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第9話 廃坑道

 電気式ランタンのぼんやりした明かりが壁を照らす。


「坑内図は、擦り切れてて読めないか。他に役立ちそうな物もない、と」


 地上の廃墟よりはマシでも、長年放置されているだけのことはある。置かれている消化器は錆び付き破れているし、元は天井からぶら下がっていたであろう照明器具も、ちぎれて地面に転がっていた。


「不快な場所だぜ。お肌が荒れちまいそうだ」


「元から快適なんて期待していないけどね」


 サテン・キオンに続いて石組みの階段を下れば、すぐさま立坑が顔を覗かせる。

 元々はこの中央に昇降機でもあったのだろう。空洞を貫くガイドレールらしき物を眺めつつ、壁面に沿った足場を進み、錆びついてボロボロになっている金属製の梯子を下れば、何やら中間地帯らしい場所に出た。

 暗がりにポチャンと音が響く。


「地下に溜池?」


「排水用の古い設備じゃないかな。横にほら、ポンプが残ってる」


 暗闇に目を凝らしてみれば、なるほど確かに。随分と大掛かりで古臭さそうな蒸気排水装置が目に入った。

 当然ながら、既に鉄くずであろう。ビームと歯車は真っ赤に錆び付いており、とても最近まで動いていたようには見えない。

 となるとだ。


「……もしかしてこの下、水没してんじゃねぇのォ?」


 満々たる溜池のついでに、不安まで満ちてくるのは当然のこと。ランタン程度の明るさでは、立坑を覗いても底は見えないため、なおさら嫌な予感がしてならない。

 だというのにこの女と来たら。


「だったら潜水服が要るね」


「潜ってでも調査する気かよ。マジで狂ってんなァ」


「それくらい本気だって思ってもらえると嬉しいな」


 そう言って平然と梯子を降りていくのだから、全くもって笑えない。

 しかも、坑内へ入る前にあれだけ啖呵をきったのだ。今更自分だけが尻を捲って、というのはあまりにもダサすぎる。

 ええいままよ、と腹を決めてサテン・キオンに続く。だが、そんな覚悟に意味はなかったようだ。


「……水はない、か」


 立坑の底らしき場所には、思いの外アッサリと足がついた。さっきよりなおジメジメしていて、いくらか浅い水溜まりも見えるが、水没と言うには程遠い。


「他の場所から抜けてんのかもナ。運がいいぜ」


 微かに流れる風に顔を巡らせれば、また暗い穴がポッカリと口を開けていた。水が抜ける先があるとすれば、多分この先だろう。


「採掘用の横坑か。行ってみよう」


 へいへい、と気のない返事を吐きつつ背中を追いかける。止めたって止まるような女じゃないのは既によくわかっていた。


「――あん?」


 何らかの気配に後ろを振り返る。

 火気厳禁。そう書かれた壁があるだけで何も無い。

 コキリと首が鳴った。


「どうかした?」


「なんか、誰かに見られてたような気がするんだよな」


 こんな場所に誰かが居るとも思えないし、多分勘違いだろう。そう付け加えようとした矢先、ふとサテン・キオンの目が鋭くなった。


「……もしかしたら、気のせいじゃないかもね」


「あんだと?」


「階段の入口にあった蓋の動いた跡。湿気の中でもボロボロになっていない金属製の梯子。中間の溜池は一杯なのに綺麗に水が抜かれている横坑。どれも小さな違和感だけど、流石にここまで重なると怪しくなってくるよ」


 クルクルと回る彼女の指を眺めつつ、言われてみれば確かに、なんて少し賢くなったように考える。道中、そんな違和感なんて半分も把握していなかった癖に、我ながら随分偉そうなものだ。


「そりゃつまり、こんなジメジメした穴ン中に誰かが住んでるかも、ってかァ? 蒸気だってねぇのに?」


「分からない。けど、気を付けた方がいいかも」


 当たり前のことだが、サテン・キオンにも明確な答えは出せないらしい。

 何を気をつければいいのかすら曖昧なまま、それでも俺たちは目的の為に横坑を進んだ。

 ランタンが照らし出すのは低い天井と、それをどうにかこうにか支え続けている古ぼけた柱に梁。足元に走る錆びついたトロッコのレールに、時々現れる放置された採掘道具。

 一言で表すなら、何もないのだ。唯一ありがたいと思えるのは、酸素濃度計とガス検知器が歌い出さないことくらい。

 いつまでも続くジメジメした空気と暗がり、そして頭を擦りそうな程低い空間にうんざりし始めた頃。

 無造作に伸び散らかした横穴の分岐で、ふと白い物が目についた。


「ありゃ光、か?」


「揺らいでないね。電気照明じゃないなら、通風孔とか?」


 どうやらサテン・キオンは、分岐があったことにすら気付かなかったらしい。数歩進んだ先から戻ってくるや、躊躇うことなくそちらへ向かって踏み出した。

 恐怖心とか持ってないのかこいつは。


「おい、待てって。いきなりひょいひょい行く奴があるかよ。気を付けてっつったのは――」


 テメェだろうが、と言い切るより早く、彼女の頭が視界から消える。ついでに何かが引っ張られるような音が響いた。


「わったたた!? 何これ、ロープ?」


 あぁそうか。だから引っ張られるような音だったのだ。

 誰かの忘れ物が偶然足に引っかかったのでないなら、意図するものは1つしかあるまい。

 顔目掛けてスローモーションで迫る黒い影。避けるなり受け止めるなりできれば格好もついたのだろうが、人にはどうしたって限界がある。結局の所、俺はただヘッと口角を上げるくらいしかできないまま。


「ぶべらッ!?」


 最後に残ったのは鼻から広がる鉄の味と浮遊感。そして。


「……わーお」


 という、サテン・キオンの気の抜けた声だった。

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