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第8話 時間と終点は要確認

 いつも駅に入ると、まるで機械の歯車に組み込まれたような感覚に襲われる。

 構内は当然ながら無駄なスペースが一切ない。全てが機能に従って配置されている、人が流れるための空間だ。この場所で何かを楽しむとか、感じるとか、そんなことを求める者は極少数で、大半の人間にとって、駅はただ通り過ぎるための場所。それ以上でも、それ以下でもない。

 エスカレーターに次々と乗って運ばれている間、妙に気まずいのは僕だけではないだろう。自動改札なんて、毎日パカパカと口を開け閉めして人間を次々に飲み込んだり吐いたりしている。いや、人間自ら飲み吐きされに行ってるので、まるで巧妙に設計された自動ベルトコンベアだ。

 改札を通る時、いちいち「ピッ」という音がなるけど、あれはきっと「次の作業に進め」とでも言っているに違いない。そうして誰もがカードを機械的な動作でかざし、毎日同じことを繰り返す。

 電車がホームに入ってくる音、ドアが開く音、出て行く人、乗り込んでくる人。

 ほとんどの人間が無言で動き、それぞれの今日という日を始めたり、終わらせたりする。

 それが僕のイメージする駅という異界。つまらなくて、不気味で、苦手な場所だ。

 そんな僕が今、駅のホームに立っている。しかも若干嬉しい気持ちが湧き起こっている。

 理由は単純にして明白。なんと神様と遠出をすることになったからだ!

「休日は混みやすいって聞いていたけど。平日でも結構、人は集まるんだね」

「平日でも、今は夏休みだからな。家族旅行とかする連中もいるだろうし、やっぱり混むよなぁ」

 周囲には家族連れやら学生集団やらが沢山いる。仲睦まじそうに笑い合い、言葉を交わし、まるで楽しくならない可能性を微塵も考慮していない無邪気な顔が幾つも視界に入ってくる。もし自分が普通の人間だったら、あんな風になれていたのだろうか?

「透、周りの人が気になるの? それとも……羨ましい?」

「羨ましくないって言ったら嘘になるけど、今更でしょ。それに僕が僕であったからこそ、こうして神様にも出会えたわけだし」

「おや、嬉しいことを言ってくれるんだね。安心したよ。もし他の人に目移りでもしていたのなら、またお仕置きしちゃうところだった」

 神様が僕の腕に絡みつき、小悪魔のような笑みを浮かべる。この人は場所を問わずに有言実行する怪物さんだ。お仕置きといったら、たとえ火の中であろうと水の中であろうと死にかけていようと、問答無用でお仕置きするのである。怖や怖や。

「い、いやー、それにしても神様と旅行だなんて、う、嬉しいなー」

「ふふ、私も同じ気持ちだよ。誰かと一緒に出掛けるなんて思ってもみなかった。それも一泊二日だなんて」

 神様との旅行先はK県。特段、前から行ってみたかったわけではない。

 先日、ある少年から旅館の割引券を貰ったので、それを消費するついでに軽く散策でもしようということになったのだ。

「場所はちゃんと把握しているの?」

「大丈夫だ。ご丁寧にも割引券に書いてある……っと、来たぜ。新幹線だ」

 ホームに響くアナウンスに遅れて、新幹線が到着する。降車する人々を見送り、新幹線に目をキラキラさせている神様の腕を引っ張って乗車する。

 車内に足を踏み入れると、そこにあるのはいつもの空気。人がぎっしり詰まっているのに、誰もお互いに関わりたくないという雰囲気が漂っていた。全員スマホを握りしめて、自分の世界に閉じこもってる。この空気を息苦しく感じてしまうのは、僕だけだろうか?

「透、あの席が空いているよ。座ろっか」

 神様が指で示した先は、4Dと4Eの席だった。二席しかも隣同士とはなんたる偶然。息苦しさもあるし、一刻も早く座るとしよう。

 そう思った矢先だった。

「あ! 空いてる、空いてる! ラッキー!」

「うちらマジでついてね!?」

 二十代後半のギャルギャルしい女性二人組が、流れるように空席を確保したのだ。

 僕みたいに空席を見つけて一々感動するような隙だらけな間抜けに、電車世界は甘くないのである。

「悪い神様。早く動けばよかった……」

「先に取ったもん勝ちなんでしょう? なら仕方がないよ。他の席を探そう…………いやぁ、残念だなぁ」

 そう言う神様の口調はなんだか明るかった。初めての新幹線にはしゃいでいるのだろうか。

 なんにせよ席を探さねば。目的地まで数時間ある。その間、ずっと立ちっぱなしなんて御免だ。

 ……が。そう簡単に隣席同士で空いている席なんて見つかるわけもなく。

 僕と神様は、別々に空いている席へ座ることになった。



「…………暇だ」

 席に座り、付属の雑誌を手に取ったり、スマホゲーをプレイして過ごすこと三十分。座っていることに飽きてしまった。

「…………怪物も見当たらないし。今日って、かなりレアな日では?」

 どんな状況でも一人になれば、ほぼ確実に怪物と遭遇している僕だけど、見渡す限り映り込むのは乗客だけだ。他の車両は知らないけど、少なくとも今いる車両に怪物の類はいない。あ、神様を除いてね。

「…………」

 スマホの時計は午後一時。目的地までは約三時間。新幹線とか電車とか、長時間座っている時の暇潰しって難しい。ノートPCで作業したり、スマホに沼ったり、友人と会話するなりして時間を過ごすのだろうが、どれも僕には欠けているものだ。人前で作業なんて器用な真似はできないし、沼るほど大好きなゲームもないし、神様は遠くの席にいっちゃったし。

 コミュ力が化け物の人間なら、そこらで出会った人と会話を仕掛けたりするのも容易いのだろう。僕も初対面の人間に話しかけることは苦じゃないけど、それは無関心あっての、投げやり行為に近い。だからむしろ話しかけた後が辛くなる。だって興味がないからね。

 それに、どのみち話し相手はいない。隣に座っている人は女性だけど、がっつり気持ち良さげに寝ているのだ。

 自分のために相手の幸せな時間を壊すような真似は極力避けたい。

「…………そうだよな。電車に乗ってやることと言ったら、これだよな」

 何もしたいことがなく、何もするべきことがなく、会話も必要でない人間が思い浮かぶのはただ一つ。

 僕は隣人と同じく、電車の揺れに身を預け、深い眠りにつくのだった。



『まもなく、――です。――線、――線、――線、――線と――線、地下鉄線はお乗り換えです。今日も、新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございました。――を出ますと、次は終点きさらぎに停まります』

「――透。透。なにしてるんだい、早く起きなきゃ」

 駅到着前のアナウンスに混じって耳に入ってきたのは、神様の呼ぶ声だった。やけに重い瞼を開けて、眠気を燻らせつつ挨拶する。

「あ、おはよう神様」

「もう、呑気だなぁ。もうすぐ目的地の駅に到着するから、降りる準備しないと。ほら早く早く〜」

「ん、もうそんな時間経ったのか? 体感じゃ、そんなに寝た気はしないんだけどな……」

 ふとスマホを起動し、時計を確認。そして僕は硬直した。

「…………零時二十分…………?」

 スマホの故障だろうか。起床前と起床後での時間的格差があまりにも大きすぎる。

 急いで席を立ち上がり、周りを見渡す。驚いたことに、乗客は一人も見当たらない。

「え、あれ、神様。これ新手のドッキリ? それとも僕が寝過ごした?」

「うーん。どっちも違うけど、意味合い的には前者が近いのかな?」

 汗ダラダラな僕とは正反対に、神様は落ち着いた様子だ。

 人差し指を顎に当てて首を傾げるとか、今する仕草じゃないでしょうが。

「えっ、これヤバくないか。回送電車? いや車掌さんが気付くんじゃ……いや、気付かなかったからこうなってるのか? 旅館のチェックイン時間過ぎてるし」

「どうする? 次の駅で一旦降りる? それとも車掌さんへ確認しに行く?」

「降りたほうが早い」

 そっかぁ、と。今度は心底から残念そうな声を漏らした神様。

「君は本当に憎たらしいよ。この悪運の持ち主め」

 なんでか脇腹を小突かれた。まぁ神様の理解できない言動は今に始まったことじゃないので、僕はさっさと座席通路に出る。

 そうして降車口を目指して進んでいく最中、第二の硬直に襲われた。

 止まった場所は4A・4B・4C・4D・4Eが並ぶ席だ。どうして止まったかというと、この五席にまだ乗客が座っていたからだ。

 それも全員がぐっすりと眠っている状態とか、どんなミラクルだっての。

「おい、あんた達も起きろ。もう終点前だぞ」

 肩を揺らしてみるも反応なし。静かな息遣いが徐々に小さくなっている気がするのは、僕の勘違いだろう。

「無駄だよ透。彼等の目的地は終点だ」

 神様が冷たく断言する。ただ終点まで就寝しているはずの人間に対して、余命宣告をするかのような真面目な声音だ。

「……いや、なんで神様がこの人達の目的地を知ってるんだよ」

「だって、この席に座っちゃったんだもの」

「???」

『まもなく――に到着いたします。――でお降りのお客様は、お忘れ物のないようご注意ください――――』

 駅到着のアナウンスが流れてきた。構っている時間はない。僕は神様を連れて客席自動ドアを抜ける。

 降車口近くに立った頃、新幹線の速度が遅くなり停車。降車口が開き、外の世界への道ができた。

『本日も――をご利用いただき、ありがとうございました。それでは、さようなら』



 無事に新幹線から降りた僕は、第三の硬直に苛まれた。

 というのも、零時二十分過ぎの駅構内は、深夜とは思えないくらい多くの人で行き交っているのだ。

「……は? え?」

 わけがわからない。よっぽど間抜けな面をしているのか、僕を見る神様は面白そうに笑っている。

 周りの人からも痛い視線が集まってきて、さらに困惑してしまう。

 咄嗟にスマホ画面を確認する。表示されていた時刻は、午後四時四十五分だった。

「……なぁ神様。僕が電車の中で起きた時の時間って分かる?」

「アナウンスが鳴った時だったから、だいたい午後四時四十分くらいかな」

「……おかしいな。その時の僕の携帯時刻には、翌日の零時二十分って表示されてたんだけど」

 理解不能。クエスチョンマークが僕を支配する。

「機械の故障か? いや、そんなピンポイントで壊れるかよ」

「原因として挙げられるとしたら、異界かもしれないね」

「異界って、別世界的なアレか?」

「そう。正確には怪物が住む場所かな。前に話した、領域と境界線については覚えてる?」

「人間の家が現世とは別の一個の世界で、玄関口が境界線ってやつだろ?」

 怪物は現世の生き物ではないから、現世における当たり前が実行できない。だから玄関を跨ぐなんて簡単な動作すら怪物には許されないので、おいそれと家の中に侵入できないという話だ。

「怪物は家や建物の中に条件なしでは入れない。では、そもそも彼等はどうやって現世に入り込んだと思う?」

 ……言われてみれば確かに。家に侵入以前に、現世という巨大な世界に、一体どうやって入るのか。

「世界にはね、いろんな場所に穴があるんだよ」

「……穴?」

「そう。異界に繋がる穴だ。大きさは場所によって別々だけど、決まって『人の負の感情が溜まっている場所』にできるんだ」

「なんだそれ。人間の感情が異界への穴を作るってのか?」

 嘘だー、と軽く笑ってみたところ。返ってきたのは神様の薄ら笑みだった。

「君達が思っている以上に、人間という生き物は恐ろしいんだよ。言葉一つで他者の人生を歪めてしまうように、感情もまた力を持っている。怒りのあまり衝動的に誰かを殺してしまったり、悲しみのあまり自ら命を絶ってしまったり、喜びのあまり欲望に染まっていく。それが間違っていることだと理解していても、そう考えていたとしても、感情によって塗り替えられてしまう。言葉と感情は人間が持つ未知のエネルギーだ。そして感情は、言葉同様に歪める力を持っているけど、言葉と違うのは常に対外へと漏れ出ている点だ」

「漏れ出てるって、漫画の強キャラが纏うオーラみたいな?」

「まぁそんな感じ。ほら、見た目は普通なのに、なんか近寄り難い人っているだろう? あれはその人から他者を拒むような、他者から拒まれるような感情が漏れ出ているからだ。勿論、単に顔や印象が原因ってこともあるけどね」

 なるほど。見た目の印象も悪くて、尚且つ他人と関わりたくない気持ちを抱いている僕は強キャラというわけか。ぼっち最強!

「人間の感情で、特に負の属性は中々消えない性質を持っている。幸せは一瞬でも、恨み辛みって時には一生消えないだろう? そういった感情が溜まった場所にできるのが異界へと続く穴というわけだ」

「その穴とやらはなんとなく分かった。でも、なんで新幹線に乗ってる時に? あの新幹線に穴があったってのか?」 

「新幹線ではなく、線路に穴があったんだろう。電車って人身事故とか起きるだろう? 事故現場には負の感情が溜まりやすいからね」

 つまり新幹線が穴に接触し、異界に干渉してしまったということか。

「怪物が君達の世界に迷い込むように、人間もまた怪物達の世界に迷い込むことだってある。だからといって、穴に接触したら誰もが異界に迷い込むわけじゃない。異界に引き摺り込まれやすい人は、総じて感覚のズレに敏感な人ばかりだ」

「感覚のズレ?」

「外の時間と自分が体感した時間に違和感を抱くと、自分のいる世界に対して認識がブレるんだ。たとえば三十分だけ休憩したはずなのに、十分しか時間が経っていない。さっきまで起きていたはずなのに、いつの間にか眠っていた。そんなズレを持った状態で穴に接触すると異界に入ってしまうんだ」

「……ん? いやそれだと変じゃね? 僕、目が覚めてから時間のズレを把握したんだぞ? 前提が合わなくね?」

「怪物と関わりの深い人間が、まともな感覚を持っているとでも?」

 神様に呆れられ、僕は頭を掻く。そうでした。僕の感覚はとっくにズレまくっているのでした。

「ねぇ、そろそろ歩こう。いつまでも立ってたら疲れちゃうよ」

 駅のホームには次の電車を待つ人達が並び始めている。このままでは邪魔になるので、僕は神様と一緒に改札口を目指す。

 折角、新幹線の異界へ迷い込まずに済んだのだ。駅という異界も、さっさと出ていくに限る。

「あっ、そういえば。僕の他にいた、あの寝てた乗客はどうなったんだ?」

「4の列に座っていた人達のこと? そりゃ異界直行でしょ」

「いや、そんな当たり前みたいに言われても」

「その話はまた今度! 今は旅館へゴーゴー!」

 神様のお腹がぐぅと鳴った。このまま空腹を我慢させたら適当に人間をつまみ食いしかねないので仕方ない。

 だけど、どうしても確認しなくてはならないことがある。 

「最後に一つだけ。僕があのまま降りずに残っていたら、どうなってた?」

「旅行先が異界に変わるだけかな。私としては食べ放題ツアーみたいなものだから、是非とも足を運びたいところだったけど。それはまたの機会に期待しようかな」

 そんな機会、二度と訪れさせてたまるものか。全力で阻止せねば。神様のことだから、僕を餌にして怪物を誘き寄せさせるに違いない。

 僕は誓う。

 一人では決して遠出をしないことを。

 するとしても、必ず神様を同伴させることを。

 そしてたとえ空席でも、4が絡む座席には座らないということを。

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