油の臭い、歯車の軋み、蒸気の熱。
プラットホームに降り立って最初に感じる文明の鼓動。自分と同じような旅客こそ少ないが、ハッキリと感じられた。
この都市は、この国の間欠泉はまだ生きている。いつ崩れるとも知らない砂の上に、自らの足で立って。
「悪くないね。うん、悪くない」
長い黒髪を揺らして靴をトントンと鳴らせば、途端に周囲から視線が集まってくる。
途中、乗り継ぎの為に寄った国でもそうだったが、どうにもなだらかな大地に暮らす者達にとって、自分の衣装は奇抜に見えるらしい。
「コラシーへようこそ、旅の方。乗り継ぎですか? 観光ですか?」
「仕事の為だよ。大事な仕事」
歯車の旅券を改札に差し出せば、駅員は微妙な表情を浮かべる。多分、長いこと使っていなかったせいで、部品が錆び付いていたからだろう。
しかし、軋みつつ示された私の身分を目にするや、彼はまたコロリと表情を変えた。
「はい、確かに。今時他所に出向いてのお仕事とは珍しいですな。それも研究職とは」
「ここでしかできないからね。それじゃ」
「あぁお客様! 技術エリアは上層でございますよ!」
「こっちでいいんだ。研究所に用がある訳じゃないからね」
白い手袋を伸ばした駅員に軽く手を振って、私は配管がいくつも走る通路へと足を踏み入れる。
たちまち、空気が変わったのが分かった。黄色く薄暗いランプに照らされたその場所が、美しい駅とはまるで別世界であるかのように。
――むせ返るような臭いだ。悪い物が沢山流れてきているような。
何層にも積み上がった都市の、ほぼほぼ最下層。これより下で綺麗なのは間欠泉を維持管理する施設くらいだろう。
人気のない道を、ぼんやりと光るニキシー管の案内表示に従って、右へ左へと歩くこと暫く。鼻を押さえなくても臭いが分からなくなってきた頃。
視界は唐突に開け、肺を汚染しそうな空気が油と鉄の粉っぽさに取って代わられた。
『おいさっさと案内しろ! いつまで待たせるつもりだ!』
「鉄材回収は南の第3デッキだって何べん言えば分かるんだ! いい加減覚えやがれウスノロが!」
オイル汚れの目立つ作業着を着た作業員が、人の4倍程はあろうかという人型をした機械を相手に、大きなレンチを振り上げる。
それだけではない。似たような機械は大小様々。それもあちこちで出ていったり入ってきたりと動き回っており、噴き出す白い蒸気で天井の高い空間を賑やかに彩っていた。
小さく喉が鳴る
――想像以上だ。スチーマンがこんなにも。
興奮する景色に、私は自然と前へ踏み出していた。どこが歩道かもわからないまま、行き交う作業員の間を自然と縫うように。
大きな天井クレーンがブロー音を響かせて頭上を越えていく。それだけのことでも、心に希望を抱かせるのには十分で。
「二番通路、デカいのが通るぞ! 道開けろ道!」
人いきれの中、ふと耳に入った声に立ち止まる。
なんとなく、それが自分に向けられていた気がしたのだ。
「二番通路――って、わっ!?」
首を捻る間もなく、視界全体が重々しい何かに塞がれ、金属の打撃音に耳がキーンとなった。
それも治らない内から、狂ったような声が頭上から降ってくる。
『ヒャーッハァ! どけどけぇカス共ォ! オールドディガー様のお帰りだァ!』
程なく視界は元通り。けれど、そのあまりに重く大きい鋼の塊に、私は目を奪われていた。
「バッカ野郎! 何を通路上でボーっとしてんだ! 潰されてぇのか!?」
駆け寄ってくるヘルメット姿の誘導員に、私はようやく金縛りが解けたらしい。怒鳴ってくれなければ、きっと動けなかったから。
けれど、それでもなお頭はクラクラしていて、一瞬で乾いた口は中々言葉が出てこなくて。
「……お」
「お?」
大きく息を吸い込む。
「大当たりだぁ! 予想してた以上! 幸先いいなぁ私! ね? ね?」
見上げる程高い天井なのに、そのスレスレまであろうかというスチーマン。赤茶けた見た目にも古臭いそれは、果たして動かすのにどれほどの蒸気を必要とするのか想像もつかない。
ただ、これまでに目にしたものとは明らかに異なる力強さは、私の頭を揺さぶるのに十分すぎた。
そうだ、私は何も間違っていなかった。ここへ来て、やっとやっと目的に近付ける。
咄嗟に誰とも知らぬ作業員の手を取って、ブンブンと勢いよく振り回せば、彼は理解の及ばぬ状況に目を白黒させていた。
「おぉぉお? そりゃ何より……じゃなくて!」
「おじさん! アレの持ち主知ってる!? 仕事って受けてるかな!? 何処に行けば会えるかなぁ!?」
ぐっと顔を寄せた私に、おじさんは半身引いたかと思えば、ついに何かを諦めたようにため息をつくと、後ろ手に親指を突き立てた。
「仕事のことなら管理所で受け付けてる……が、知らねぇなら悪いこたぁ言わん。依頼するにしても別の奴を当たった方が――」
「あそこだね! ありがと!」
「っておいおいおぉい!? ぜんっぜん話聞かねぇな!? 忠告はしたぞぉ!」
何か言われていた気がしたが、私にはよくわからない。気付いた時には勝手に足が動いて、その管理所とやらに飛び込んでいたのだ。
無論、それだけで収まるはずもない。カウンターまでドンドコ歩み寄り、勢いよく両手をついた。
「仕事の話がしたいんだ! あの大型スチーマンに乗ってる人と!」
「え、ええと……大形スチーマンを所有されておられるということは、ヒュージ・ブローデンさんでしょうか?」
「へぇ、ヒュージ・ブローデンって言うんだ。どこに行けば会える?」
「今なら駐機エリアに居られるかと。そちらの階段を上がってください」
「ありがと!」
改めて荷物を引っつかんで管理所を出ると、言われた通り金属製の階段を1段飛ばして駆け上がる。
比較的大柄なスチーマンのコックピット部分と、高さを合わせるためのステージなのだろう。パイロットらしき人影がちらほら見えはじめた所で、私は荷物を運んでいた少年に声をかけた。
「ねぇそこの君」
「は、はい! なんでしょうか?」
「ヒュージ・ブローデンっていう人を探してるんだけど、ここに居る?」
問いながら、小さな彼の手に素早くチップを握らせる。これが一番早いし確実だ。
「えっ? ひゅ、ヒュージさんですか? えぇと……」
何やら肩をすぼめる少年。なんとなく怯えているような雰囲気に、自分はそんなに威圧的だろうかと首を捻ったところ。
「キャオラァァァァァ!」
ステージを揺らさんばかりの叫び声が轟いたかと思えば、少し離れた金属製の手すりに人間が飛んできた。
それも1人ではない。3人纏めてだ。
「ぐへ……っ!?」
「や、野郎……時代遅れの、ダウザー風情が……」
まるで化け物を見るかのような目をした男たち。その視線を追いかけてみれば、影の中からそいつは現れた。
「どーしたどーしたぁ? 新時代のスクラッパー様達とやらは、こぉんな時代遅れの野良犬一匹に手も足も出ねぇのかァ?」
狂ったように舌を出して、広げた指をパキパキ鳴らしながら、凶悪な笑みを浮かべる大柄な男。それだけでも十分近付き難いのに、頭は周り一切を刈り上げた金髪のショートモヒカンで、側面には薔薇のタトゥーが入っており、鋲打ちのレザーベストにレザーパンツという、アウトローな特徴を煮詰めたような見た目をしているではないか。
そんな奴を相手に、先程ぶっ飛ばされたであろう男の1人はまだ果敢にも立ち上がる。
「言わせておけば――ごはっ!?」
私が瞬きをする間に、その顔面には大きな拳がめり込んでいたが。
「ヒャヒャヒャ! 聞きたくねぇってんなら、その耳を溶接してやってもいいんだぜェ? 俺様ちょーっと不器用ちゃんだから、別の場所をくっつけちゃうかもだ、け、ど?」
もはや声など聞こえていないであろう相手を見下しながら、わざとらしく腰をくねらせるアウトロー。
これは流石に関わるべきでは無い。そう思った矢先、隣からツンツンと袖を引かれた。
「あの方ですよ」
「へ?」
「あの方がこの国に残った最後のダウザー、ヒュージ・ブローデンさんです」