真っ二つになった天板の真ん中に、俺の足がだらりと伸びている。同時に、メリーアンの前を覆うような恰好で、例の影が腕を広げながらこちらを見据えていた。
「あー悪ィ悪ィ、もうちょっと頑丈かと思ってたんだがな。シロアリにでも食われてたんじゃねぇの?」
「ブローデン……貴方」
メリーアンは初めて俺を捉えた。それが人だか獣だかはともかく、俺の方を見なければならなくなった。
ジジイの時と同じで。
「マダム」
「そうピリピリすんなよ影子ちゃん。これ以上話すこともねぇんだ。言われた通りサッサと帰るさ。ただな――」
肩を竦めながらソファから立ち上がる。俺のデカい図体もあって、自然と見下ろすような形になった。
「ジジイの寄生虫だったテメェがいつからそんなに偉くなったのか知らねぇが、あんま舐めたこと抜かしてっと、二度と粥しか食えねぇ口にされても知らねぇぞ」
俺の口調は落ち着いていた。普段とは違う、ポリシーに従って言葉だけにしたから。
そのせいかは知らないが、昔からあれほど嫌いだったババアが僅かに、ほんの僅かに腰を引いたのが見えた。
「……脅しのつもり?」
「キヒヒッ! どう捉えるかはアンタ次第だ。机の弁償が必要なら、後で請求書でもなんでも送り付けとけ。サテン、行くぞ」
「お忙しいところ、お話ができて光栄でしたマダム。失礼いたしますわ」
ただ踵を返しただけの俺の隣で、サテンは恭しく頭を下げる。
礼儀というのは、どうにも俺には難しい話だ。
■
第三層の空気が美味いと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
空すら見えない薄汚れた公園の一角で、俺はベンチに腰を下ろして天を仰いだ。
「どっへぇ……これだから嫌だったんだよ。階級にしか目の行かねぇクソババアめ」
「完全に舐められてたね。昔から知っているみたいだけど、元々ああいう人なの?」
「何も変わりゃしねぇよ。最初は誰より優秀な都市外労働者だったジジイを囲って、吸い上げた甘い蜜で市民様と顔を繋ぎ、いつの間にか大店になったって訳さ。あいつにとっちゃ、地位や立場より大事なモンはねぇ」
手段はどうであれ、元々はボロ小屋に過ぎなかったオリゾンテ商会を、たった一代であそこまで大きくしたのは、極貧の最下層から這い出した女の執念だろう。
それでもいけ好かないのは、奴の行動には筋が通らないからだ。ジジイが姿を消した時でさえ、奴は商売道具の1つが消えたからなんです、と眉を動かすことすらしなかったことを俺は覚えている。
自分がまだケツの青い新人ダウザーだった頃の話だ。思い出したくもないが。
「ふぅん? だから怒ってくれたの?」
上層の基礎しか映っていなかった視界の片隅に、サテンの顔が生えてくる。おかげで滲む昔の記憶が引っ込んだ。
「べっつにぃ、気に入らねぇから蹴っ飛ばしたってだけサ。余計な出費だぜ」
勢いよく姿勢を戻し、ついでに思い出したさっきの真っ二つにした机の事を思い出してため息を吐く。
まぁ、何が気に入らなかったと言われれば、真剣にやってる奴を冷笑する面が気に入らなかったのだが、これは腹の中へ押し込んでおこう。
「ふふっ、請求書が来たら私の方に回してくれていいよ」
なんで、と言いかけてやめた。実際そうなった時を考えれば、頭を下げてでも頼んだ方がいい気がする。
何せあのババアが自分用の応接間に置いてるような机だ。俺の財布から出すことになれば、借金まみれになりかねない。
情けない話だが、ここはお言葉に甘えて、と言いかけてふと鼻歌が耳についた。
「お前、なんか嬉しそうだな」
「ん? そうかな」
気付いていないのだろうか。表情がニマニマしていることに。
おかげでなんだか毒気が抜けて、正常な思考が戻ってきた。
「気楽な奴だぜ。つっても、これじゃ出る前から手詰まりだぞ。どうすんだ?」
振り出しに戻った問題を投げかければ、サテンはうーんと唸って首を傾ける。
「とりあえず、他の蒸気屋を当たる、とか?」
「まぁそれしかねぇだろな。つっても、大型のデミロコモで隊商組むような奴なんてそう簡単には――」
「乗せてあげてもいいよ」
ないだろうよ。と言いかけた俺に籠った声が重なった。
サテンと揃って振り返れば、一体いつ現れたのか。子どものように小さな人影が、こちらを向いて立っていた。
それも猫耳だかに見えるような形の帽子を被り、ガスマスクで顔を覆ってというあまりに不審者ないで立ちでだ。
「あ゛? なんだテメェは?」
流石に警戒せざるを得ないと、俺は両手をポケットに突っ込みながら1歩前へ出て首を傾ける。
「ヒェッ……お、思った以上にチンピラ」
「あぁん!? 声かけてきたのはそっちだろうがよォ!」
そう思われても仕方がない風貌は認めるが、せめて聞こえないように言えやと思う。
明らかに怯えた様子で視線を逸らされるものだから、その面引っぺがしてやろうかと拳を握ったのだが、そこで後ろから待てがかかった。
「ヒュージ君ストップストップ。ごめんね? 彼、悪い人じゃないんだけど」
「コホン――いやいや、これは失礼。風に乗って話が聞こえたものだからさ。しかしまぁ、お姉さん達ツイてるねぇ」
なんだかまた偉そうな奴だとは思うが、どうにも自信ありげな口調に俺とサテンは顔を見合わせる。
「ツイてるって?」
「何がァ?」
揃ってそう言えば、小型不審者は自らの胸をポンと叩く。
「アタシはタム・ムラサキ。しがない蒸気屋さ」