クローラーで地面を抉りながら、オールドディガーは滑るように傾斜を後退していく。
だが、如何せんこっちは旧式の大型スチーマンだ。トップスピードは頭打ちである上、土から這い出した金属質の虫野郎は、見た目に反してすばしっこいらしい。
「くっそ運がねぇぜェ! なぁんだっていきなり物喰らいの巣を踏み抜くんだッ!?」
「アイツ、列車でも襲う奴だよね? 討伐依頼を見たことあるよ」
こんな状況でも、サテン・キオンのどこか好奇心溢れたような声は変わらない。何なんだコイツ。
虫野郎の名はマテリア。大きさにも形態にも統一感はなく、近付いた者を誰かれ構わず凶暴性と、無機物を喰らうという奇妙な性質を持つ。
幸い生息数は多くないようだが、都市外労働者組合から出没警戒の掲示が消えることはないくらいの天敵である。
護衛もなくこいつらに襲われたら普通、もっと慌てた反応をするものだと思うのだが。
「あっぶねぇぃッ!?」
躱し損ねたアリジゴクの大顎が、肩の辺りから耳障りな擦過音を響かせる。
反応がもう一歩遅ければ外装か骨格か、運が悪ければ蒸気管や電装系までぶっちぎられていたことだろう。
散った火花を視線で追いかけ、よろめいた機体を立て直す。
スピードでは敵わない。この時点で逃げるが悪手なのは確定だったが、それ以上に俺の額には血管が浮き上がった。
「きえええええッ! こんの害獣風情が、俺の仕事道具にひっかき傷つけやがったなァ!? ちょうどムシャクシャしてたんだ! 俺様が躾つけてやるぜぇぇぇぇぇい!」
「あれ? 高温武装なしでマテリアと戦うのって、危ないんじゃなかったっけ?」
「舌ァ噛み千切りたくなきゃ黙ってろ! 俺様は筋の通らねぇ舐められ方するのが我慢ならねぇんだ! その相手が人だろうが獣だろうがナァ!」
後ろからは何とも気の抜けた抗議らしき声が聞こえるが関係ない。
マテリアの頑丈さは、都市外労働者なら誰でも知っている。斬っても撃っても殴っても中々死なず、傷の回復も恐ろしいほど早い。
だが逆に、身近である分弱点だって常識なのだ。
「きゃおらああああああッ!」
肘のブローバルブを解放。レバーのグリップスイッチを握りしめる。
呼応したオールドディガーは拳を固く閉じ、腰の捩じりも合わせて改めて飛び掛かってきた奴の開いた口に叩きこんだ。
勢いそのまま振り抜けば、遥か遠くの崖から土煙が立ち上がる。
「うわ、ホントにぶん殴ってる……というか、あんな小さいのに当てるなぁ」
今度は呆れたような声が聞こえた気がしたが、今の俺には関係ない。
次々飛び込んでくる奴を払い除けぶん殴り蹴っ飛ばす。
マテリアは頑丈だが所詮は生物だ。暴れ回る大型スチーマンと近づく度にぶっ飛ばされる恐怖は、群れの動きを確実に鈍らせる。
本当に自分たちが狩る側なのか。声が聞ければそんなことを誰かが呟いたに違いない。
最早戦いは潮だった。重たい脚でドカンと地面を鳴らした途端、最も遠くに居た化物がワタワタと逃げ出し、それに引っ張られて全てのマテリアが退き腰となり。
「カアアアアアアアアッ! 一発貰った程度でケツ捲ってんじゃねぇぞゴルァァァァァァアアアア!」
俺の雄叫びで全てが背を向けて走り出した。
当然、傷つけられた分の貸しを殴る蹴るで終わらせては沽券に関わる。
最初に傷をくれた奴はどれだったか。見分けなんてつくはずもないが、脆い崖を登ろうとして逃げ遅れた1匹を容赦なく踏んづけた。
右腕に備えられたスチームパイルから白い蒸気が派手に噴き出す。
「ヒャーッヒャッヒャッヒャッ! お高級な蒸気のプレゼントよォ! めっしあっがれぇィ!」
岩をも叩き割る鋼の杭は、加圧されたハンマーの威力もあってマテリアの硬い外殻を突き破る。
それだけならば、この化物はすぐに傷を治すだろうが、スチームパイルはただの調査用装備ではない。
「ブラストォ!」
蓋の壊れた赤いスイッチをぶっ叩けば、ハンマーように溜め込まれていた蒸気圧が杭の先にあるいくつもの穴から勢いよく噴出する。
最も単純で最も効果があり、命知らずの馬鹿しか使わないと言われる対マテリア用スチームパイル。都市外労働者は山ほど見てきたが、こいつを俺程使いこなしている奴は見たことがない。
高温高圧に内側から焼かれたマテリアは、6本ある足を大きく暴れさせたものの、それすら一瞬。足を畳んで硬直すると、全身をただの鉄であるかのように輝かせて静かになった。
「フー、コイツぁメタルタイプか。晩飯にゃならねぇが臨時収入にはなるな」
興奮で噴き出した汗を軽く拭う。
奴らがどんな構造をしているか知らないが、金属質を外皮とするタイプのマテリアの死骸は、そこらの金属スクラップよりも取引価格が高い。なんでも、金属としての質が高いんだとか。
ともあれ、これで何日か分の蒸気代くらいにはなるはずだと、無駄足感が減った俺が軽く手を打っていれば、後ろからぼそりと声が聞こえた。
「……狂ってるのって見た目だけかと思ってたけど、そういう訳でもないみたいだね」
■
暗がりの中で電気式携帯ランタン兼コンロがジリジリと音を立てる。
「はい、どうぞ」
「おーう」
軽く温めただけの缶詰保存食を受け取って、スプーンで中身をかき込めば、やっぱり何年も前に飽きてしまったままの味がする。
いい加減、もう少し味の種類に凝ってもらいたいものだが、安物だからしょうがない。そもそも、ほとんど役に立たないことで有名な電気式装置で温めるだけ食べられるのだから、俺みたいなのは開発した奴を賞賛すべきなのだろう。
一方、きっと初めて口にしたであろうサテン・キオンはうぇ、あからさまに不味そうな表情を浮かべていた。
「明日もこれ続けんのか? ぜぇんぶ調べて回ろうと思ったら、とんでもねぇ時間かかるぞ」
コツコツ、と缶詰の端をスプーンで叩く。
すると意外にも彼女は、少し考え込んだ。てっきり当たり前じゃない、とでも言われると思っていたのだが。
「うーん、最初はそのつもりだったけど、流石に飽きそうだよね」
「サッパリしたツラして言う事じゃねぇだろ」
「あ、わかる? 文献を調べ直していたら、ちょっと思いついたことがあるんだ」
「ってぇと?」
俺が首を捻れば、サテン・キオンはやけに古そうな本を膝の上に開く。
あの妙に重たい革の鞄、何が入っているのかと思っていたが合点が行った。わざわざオールドディガーから下ろさなくてもいいだろうに、余程大事な代物と見える。
尤も、その大事な物を見せられたとて、俺にできるのは反対側に首を捻りなおすくらいのことで、それを見た彼女は苦笑しながら文字に指を触れた。
「ブラックブリッジ炭田に大学が作られたのは、随分古い時代みたいでね。なんでも、石炭鉱脈が発見された頃から建っていたんだとか」
「ハァ」
「それから随分長い間、目立たない小さな坑内掘り炭鉱しかなかったみたい。亜炭を含めた露天掘りが始まるのは、調査技術の進歩で大規模な石炭層が見つかってようやくって感じだね」
「つまり、今日みたいなバカでかいアリジゴクの周りに、大学があったとは思えねぇってことか」
「そゆこと。だから明日は、古い坑道を探してみよう。コアを隠すにも、廃坑道なんてうってつけだしさ。でしょ?」
自信ありげな笑みと、癖のように向けられた掌に、俺は缶詰の残りを口の中にかきこんだ。
「考えるのは俺の仕事じゃねぇんだ。任せるぜェ」
「決まりだね。それじゃあ聞いておきたいんだけど」
「あぁん?」
水筒の中身で保存食を押し込んで一息。まだ何かあるのかと眉を上げれば、サテン・キオンは何故か周りをキョロキョロ見回してから、はてなと首を傾げた。
「寝床ってどうするの? 普通に寝袋敷いて終わり?」
今更かよ、と出かかったが押し留める。
これだから外を知らない市民様たちは困るのだ。関わる機会はほとんどなかったが、なんでもかんでもある物だと最初から思っていやがる。
「そうしたけりゃそれでもいいぜェ。俺様は繊細だから屋根壁のあるとこで寝るけど」
「もしかして、オールドディガーのコックピットだったり?」
「そっちなら好きに使ってくれていいけどォ?」
顎をゴリゴリ撫でながら意地の悪い言い方を繰り返せば、ふいに彼女の視線が鋭くなった。
ここまでの能天気な変わり者という雰囲気が薄れ、醸し出される切れ味のいいナイフのような気配に、少しだけ鼓動が早くなるのを感じる。
「ふぅん……タダじゃ教えてくれないんだ。もしかして私、狙われちゃってる? ふふっ、困ったなぁ」
その癖、言っていることは普段と大して変わらず、僅かに身構えた身体から一気に力が抜けた。
腹の中に隠しているものがあるんじゃないか。微かに抱いた吸い込まれそうな底知れなさに、喉を鳴らしそうになった気持ちを返してもらいたい。
「その自信はどっから湧いてくんだよ。寝床が欲しけりゃ金払えっつってんの」
空き缶を潰して立ち上がれば、彼女はきょとんとした顔で視線の先を追ってくる。
「オールドディガーの、背負子?」
「怖くねぇならついてきな」