『ぼ、ボス……?』
赤黒い百合花のデカールが施された機体。
そいつは竦んでいる味方の前に立つと、どういうつもりか俺に背を向けて肩を竦めた。
『お前らなぁ、たった一匹の木偶相手に全員が全員ビビってんのか? ん? 最初の威勢は何処へ行った?』
「ヒュージ君、あいつだ」
サテン・キオンの声が低くなる。言われるまでもない話だが。
鳥にも似た特殊な関節構造を持つ脚部から察するに、ベースはファイアハウスカンパニー製。
成程、野盗とはいえボスと呼ばれる奴は金も持つ。流石に他のスクラップをかき集めたような雑魚とは一線を画している訳だ。
「……随分と弄繰り回されてるが、元は正規のセヴァリー式だな。骨のありそうな野郎だぜ」
『ほぉ? お前さん、チョコレートリリィのベースを一発で見抜くとは。いい所の出かな?』
どうやらこちらの声までキッチリ拾えているらしい。悪臭で有名な花の名を抱えたそいつはゆっくりとこちらを振り返り、ラッパのように開いた頭と目が合った。
尤も、その装飾と言動から察するに、大して頭は良くなさそうだが。
「キヒッ、テメェの部下がヘッポコ揃いなだけだろ。こちとらただの都市外労働者だぜェ?」
『んんん、まぁそう言わないでやってくれよ。ちょっと頭が緩すぎて困る時はあるが、これでも可愛い兄弟姉妹なんだ。できればいい家庭教師をつけてやりたいんだが、なかなか見つからなくてね』
3本指のマニピュレータがこちらへ向けて開かれる。その言葉に、ボスとやらの背後がざわめいた。
『お前さんどうだ? やってみないか?』
コックピットの中で腕を組む。今までに俺をヘッドハントしようなんて物好きは見たことがない。
いや、1人居たのを忘れていた。下手に足を延ばされると、後頭部を蹴っ飛ばされそうな位置に。とはいえ、実力を見込んでという意味では初めてでもいいだろう。サテン・キオンに関しては、未だに何を考えてるのかよく分からないし。
「ほぉん? 随分と見る目あるなァ?」
「ヒュージ君……?」
訝しむような、あるいはこれ以上ないほどドン引きした声が背中に投げかけられる。
だが、今は敢えて聞かなかったことにしつつ、オールドディガー越しにチョコレートリリィとやらを見下ろせば、ラッパ頭の中型機は道化師のように両手を開いて見せた。
『こんな商売をしていれば、自然と身につくものさ。度胸もあれば頭も回る、その上腕っぷしも大したものなれば、うちとしちゃ大歓迎だぜ』
組んだ腕を軽く指で叩く。
このまま話を進めれば、一体どれくらいの待遇を認めてくれるのだろう。そんな好奇心もあった。
「悪くねぇ。悪くねぇ話だが――」
問題は俺の頭を走る血管が、そろそろ苛立ちに耐えきれなさそうなことだろうか。
「勘違いしてんじゃねぇぞオムツ野郎。テメェ如きが俺様を品定めして許される訳ねぇだろ」
ゴフゥと熱い息を吐きながら、鋼の指を突き付ける。
女でも子どもでもない相手だ。その癖大して頭がいいとも思えないチンピラが、どうしても俺を説き伏せたいなら拳で語ることこそ筋であろう。
オールドディガーは拳を打ち合わせ、重々しくファイティングポーズをとる。するとラッパ頭は器用に肩を揺らして笑った。
『クク……ハーッハッハッハ! ますます気に入ったぜボーイ! 退屈な炙り焼きショーよりずっと楽しめそうなサーカスじゃないかァ!』
チョコレートリリィが土を蹴り上げると同時に、敵のスチーマンが一斉に動き出す。
既に奇襲の優位はない。数の差は7対1で、敵は武装した中型ばかり。
大体、想像通りな展開ではあったが。
「ごめんヒュージ君。謝っとくよ」
「あぁん? 何がァ?」
オールドディガーを後ろへ下がらせながら、肩越しに問い返す。何か謝られるようなことがあっただろうか。
「さっきね? 一瞬だけだよ? 本気で乗るかと思った」
「ヒャーッヒャッヒャッ! あぁんなカスの下に付くならここで自爆した方がマシだぜェ?」
珍しく申し訳なさそうなサテン・キオンを笑い飛ばす。
随分殊勝なことを言うようになったものだ。あるいは、こいつすら騙せていたならさっきの演技は我ながら大したものだったのだろう。
だが、俺は群れる奴が嫌いだ。自分がその中に入って誰かの為に、あるいは組織の為になんて考えるだけで蕁麻疹が出かねない。
俺は俺。全ては自分の為、自分のポリシーに従って動くのみ。重たい操縦レバーにグッと力を籠める。
目の前には、左右に跳びながら三連装らしきハープーンランチャーを構えるチョコレートリリィの姿があった。
「へっ、野郎いい動きしやがる。そこらの雑魚と違って口だけじゃねぇらしいな。出し惜しみなんてしてらんねぇぞ、ヒヒヒッ!」
ワイヤー付きの槍が肩を掠めて飛んでいく。
一歩反応が遅れていれば、あれが突き刺さっていただろう。それだけで済めばいいが、対スチーマン戦闘を考えているなら中に入っているのは十中八九爆薬だ。
こんな仕事で腕をもがれましたじゃ割に合わないにも程がある。
「ッ! 右に銃持ち!」
「ンの野郎ォ! 駆動系圧力弁全開! 動力系最大出力!」
咄嗟にバルブレバーを叩き、全供給管に送れるだけの圧力を叩き込み、スライディングするような形で瓦礫の影へ飛び込んだ。
燃費の悪い大型スチーマンが、出力全開で稼働できる時間は長くない。だが、そのリスクを背負えるならば、機体の動作は見た目にそぐわない程軽くなる。
オールドディガーの体当たりによって、いつの時代に作られたか分からない建物は砂埃を上げながら崩れていく。おかげで目隠しは作れたが、動かずに居ればいい的だ。
近くに残っていた道路標識を力任せに引っこ抜き、そいつを盾にしながら機体をまた走らせる。
「最大出力……これが?」
「ぺちゃくちゃ言ってっと舌噛むぜぇ! ぐえっ!?」
サテン・キオンの声をかき消すように、機体へ衝撃が走る。
見ればお手製なのか何なのか。パイプをつなぎ合わせたような恰好の銃を構えた奴が、焦った様子で次の弾を込めていた。
『くそ、なんて硬さだ!』
「てめぇかァ! 人の愛機に弾痕くれやがってェ!」
道路標識を振り回しながら、次の目標をそいつに定める。1発は1発だ、何事も明朗会計が大事。
と、思っているのに、クローラーを使って一気に距離を詰めようとすれば、向こうも同じように逃げるではないか。加えて走行速度では明らかにこちらが不利だった。
その上。
「待てやゴラぁ! タダで帰れると思って――うぉっ!?」
建物の影を抜けたところで、目の前を刃が通り過ぎる。斧のような形をしたそれは鈍く地面を砕き、白い蒸気を辺りへ漂わせた。
『いかんいかんいかんなぁボーイ? 俺を退屈させないでくれよ』
「舐めやがってよ……先に死にてぇならそう言いやがれェ!」
挑発するように見上げてくるラッパ頭に、ギッと奥歯が鳴る。
蒸気圧で加速する近接武装。三連装のハープーンガンといい、ボスを名乗るだけあってかどうにもいい武器を抱えていやがる。
それでも、接近戦をご所望なら乗らない手はない。こっちもそれが一番得意なのだから。
振り回される斧を、柄の部分に道路標識を噛ませて受け止める。パワーなら負けはしない。
だが、得意のフロントキックを繰り出した所で、どうやら見切られていたらしい。奴は器用に機体を翻して躱すと、腰だめにハープーンガンのトリガーを引いた。
1本が外れ、もう1本がコックピットを包む装甲に火花を散らす。突き刺さらなかったのは単に、運が良かっただけだろう。おかげで変な汗が背中を伝った。
「こんの、ちょこまか動き回りやがってよォ!」
『全くこれだから大型は頑丈で困る。しかし、その息がいつまで続くかな?』
「ガタガタうるせぇなクソが!」
距離を取るチョコレートリリィを追おうとするも、今度は左右から弾丸が飛んできて足を止められる。その内いくつかは機体を揺らし、また装甲に派手な傷をつけた。
頭が過熱する。野郎、舐めた真似しやがって。
だがどうするのがいいか。瓦礫の影に戻りつつ、自分の手札をどうにかこうにか考える。
炸薬式チェーンウインチはほぼ届かない。近づいてぶん殴ろうにも、速度では向こうの方が上。当然、スチームパイルも届かない。
後は何がある。何が残っている。
吐き捨てるような熱い息が口を通過した時、ふと首元にヒヤリとした何かが触れた。
「ヒュージ君、落ち着いて。限界だ」
「あ゛あ゛ん!?」
勢いよく振り返る。これは俺の戦いだ。他の誰に指図されるつもりもない。
出しゃばって来るなと言いたかった。しかし、そんな言葉はサテン・キオンの冷静な視線に霧散する。
「このままじゃ数に圧し潰される。圧力の消費も激しい。バルブの操作系をこっちに回して」
「おま、いきなり何言って――ぐっ!?」
どこかの装甲が割れた音がした。
俺がいつまでも瓦礫に隠れているのを悟ってだろう。連中は射線の通る位置に全員を集め、ありったけの銃口をこちらへ向けているではないか。
『ほーらほら、動かないとそのデカブツはいい的だぞボーイ』
苛立ちが走る。だが、それを吐き出すことは、変わらずこちらに触れたままでいる冷えた手が許さなかった。
「信じて」
「……クソが、どうなっても知らねぇぞ!」
何をどう信じろと言うのか。俺はこの女の事なんて何も知らないのに。
それでも、自分の腹を括れるのは自分だけだ。これでダメなら誰かのせいにする必要もないと、今まで決して触ることのなかったレバーをぶん殴るように操作する。
矢印の差す位置は前から後へ。
「受け取った。圧力配分変更、脚部サブタンクへ供給最大」
「でぇ!? こっからどうしろってんだ!?」
何故スチーマンの圧力系統を操作できるのかは、生きていたらまた今度聞くとして、俺は近くの瓦礫を正面へぶん投げる。
敵までは届かないとしても、射線を遮る障害物くらいにはなるだろう。
さぁどう答えるサテン・キオン。肩越しに彼女を見れば、小さなウインクが飛んできた。
「逃げるに決まってるじゃない。正面方向、敵の真ん中を突っ切って、その先で全開跳躍。私の計算が正しければ――わッ!?」
「キャオラァァァ!」
最後まで聞かない内に、俺はオールドディガーをさっき投げつけた瓦礫の中へ突っ込ませた。
運よく舞い上がった砂埃の中、巨大な鉄の塊は敵目掛けて突進する。何発かは被弾したが、圧力計は下がらず警報も鳴らなければ今は関係ない。
『むっ!? いかん、下がれテメェら!』
『ヒッ!? に、逃げ――!』
反応の遅れた1匹を、速度のままに蹴っ飛ばす。重さと勢い任せの一撃は、それでも中型スチーマンの顔面を紙屑のようにするには十分だった。
まるでパレードだ。慌てて転げる敵の真ん中を、ただただシンプルに突っ切るだけ。命知らずな方法だからこそ、敵の意表を突いたのだろう。
「抜いたぞ! こっからは!?」
「ッ……そのまま走って! 真っ直ぐ!」
「クローラー展開!」
オールドディガーは更に加速する。先についた勢いもあって、トップスピードで負けていてもそう簡単には追いつけないはず。
『ボス!』
『本当にいい動きをする奴だ。やるには惜しいが、顔に泥ォ塗られたまま黙ってもおれん商売でなぁ。追撃しろ』
ボスとやらの声が背後に聞こえ、間もなく俺の通った跡を連中が一斉につけてきた。
勝ち目のないレースではある。コースもゴールも分からないまま、追いつかれたら負けという馬鹿が考えたルールなのだから。
「作戦、覚えてる?」
「……一応な。だが、その通りにできるかは別だぜ」
「任せて、計算は得意だから。跳躍まで100!」
正直、耳を疑った。
――こいつ、どんな頭してやがるんだ。
周りは穴ぼこと瓦礫ばかりの地形。目印もなければ合図だって届いているか分からない。
それなのに何を基準に作戦を繋ぐ。どうやって計算している。
「50! 加速全開!」
大きく息を吸いこんだ。
ああ、どうせ腹は括ったんだ。今更ガタガタ言うなんて男じゃない。
「へっ……その方が面白そうだな。やったらぁ!」
ペダルをそこまで踏み込む。
圧力計がレッドゾーンを示し、スピードを示すニキシー管も数字を重ねて。
「――今ッ!」
「跳べやポンコツゥ!」
脚部蒸気ピストン、圧力全投入。
まるで大砲に撃たれたかのような衝撃に、オールドディガーは宙を舞った。
眼下に広がるのは大きな露天掘りのアリジゴク。その手前で、脚部ピストンの安全弁が白い蒸気を吹いている。実際に動作しているのを確認したのは初めてかもしれない。
一旦浮き上がった機体だが、如何せんこいつはスチーマンで、それも重たい大型機。空を飛ぶ装置なんて備えているはずもない。
スローモーションに見えていた跳躍が終われば、今度は地面が急激に近づいてくる。
「う、おおおお!? 壊れるんじゃねぇぞォ!?」
「ドレンブロー!」
透き通った声に体が動いたのは、半ば反射だったと思う。
赤いスイッチをぶっ叩けば、オールドディガーの足元から凄まじい勢いでピストンに溜まった圧力が放出された。
次の瞬間。
「ぐえっ……!?」
凄まじい衝撃に、腹の中身が全部飛び出したかと思った。
だが、痛いと言うのはつまり生きているということ。モニターが割れているということもなく、オールドディガーはガリガリと地面を削って停止する。
「……あは、あははっ! 賭けは私たちの勝ちだ。ね、ヒュージ君?」
ぺちぺちと、剃り上げたモヒカン頭の側面を、相変わらず冷たい手が叩いてくる。
どうやら、賭けに買ったのは事実らしい。
らしいのだが。
「き、キヒヒ……こりゃあとんでもねぇ女だぜ」
久しぶりに肝が冷えた中、出てきたのはそんな感想だけだった。