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第11話 エルツ

「なぁ、やっぱり俺が渡しに行った方が」


「大丈夫。僕にはこれくらいしか、できないから」


「そんなことは――いや、わかった。渡したらすぐに出てくるんだぞ。女はともかく、男の方はかなり凶悪そうな奴だったからな」


 口の中に苦々しいものが溢れる。

 片方は多分、ここの見張りか何かをしている男だろう。だが、入ってきそうな方の声はあまりにか細かった。

 だが、さっさとこんな場所はおさらばしたいのだ。手加減は得意じゃないが、やるしかないと腹を括る。

 ギィと蝶番が鳴る音。


「あの、離れていてください、ね……ごはん、入れます、から」


「や、ありがと」


「飯まで準備してくれてるたぁ、随分気が利くじゃねぇ――か?」


 できるだけ見た目の威圧感を隠すため、寝転がったまま首だけ回して振り返る。

 ただ、そいつが目に入った途端、飛び掛かる準備をしていた俺の体は硬直した。

 作りの悪い鉄格子をそっと開けて、食事の乗ったトレーをそっと下ろすその手は細く、褐色の肌をした身体はあまりに小さい。


「おいチビ」


「ひゃ、ひゃいっ!」


 半分だけ牢の中へ入れた身体がビクンと跳ねる。驚くくらいなら、咄嗟に飛びのいて鉄格子を閉じるべきだろうに、囚人を相手にすることに全く慣れていないのか、片目を隠すように伸びた髪の奥から、怯えた視線だけがこちらを見つめていた。

 ゆっくりと体を起こし、壁を背にして胡坐を組む。


「お前、歳幾つだ」


「え、えと……10歳、ですけど」


 チビの目はあちこちを彷徨う。一応、警戒しているつもりなのだろうが、簡単に手の届く位置に居るのに何の意味があるだろうか。

 隣から見つめてくるサテン・キオンの視線は、いつ動くのかを確かめているようだったが、俺は動かなくなった手をそのままに、深く深く息を吐いた。


「――そうか」


「ヒュージ君? やらないの?」


「うるせぇ、黙ってろ」


 ピシャリと言いきれば、彼女は意外そうにしながらも口を閉じる。

 こいつはガキだ。10歳というのが事実かどうかは分からないが、見た目と大きく外れてはいないだろう。それもあまりいい物が食えていないのか、薄っぺらい身体をしていやがった。

 俺の手が首を握れば、加減をしても容易く折れてしまいそうなほどに。


「あの……お、お兄さん」


「なんだ?」


「ひっ……う……あ」


 食い物は既に置いたのだから、さっさと鉄格子の向こうへ戻ればいいものを、ガキは怯えながらも動かない。

 少し考えた。驚かしてでもこんな不似合いな場所からは、遠ざけてやるべきではないかと。

 だが、何か言いたげな様子に、俺は根負けしてあーあと言いながら背中を投げだした。


「別に取って食やしねぇよ。俺になんかあるか?」


 これで何も言わないなら、その時は驚かしてやればいい。だから話を聞くくらいは別にいいだろう。

 そう思って、視線すら向けないまま待っていれば、ようやく腹が決まったのか。薄っぺらいガキはおずおずと手を差し出してきた。


「――お鼻、痛くない、ですか? 一応、手当の道具、持ってきたんです、けど」


 眉が跳ねた。

 このガキ、見た目からもアウトローな囚人相手に正気か。

 そう思っても暫く待ってみてもなお、青い瞳は怯えに揺れながら、しかし俺の鼻へ真っすぐと向けられていた。

 根負けは俺の方だっただろう。


「……なら、せっかくだ。頼んでいいかァ?」


 軽く頷いた俺に対し、サテン・キオンはなお訝し気な表情をしていた気がする。

 しかし、俺はもう裏があるならそれでいいと思っていた。毒をぶっ刺そうとするなら、その時に首根っこ掴んで放り投げてやるだけだと。


「チビ、名前は」


 恐る恐る近づいてきて、ポーチから傷薬を取り出したガキに問いかければ、またビクンと肩を跳ねる。

 しかし、俺が動かないままでいれば、流石にさっきまでほど言葉を躊躇うことはせず、可愛げのある顔に緊張を滲ませながら唇を震わせた。


「エルツ、です」


「じゃあエルツ。なんで囚人の世話なんてしてる? ガキがすることじゃねぇだろ」


「今は皆、忙しいから。僕がもっと大きければ、色々できたと思うけど……」


 震える指が鼻筋を撫でていく。


「忙しいってのは、野盗だとかって奴の話か?」


「……うん。お兄さんは、その仲間、なんだよね?」


「だとしたら、なんでお前はそいつを助ける。怪我なんてほっときゃいい」


 だろう? と口の端を上げれば、エルツは少し緊張がほぐれてきたのか。絆創膏を優しく貼り付けてから、座りなおして俺を見た。


「痛そう、だったから」


 自然と口が開く。俺のツラは相当間抜けなものだっただろう。

 しかし、嘘を吐いているようでもなく、何か変なことを言ってしまっただろうかと不安そうに首を傾げるエルツを見ていると、喉の奥から変な笑いが込み上げてきた。気に入ったと言い換えてもいい。


「ウヒャヒャヒャヒャ! なぁるほどなァ、こいつぁビビリの癖に大した甘ちゃんだぜ」


「……でもお兄さんも、僕の事、叩いたりしてない、よ?」


「そりゃ俺のポリシーに反するからなァ」


「ぽりしぃ?」


 ゆっくりと体を壁から引きはがす。ようやく、青い目としっかり視線がぶつかった。


「喧嘩ってのはなァ、自分と対等以上の奴とするもんだ。弱ぇ奴らにゃパンチなんて勿体ねぇ」


 エルツの目の前で、枷越しに拳を握る。人がなんと言おうと、それを向ける相手を選ぶのは俺だと。

 するとチビは何を感心したのか。さっきの俺と同じように、ポカンと小さく口を開けてこちらを見上げていた。


「ほぁー……」


「あれ? 私、ちょっと前に床に捨てられたような記憶があるんだけど」


 隣から苦情にも似た声が投げかけられたが、聞こえないフリをしつつ、俺は人差し指をエルツの額に当てた。


「この際だ。お前らの勘違いを1つ正しとくぜェ」


「勘違い?」


「嘘は言わねぇ。俺達ゃお前ンとこの爺さんが思ってるような野盗連中とは――」

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