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第10話 鉄格子

 遠くで何かがちらついていた。

 星か、ランプか。なんだかそういう類のぼんやりした奴だ。

 それでも、眠りから覚めるには十分だったのだろう。背中に伝わる硬い感触に、自然と瞼に力が入る。


「う゛ぅ゛ん゛……鼻が痛ぇ」


 最初に見えたのは、むき出しの岩盤だった。それも明かりがついている場所なのか、黄色っぽく染められている。

 ひっくり返って見えるのだから、多分天井なのだろう。少しずつ記憶の糸を手繰り、そういえば炭鉱だかの中に入っていたことを思い出した辺りで、視界の横から見知った顔が生えてきた。


「あ、起きた? あんな大きな丸太が当たったのに骨も折れてないなんて、君の顔は頑丈なんだね」


「……テメェが居るってこたぁ夢じゃねぇな」


 細い腕に支えられて、身体を起こす。口の中に血の味は残っていたが、どうやら体に異常はなさそうだ。

 強いて異変を言うなれば、自分の手首に木製の枷がくっついていることだろうか。


「ここぁ、何処だ」


「野人さん方のお家、かな?」


 頬に指を添えながらそんなことを宣う女に、俺は盛大なため息をついた。


「テメェの国じゃ家に鉄格子付いてんのが普通なのかヨ」


「流石にないよ。まぁ状況はお察しの通りって感じ」


 粗末な鉄格子を握ってみる。掌に伝わる冷たさまで想像通り。


「マジで住んでる奴が居るなんてことあるぅ?」


「もしかして言霊って奴かな? 結構怖いね、ふふっ」


「言ってることと表情がリンクしてねぇんだよなぁ」


 サテン・キオンは、あははと気楽に笑う。こいつはもしかすると、ありとあらゆる危機感を母ちゃんの腹に置き忘れてきたのではなかろうか。だとすると、今更何を言っても徒労に過ぎないのだが。

 呆れてもう一回寝転がろうとした所、鉄格子の向こう側で蝶番が鳴いた。


「男の方も目覚めたか。運のいい奴だ」


 そう言いながらこちらを見下ろしたのは、こけた頬をした初老の男。

 ボサボサの髪に蓄えられた無精髭。着ているスリーピーススーツも継ぎ接ぎだらけという、いかにも野人らしい風貌ではある。

 だが、俺は特有の威圧感と、ボロい服越しにも分かる鍛えられた身体から、ゆっくりと息を吐いて相対した。


「てこたぁ、出会い頭にくれやがったのはテメェでいいんだなァ爺さん? 探す手間が省けたぜェ」


「逆恨みもいい所だな若造」


「……あぁん? 逆恨みぃ?」


 また訳の分からないことを言い出したぞ、とは思ったが、鋭い眼光は冗談を言っている風でもない。

 俺がブラックブリッジに来るのは確かに二度目ではある。しかし、過去の記憶を遡っても、都市の外に暮らす野人と出会ったような記憶はなく、そもそも以前はスチームパイルでの音響調査だけで、ほぼ何もせず帰ったはず。

 おかげで俺がしっかり首を曲げれば、男はいかにも忌々し気に表情を歪めた。


「我らが争いを望むことはない。しかし、野盗風情の脅しに従い、緩やかな自死を選ぶほど程愚かでもないのだ」


「待て待て待て、勝手に話進めんてんじゃねぇ。追いつけねぇんだよ」


「ミスタークラッカ。それは誤解だと先日お伝えしたはずですが」


 凛とした声に振り返れば、澄まし顔のサテン・キオンが背筋を伸ばして立っていた。

 こいつ、こんな雰囲気も出せるのか。あんまりにも普段が水草のような具合なので、新鮮以上に違和感が強い。

 一方、クラッカと呼ばれた爺さんは、俺に対してよりは多少雰囲気を緩めつつも、敵意のある視線を消しはしなかった。


「そのような恰好をした男を護衛に連れた者の言葉に、何の信憑性があると? そも敵意がない者が、ヘロン式の甲型スチーマンなど持ち込むかね?」


 自然と眉が跳ねる。


 ――このジジイ、あんな古い機体を知ってんのか。


 ヘロン社製の甲型、つまり大型スチーマン。その最終モデルに当たるオールドディガーは甲三型と呼ばれるその最終モデルだが、機体にせよ社名にせよ、今の社会ではほぼほぼ忘れ去られたような骨董品だ。

 オールドディガーは俺が譲り受けた時点で生産も保守も遥か以前に終了していたし、自分以外に同じ年代に販売されていた機体を使っている奴になんて見たことがない。それどころか、大型スチーマン自体まるで見かけないくらい時代遅れな代物なのだ。

 都市の人間でさえ忘れ去ったような存在を、初老の野人風情が知っているとは驚きである。


「はぁー……何度でも言うけど、こっちの目的はあくまでブラックブリッジ炭鉱群の調査だし、彼はダウザーで私はその依頼者。それ以上でもそれ以下でもないの。分かる?」


 どうやらお澄まし顔は長く維持できないらしい。ムッとした半眼を向ける彼女の様子に、俺は内心少しホッとしていたが、クラッカは特に気にした様子もなく、ふんと小さく鼻を鳴らした。


「それこそ信用ならん話よ。今更こんな場所を調べて何になる? コラシーが新鉱脈なしと評価を下したのは遥かに昔のことだ。何も残ってはおらん」


「国の調査は国の調査でしょ。私には個人的に調べないといけない理由がある。それだけだって」


「仮にそうだとすれば、運が悪かったと諦めるのだな」


 そう吐き捨てると、クラッカは誰かに呼ばれたのか。こちらを一瞥しようともせずに去っていく。

 残ったのは膨れっ面を作る麗しの雇い主だけだ。


「雰囲気悪いなぁ。私みたいな格好した野盗なんて居るはずないのに」


「頭膿んでんのかァ? 見た目の話ゃどう考えても俺の方だろ」


「よくないよね、見た目で人を判断するのってさ」


「そこだけはテメェの言葉に説得力あるぜ」


 不服そうな視線を軽く肩を竦めて躱す。これでも俺は正直なんだ。


「しっかしどうすっかな」


「脱出する方法?」


 ああ、と小さく頷く。

 野人連中が自分たちを捕まえた理由がなんであれ、それが冤罪であることは間違いない。加えて話し合いで解決できないとなれば、やるべきことは1つだ。


「いつまでもこんなジメジメした場所でクダ巻いてらんねぇだろ。飯持ってくる奴とか居ねぇか?」


「多分だけど、その内来てくれると思うよ。私が捕まった時、さっきのクラッカさんが、殺さないようにみたいな話をしてたのは聞こえたし」


「ほぉん? 理由は知らねぇが、もしそうなら好都合だ。俺たちの持ち物が何処にあるかはわかるか?」


「そこまでは流石に。集められてはいるようだったから、どこかに纏めて置いてあると思うけど」


「チッ、最悪は捨てていくしかねぇか。割に合わねぇ仕事になったぜ」


 マテリアの死体を売り払ったとて、酸素濃度計に有毒ガス検知器にランタンにと、必需品をもう一度買いそろえなければならないとなれば、到底赤字は免れない。

 だからと物を惜しんで解放交渉に時間を使うのは、この場合完全な悪手である。何せ、圧力切れを起こした大型スチーマンを輸送する費用は、本格的に洒落にならないのだから。

 半ば首のかかっている俺の事情を知ってか知らずか、サテン・キオンは興味深げにこちらを覗きこんでくる。


「で、どうやって脱出するつもり? ここの人たち、少なくとも20人以上は居るけど」


「飯運んできた奴の首ひっつかんで人質にとる」


「格子の上に、君には手かせもあるけど」


「こんなボロ枷くらいどうってことねぇよ。それに、この格子なら俺でもギリギリ手ぇ通るだろ」


 相手がプロの戦闘集団ならどうしようもないが、穴蔵に暮らしてるだけの野人なら活路はある。

 あまりにも短絡的で乱暴で、それでも俺が思いつく唯一実現可能な方法に、サテン・キオンは軽く顎に手を当てて黙り込んだ。

 もっとスマートかつ安全確実な方法が出てくるかもしれない。そんな期待が脳裏をかすめたのも一瞬のこと。間もなく彼女は小さくため息をついた。


「……他に方法もないか。せめて殺さないようにしてよ? お互いに誤解なんだから」


「そりゃ向こうの出方次第で――シッ、誰か来たぞ」


 咄嗟に口を噤み、俺はぐるりと背を向けて横になる。

 足音は小さく、かつ一人分だけ。それに続いて、途切れ途切れに声が聞こえてきた。


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