その男は、ある目的のためにタイムマシンを開発した。
男は中学生の頃、帰宅途中に交通事故に遭い、重度の記憶喪失になった。
「先生、お金ならいくらでも出します!ですからどうか!!」男の父親は医者に懇願した。
「そう言われましても…記憶喪失というのは、現代の医学でも完治する事が難しいのです…。お気の毒ですが、これ以上は何も…」そう言って医者は匙を投げ、男の父と母はひどく悲しんだ。男自身も、自分が一体誰なのか、一体どんな人生を送っていたのかが分からず苦しかった。唯一分かった事と言えば、自分が財閥の息子であるという事だけだった。
退院して通学が可能となった男は、学校中の生徒と教師に自分はどんな人間だったかを聞いて周った。だが、生徒達は誰も男の問いに応えてはくれなかった。教師達は男を、「とても良い子だった」と言った。かなりの優等生だったようだ。
どうしても自分の過去が知りたかった男は、自分で記憶を取り戻そうと考えた。男は市立の図書館へと赴き、脳科学についての書物やインターネットの情報を集めて調べたが、何も得る事が出来ず、記憶を失ったまま歳月が流れていった。
だが、男が高校生になったある日の事、ネットである記事を目にした。それは、失った記憶を蘇らせるマウス実験についての記事であった。マウスの脳の神経細胞を薬剤で活発化させ、海馬に特殊光線を当てて記憶を復活させる事に成功した事が記されていた。
『これだ!』
男は両親と共に実験を行った大学教授の元へ赴いた。男は自分の記憶を蘇らせてほしいと、教授に頼んだ。初めは人体実験をまだ行う事はできないと教授は拒否したが、父親は条件として、今後の研究に必要な資金を高額寄付すると約束した。男と両親の必死の説得により、教授はようやく首を縦に振った。
男は実験室へと案内された。そこには、酸素カプセルを縦置きにしたような円柱型の装置があった。
「ではまず、上着を全部脱いで入ってください」
男は言われたとおりに上半身裸になり、装置内にある幅30㎝ほどの円柱台に座った。
「では、これから薬剤を注入します。リラックスしてください…」
教授は男の腕に、神経細胞を活発化させる薬を注射した。微かな痺れと同時に、薬が徐々に身体中を巡って脳まで浸透していくのを感じながら、男はそっと目を閉じた。
教授は装置の扉を閉めると、装置内の頭上のレンズから特殊光線を照射した。
光に反射してゆらゆらと揺らめく水のように、男の脳内に斑な景色が表れ始めた。それから数秒が経つと、男の過去の記憶が映像となってくっきりと映し出されていった。実験は成功したのだ。
両親と遊ぶ幼い自分、幼稚園や小学校の思い出…幼少期からの男の記憶が走馬灯のように流れていく…。
ようやく中学生の時代にまで差し掛かった時、男の前に一人の少女の姿が現れた。とても美しく可憐な少女だった。彼女は一体誰なのか…自分とはどういう関係だったのか…男は蘇ってきた記憶をさらに巡った。だが、記憶が蘇っていく事に、隠されていた恐ろしい過去が徐々に顕在化し始めた。
男が見た少女は、自殺したのである。原因はある残酷な出来事がキッカケだった。
少女はある少年に執拗に言い寄られていた。その少年は、男もよく知っている人物で、普段は教師達から好かれる優等生を繕っていたが、その裏では自分より弱い立場の人間を蔑み、悪質な虐めを行っていた邪智暴虐な人間だった。そんな彼の正体を知っていた少女は、少年の誘いを拒み続けた。怒った少年は悪友たちと一緒に一人帰宅する少女を待ち伏せし、学校近くの人気のない神社の境内へと連れ込み、彼女をレイプしたのだ。
翌日、少女が自宅の部屋で手首を切って亡くなったと、担任の教師がホームルームで報告した…。
その日の帰り道に男は事故に遭い、記憶を失ったのだった。
「なんてことだ…」
薬が切れて我に返った男は、あまりにも惨たらしい真実に驚愕した。
男は記憶が戻った事を話すと、両親はとても喜んだ。だが、男は少女の事は一切口にしなかった。
それから2年後、男は科学大学の機械工学科に入学し、あるマシンの完成に勤しんだ。それがタイムマシンである。
それは電車に乗っている時の事だった。小学生が読んでいた児童漫画に描かれていたタイムマシンの絵が偶々目に入り、男は思った。
『そうだ…タイムマシンを作れば、少女を助けることができるのではないだろうか?』
男は大学入学後、タイムマシンについての文献を探そうと、大学の図書館や市立図書館を探し回った。そして男は、タイムマシンの研究論文が掲載された科学雑誌を見つけた。
男は雑誌を手にし、友人を集めてタイムマシン製作の協力を求めた。
「実に馬鹿げている!」物理学専攻の友人が男に言い放った。「君は本気でタイムマシンなんて作ろうと思ってるのか?」
「本気だ」
「教授たちが聞いたら大笑いだな」
「その通り。まるでSF小説か漫画だと、鼻から相手にされなかったよ」
「当然さ」物理学の友人は冷たく返した。「確かに相対性理論に従えば、タイムトラベルは決して不可能ではないと言われている。けどそれは未来に行く場合の話であって、過去へ戻るなんて事は不可能なんだ!」
「過去に行く方法はある」
男は科学雑誌の研究論文を友人たちに見せた。そこにはアインシュタインとローゼンが1936年に発表した、時空の歪みによって現地点から別の時間帯へと移動できる抜け道『アインシュタインーローゼン橋』、即ちワームホールについての詳細が事細かに書かれていた。
「このワームホールを発生させれば過去へ行けるはずだ」
「そんなものどうやって作るんだ?」
「渦を利用するんだ。大学の飛び込みプールに激しい渦を発生させて、そこにタイムトラベルに要するだけの高圧電流を流せば、ワームホールを作り出す事が出来るかもしれない」
「無茶苦茶な!だいいちその費用はどうする気だ?俺たちはまだ学生だぞ?」
「俺は財閥の息子だ。それはこっちでなんとかする。どうだ皆、騙されたと思ってやってみないか?それにもしこれが成功すれば、俺たちは忽ちに世間の注目を浴びるだろうさ。誰も成しえなかった快挙を遂げるんだからな。そうなれば日本…いや、世界中の科学者たちから称賛されるんだ!どうだい?やってみるかい?」
男の熱意に負け、友人たちは彼に協力する事にした。物理学の友人も、馬鹿馬鹿しいとは思いつつも承諾した。
こうして、男たちの無謀な時間旅行の計画がスタートしたのだった。
男は飛び込みプールに渦を作り出すのに、マグネットスターラー(容器に入れた攪拌子を磁力で回転し、渦を発生させる装置)を応用した大型電磁気渦発生装置と、特殊金属による直径1.5mの球体型の乗り物を考案した。
製作に必要な材料を調達した男たちは、タイムマシン製作に取り掛かった。男の的確な指示のもと、マシンは作られていった。しかし、それには多大な時間と労力が必要とされた。それでも友人たちは、それぞれの研究・試験勉強・就職活動等を両立しながら開発に携わった。
製作開始から丸3年、大学卒業間近となった日に、ついにタイムマシンは完成した。
「やったぞ…ついにできた!さっそくテストしてみよう!」
男たちは休日に貸し切った飛び込みプールの底に電磁気渦発生装置を設置し、男は球体に乗り込んだ。
「いいか?ワームホールのトンネルは5分しか持たない。それまでに過去に行った証拠の写真を撮って来てくれ。いいな?」
物理学の友人は、男にスマホを渡した。
「わかった。それじゃ行ってくる」
男は球体内に設備されたヘルメットを装着した。ヘルメットには、男が頭に思い浮かべた移動場所を特定するAIが内蔵されていた。男はまず到達点のプール(去年の飛び込みプール)を思い浮かべてAIにインプットさせると、現在の時間帯と過去の時間帯の表示を確認し、移動する年月日と時間をタブレットに入力した。準備完了の合図を送ると、友人たちは電磁気渦発生装置を作動させた。強力な磁場で2mの攪拌子が高速回転して大きな渦を作り、回転と同時に高圧電流が水の中を駆け巡った。球体は徐々に波に流されて行き、渦の中心に飲み込まれた。友人たちはノートパソコンのレーダーから球体を表した光点が渦から消えたのを確認した。
「やったぞ!成功だ!」
「いや待て、問題はこの後だ。あいつが無事に戻って来れるかどうか…」物理学の友人がそう言うと、全員固唾を飲んで男の帰りを待った。
出発から5分が経過した。友人たちはレーダーを確認すると、渦の中から再びマシンの反応が現れた。友人たちは撹拌子を逆回転させて渦を打ち消し、装置のスイッチを切った。
男の乗った球体は水面に浮上し、友人たちのいるプールサイドまで推進した。
男は球体から出ると、友人たちに過去で撮ってきた写真を見せた。
「これは、まだ建設途中の新校舎だ!」
「実験は大成功だ!!」
男たちは大喜びした。
「さっそく教授に報告しよう!」と物理学の友人が言うと、男は止めた。
「待ってくれ。その前にやらなきゃならない事があるんだ」
「え?やらなきゃならない事ってなんだよ」
「終わってから話すよ。もう一度装置を動かしてくれ」そう言うと男は再び球体に乗り込んだ。
「お、おい待ってくれよ!どういうことだい?」
「頼むよ。行かせてくれ…」男は友人たちに懇願した。
「わ…分かったよ…」
友人たちは疑問に思いつつも、男の言うとおりに装置を作動させた。I
男はヘルメットをかぶり、少女が被害を受けた学校近くの神社を思い浮かべた。そして、少女が被害を受ける2分前に時間をセットし、渦の中へと入っていった。
だが、ここで予期せぬ事態が起こった。タイムマシンのAIに突如エラーが生じてしまったのだ。ワームホールによるタイムトラベルは、膨大な電磁エネルギーを発生させる。過去に遡れば遡るほど、時空の歪みは大きく広がり、電磁エネルギーも増大する。そのために機械がエネルギーに耐えられなくなってしまったのだ。警報音はけたたましく鳴り響き、球体は雷雲の中の飛んでいる飛行機と同じような状態に陥った。異常事態に気付いた友人たちは球体を元の時代に戻そうとするが、時すでに遅く、球体はタイムスリップしてしまった。
球体から外に出ると、そこはあの中学校近くの神社だった。しかしタブレットを確認すると、少女の死の翌日となっていた。AIのエラーによって時間設定がずれてしまったのだ。男は急いで故障した機械を直そうとしたが、完全に故障して動かなくなり、トンネルも閉じてしまった。男は過去に閉じ込められたのだ。
「そ…そんな…!せっかくここまでやって来たっていうのに…畜生めぇ!!」
絶望に打ちひしがれていると、神社の鳥居の前を通る人影が男の目に入った。それは、少女を死に追いやったあの少年だった。だが、少年はまるで何事も無かったかのように澄ました顔をしていた。男はそんな少年に激しい憤りを感じ、後を追いかけた。
そして男は、前方から走って来る車を見計らい、少年を後ろから道路に押し出した。
『お前には消えてもらうよ』
自分の罪を消し去るために…。