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第24話 曰く付き

「ぷへぁ――や、悪いねぇ奢ってもらっちゃって」


 薄暗いバーの片隅で、ガスマスクを脱いだチビことタム・ムラサキは酒を勢いよく飲み干した。

 何処から見ても完全にガキなのだが、酒を飲みなれている様子から察するに成人はしているのだろう。


「気にしないで。それより、取引ってどういう意味?」


 店員から向けられる微妙な視線が気にはなるが、酒を奢った当の本人は全く意にも介さず話を続ける。俺も神経は図太い方だとは思うが、こいつに敵う気はしない。


「まず確認だけど、サテン達はあのエリアを目指してるってことでオーケー?」


「うん。正確な調査ポイントまではまだ未確認だけど」


「そかそか。で、件のレイルギャング退治に名を挙げたヒュージ・ブローデン氏が居るってことは、大型スチーマンでやる訳だ」


 緑色をしたどこか眠そうに見える目がこちらへ向けられる。聞き捨てならない発言と共に。


「ちょっと待て。名を挙げたってなんだ」


 俺の名前が通っている場所と言えば、都市外労働者連中か、あるいは最下層の路地裏くらいのものだ。無論悪い方に。

 それでいいと思って生きてきたし、今でも思っている。だから評価など変わりようもないはずなのだが、タム・ムラサキはへらへら笑いながら掌を振って見せた。


「まったまたぁ! 商工会議で話題になってたんだよ? 西部方面鉄道線に出没する厄介なレイルギャング、ハロルド一家を単身根絶やしにした賞金稼ぎだって」


「……尾ひれも背びれもつけ過ぎじゃなァい? 俺ァただのダウザーだぜ?」


 半分をどつき回して、頭目の首を持って帰ったのは確かに事実ではある。何ならちょっとばかしの臨時報酬と紙切れも貰いはした。

 だが、連中をボコしたことのはあくまで偶然が重なったから。普段の仕事なら向こうが積極的に自分を狙ってでもこない限りは回避する案件だ。少なくとも、いきなり賞金稼ぎに転職しようだなんて考えていない。


「ふぅん? 都市の外で悪事を捌くアウトローヒーロー、かな」


「次に言ったらその口縫い合わすぞ」


 適当な言葉しか出てこない雇い主の面を、どうにか作った歪な笑みで覗き込む。なんだアウトローヒーローって。


「まぁ、ヒュージの本業についてはどーでもいいの」


「あ゛ぁ゛ん゛? なんだテメェコラ」


 努力の結晶は10秒も維持できず崩れ、いつもの通りの下層ムーブが顔を出す。

 物事を包み隠さず言う奴は嫌いじゃないが、喧嘩を売られているなら買うのが筋だ。ゼンマイ仕掛けであるかのような動きで首を傾けていけば、どういう訳か煽った方が縮こまった。


「ピィ……っ!? い、いちいち顔が怖いんだよォ! 今大事なのは、君が誰かよりもどこへ何を運ぶかでしょお!」


「ダメだよヒュージ君。こんな小さい子怖がらせたら」


 こつんと隣から小突かれる。

 怯えるくらいなら煽るなと言いたいが、この反応から察するに、どうにも天然でああいう言い回しをしてしまうタイプらしい。慣れなければ数日内で頭の血管が破裂しそうではあるが、相手がこんなチビスケではぶん殴る訳にもいかず、悔しそうに潤む大きな目を前に、俺は大きくため息をついた。


「今のは俺悪くねぇだろ」


「うー……誰がちっちゃい子だぁ……これでも大人なんだぞバカァ」


「あ、気にするのはそっちなんだ。ごめんごめん」


 どうやら俺の顔面についてより、自分の体躯についての方がデリケートな問題だったようだ。それはそれで失礼な奴だとは思うが、自称大人をこれ以上威圧して大泣きされても困るので、俺は安酒を啜りながら謝るサテンを尻目に視線を反らす。

 そのせいか、周りの客の訝し気な顔が目に入った。どいつもこいつもこちらと目が合った瞬間、一斉に顔を逸らしていくが。


 ――あん? 今の奴ァ?


 ふと影が揺らいだ気がした。だが、通りがかったウエイターに視界が塞がれた一瞬のうちに消えてしまう。

 気のせい、だったのだろうか。


「そんでさ、乗せてってあげることに異論はないんだけど、場所が場所だからどしたってもお金が高くなる訳」


 どうにかペースを戻したタム・ムラサキは、小さな咳払いをわざとらしく拳にぶつける。


「金額出せる? 概算でいいから」


「蒸気代と輸送費、人員コスト、拘束時間で弾いたら、これくらいかなぁ」


 ひっくり返された古臭いアバカスに、4つの目が視線を揃える。

 学のない俺に詳しい読み方や計算方法は分からない。ただ、普段自分が目にしている桁から明らかに外れていることは確かだった。


「……ぼったくるにも限度があんだろ」


「あはは……マダムの言葉が染みるねぇ」


「ぼったくってなんかないよ! これでも適正価格なんだかんな!」


 ギャーと声を上げるおチビ。出せと言われて出した数字にこの言われようでは、叫びたくなる気持ちも分かる。

 しかし、普段は金なんてと余裕を見せるサテンでさえ、苦笑を滲ませるくらいなのだ。俺が仕事にならんと背もたれを鳴らせば、彼女も困ったようにため息をついた。


「これは流石に準備できないな。工房借りちゃったし……」


「まぁ割に合わない仕事になるのは当然。なんだけど、ちょっとした提案があってね」


 静かに寄ってくる顔は胡散臭いが、サテンは興味を持ったらしい。そっと耳を寄せれば、タム・ムラサキはいかにも楽しそうに囁いた。


「アタシらにも、ちょうどそのエリアに行く用事があるんだ。それを手伝ってくれるなら、これくらいにしとくけど、どう?」


 小さな手がアバカスの珠をそっと下ろす。大切なのは下ろされた珠が、数字を桁ごと変えてしまう位置にあったことだ。

 おかげで、自分の顔が自然と中心へ寄った気がした。


「……お前、本気で足元見てねぇんだろな?」


「ウチは明朗会計よ。んまぁ、下心が全然ないとは流石に言わないけど」


 ニヤリと笑う子どものような顔。

 おかげでようやく腑に落ちた。こいつは見た目こそガキだが、中身は一端の商人なのだと。

 こいつが聞いた風の噂とやらは、単なる偶然じゃない。どういうルートかはともかく、こちらに当てがない事を知った上で仕掛けてきている。


「内容を教えてくれる?」


「空白地帯の山間に、地図に載ってない古いダムが残されてるって話があるんだ」


「ダム?」


 頭の上にクエスチョンが浮かぶ。

 が、どうやらそうなったのは俺だけらしい。サテンから妙に生暖かい視線を向けられる。何だこの野郎。


「川を堰き止めて治水を行う施設だね」


「……ほぉん? それが?」


 少なくとも、コラシーの周りに流れている川にそんなものはない。また、仮にそれを堰き止めたとてどうなるものとも思えず、俺は口から生返事を零すしかなかった。

 トン、と手袋に覆われたタムの指が机を叩く。


「アタシはここに残されてる旧世代の資材が欲しいんだ。噂の通りなら、燃料を満載した鉄道貨車とかが手つかずで残ってるとか」


 小さく息を呑んだ。

 燃料。それ程あらゆる都市外労働者が望んで望んで手に入れられない品はない。ダウザーにしがみ付いている俺にとってはなおさらだ。

 大昔に使いつくされたと伝わるそれらを探しても、ある訳がないとは心のどこかで思っている。それでもなお、あまりに甘美な響きは自然と口の端を引き上げた。


「キヒッ、すげぇ話が出たもんだ。噂になってるっつー時点で、もうどっかの誰かが持って帰ってんじゃねーのォ?」


「それに鉄道貨車があるなら線路も繋がってる訳だよね。流石に残っているとは思えないけど」


 そうだそうだと口をそろえる俺たちに、タムはチッチッチと不器用に言いながら指を振った。


「アタシを舐めてもらっちゃ困るね。まずサテンの方、線路が通ってたのは大昔の話さ。そうじゃなきゃ、空白地帯なんて生まれない、でしょ?」


「……ということは、燃料戦争期とかそれ以前に通っていた線路が、何かの理由で無くなっている?」


「そゆこと。で、ヒュージの方だけど、空白地帯には誰も行きたがらない。このダムは特に曰く付きでね」


「あぁん? なんだそりゃ、幽霊でも出るってのか?」


 さっきとは異なる理由で表情が引き攣る。

 曰くなんて何処にだってあるものだ。大地を埋めつくす程だったとかいう昔の文明は、今じゃ間欠泉の周りに点々と残るのみ。そのはざまでどれだけの人間が死んでいったかなんて考えればキリがないだろう。


「まぁ皆行きたがらない理由は、君らが困ってたのと同じだと思うよ。空白地帯に行くだけでも十分リスクだからね」


 それでも、と続けたタムの視線が鋭くなる。こんなチビでも一端の商人らしく、特有の圧力にゴクリと喉が鳴った。


「ヒュージなら分かるでしょ。そんなボロい話があるなら、昔のダウザー達は競うように探すし、周りを出し抜こうと噂を隠す」


「そ、そりゃまぁそう、だろうな。つっても、誰かが燃料を手に入れた時点で大騒ぎになるだろ」


「それがならなかったんだ。いや、できなかったって言った方がいい」


 手袋の指が組まれ、声が一層小さく籠る。


「曰くの部分はここだよ。運よく情報を見つけた奴は、誰も帰ってこなかった」


 都市外労働者の行方不明なんてよくある話。だから市民様から降りてくる奴は滅多に居ないし、逆に行き場のない最下層の連中が成り上がりに夢を見る。

 そんな当たり前のことに、わざわざ曰くなんて言葉をつけるのは。


「……何があるってんだヨ」


「さぁね? でも、事実は事実。当時のダウザー達が確実に消える仲間の姿から、この話を封印したのは確かさ」


 ヘラリと何事も無かったかのように笑うタムに、言葉が詰まった。

 ただの与太話だと一蹴するのは容易い。だが、俺はここまで10年以上ダウザーをやってきたのだ。

 都市外労働者は互いに情報を交換し合うのが常。俺のようなはぐれでも、全く周りのと話をしないわけじゃない。

 にも関わらず、特に危険であればあるほど、自分のような奴が噂の一片さえ聞いたことがない、などと言うことが本当に有り得るのか。

 有り得たとしたら、それは。


「ふふっ、面白いね。本当にオバケだったりして」


 ビクンと肩が跳ねた。おかげで周りの視線が一気に集まってくる。


「き、キヒヒッ、いいい居る訳ねぇだろそんなもん!」


「あれ? ヒュージ君、もしかして怖――」


「俺に怖ぇもんなんてねぇ! ねぇんだよ!」


 そう、ないのだ。あってはならないと自分に言い聞かせる。

 死んだ奴には何も出来ない。はず、なのだから。


「そっか。なら遠慮はいらないね」


「へえっ?」


 ニコリと笑ったサテンの顔に、どうしてか背筋へ悪寒が走る。

 いや、大体の理由はすぐに察しが着いたのだが。


「この話、乗らせてもらうよ」


「よし来た! すーぐ契約書用意するねぇ」


 いそいそと大きなカバンを開くチビを尻目に、俺は背もたれへ体を投げだした。


「お、俺ァ知らねぇからな? な!?」


「妥協点って大事だからね」


「そんなに怖がんなくても大丈夫だって! 誰かと撃ち合いになる予定もないし、手練れのスチーマン乗りはどんな仕事も拒まない、でしょっ?」


「……先行き不安だナァ」


 雇い主がやると言う以上、反対する余地など残されていないことは、労働者として分かっている。

 ただ往々にして、厄介事の種というのはこういうどうしようもない時に限って大きく芽吹くものであることは、誰にも否定できないだろう。


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