俺は自分がまともだと思ったことは無い。生まれてこの方、ただの一度もだ。
それにしたってこの女、サテン・キオンは相当おかしいと思う。
「仕事の話だァ?」
「そう。貴方にしかできない仕事だよ」
などと見ず知らずの俺に、しかも怯えた雰囲気もなく声をかけてくるのだから。これをヤバいと言わずしてなんと言う。
最初はついに俺にも春が来たかと期待したが、既に格納庫の奥にあるソファに腰を下ろしたことを後悔していた。
「キヒヒッ! 俺を選ぶたぁ、ねーちゃんも相当狂ってんな? ん? 今時ダウザー相手に何が目当てだァ?」
「えっ? 君、ダウザーなの?」
この意外そうな顔面を見るのは珍しくない。少なくとも、露出の多いヒラヒラした布の服よりはずっと身近だ。
お陰様で腹も立たない。
「おいおーい、余所者なのは分かってたがそれすら知らねぇで声掛けたのかァ? 賢そうなのはツラだけかよ」
「うん、知らなかったから驚いたよ。想像以上にピッタリだね」
予想の斜め上を行く反応に、俺は高圧蒸気の音を聞きすぎたあまり、耳がおかしくなったのかと思った。
「言葉通じてなかったりするゥ?」
「安心して、ちゃんと通じてるから」
「冗談は通じてねぇみてぇだけどナ」
はてなと首を傾げるサテン・キオン。これだけでも十分面倒臭い。
挙句、何を思ったのか興味深げに俺の顔を覗き込んでくる。
「聞いてもいいかな。なんで貴方がダウザーをしてるのか?」
「あぁん? んなもん金儲けの為に決まってんだろォ? 上手くやりゃあ一生遊んで暮らせるくらいの金が手に入る、これ以上ねぇくらい夢のある仕事だぜェ」
「だけど、この国には貴方しかいない。他の国を見たって、ほとんど残ってない」
含みのある笑顔から突き出された言葉に、臓物をえぐられたような感覚に襲われ、奥歯が鈍く軋む。
「それは、この世界にはもう化石燃料なんて残っていないから。新しい間欠泉なんて見つからないと、誰もが確信してしまったから。でしょ?」
それこそが、ダウザーの全てだった。
世界から失われた燃料か、それとも今の国を支える間欠泉が、まだ世界のどこかに眠っているはず。
文明に名を刻む程の宝を誰が見つけるかと、誰もがレースのように競い合った。しかし、それは栄光の過去に過ぎず、今となっては子どもすら期待なんてしていない。
それでも、俺は。
「ライバルが減っていい具合だぜェ? 仕事には情熱がなくちゃなァ、そうだろ?」
「だから、ピッタリなんだ」
サテン・キオンは何がおかしいのか、ニィと裂けたような口で笑うと、テーブルの上に1枚の紙を静かに置いた。
彼女と紙を見比べながら、頭の痛くなりそうな細かい文字と図画に視線を落とす。
「かんぜん……ねつ? なんだぁこりゃ」
「完全蓄熱コア。誰もが伝説だと思っている、燃料戦争前夜に作られた技術の結晶。私は知識を提供して、君は技術と道具を提供する。コアさえあれば、お金なんて一生じゃ使い切れないくらいでも全然余裕。どう?」
紙に唯一描かれている謎の球体を指した彼女は、腹の奥に眠る野心を口から走らせる。
この時点で分かった。こいつはお清楚で綺麗に着飾ってはいても、その中身は同族だと。
「ヒャーッハッハッハッハ!! ビックリだぜ、俺様よりぶっ飛んだ奴が女に居るなんてなァ!?」
「それじゃあ――」
拳を机に叩きつけ、腹の中から大きく息を吐いた。
「怪我しねぇウチに国へ帰りな」
「えっ?」
いい面だと鼻で笑う。何か腹の底で企んでいそうなさっきより、ただただ素っ頓狂な今の方が好感が持てる。
だがそれだけだ。
「夢のある話は嫌いじゃねぇが、知ってるかァ? 夢で腹ぁ膨れねぇんだぜ?」
掌をくるり回して、依頼人の眉間に人差し指を立てれば、彼女はようやく状況を飲み込めたらしい。キョトンとしていた目を細め、腰に軽く手を当てた。
「失礼だな。ちゃんとした仕事だよ」
「俺様の事を馬鹿だと思うのは構わねぇよ。実際学はねぇからなァ。だが、何百年も前の伝説がどうのこうのとか胡散臭ぇこと言われて、ホイホイついていくほどマヌケに思われてんのはイラつくぜ」
「胡散臭いっていうのは心外だよ。これにはちゃんとした理屈があって――」
何かを語り出そうとした口の前に拳を突き出す。
風圧もしっかり感じたであろう寸止め。しかし、サテン・キオンは一切身を引く事もなく、ただ口を噤んだだけだった。
大した度胸だ。並みの男より度胸があることは認めねばならないが、だからと言って答えが変わる訳ではない。
「ヒヒッ、いいこと教えてやるぜ。人の話はちゃんと聞け? 俺ァな、帰れっつったんだ。オーケー?」
これ以上話すことはないと席を立つ。俺の今すべきことは、今日の稼ぎで安酒を買って寝床に戻って明日に備えるだけだ。
女の隣を通り過ぎる時、どんな顔をしているかは見なかった。下働きの気弱なガキが心配そうな視線を向けていたが、俺には関係がない。
と、思った矢先、鼻を啜る音が鼓膜を揺らした。
「……分かった。君しかいなかったけど、そう言うなら、仕方ない、かな」
慌てて振り返ってみれば、丁度サテン・キオンの顔から一粒の雫が零れ落ちる。
「お、おいおい泣くこたぁねぇだろ」
「あはは、ごめんね? 私浮かれちゃってたんだ、君なら手伝ってくれる。やっと私の目標が達成できるって。今日会ったばかりなのに、そんなこと」
随分呑気なことを抜かしているのはわかる。そうだと分かっていながらも俺は、くしゃくしゃになった顔で無理矢理笑おうとする女に、腹の奥が締め付けられた。
「あの大きなスチーマンを見て、期待しちゃってたんだよ。だけど、迷惑かけちゃった」
彼女の細い指が、革のバッグのバックルを閉じる。
――期待ってなんだ。
それは俺と相棒には、もう二度と向けられることはないと思っていた言葉。
ダウザーは時代遅れのドリーマーで、古臭い大型スチーマンはさっさとスクラップにした方が国の為だと笑われるものだったはず。
「話聞いてくれてありがとう、ヒュージ・ブローデンさん。それじゃあ」
笑って言いやがった。
まるで本当にスッキリしたかのような雰囲気で、ふわりふわりとウルフカットの長髪を揺らし、軽く隣を通り過ぎ去っていく。
現実味がない。夢かも知れない。夢なら放っておいてもよかったが。
「がァァァァ! やめろやめろやーめーろー!! これだから女はよォ!」
気がついたら、ドカンと机を叩き割っていた。
俺は泣く奴が嫌いだ。泣く女と子どもはもっと嫌いだ。それだけで腹の中がモヤモヤしてくる。
その癖、平然と冷めた目を向けてくるのだから質が悪い。
「……まだ何かある?」
「そういう言い方が卑怯だっつってんだヨ! クソッ、とにかく金だ金! 前払いで寄越せ!」
「一生遊んで暮らせる分なんて無理だけど」
「頭良い奴が頭悪い返し方してくんじゃねーよ!! ちょっとでいいから必要経費に色つけて寄越せっつってんだ!」
もう一度、くたびれたソファへ座り直す。体重にバネがギリリと軋みを上げたが関係ない。
大きく大きく息を吐き棄てた俺が顔を上げれば、いつの間にか涙を乾かしたサテン・キオンが、目の前まで迫っていた。それも何故かしたり顔で。
「へぇ、やってくれるんだ? 見かけの割に優しいんだね」
「んな訳ねーだろォ!? タダの気まぐれだッ! ガァタガタ言ってねぇでサッサと契約書寄越せッ!」
差し出された紙切れを勢いよくひったくる。
机が無くなった分、ソファの上で適当に走らせたボールペンの文字はグチャグチャで数か所に穴すら開いたが、無視して突き返した。
俺は俺の為に働く。自分がやりたいようにやる。それだけだと気炎を吐きながら。
「ふふっ、素直じゃないなぁ」
「こ、このアマ……」
「怒らない怒らない。これでも、君の見た目にそぐわない純粋さを褒めてるつもりなんだから」
掴みかかりそうになって、それでも何も掴まないまま握っただけの拳を、彼女は好ましそうに笑っていた。
■
派手に汽笛が鳴り響く。
だが、朗々たる駅員の声が聞こえることはなく、代わりに耳へと届くのは、荷役作業を行う荒々しい男たちの怒声ばかり。
専用の貨車に幌をかけ終え、オマケ程度に乗せられた小屋のようなスペースに身体を押し込んだ俺は、広げられていたメモ帳に視線を落とした。
「領土地図に赤丸3つ……ここにあるってことかァ?」
「絶対じゃないけど、可能性は高いよ。ずっと研究してたことだからね」
革の鞄を網棚へ押し上げていたサテン・キオンは、さも自信ありげにふふんと笑う。
――油断ならねぇ女だぜ。まさかガキに金まで渡してるとはよ。
先日の涙を思い出して頭が痛くなる。単なる偶然の可能性もあるが、正直疑わしくてしょうがない。
何が理由で、そこまで自分に拘るのか。短い付き合いになるだろうから、敢えて機構とは思えなかったが。
「ほーん? ま、オカルトも信じりゃ当たるかもなァ」
「失礼だね。ちゃんと根拠はあるんだから。まず燃料戦争の時代に第二次スミトン共和国で作られたとされているから、当時の世界情勢と共和国内の地理的条件をベースにして――」
「わーったわーった、眠くなるからやめろぃ」
「む……これから面白くなるのに。まぁいいや」
多少不服そうではありつつも、彼女は見慣れない服装に包まれた細身の身体を座席に落として、窓の外に視線を流した。
黒髪の異邦人。何故かはわからないが、その横顔が物憂げに見えた。
「俺様結構、いやかなーり先行きが不安だぜぇ」
暫くコイツと膝詰めかと思うと、憂鬱になりそうなのは俺の方なのだが。