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第20話 成果一号

 この廃炭鉱は、地下から僅かばかり湯が沸いているらしい。

 動力として使えるほどの温度はないようだが、湯の使い道なんて数多あるもの。

 その中でも誰が配管を繋いだのか知らないが、音を立てて溢れるそれを想えば、都市ではほぼ見られない贅沢な使い道だと思う。


「まぁ、俺としちゃありがたいんだけどサ」


 デカい身体をだだっ広い浴槽の中へ沈める。

 なんでもこの場所は、元々炭鉱の最盛期に仕事終わりの労働者で溢れる浴場だったとか。それを1人で使おうというのだから、ノスタルジィなタイル張りが広く感じるのも当然だろう。


 ――爺さん、大丈夫かなァ。


 タトゥーの入った側頭部をぺちぺちと叩きながら考える。

 まぁゆっくりしててよ、なんてサテン・キオンは言っていた。ドーフォン・クラッカを引きずりながら。

 馬鹿共のおかげで忘れかけていたが、彼女は元々の仕事に戻ったのだろう。完全ナントカコアとやらの話を根掘り葉掘り聞こうという算段なのはわかるが、爺さんが犠牲にならないか心配でならない。


「ホント、妙な女だぜ」


 俺が考えたところで始まらないか、と高い天井を仰ぐ。今はこの贅沢を満喫させてもらおうかと。


「あれっ? お兄さん?」


「あぁん?」


 どんな空耳かとゆっくり頭を正面へ傾ける。

 だが、どうやら俺の耳は正常だったらしい。白いタオルで前を隠した浅黒い肌のガキがそこに立っているではないか。


「え、えと……だ、誰か入ってると思ったら、お兄さんだったん、ですね」


 少し照れくさそうな笑みを浮かべながら、それでもひたひたと近づいてきて体に湯を浴び始めるエルツ。おかげで俺は余計に状況が分からなくなった。


「……お前、ここ、男湯」


「え? は、はい。そうです、よ?」


「そうですよ、じゃねぇヨ。お前はおん――」


 女だろうが、と言いかけて、キョトンとした顔にまさかと言葉を呑み込む。

 あの細身に幼い顔立ち。大きな青い目と整った顔。どうみても少女のそれだと思っていたが。


「わっかんねぇもんだなァ……」


「あはは、よく言われます。女の子みたいだって。僕はお兄さんみたいに筋肉もないし、髪も長いから」


「その髪はお前の趣味か?」


「そういう訳じゃない、んですけど、えと、髪の毛って高く売れる、から」


「……成程なァ」


 また天井を見上げる俺の隣で、エルツは静かに浴槽へと体を沈める。

 確かに人の頭髪は高級品だ。長く美しい白髪となればそれなりの値段もつくだろう。俺が幼少期を過ごした掃き溜めでも、時折頑張って髪の毛を伸ばしている奴が居たが、目的は皆同じだった。


「あの、お兄さん?」


「なんだ」


「えと、お兄さんはその、ダウザーさん、なんですよね?」


「ああ」


 小さく波紋が立つ。


「僕もいつか、お兄さんみたいになれる、でしょうか」


 ちらと隣を見た。

 薄っぺらな身体に小さく握った拳を当て、どこか意を決したようにこちらを見上げてくる青い瞳。

 自然と口の端が持ち上がった。


「キヒヒッ、そりゃ無理だなァ」


「う……」


 途端に視線が泳ぐ。

 渦巻く不安は俺でも手に取るようにわかるし、突き放されたような絶望感さえエルツの後ろに影を引いて見えた。


「やっぱり、僕は弱いから……?」


「ヒャッヒャッヒャッ! あぁ勘違いすんな? 俺は俺、お前はお前だ。都市外労働者なんて荒事にゃお前は向いてねぇし、スチーマンを手に入れるための金もねぇだろ」


 ツンと狭い額を突いてやる。

 エルツにはそれが余程意外だったようで、暗い雰囲気を霧散させてぱちくりと目を瞬いた。


「お前は大したガキだぜ。だが俺に憧れんのはやめとけ。お前にゃもっと似合いの仕事があらァ」


「でも……僕もお兄さんみたいに、皆を守れるようになりたいんです」


「だとすりゃなおさら目指す先が違ぇよ。ダウザーはあくまで鉱脈探しが本業で、人助けは軍やら警察やらの仕事だぜェ?」


 湯を突き抜けて立ち上がる。軽く頭を撫でれば、自慢のショートモヒカンが水気を弾いた。

 あのジジイ、なんつってたかな。ああそうだ。思い出しても腹が立つが。


「勇気があるなら外を見な。頭があるなら賢くなれ。そうすりゃ自分がどうするべきか見えてくる」


「外を……」


「選ぶのはお前自身だ」


 受け売りではあった。だが、俺を作り上げたという結果をもって、少なくとも無価値ではないはず。

 呆然とするエルツを振り返らないまま、俺はタオルで体を噴きつつ脱衣所へ戻る。

 浴室との間を隔てる扉を閉めてようやく、長い潜水を終えたかのように息を吐いた。


「柄じゃねぇんだがナァ」


「それだけ、君があの子のことを気にしてるってことでしょ?」


 聞こえるはずのない声に、咄嗟に前を隠す。間に合ったかどうかはともかくとして、勢いよく周りを見回してみれば、入口の脇で壁にもたれて天井を見ている姿が目に入った。


「きゃー!? なんでお前ここに居んの!? 馬鹿なの!? 男湯側の脱衣所なんですけどォ!?」


「わぁ女の子みたいな反応だ。外から呼んでも返事なかったから、心配して見に来ただけだよ」


「お前はもうちょっと常識身に着けてくれねぇかなァ!?」


 神出鬼没も大概にしてもらいたい。このままだとその内、トイレの中でさえ突撃されそうで怖い。

 あるいは、この女が生まれた国の常識が、俺の知っているそれと大きくズレているだけかもしれないが。



 ■



 大きなスチーマンが砂埃を立てながら走り去っていく。

 後ろの背負子には、マテリアの亡骸といくらかの残骸を新たに括り付けて。

 小さくなっていくその姿に大きく手を振る隣で、お爺ちゃんはどこか懐かしそうに表情を緩めた。


「大した2人組だったな。まさかあんな古い話を持ち出してこようとは」


「古い話?」


「大学の忘れ形見と言うべきだろうな。して、お前さんはどうだった。何か得られたか?」


 どうやら詳しいことは教えてくれないらしい。こういう時は何を聞いても無駄なのを知っているから、僕は頭の中に響くお兄さんの声を引っ張り出してきた。


「……外を見ろ、賢くなれ、って」


「ハッハッハ! アウトローがまともなことを言うものだ」


「お爺ちゃん、反対しないの?」


 意外な反応に驚いた。

 僕は捨て子だったから両親と呼べる人は居ない。だからこそ、この炭鉱に暮らす大人の全員が僕にとっては親だったのだが、特にお爺ちゃんはよく面倒を見てくれて、僕自身もお爺ちゃんがどんな人かを良く知っている。

 でもそれは思い違いだったのかもしれない。坑道を守ることを第一に考えるお爺ちゃんが、まさか笑うなんて。


「ここは居心地の良い場所だが、いずれ死に行く揺り籠に過ぎん。年老いた者らは今更離れられんが、お前や子ども達には未来がある」


「死に行く、揺り籠……」


 皺の刻まれた硬い手がポンと頭の上に置かれる。


「よく考えておきなさいエルツ。今の時代、機会はそう多く巡ってこないのだ。故にこの時だと思ったら迷わぬようにな」



 ■



 モニターの中を景色が流れていくの中、俺はパイロットシートのひじ掛けに頬杖をつく


「結局、あそこにコアはなかったと」


「うん。でも収穫がなかったわけじゃないよ」


 後ろから差し出された紙にちらと視線を流す。

 そこには何かしら細かい文字が刻まれていたが、軽く読んでみても内容はサッパリ頭に入ってこない。


「……なんじゃこりゃ?」


「完全蓄熱コアの初期研究資料。開発をしていた人は間違いなくあのブラックブリッジに居たんだ」


 物よりも設計図があった方が、将来的により金になるであろうことは流石の俺でも想像がつく。その完全蓄熱コアとやらが、どれほど有用な物かは正直理解しきれていないにしてもだ。


「ってこたぁ、これで再現できんのかァ?」


「やってはみるつもりだよ。でも、今のままじゃ足りない部分が多すぎるから、難しいとは思うけどね」


 資料を返しつつ、ふーんと鼻を鳴らす。


「……聞いてもいいか」


「ん? 何? コアの事?」


「お前のことだよ。一体何を隠してんだァ?」


 振り返りはしない。ひじ掛けに頬杖をついたまま、モニターから目を離さないで問いかける。


「ふふふっ、やっと興味を持ってくれたんだ? 嬉しいなぁ」


「都市育ちのお嬢さんなのはわかる。大層な教育も受けてるだろ」


「うん、大体正解」


「だからこそ分からねぇ。なんでスチーマンの構造を理解してる? 触ったことあんのか?」


 からかうような言い回しに引っかかりそうになりつつも、どうにか堪えて本題を叩きつけた。

 都市外労働者のような社会の底辺職にとって、スチーマンは身近なものである。他にも法執行機関だったり軍隊だったり建築業界ではそれなりに使われているだろう。

 だが、こいつはそのどれにも属さないように見える。なんなら、都市最上部にあるという農場を兼ねた庭園で、優雅な昼下がりに読書をしていそうなくらいには。

 どうなんだ、と指をトントンと叩けば、彼女はまた背後でクスリと小さく笑った。


「正確には、理解した、かな。元々知っていた訳じゃないよ」


「ハァ?」


「スチーマンに乗ったのは、前にも言った通りこの子が初めて。でも、機械を触った経験は沢山あるんだ。君の見立て通り、私って結構賢いから――あ、信じてないね」


「そう見えてんならそうなんだろーよォ」


 再びフーンと鼻息を吐く。

 何処までが嘘でどこまでが本当かは分からない。だが、スチーマンを完全に操れはせずとも、操縦補助は完璧にこなせるであろうことは間違いないだろう。

 先日のアレを、理解した上でやっているということが分かれば、俺にとっては十分。それ以外は、気にしたところで理解が及ばないだろうと。


「ミステリアスな女は嫌い?」


「面倒臭ぇ奴が嫌いなだけだ」


「あっ、酷いなぁ! 私だって傷つくんだよ?」


 どの口が、とは思った。

 ただ、その後に続く沈黙に俺はまたガリガリと後ろ頭を掻く。

 こいつが信用できるかどうかはともかく、信じると決めたことを今更覆すのは俺のポリシーに反する。我ながら手間のかかるポリシーを刻んだものではあるが。

 ため息を1つ。


「……相棒だってんなら、隠し事はやめとくことを勧めるぜ。サテン」


「――ふふ、可愛いところあるんだ」


 返事はしなかった。

 余計なことを言えば言うだけ、調子に乗らせるだけだと思ったから。

 そういうことにしておこう。

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