スコップとツルハシを持った護衛役を前に、ドーフォン・クラッカは拳を震わせていた。
しかし、それと相対するすらりと背の高い男は、より野蛮そうな2人の大柄な取巻きと共に、さも紳士然と首を横へ振ってみせる。
「そもそも、我々が望むのは健全なビジネスです。そちらと争いたいなどと、僅かたりとも思うはずがないでしょう」
「健全だと? 我々の備蓄をはした金で根こそぎ奪おうとし、断れば女や子どもを攫い坑道を占領すると脅す貴様らがか?」
「勘違いされては困りますな、ミスタードーフォン・クラッカ。我々は貴方がたの用いる成型炭塵に価値を見出し、お売り頂きたいためにこうして交渉に赴いているだけのこと。その過程におきまして、そちらの住民に危険が迫っているから、契約してくださるなら防衛力の提供もサービスさせて頂きますと申し上げておるのですよ」
「白々しいことを……貴様らが来るまで、ここに争いの種などありはせなんだわ」
腐臭を覆う糖衣のような若造の言葉に、野人の長老は腕を組みながら睨みを強くする。
少なくとも、長い間国法が届かない場所に生きてきた彼は、こういう連中の手口をよく知っていた。だからこそ、無知をあざ笑うような口調には余計に腹が立つ。
「偶然を我々のせいにされましてもね。それに、貴方は我々をさも蛮族かのように仰いますが、古典的な罠を仕掛けて我々の身内らしき人物を拉致していることについて、どう弁明されるおつもりかな? もしや、武力によって我々を排除しよう、とでも?」
「……だとしたら、どうするね?」
「こちらも慈善事業ではありませんし、先に手を出したのはそちらだ。我々は事業利益を守る為の正当防衛を行使させて頂きます」
張り詰めた空気に野人達が冷や汗を流す中、長老と呼ばれる彼は小さく口の端を上げる。
「大した自信だな、賊の頭目よ。無事に坑道を出られると思っているのか」
ドーフォン・クラッカは既に争う覚悟を決めていた。仕掛けた罠にかかったのが野盗の仲間でなかったのは誤算だったが、次善の策くらい用意してある。
少なくとも、この間抜けな若造が相手ならば、何の問題もないと自信を持っていた。
「私が? ハハハッ!」
「何がおかしい。気でも狂ったか」
数ならこちらが勝っている。後ろの男たちは見るからに屈強だが、所詮は多勢に無勢。何なら奴らの後ろにも、腕の立つ者を数人隠れさせている。
けが人は出るかもしれないが、頭目さえ潰してしまえば問題にはならない。そう思っていたが、頭目は整えられた髪をかき上げながらひとしきり笑うと、冷たい糸目でドーフォンを見下した。
「頭目などと畏れ多い。ハロルド一家において、私はただの窓口に過ぎません。何より、ボスがこんな場所にわざわざ足を運ぶとでも?」
ドーフォンの背中を冷たいものが駆け抜けた。
前に訪れた時、この男は多くの部下を従えていた。それも中型と小型のスチーマンも合わせて3機ほどだ。
野盗としては随分な戦力である。あからさま過ぎる脅しを取引と称する自信も、この戦力の裏付けがあれば納得できる上、だからこそ頭目が自ら脅しにやってきたのだろうと。
だが、そんな老人の予想を野盗の3人はせせら笑った。
「いいことを教えてあげましょうミスター。ボスは家族想いで慈悲深い方です。私のような木端にもお心を傾けて下さる。私がこの穴から帰らなければ、皆を引き連れて迎えに来てくれるでしょう。ええ、10機以上のスチーマンを連れてね」
「そんな脅しが……!」
「どう思うかは貴方の自由です。では、我々はこれにて」
刺したければ背中からやればいいと言いたげに、自らを木端と称した線の細い野盗は踵を返す。
ドーフォンは悩んだ。選べる道は2つしかない。
たった3人、殺すことは容易い。だが、男が口にした戦力が事実だったとすれば。
そう考えた時、彼の膝は自然と崩れていた。
「ま、待て、待ってくれ!」
「まだ何か?」
笑いながら振り返る男は、まるで未来を見通しているようだった。
なるべくしてなる。最初から選択肢などなかったとでも言いたげな様子に、ドーフォンは膝に落とした拳を強く握りこむ。
「……今回の件は私の早とちりによるものだ。どうか、武器を収めてもらいたい」
「やれやれ、今更頭を下げられてもね。この世において、言葉程誠意にも責任にも繋がらないものはない。違いますか?」
氷のように冷たくあざ笑うような言葉に、長老と呼ばれる彼は今初めて後ろを振り返る。
あり合わせの道具を手に手に集まった男たちには家族があった。愛する妻子を、老いたる母を守るために集っている。
痛いほどに分かっているからこそ、彼らを裏切ることはできない。たとえ人として道を踏み外したとしても。
「ならば……ならば今回の償いは囚人で払わせてくれ。一人は女だ。契約についても、前向きに検討させて頂くと、そちらの頭に伝えてもらいたい」
自らの良心に押しつぶされそうになりながらも、ドーフォンは言い切った。
あれらは運が悪かっただけの若者で、この場所と関係ない。そう言い聞かせながら。
「くくっ、果たして外道はどちらでしょうねぇ。おい、見てこい」
「へい」
満足げな男の声に呼応し、護衛の1人は棍棒を握ったまま、立ち番の居る扉をあっさりと潜っていった。
■
ドカドカという躾のなっていない足音を立てて現れたのは、なんとなく親近感を覚える見た目の男だった。
それも牢を一瞥するや、感動したような大声を上げる。
「ほぉほぉほぉん!? こりゃあ驚いたな! 想像以上の収穫ですぜ兄貴」
「レイルギャング……?」
サテン・キオンはエルツを庇うように背中に隠しつつ、肩に刻まれたタトゥーに眉を顰める。
俺もその特有な模様には見覚えがあった。直接目にするのは初めてだが、組合の注意喚起掲示板によく現れる連中である。
組織だって警告を出されるぐらいだから、もっと統率のとれた軍隊然としているのかと想像していたが、蓋を開けてみれば拍子抜けである。そこらのアウトローと変わらない。
「そこの女とガキ。お前らは今から俺たちのもんだ。ついてきな」
「ヒ……ッ!?」
「へへへ、そう怖がらなくていいぜ。言う事聞いてりゃ兄貴は優しいからなぁ」
押し開かれた鉄格子にエルツが体を震わせ、サテン・キオンは冷たい光を目に宿らせながら笑みを浮かべる。
それがどう映ったのかは知らないが、野郎は笑いながらゆっくりと近づき
「オイ」
そのソーセージみたいな指が2人に触れかかったところで、俺の頭の中で何かが切れる音がした。
軽く鼻を啜る。血の味はもう帰ってこない。
「俺様を無視したこたぁこの際許してやらァ。だがテメェ今、誰が、誰のモンだっつった?」
「なんだぁ? 牢屋に繋がれた間抜けが何を意気込んで――ぶべぇッ!?」
「質問に質問で返すんじゃねぇ。今聞いてんのは俺様だ」
棍棒を手にした男は、どんな表情をしたかったのだろう。口の端が歪んだところまでは見ていたが、形が変わり切る前にそのスキンヘッドは、両手の指を組んで握った俺の拳で埋まっていた。
黄色い歯と鼻血が飛ぶ。それが落ちると同時に軽く宙を舞った男の体が床にズウンと音を立てた。
「お、お兄さん?」
「わーお。ワンパンだ」
ゴキリと指を鳴らす。体の血が沸き立っている。
もうちょっと楽しめる相手かと思ったが、また見た目ばかりの奴に当たってしまったらしい。
「やぁれやれ。気が変わっちまったぜ。ここの連中だけなら知ったこっちゃねぇと思ってたが――」
いい加減聞き慣れた軋みを立ててドアが開く。
「おい、いつまで遊んでいる。女とガキがどうしたって……は?」
現れたのはさっきの奴より随分線の細い野郎だった。それも子分らしき髭野郎を従えている。
ああ、子分なんて居なくても臭いでわかる。どれだけ綺麗なお洋服を着て、髪を市民様のように整え香水を振りかけた所で、自分と同じドブから出てきたクソの塊だと。
だがそれでいい。俺様が相手にするならおあつらえ向きだ。おかげで自然と腕に籠った力で、脆い木の枷が弾けとんだ。
「フシュー……よぉ、アンタがアレの言ってた兄貴さんかなァ?」
自然に傾く首。持ち上がる唇に舌を這わせながら、開け放たれたままの鉄格子を潜る。
クソの塊は怯えたように後ずさった。俺みたいなのには慣れているはずだろうに、常人のフリが上手いのなんの。
「な、なんだお前……っ!? 私達がかのハロルド一家だって知って――るぶぅぇッ!?」
兄貴さんとやらは随分軽かった。そのせいか軽く腕を横に振っただけで、錐揉みしながら飛んでいき、額縁もない壁で変わったアートのようになってしまう。
ドブ臭い割に貧弱な奴だ。多分、口だけでやってきたノミなのだろう。大きくなれてよかったね、くらいの感想しか出てこない。
「あ、兄貴ィ!? て、てめぇ、ぶっ殺してやらぁ!」
ガァンと頭の後ろで何かが鳴った。おかげで肩が少し軽くなった気がする。
ゆっくり振り返ってみれば、鎖が巻かれた鉄の棒を握る髭野郎が、何故だか手を押さえて呻いていた。
「う、が……どんな頭してんだこいつぅ!?」
「……あぁーん? そりゃなんだァ? 飴ちゃんか何かでちゅかァ?」
「ヒッ!?」
頭の形にひん曲がった鉄の棒を拾い上げ、じっくりと力を込めて元の形に戻してやる。全く質の悪い鉄パイプだ。こんなもの、ロリポップと変わらない。
「鍛え方の足りねぇカス共がよォ。イキってんのは声ばっかりかぁん?」
髭野郎は尻もちをついて後ずさる。だが、残念なことに牢の前にある通路は狭い。
如何に髭が生えていても、こいつはどうやらお子様らしい。あまり怖がらせてお漏らしでもしたら可哀そうだ。だからできるだけ怖がらせないよう、俺は顔に笑みを貼り付けた。
「おねんねの時間でちゅよォ」
「ま、待って! 許し――ごあッ!?」
カーンといい音が響き渡る。もしかしたらこいつはお子様ではなく楽器だったのかもしれない。
とはいえ、俺に打楽器を演奏するような洒落た趣味はないので、今度は曲がらなかった鉄パイプはきちんと元あった場所へ返しておき、もう一度コキリと首を鳴らした。
「雇い主さんよ、仕事の途中で悪ィんだがなァ」
いつの間にか牢から出てきていたサテン・キオンは、呆れたように肩を竦める。
「はーあ、乗り掛かった舟になっちゃったもんね。流石にしょうがないか」
そう言いながら、全く乗り気な目をしているように思えたのは、俺の気のせいだろうか。