散らばるレンガとテラコッタと屑のような金属材。
俺は他の国には行ったことがないが、少なくともコラシーではどこにでも見られる景色だ。
自分なんかが産まれるよりずっと前までは、こんなに間欠泉から離れた場所にも沢山の人間が暮らしていたらしい。僅かに崩れ残った建物の背は低く、景色もこんなに遠くまで見通せるのだから、あの鋼を積み重ねた都市の下よりはきっと息苦しくなかったことだろう。
「見えて来たぜ、お客さんよォ」
「アレが目印?」
「ああ。聞いた話じゃ、地面を削りとってた機械らしいが」
「成程、露天掘り用の巨大重機って訳だ」
化物のような金属の塊。そいつは何年だったか前に仕事で訪れた時と変わらない姿を、赤茶けた砂埃の中に晒していた。
一体何年、何十年間ここに在るのだろう。スクラッパー共の餌食にならないのは、一種の目印として扱われているからなのだろうが。
ふいに現れた地面の切れ目に、俺はレバーを引いてオールドディガーを停止させる。古ぼけた巨人は息をつくように小さく蒸気を吐いた。
「これが旧コラシー州第二管区、ブラックブリッジ炭田。燃料戦争中に資源が枯渇して閉鎖された廃炭鉱群、ね」
眼下に広がったのは大きく削り取られた大地。それも1つ2つではない。
荒れた土地には植物すら生える事もなく、放棄された設備や車両だけを残して荒野がぽっかりと口を開けている。
大昔は宝の山だったんだろう。だが、以前の調査記録を覚えている俺は、これ以上ないくらいにやる気なく鼻を鳴らした。
「こォんなアリジゴクに置いてあんのか? その完全ナントカコアってのはよォ」
「さぁ、どうだろう?」
「可能性は高いっつったのはてめぇだろうが」
「でも絶対じゃない。だから調べるんだ」
「根拠あんだろうな」
じろりと肩越しに振り返ると、大きな目がパチクリと瞬いた。
しかし、意外そうな表情はすぐさま、人を試すような含みのある笑みへと崩れる。
「ふぅん? 自分の事を馬鹿だって言う割に、そういうの気にするんだ」
「勿体ぶるんじゃねぇ。身ぐるみ剥いでそこらの穴に捨てて帰っちまってもいいんだぜェ?」
「わぁ怖い怖い。じゃあ特別に教えてあげようかな」
自分が言うのもなんだが、心の奥底に微塵すら思っていないであろう言葉が、よくもこう息を吐くようにほざけるものだ。役者を気取るならせめて、セリフに合わせた素振りくらい心がけてもらいたいところである。
「ブラックブリッジは最盛期の頃、コラシー州最大の石炭、亜炭埋蔵量を誇った大規模炭田だったみたいだけど、それだけじゃない。ここには国営大学も置かれていたんだ」
「大学ってぇとあれかァ? なんか偉そうな奴らが集まってるとかいう上層の」
「凄い偏見だね、あながち間違ってもいないけど」
ハッキリ言いきる辺り、どうやらサテン・キオンには縁のある場所なのかもしれない。苦笑いに紛れた雰囲気は複雑そうだったが、それもすぐに消え去った。
「ここの大学は燃料戦争の勃発以前から先端熱技術の研究を行っていたみたいで、現代に繋がる長期安定蓄圧技術理論だとかの技術記録に残ってる。石炭資源の枯渇にも、早い内から警鐘を鳴らしていたらしい」
「あぁー……そんでェ?」
「簡単に言えば、完全蓄熱コアがブラックブリッジ大学で開発された可能性がある、ってことだよ。炭鉱の一部も技術研究用として専有していたみたいだし、試作品を隠すにしても都合がいい」
眠くなりそうな呪文を頑張って噛み砕く。言ってることは半分も理解できないが、その中で俺に必要な情報は何かと。
側頭部に2回程拳をぶつけてから、大きく息を吸って吐いた。
「じゃあその大学の跡地を調査しろ、ってことでいいな。で、そりゃ何処なんだァ?」
「さぁ? 何処だろね」
唇がすぼまった。何なら顔にくっついているパーツというパーツが、全部中央に寄った気さえする。
聞き間違いだと思いたいが、多分そうじゃない。何せ振り返った先にある女は、うん? なんて言って首を傾げる始末なのだから。
「そういう冗談は頭ン中だけにしてくんねーかな? それっぽい場所くらいアンタなら分かんだろ」
「買いかぶりすぎだよ。私、そういう学術機関とか肌が合わなくて嫌いだったから通ってないしさ。ほら、なんか堅苦しい講義とか受けてたら眠くなるじゃない?」
どうやら大学とやらに縁がなかったのは俺だけでないらしい。道理でダウザーでも手を出さないようなギャンブラーな宝探しに大量ベットする訳だ。最早溜息すら出ない。
「……じゃあなんだァ? 結局のところ、このクソだだっ広いアリジゴクだらけを片っ端から探し回れ、ってことかァ?」
「うん。楽しそうでしょ?」
「今日まで生きて来て初めて思ったぜェ。誰かと比べて自分が結構まともだったんだなァ、なんてよォ」
「やぁだ、ふふふっ! そんなに褒められると困っちゃうよ」
頬に手を当てて笑うサテン・キオン。何を勘違いしたのか知らないが、俺の皮肉は随分とお気に召したらしく、タトゥーの入った側頭部を後ろからぺちぺちと叩かれた。
――本気で穴の中に放置して帰ってやろうかナァ。
と、思いつつも真面目に働いてしまう自分が嫌になる。
少なくとも俺はダウザーという仕事に関してだけは、好きではないにせよ一応程度のプライドは持っているのだから。
露天掘り炭鉱の底までオールドディガーを降ろした俺は、機体の前腕に備えられている
「バルブ解放、ハンマー圧力規定値、波形ゼロ点調整――耳塞げよ」
「うん」
「ショック!」
凄まじい打撃音が走り、真っ直ぐ刺さっている杭の周りで地面が微かに粟立つ。
空気の振動はあっという間に霧散して消える。しかし、それから数秒の後、オールドディガーに搭載されたセンサーは、見えない地面の奥をオシロスコープに現した。
緑色をした線の波。記録されたそれをぐるりと回しながら、俺はゴリゴリと顎を撫でる。
「どう?」
「かしこのアンタが直接見た方が早いんじゃねぇの?」
「うーん、せっかくだしアンタとかテメェじゃなくて、サテンって呼んで欲しいな? ほら、照れずにサーテーン」
パンパカと催促するように響く柏手を肩越しに振り返れば、はいどうぞと言わんばかりに両掌をこちらに向けてくる。
既に分かってはいたことだが、この女に話を聞く耳と言うのは存在しないようだ。
「……どうやら、この下には空洞が広がってるナ。こっちの波形は地下水だろーよ」
「無視は酷くない? ねぇ?」
「テメェの仕事だろーがよォ。なァんだって俺の方が真面目にやってんだァ?」
それも泣いてせがむ程の大層な話だったはずなのに、いざ始めてみればこいつの自由さ加減は何なのか。
良いように言えば底が知れない、普通に言えば訳が分からない奴である。金が貰えればそれでいいことは認めるが、せめて邪魔だけはしないで貰いたいものだ。
そう思いつつオシロスコープのつまみをクルクルやっていれば、何故か不服そうな声が後ろから飛んできた。
「君は想像してたよりずっと真面目だよね。見た目ははっちゃけてるのに――もがっ」
小さな頬をガッチリと掴む。全く余計なことをぺちゃくちゃ喋る口である。
喧嘩の相手にもできそうにない女やガキに、見た目以上の威圧を与えるのは美学に反するが、俺の精神衛生上大事となるなら仕方ない。慣れた調子で首を傾けつつ、白目を見せて顔を近づけた。
「次余計な事抜かしやがったら、その底抜けハッピーなお口ミシンがけしちまうぞォ? わかったら返事ィ」
ブンブンブンと勢いよく縦に振られる首。もう少し反応が遅ければ、額をこすりつけていたかもしれないが、分かってくれたならそれでいい。
片手で覆えてしまう程小さな顔を解放し、再びオシロスコープへ向き直る。これで少しは静かになるだろう。
「ぷぁっ……もー、わかったよぉ。冗談が通じないなぁ」
頭の血管が悲鳴を上げたのが分かった。
「だっかっら――こりゃテメェの仕事だろうがァあぁん!? ガタガタ抜かしてねぇでさっさと上がるぞ!」
「なんで?」
両手を広げて威嚇した俺に対し、サテン・キオンはキョトンとした表情を浮かべる。暴力による威圧がなければ、微塵も怖がらない当たり馬鹿にされている気がしてならないが、今俺が腹を立てるべき部分はそこじゃない。
なんでこいつはオシロスコープが教えてくれる地中情報を、ほんの一片たりとも見ていないのか。
「バーカ! こんな所で生き埋めになりたくねぇからに決まってんだろがァ」
「そんなに脆いんだ?」
呑気な声を背に、俺はレバーを引き込んでスチームパイルを地面から引っこ抜く。
デカくて重い相棒にとって、これほど不向きな場所もないだろう。如何に旧式のスチーマンは丈夫に作られていると言っても、地面の大崩落に巻き込まれては堪らないのだ。
それでも来た道を戻れば危険は少ないはず。そう思って機体を反転させたのだが。
「あっ、でもそっちはやめた方がいいかも――」
「あぴゃァんッ!?」
サテン・キオンの声が聞こえたと思った瞬間、機体が大きく沈み込んだ。
ガラガラと地面が崩れ落ちる音。ただ、運は悪くとも最悪ではなかったらしい。
機体は腰辺りまで沈んだが、その辺りで地面の崩落は止まった。どうやらこの空洞に、大型スチーマンが脱出できなくなる程の深さはなく、機体のどこかが破損したという様子も見受けられない。
強いて被害を上げるなら、噛んだ舌がヒリヒリするくらいだろうか。
「言ったのに」
腹立つ、と言いたいが、先に危険を察していた奴相手に噛みつけるはずもない。
無知と不運に泣きそうになったが、天を仰いで息を吸い堪える。
「……次から、もうちょい、早く、頼むぜ。な?」
「はいはい、もぉ注文が多いなぁ――って、あれ?」
「今度は何だよ」
もう帰りたい。そんな思いの中、機体を穴から脱出させて一息。
うっそりと振り返ってみれば、サテン・キオンがモニターの一角を指さした。
「アレ、なんだろう? 獣?」
「あぁん!? おい何処だ!? そりゃあいい晩飯になる――」
保存食とジビエでは、味に天と地ほどの差がある。都市外労働者であるならば、誰もがそう思っていることだろう。
が、細い指を追いかけて視界に映ったそいつ。否、そいつらは身体に対して巨大な鈍色の顎を高らか掲げ、陽の光を反射させているではないか。
「いくらヒュージ君でも、食べるにはちょっと硬そうだね」
「あぁ。歯の丈夫さは頭の次に自信があるんだが、ありゃちょっと無理だナァ」
ヒャッヒャッヒャッ。自分の笑い声がこんなに乾いていると思ったのはいつ振りだろう。
ガチガチと昆虫然とした大顎を鳴らす音に、俺は大きく息を吐く。
正しくは、息継ぎをした、と言った方がいいか。
抜ける圧力の音を皮切りとして、全く獣らしからぬ獣はギィと大きく声を上げ、一斉にこちらを目掛け跳び上がった。その意図はまぁ、俺が理解できる範囲では一つしか考えられない。
「がああああああ、ツイてねぇにも程があんだろォォォォォ!」
この女、実は疫病神なのではないか。
獣に追われる最中、オールドディガーを操る俺の頭には、そんな言葉が過ぎっていた。