとても艶めかしいショートヘアをキュッと撫でながら、彼ないし彼女はこちらへウインクを1つ。

 その迫力に最初は圧倒されこそしたものの、いつまでもポカンとしていては失礼だろうと、小さな咳払いを拳に捨てていつも通りの表情を取り繕った。


「はじめまして、サテン・キオンです。メルさんはスチーマンにお詳しいのですか?」


「あらヤダ、堅苦しいのは無しよサテンちゃん。ま、元々スチーマン乗りだったから、多少知ってるってとこにしといてくれるかしら」


「多少……?」


 操縦席の方から聞こえた微かな声に、メルクリオはその大柄かつ筋肉質な身体とは思えない柔軟さで、全身を捩じったようにぐるりと振り返る。

 化物感の強いその動きには、サミュエルもヒィと小さな悲鳴を呑んだ。


「なぁにサミュエル? 文句でもある?」


「い、いえ! ありません! ある訳ございませんともええ!」


 力の上下関係は完全に定まっているらしい。メルクリオのの方が妙に色っぽい目を向けていたのは気になるが、その辺りは触れないでおこうと思う。

 嗜好はともかくとして、気さくな人のようではある。ならばこちらも聞き方を変えた方がいいだろう。


「ねぇメルさん。よかったら教えてくれない? 相棒の機体について」


「相棒、ねぇ? まぁ別に珍しいこともないのだけど」


 便宜的な呼称はとりあえず彼女としておくとして、ふぅむと太い腕を組んでつるりとした顎を軽く撫でる。

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