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第28話 永遠性

「ぁあ? なんだァそりゃあ」


 ほとんど聞いたことのない言い回しに、俺は軋むように首を傾ける。

 ボンクラ揃いの都市外労働者連中では、頭を360度回しても出てこないような表現だろう。逆に下層暮らしで詩的な言葉回しが好きな連中というのは、ほぼほぼ口だけで世の中を渡ろうとする詐欺師紛いしか見たことがない。

 だが、サテンの場合はそういう気取ったものではないのだろう。伏目がちに下から俺を見上げてくる様に、何故か胸の奥がドキリと鳴った。


「君は信じられる? この先もずっと、この文明が、国家が、問題なく続いていくって」


「さ、さぁなァ? そういうのは天上におわすお偉いさん方が、毎日お高級なお紅茶と果実酒でも啜りながら考えてるモンじゃねーの? 今期の間欠泉蒸気分配にはどれだけ税金乗せましょう、とか言ってよ」


 お上の連中が何を考えているかなど、俺には欠片も想像がつかない。何ならその姿を見たことすら、あったかなかったかというくらいのものだ。

 街頭テレビで何かしら喚いている男が居る。羨ましがられるであろう煌びやかな女も居る。だがそれは、所詮画面の向こう側に過ぎない。

 俺には関係のない世界の話。だから国家だの文明だのと言われても興味なんて持てやしない。誰かの足の下で暮らす俺たちにとって大切なのは、今日食えなくなるか明日食えなくなるかという目先の事だけ。

 だからこそ分からない。サテンは何故それを俺に問う。


「……間欠泉は、無限だと思う?」


「どういう意味だ」


 細い手指が触れ、手摺代わりのチェーンが小さく鳴る。


「アレは所詮自然の産物。各国が研究を進めているけど、正直ほとんど何も分かっていない。メカニズムも安全性も危険性も、エネルギー源も。そんなものが永遠に続くなんて、誰が保証できるんだろう」


 今までに見たことのない笑い方だった。何かを馬鹿にするような、さもなくば自嘲的とも言える笑み。

 燃料を失った人間にとって、間欠泉は神から与えられた永遠に失われることのない福音である。そんなことを宣っている宗教家を昔見たことがあった。

 実際地面の穴から大量に噴き出す超高温の蒸気によって、今の文明が支えられていることも事実ではあるだろうが。

 ゴリゴリと顎を掻く。俺の頭のキャパシティは既に限界ギリギリなのだが、どうにかこうにか噛み砕くことには成功した。多分。


「そりゃつまりあれかァ? 何かの拍子で間欠泉が止まっちまった時の為に、完全蓄熱コアを見つけたいってェ?」


「コアに限ってる訳じゃないよ。でも、いつか訪れるかもしれないその時の為に、選択肢は1つでも多い方がいい、でしょ?」


「ご大層な目的だぜ。真面目に言ってんのかァ?」


「それが学者の役割だからね」


 サテンはいつもと変わらぬ調子で軽快に笑う。さっきまでの、どこか陰のある表情はもう見えなかった。

 やはり俺にはこいつが分からない。間欠泉についてもそうだし、選択肢とやらもぼんやりとした想像程度。

 唯一ハッキリしたのは、サテン・キオンという女の視線は俺と同じ高さを見ていないこと。その方がいいとさえ思う。


 ――俺は金さえ貰えりゃそれでいい。それでツールとしてこいつの役に立てるなら、それで十二分に万々歳だろ。


 小難しいことは分からない。なら分かる奴に投げればいい。それ以上は俺に必要ない。

 くるりと背を向ける彼女の後ろで、俺は少しだけ肩の力が抜けた。自分の立つべき場所が分かったからかもしれないが。


「私はね、ヒュージ君」


「あァん?」


 何処も見ていなかった目をサテンに向ければ、肩越しに振り返った流し目と視線がぶつかった。

 笑っているような、そうでもないような。不思議なツラだ。


「君がダウザーだって聞いた時、凄く感心したんだよ。誰もが新鉱脈への希望を失う中で、未だに諦めない人が居るんだって。そういうの素敵だと思うよ」


 呼吸の仕方を忘れた気がした。

 素敵だ? 俺が? 感心? 俺に?

 日焼けしたような感覚が顔面に浮かび、むず痒さが背中をのそりと上がってきて、行き場のない手が自然と頬を掻いていた。


「ま、まぁまぁ俺ァよ、そこらのモヤシ共とは訳が違うからなァ? キヒッ」


「ふふっ、そうだね。君は確かに――」


 いつも通りの笑いで誤魔化した矢先、一瞬にしてサテンの雰囲気が変わった気がした。

 違う。変わったのは空気だ。しかし何故。

 疑問が浮かびきるより早く、気が付けば全身全霊のタックルが真正面から胸に突き刺さっていた。

 全く油断していた俺は、普段ならどうということもないであろうサテンの体当たりに、ドカンと音を立ててデッキの上へ倒れ込む。


「ぐえっ!? いきなり何しやが――!?」


「頭上げないで。狙われてる」


 真剣な声がした次の瞬間、それを証明するかのように外壁にカァンと火花が散った。


「ケッ、道理で痛ぇ訳だ」


 肩のぬめりを指にとって舐めれば、口の中に鉄の味が広がる。

 その出所は判然としなかったが、程なく激しい鐘の音が足元から響き渡った。


「警報警報! 襲撃だー!」


「遅せぇよクソが。どこの馬鹿だ」


「蒸気狙いの野人かな? どうしよっか?」


 都市外労働者や非鉄道隊商を狙うとすれば、サテンの言う通り木端の野人だろうとは思う。

 だが、敵が何者かなんて最早俺には関係のない話だ。当然、どうするかも。


「ぶちのめす以外にあんのか?」


「んー……ないね」


「決まりだ」


 お互いに頷き合って、俺たちは床を転がるようにハッチへと体を滑り込ませた。



 ■



 デミロコモはその巨体故、機敏な動きを苦手とする。

 なんなら普通に旋回するのですら、左右の動輪にブレーキをかけてゆっくりしか曲がれないのだ。風を切って飛んでくる弾丸を回避するなんてもってのほか。

 だからこそ、その車体は頑丈に作られる。ただの商人であろうと、パッチワークな見た目のボロであろうと関係なく。

 それでもなお、所有者からすればたまったものではないのだが。


「こっち方面に砂族なんて聞いてないんだけど!?」


 地形の影からぞろぞろと現れる布巻集団に、タムは伝声管の生える机に拳を打ち付ける。

 商人連中から集めた情報の中だと、空白地帯方面に野人集落なんて存在しなかったはずと。

 当然だろう。国境沿いというのはつまり、誰もが必要とする蒸気から最も遠いエリアなのだ。如何に野人と言えど、文明から離れれば離れる程、技術不足と食糧難の二重苦からは逃れられはしない。

 にも関わらずと、タムは爪を噛んだ。


「タムちゃぁん? もう撃ってもいいかしらん?」


 伝声管から聞こえてくる野太い声に、彼女は逡巡する暇すらないことを悟った。


「ぬぅぇぇい! あぁもぉ余計な出費ぃ!! ちゃんと加減してよ!?」


「はいはぁい。できるだけねぇ」


 カツンと蓋の閉じる音がしたかと思えば、ズンと低い衝撃が腹に響き、正面の地形がはじけ飛ぶ。

 アパルサライナーに搭載された火砲は、あくまで自衛用。それでも、スチーマンを追い払えるくらいの火力が要求されるのは言わずもがな。

 榴弾を浴びた人影が、抉れた地形の向こうでワタワタと逃げていく。生身で狙われてはひとたまりもないのだから。

 これで逃げ出してくれればとタムは思った。しかし、サミュエルの悲鳴にも似た声によって甘い期待と一蹴された。


「ま、前から敵集団! うわぁ!?」


 ちょうどアパルサライナーの鼻っ面。流線形をした外殻に砲弾が跳ね返る。

 損傷はなかったが、それでもゴォンと響く鈍い音が心地よいはずもなく、なんならそれを放った中型スチーマンが、再び弾を込めなおしているのだからたまらない。


「ぴぃ!? なんだよぉ、気持ちよく撃ちまくってくれちゃってさぁ!」


「下がった方が良くないですか!?」


「バカ、舐められたら負けの商売だぞ! そもそもどこに下がるんさ!」


「しかし、ここじゃいい的です!」


 タムは小さく舌を打つ。

 瓦礫の街並みは崩れて久しく、そもそもアパルサライナーの巨体を隠せるほどの地形などほとんど存在しない。挙句、大柄であるが故の加減速の鈍さも相まって、一旦足を止めてしまえば的以外の何物でもなかった。

 戦いから逃げる道がないのだとすれば。


「前だ前! 全速前進、突っ切るぞ!」


「む、無茶苦茶言いますよねぇ!?」


 サミュエルは鼻声になりながらも操縦レバーを前へ叩き込み、ついでに圧力系統のハンドルを、循環から解放へと力一杯切り替えた。

 今まで静かだったシリンダ周りから激しいブロー音が響き渡り、動輪は力強くその速度を上げていく。

 戦いを前にエコモードなんて使っては居られない。なお敵の砲火を跳ね返し、前の全てを轢殺れきさつせんという勢いで迫れば、流石のスチーマンも慌てて岩陰から転がり出た。

 しかし、敵もその程度で逃げるような弱腰ではないらしい。


「スチーマン、左から2つ来るわよン」


 伝声管からの声に叫び返す。


登録証エンブレムは!?」


「流石に見えないわねぇ。でも、多分野良じゃないかしら」


「こんな線路から離れた場所で、どうやりくりしてんだか」


 私掠免許持ちでないとすれば、本格的にただの賊ということになる。にしてはやけに整った装備と、蒸気万全に見える動きに、タムはムッと眉間に小さな皺を寄せた。

 と、今度は別のラッパが声を出した。


「格納庫より姐さん! 客人が出ると言って聞かねぇんですが!? コラ待てって! こんなスピードで出たらひっくり返るぞ!?」


 タムはまさかと思った。全力で走るデミロコモから、機動性が低いはずの大型スチーマンが飛び出そうなどと。

 心配は勿論。何せ今は大事な契約相手だ。

 一方で彼女の中には、ある種の好奇心も同時に芽生えていた。


「へっ――そいつは客じゃなくて仕事仲間だよ。行かせちゃって!」


 たった1機でハロルド一家を退治した腕前。それがただのデマカセでないことを知るには、いい機会じゃあないか、なんて。

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