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第22話 蒸気屋

「昨日の今日で呼び出されたと思ったら、マジかよ」


 市民層のエリアに構えるは、見上げる煉瓦造りの建物と大仰な看板。

 次の仕事までどうせすることもないだろうと、酒飲んで昼まで寝ているつもりだったのは夢と共に覚めさせられた。今でも頭の中にコンテナの入口を乱打する音が残っているくらいには。


「アポイントが取れたからね。こういうの、早い方がいいでしょ?」


「オリゾンテ商会相手に、サクッとアポ取れる時点で普通じゃねぇんだけどナァ」


 含みを通り越して無邪気にすら思えるサテンの笑みに、俺はゲンナリとため息を付く。

 蒸気屋の中では有名な大店おおだなだ。未来は線路のない先へ。なんて掲げられている如何にもな宣伝文句は、都市外労働者に知らない奴は居ないだろう。

 とはいえ、実際に使っているのはより大規模な都市外作業を実施する企業体であり、俺たち個人事業主的なポジションの労働者が関わる機会等ほぼないのだが。


「いらっしゃいませ。おや――これはこれは」


 大きなドアを潜ればすぐに、フォーマルに決めた受付の男がこちらを値踏みするように視線を向けてくる。

 当然、その先にあるのは普段通りの俺だ。多分だが、1人で訪れたらその時点で警備員につまみ出されるか、下手をすれば警察に通報されかねない。


「昨日連絡させて頂いたサテン・キオンです」


「滞在証を拝見……はい確かに。奥の部屋で承ります。どうぞこちらへ」


 そんな俺を尻目に、サテンはさっさと受付を済ませ、相手方も俺が用心棒的な立場だとでも思ったのだろう。一切触れることなく、カーペットが敷かれた通路の奥へと案内された。

 1つ、2つ、3つドアを越えたところで、嫌な感覚が脳裏をよぎる。


「おいおい、あの部屋ってまさか」


「ヒュージ君? 何か知ってるの?」


 小声の呟きにサテンが不思議そうに振り返る。それはそうだろう。彼女からしてみれば、俺がこんな場所を知っているなんて天変地異みたいにしか思えまい。

 できることなら、知っていたくもないのだが。


「存じているのは当然ですねボウヤ」


 ちょうど角を曲がった所、この建物の最奥に位置するその場所に、初老の女が立っていた。

 ソフトクリームのように盛り上げられた白髪にモノクルをかけた細身の姿。サテンと比べれば頭1つ程背も高く、深い赤のドレスに身を包んだその姿を、俺が見紛うはずもない。ジジイが消えてからは、二度と会うこともないだろうと思っていた相手だが。


「……久しいなメリーアン。もっと腰がひん曲がってるかと思ってたがヨ」


「獣は獣のままで実に結構。中へ」


 ため息も出ないまま、メリーアンの背中に続いてドアをくぐれば、受付の男にだろう。後ろで独りでにドアが閉じられた。おかげで監獄に入れられたかのような気持ちになる。

 一体どういうアポイントの取り方をすれば、昨日の今日で大店の主がわざわざ営業に出てくる事態になるのか。ただの偶然でなければ、このババア暇なんじゃないだろうかとさえ。


「どうぞ、おかけなさい」


 いかにもお高そうな椅子に腰を下ろしたメリーアンに勧められるまま、サテンはテーブルを挟んだ反対に腰を下ろす。

 できれば座りたくないなぁ、なんて思いながらも、俺も彼女の後に続いてテーブルの前に体を入れ。

 ふと、メリーアンの後ろから視線が刺さった。


「……そっちのは?」


「ただの影よ。気にしないでいい」


 カーテンの隙間に立つ人影に、ババアは視線の1つすら向けようとしない。

 一方のそいつも、口元を隠す程大きな上着を身に纏い微動だにせず、なんなら瞬きすらしないままこちらを眺めているだけ。年齢こそ若そうではあるが、言葉通りの影なのだろう。

 言われた通り気にしないようにしつつ、俺は諦めがちにソファへ腰を沈めた。


「貴方が誰かと仕事をするなんて思わなかったわ。一体どういう風の吹きまわしかしら?」


 古い知り合いと再会したかのようにババアは口を開くが、その癖口角は全く上がらない。強いて言えば、まだ俺に対して言葉を投げてきただけ丸くなったと思うべきか。


「雇われてるだけだ。話すならそっちと話せ」


 投げやりに言いつつ、俺は頭の後ろに手を組んで両足を放り出す。

 ババアの後ろに影が居るなら、サテンの横に石像みたいなのがくっついてきたって文句は言うまい。


「あら失礼、お嬢さん。ご挨拶もせずに。私はメリーアン・リカルド、オリゾンタル商会の取締役をしております。どうぞマダムと及びくださいまし」


「初めまして、お会いできて光栄ですマダム。私はフルトニスのサテン・キオンと申します」


 胸に手を当てて頭を下げるサテンの所作は、市民様以上の素晴らしい出自を想像させる。

 ただ、いつもの振る舞いのせいか。どうにも似合わねぇという感情が先行して肌がゾワゾワしたが。


「フルトニス……あぁ、高原にある小国の。珍しいですね、あそこから人が来られるなんて。どのようなお仕事を?」


「個人的な調査です。今回のエリアは鉄道線から離れておりましたので、ぜひ商会のお力添えを頂きたく」


 サテンの説明を聞きながら、メリーアンは何度か手元の書類にペンを走らせる。流石に完全蓄熱コアがどうのこうの、という話はせず、エリア内に残された産業遺産の調査だと隠していたが。

 ただ、それら内容の一切を聞き終えたところで、ババアは表情こそ変えないまでも冷たい視線を俺の隣へ向けた。


「成程。東部国境空白地帯の山間部まで、大型スチーマンの輸送を、と」


「どの程度の費用が必要ですか?」


「そうですね。数字を弾く分には構いませんが、この場合その必要もないでしょう。扉は開いておりますわ」


 ふわりと背後のドアへ向けられる手。多分、俺がこれまで見てきたババアの所作では、最も優し気な行動だっただろう。

 同時に、ピクリとサテンの眉が跳ねる。


「あら、マダムには透視のお力でもおありなのですね。私の財布が見えているなんて」


「貴女の財布なんて関係ありませんわ。そこらの木っ端ならともかく、仕事とは精査して選ばねばなりません。私自ら手を伸ばす商談は、貴女だけではありませんことよ」


「キヒヒッ! なぁんだァ? ビビってんのかよババア」


「無理に人の言葉を真似するのはおやめなさい獣。貴女には分かるでしょう、お嬢さん?」


 俺の雑な煽りはピシャリと蓋をされる。ジジイとつるんでいた時と何も変わらない。メリーアンにとって、俺は居ても居なくても変わらないのだ。

 正しくは、自分と釣り合わない立場の存在など、と言うべきか。少なくともサテンがそう見られていなくてよかったようにも思うが。

 しかし、サテン本人はそうも思えないらしい。前髪を軽くかき上げると、さっきまでの猫を被ったような口調を一変させた。


「はー……嫌いなんだよね、そういうやり方。言いたいことがあるならハッキリ言ってくれない?」


「でしたら遠慮なく。珍妙な仕事の内容に加えて信用のないお客様。想定し得るリスク分のお金は積ませてもらわないと困るのですけれど、ご自身で中古のデミロコモでも買われた方がお安くなりますわよ。過去にどんな羨望を抱いているのか知りませんが、底辺のダウザーを連れた田舎者の小娘の夢物語ですもの」


「ッ! 夢物語なんかじゃ――」


 サテンの腰が椅子を離れる。珍しく本気の感情が顔に滲み。

 ドカンと派手な音を立てて、目の前で机が砕け散った。

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