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第26話 セイル

 今度は壊すなよと背中を叩かれつつ、整備と再塗装を終えたオールドディガーを受け取って訪れた3日後の朝。

 雇い主様共々、約束していた停車場に降りれば、ひび割れたアスファルトの上に大きな鉄の塊が待っていた。


「時間通りだね。タム様のデミロコモ、アパルサライナーへようこそ!」


 オールドディガーを荷下ろしして早々、パッと手を広げて歓迎してくるガスマスク。だが、俺にしてもサテンにしても、視線はその背後に釘付けとなっていた。

 ロコモ。これは蒸気で動作する自動車を指す言葉だが、基本的には町中での利用を前提としており、蒸気タンクが小さいことから外で見かけることは滅多にない。それこそ先のハロルド一家のように、鉄道の周りでのみ活動するような例外連中でもない限りは。

 逆にデミロコモは都市外専門の乗り物だ。トレーラーすら軽く凌ぐ大きさ故にスピードこそ速くはないが、長期間の無補給活動を可能とする大型蒸気タンクに加え、ランドセーリング走行用の大きな帆や、畜力等といった補助動力も備えることで、圧倒的な航続距離を獲得している。

 当然、ほぼ一品物である大型機械が安価なはずもない。蒸気屋にとっては看板でもあるそれは、大概はピカピカに磨かれていたり美しい装飾までも施されているようなものだが。


「……これが、デミロコモぉ?」


 俺の前にあるソレは、あまりにも想像とかけ離れていた。

 見た目で言うなれば、潜水艦に巨大なゴムタイヤをくっつけたような構造の車両。それも1つとして同じ規格の部品がないのでは、と思えるような鉄板鋼材波板の継ぎ接ぎだらけ。屋根上に見える畳まれた帆布付きの棒切れがなければ、廃材にしか見えなかっただろう。


「お手製感が凄いや」


 と、サテンが小さく零したのが引き金になったのだろう。タム・ムラサキは籠った声で叫んだ。


「なんさぁ!? ダメなんか!? これで蒸気屋名乗ったらいかんのかぁ!?」


「いやそうは言ってねぇけどヨ。本当に大丈夫なんだろなこの車体――痛ぇ」


 軽い衝撃が横腹に走る。ちょっとくすぐったい程度のそれに視線を落とせば、握りこまれた小さな手袋がポコポコと連続で振るわれていた。


「おうおうおーう! リヴィのお手製車体にケチつけようってのかー!? ボロいって言ってたってチクっちゃうぞー!」


「げ……アイツ、こんなとこにも手ぇ出してんのかよ」


 ひょろひょろパンチなんぞより、よっぽど痛い一撃が走る。

 何かと耳聡い商人様のことだ。整備屋のオリヴィア・ニフローが、オールドディガーのおふくろ役を務めていることくらい掴んでいるだろう。実際、アレにへそを曲げられては商売上がったりなのだから。


「ふふっ、これはヒュージ君の負けだね」


「勝負してるつもりねぇんだけどナ」


 勘弁してくれと両手を上げれば、タム・ムラサキは満足したらしい。フンスとガスマスクから息を吐いて、勝ち誇ったように腰へと手を当てた。


「よろしーい。じゃとりあえず、そのでっかい奴は後ろから積んで。ぶつけんなよぉ?」


「ケッ、そんなヘマするかよォ」


 俺を誰だと思ってやがる、なんて悪態をつきながらオールドディガーをアパルサライナーとやらの後方へ回り込ませる。

 車両後方は全面がカーゴランプとなっているらしい。これまたどうしてか継ぎ接ぎ構造だが、スチーマン格納庫らしくレールの敷かれた床が下ろされていた。

 ということは、やることはいつもとほぼ変わらない。後ろ向きに牽引用台車の上に乗せ、後は格納しやすいよう機体全高が最も小さくなる走行モードへ切り替えて待つ。ただそれだけ、のはずなのだが。


「ぐえっ」


 想像より遥かに激しい勢いで引っ張られ、首が前に持っていかれそうになる。

 程なく、開けていた視界が一気に狭くなり、またガツンという音ともに揺れも収まった。

 ぐるりと首肩を回す。とりあえず取れていたりはしないことにホッとしつつ、俺はコックピットハッチを押し開けた。


「おォいテメェら、もうちょっと丁寧に扱えねぇのかァ!?」


 格納庫内に木霊した叫びに、作業員共がこぞってこちらへ視線を向ける。

 こと、牽引ワイヤーを操作していたらしい髭面が、いかにも鬱陶しそうな喧嘩腰で睨みつけてきた。


「ぁあ? 信用できねぇなら自分でやれ。こんなデカブツ持って来やが――デカブツ?」


「デカブツがなんだってェ?」


 オッサンは自分の発言に疑問を抱いたらしい。急に威勢が失われたかと思えば、俺と目が合った途端、カエルが潰れたような声を出した。


「げぇっ!? ヒュージ・ブローデン!?」


「キヒッ! 綺麗にやんねぇとその体に倍で返しちまうぞッ」


 舌をぺろぺろさせながら見下ろしてやれば、オッサンは慌てて背筋を伸ばす。

 大型スチーマン乗りなんてコラシーでもほとんど残っていないのだ。それが入ってきた時点で気付かないとなれば、頭の回転が鈍い奴なのだろう。

 とはいえ、大仰な反応をくれたおかげで、周りの見る目は明らかに変わった。少なくとも俺には動きやすい。


「んで、お前らんとこの頭はどこに居んの?」


「め、メインキャビン、かと」


「どっち?」


 オッサンは早く俺から解放されたいのだろう。さっきまでの鬱陶しそうな反応は影を潜め、機敏な動きで上階へと続くタラップを指した。

 そういえば、デミロコモの先頭部にガラス張りのキャノピーみたいな部分があった気がする。であれば、メインキャビンとやらは多分そこだろう。


「ご丁寧にありがとよォ、ヒャッヒャッヒャッ!」


 ポンと肩をひと叩きしてから、俺は言われた通りタラップを上った。きっちり礼もしたので後腐れもない。髭面の顔は青ざめていたようにも見えたが、多分気のせいだろう。

 頭を擦りそうな天井の低い通路は、途中にいくつも部屋が見えたものの基本は一本道。その最奥に当たる場所の水密扉には、メインキャビンと書かれたネオン管が斜めにかかっていた。

 水に浸かる訳でもあるまいに、大仰な作りをしているものだ。


「後部デッキ、収容完了」


 扉を開けて早々、伝声管から聞こえてくる声に耳がキンとする。

 通路よりはずっとマシだが、想像より広くはないキャビンの手すりに体を預ける。

 流線形の先頭部分はガラス張りで操縦席が設けられ、その1段高くなった後ろにはいくつもの伝声管と計器に囲まれて、堂々たるタム・ムラサキが指揮を執っていた。どうやら彼女専用の指揮所らしく、サテンは1歩退いた位置から振り返って、やぁと手を振ってくる。


「よーし、出発だサミー!」


「了解ですリトルレディ。前進一杯」


 ビシリと前を指したおチビ様に呼応して、操縦士らしいゴーグルをかけた細身の男は、左右両方のレバーを一気に前へと押し込んだ。

 激しく吹き出す蒸気の音。露出していたいくつもの小さな歯車が回転をはじめ、ギアが繋がったかのように車体が大きく振動する。

 だが次の瞬間、どうしてか全ての歯車が何かに引っかかったかのように停止した。


「あれ? 止まった?」


「おいどうなってんだ。動いてねぇぞ」


 何が起こったのかと前を覗き込めば、サミーと呼ばれたヒョロガリの操縦士は困ったように頭を掻きながら振り返る。


「えぇと、多分主機関の安全弁が――むごむが」


「あ、アハハハ! ダイジョブダイジョブ! ちょーっとご機嫌斜めなだけだからさ!」


 聞き捨てならない発言だった気がしたが、その詳細は小さな手に押さえ込まれたサミー君の喉の奥だ。

 年齢なら明らかに上な様に見えるものの、どうやら彼は小さな尻に敷かれているらしい。雇われは辛いなァなんて心の中で屁の役にも立たない同情をしておいた。

 一方のタム・ムラサキは訝し気な俺たちに焦ってか、操縦士君の言葉が封じられたと分かるなり伝声管へと飛びついた。


「機関室ゥ、はよ再起動!」


「言われんでもやってますってぇ、のぉッ!」


 野太い声から程なく、再び車体が大きく振動する。

 どうやら機関の再起動はうまく行ったらしい。

 ただ、タム・ムラサキがホッとした様子で額を拭った矢先、どこかのバルブがオーバーフローでもしたのだろう。蓋が開きっぱなしになっていた伝声管からド派手なブロー音が轟いた。


「み、みみみみ耳がぁ……」


 離れていた俺やサテンでも驚くほどの音である。至近距離で気を抜いていたタム・ムラサキは、獣耳のような形をした大きな帽子を押さえながらひっくり返っていた。


「大丈夫?」


「んがぁ……だ、ダイジョブ」


 どこがだよ、と言いかけた所で、彼女は大きく頭を振ってから勢いよく立ち上がる。

 どうやら本当に大丈夫らしい。何ならその勢いで、再び伝声管へと飛びついていた。


「バッカァ! 伝声管の蓋開けたままデカい音たてるんじゃねーわ!」


「ええ!? 早くしろっつったのは社長でしょ――」


「うっせぇ!」


 現場の苦労もなんのその。横暴で小さい王様は、カーンと勢いよく伝声管の蓋を閉め、1段下からおどおどした目で見上げていた操縦士にぎろりと視線を落とした。


「サミー! 出発!」


「は、はい、ギア入れ。前進一杯ぃ」


 動作は先ほどと同じ。振動も歯車の動きも変わらない。

 だが、継ぎ接ぎのデミロコモは主の檄に応えてか。ピストンロッドに繋がれた大きな動輪をジワリと回し、汽笛も高らかに加速を始めた。


「ふー……なっ? ちゃんと動いたっしょ?」


「あはは、なんか大変そうだね」


「何が面白れぇんだお前は。他人事じゃねぇんだぞ」


 サテンの気持ちについて、俺は理解できそうにない。

 ああ帰りたい、凄く帰りたい。そうとしか思えない始まりだったのだから。

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