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第5話 安易に振り返ってはいけない

 人を見た目で判断してはいけない、なんてことは無理な話だと常々思う。人間は頭よりも視覚で物事を判断する生き物だ。たとえどれだけ心が清らかだとしても、強面ってだけで悪党だのヤクザだのと思い込み、勝手に警戒して勝手に訝しむ。

 現に夜道を歩いていた僕は、警察官に声をかけられてしまった。まぁ仕方ないよね。僕の短い髪は白くて、瞳なんて赤色だ。加えて犯罪者に負けないくらい目つきが悪いのだから、警察官がナンパしたくなるのも当然だろう。とはいえ、

「おう、久しぶりだな。相変わらず女のくせに洒落っ気がねぇなぁ」

 なんて、さも知り合いのような距離感で話しかけるのは職務的によろしくないのではなかろうか。まぁ僕が気にすることでもないけど。

 とりあえず今は両手を上げておくとしよう。

「あの、何もしてません。僕は無実です」

「はぁ? 急にどうしたよ。透は時々よくわからねぇ言動をするよな」

「……僕の名前、知ってるんですね」

「あったりまえだろ。前に化け物退治で世話になった……って、もしかしてお前、俺を忘れたのか? 忘れたのか!?」

 警察官の顔をじっと見る。三十代後半の中年男性で、少し色黒で、日焼けしたサーファーみたいなイケメン具合。ぴこん、と僕の頭の上で電球が光った。

「あっ……なんだ、米倉さんか。また一段と日焼けしたね」

「特に変わってねぇっつーの! 透は人の顔と名前を忘れすぎだろ! そんなんじゃ社会に出た時に苦労するぞ!」

 腕を組んでプンプン怒る米倉警官。彼はお人好しだから僕を心配しての指摘なのだろうけど、人間には興味がないのでその要望には応えられない。と、それはさておき。

「僕に何か用? これからチョコプリンを買いに行かなきゃならないんだけど」

「そう急ぐなって。ちょっとした聞き込みだからすぐ終わる――――最近、この辺で変な男を見なかったか?」

 そう言って米倉さんは神妙な面持ちで語り始める。

 近隣地域で謎の衰弱死が起きていること。

 被害者達は全員この道を通っていること。

 夜に通った時、背後に気配を感じたこと。

「……えーと、つまり? 夜道でストーカーに狙われて、精神が病んで何も食えなくなったってこと?」

「警察ではそのように推測されているが……ストーカーされただけで飲まず食わずになるものか?」

「トラウマとかあれば、そうなっても変じゃないと思うけど」

 人間は意外と精神に左右されやすい。行動や思考は、その時々の精神状態で大きく変化する。命を絶つことだってあるのだ。衰弱死を選んでも不思議なことじゃない。

「でもな透。生前に被害者達は言っていたんだ。『肩が重い。声がする。怖い、臭い、痛い』ってな。それも全員とくりゃ、偶然とは呼べねぇ」

「怪物が関係してるって言いたいのか?」

「無論、精神病って線も捨てきれない。ストーカーがいるかもしれねぇから、この道だって巡回してる。けどよ、世の中には知られてないモノが存在するじゃねぇか。それを知っちまってる身としちゃ疑うのは当然だろ?」

「……報酬次第かな」

 僕の呟きに、米倉警官がニッと笑う。

「透の好きな物を何でも奢ってやる。例の綺麗な友達も協力してくれたらチョコプリンを好きなだけ買ってやる。どうだ?」

「魅力的だけど、何でもは言い過ぎ。それと神様の好きなだけは本当に好きなだけになるから、無限に買うことになるけど」

「そ、そうか。うむ、ならチョコプリン十個で。透は?」

「考えとく」

「よし、頼んだぞ。化け物関係なく、もし怪しい奴を見かけたら俺に連絡してくれ。あ、まさか携帯の番号まで忘れて」

「あぁ、そっちは大丈夫。ちゃんと覚えてる」

「ならいい。んじゃ、よろしくなー!」

 ぶんぶん手を振りながら米倉警官は走り去っていく。ちょっとした仕草なのにカッコよく見えてしまうなんて、イケメンは便利でズルいなと、僕は肩を竦めるのだった。

 さて、米倉警官と別れた後。

 コンビニにてチョコプリンを買った後、スマホで神様に連絡。一分も経たずに「すぐ行くよ」と返事が来た。

 とはいえ、じっと待っているのも申し訳ない。こちらも少しは歩いて神様の負担を減らそうかな。

 夜道に遭遇したといっても、被害者が歩いた道を避けて歩けば問題ないよね。

 ……なーんて思った数分前の自分を殴りたい。


「あ゙……あ゙あ゙、あ゙……」


「……道を変えても駄目だったか」

 まずいぜぃ。何かが後ろをついてきてやがる。勿論、人間じゃない。だって、べちゃんべちゃんと、明らかに人間の類じゃない音を立てているからね。声もおかしいし。

 気になるなぁ。見てみたいなぁ。でも、こういう時は振り返らないのがセオリーだ。

 でもなぁ。歩けば歩くほど足音が大きくなってきてるし。

 背後に違和感を感じるし。

 寒気が尋常じゃないし。

 僕の右肩口から吐息みたいなのが聞こえてきたし。

 急に右肩が重くなってきたし。

 なんかカジカジ噛まれ始めたし。

 そこまで距離を縮められては応えたくなっちゃうよね。

 ……なんて軽口を叩いている場合じゃない。よくよく考えたらこの距離感は非常にまずい! 危険な状況だ! 下手したら殺される!

「――――透。なにしてるの?」

 道の先に広がる暗がりから名前を呼ばれた。凛とした、ドスのある声だ。

「ひ、やう……よ、よぉ神様。今回はお早いご登場だな」

 情けない声を隠すように言葉を取り繕うも、神様には逆効果だった。

「ふぅん? 私という存在がありながら、透はそんな奴に熱を上げちゃうんだ?」

 冷たい視線は俺の右肩を齧るナニカに向けられている。あぁヤバい、激おこだ! このままじゃ

「ち、違うんだよ! 気がついたら、こんな状況に、ね?」

「……はぁ、いいよもう。君がズボラで間抜けで、どうしようもなく無防備な愚か者だってことは重々承知しているもん」

 神様は言葉に棘を仕込んだ後、矛先を僕から泥棒猫へと変える。

肩喰かたばみ風情がおこがましい。それは私のモノだ」

「 マ  ガ  ツ  ネ 」

 空気が凍る。誰一人として呼吸が揺れされないような、重々しい雰囲気が夜道にぶわっと広がった。

「――貴様っ」

 神様が奥歯を噛み締める。怒り心頭、彼女は左腕を異形の形へと変えた。眼前の敵に対する殺意が、僕に姿を隠したい気持ちを凌駕したらしい。


「私をその名で呼ぶなっ!」


 異形の左腕が伸び、空気を裂く。その勢いのまま僕の右肩まで突き進み、敵を引き剥がした。

 同時に肩から痛みと重さが消え、後方からは悍ましい悲鳴が上がる。

 ぐちゃぐちゃと、粘土を潰してこねるような怪音が耳朶を這う。

「……神様」

「…………」

 返事はない。神様は無言のままジロリと、鋭い眼光で睨んできた。

 あぁもう、あの肩カジカジ野郎! 余計な台詞を吐きやがって! 神様は本名で呼ばれるのが嫌いなのに! おかげで神様の機嫌が一層悪くなっちゃったじゃんか!

「透」

「ひゃひい」

 ゆっくりと近づいてくる神様。僕は覚悟を決めて瞼を閉じる。殴られるのか、斬られるのか、刺されるのか、千切られるのか。

 結果はハズレ。僕の全身に訪れたのは痛みではなく、神様の抱擁だった。彼女は僕に抱き付き、顔を僕の左肩に乗せ、そして。

「お仕置きだ」

 そう言って、僕の左肩にガブリと歯を立てた。顎による圧迫感と、熱を帯びていく痛み。肌から伝わる血の流れが、その線を伸ばしていく。

「か、神様。痛い」

「当然だ。お仕置きなんだからね」

 やがて神様は肩から顔を離し、ペロリと僕の血を舐めた。

「君は私と取引で何を代償にしたか、よもや忘れたわけではあるまい。君は煩わしい痛みから逃げるためだけに己の命を捧げた。君が今こうして生きているのは、私の気まぐれのおかげだ。誰かに盗られるぐらいなら、今すぐにでもその血肉を糧にする。君はもっと己の身を案じなければならない」

「……改めて心に留めておくよ。だから、その、そろそろ離れてくれないか? これ以上は色々とマズイ……」

 なにせ美少女が自分の体に密着しているのだ。頭では噛まれたという恐怖で、肉体は同性の感触に反応して、心臓がバクバクしている。

 すると神様が耳元で囁いた。

「……このスケベめ」

 場違いで情けなくて、変態な自分が恥ずかしくてどうしようもないのに。

 厄介なことに、そんな僕を神様は嬉しそうに力強く抱きしめるのだった。

肩喰かたばみ?」

 翌日の朝。僕は米倉警官が配属されている交番にて、衰弱死の原因となった怪異を報告していた。

「神様曰く、自分と目が合った人間の肩にとり憑いて命を吸い取る怪異なんだとさ」

「目が合う? 普通の人間は連中が見えないだろ」

「こっちが見えていなくても、向こう側が見えていればそうなるんだって。言葉の許可と似たようなものって言ってたか」

「なんじゃそりゃ。理不尽すぎじゃねぇか」

 全くもって同感だ。でも怪異然り世に蔓延る怪物達は、理不尽で不合理で不平等だからこそ怪物なのである。

「大体なんで夜道に出やがるんだよ。連中にとっちゃ大勢の人間と遭遇したほうが得だろうが。だったら昼間とか、大通りとかにいた方が確実になる。なのに、わざわざ人数が少なくなる夜の時間帯で、被害者達が通った道はどれも人通りが少ねぇ。非効率だ」

「適当により多く人間に憑くためなら米倉警官の発言が正しいな。実際、真昼間から盛ってる怪物は結構見かけるし。でもさ、怪異による死は圧倒的に夜が多いんだよ。昼間に憑かれていながら大丈夫な人間がいるのは、奴等の影響力が小さいから。死ぬくらいまで命を吸い取れるくらいの力が発揮しないからなんだって」

「……どういうこった?」

「人間にとり憑くのにも、それなりに条件が必要ってこと」

 僕は神様が語っていた言葉を思い起こす。なんて言ってたっけ……。

「怪異が人間にとり憑くには、精神的に弱らせるのが一番、触れさせるのが二番、意識させるのが三番……らしい。神様は憑依三原則って言ってた」

「なんだそりゃ。怪異業界のマニュアルかっての。原則があるならペナルティもあるってか? 笑えるぜ」

 ちなみに僕も同じようなセリフで神様にも突っ込んだけど、「怪異も色々苦労しているのさ」なんて、まるで社畜みたいな返事をされた。

「んで? その三原則とやらがどう関係するんだよ」

「米倉さんは一人で夜道を歩いている時、なんとなく後ろを向いたことってない?」

「……まぁあるけど。なんとなく、な」

「怪異にとって、その『なんとなく』が三原則の三番目に繋がるんだと」

 意識させるといっても明確な気配の察知は不要で、必要なのは『そこに何かがいるのかも』と思わせることだという。

 そしてその思いが強まれば強まるほど、人間は要らぬ想像を膨らませて、自身の心を恐怖に染めていく。

 この時に生じる精神の揺らぎが、怪異がとり憑く隙を生む。

「夜っていう暗い時間、人気のない寂しい道……人間が勝手に意識して、勝手に振り向かせるには適した場所だと思わないか?」

「……それでまんまと振り向いた人間と目を合わせる。っち、小賢しい真似じゃねぇの」

肩喰かたばみの嫌なところは、憑かれても最初はただの肩こりにしか感じないこと。で、油断して寝ているその日に命を搾り尽くして殺す」

 僕の時は完全に甘噛みされていたけど、それは肩喰かたばみが行える誘いの限界だったらしい。気配をだだ漏れにしていながら全く見向きもしなかった僕を、どうしても振り向かせたかったのだろう。もしあそこで振り返っていたら完全に憑かれ、衰弱死ルートが確定していたと聞かされた時は、流石の僕もゾッとした。

「……ったく、本当におっかねぇな。おちおち眠れねぇじゃんか」

 はぁ、と大きく溜息を吐く米倉警官。人間の犯罪対処だけでも苦労するというのに、怪異まで気を配るのは業務過多すぎる。

 だからこうして時々、怪異絡みの処理を手伝っているわけだけど。

「とりあえず衰弱死の元凶は片付けたから一安心でしょ」

「まぁな。これ以上に被害が出てたら余計な仕事が増えちまってたし……ただでさえ最近忙しくて碌に寝れてねぇんだ。早めに片付いて助かったぜ」

 米倉警官は腰を伸ばし、首を左右に傾け、左肩を揉む。だいぶ凝っているようだ。

「透のおかげだ。約束通り今すぐ奢ってやりたいところだが……」

「勤務中はダメでしょ。いいよ、時間がある時で。何を奢ってもらうか僕もまだ決めてないし」

「そう言ってもらえると助かるぜ。んじゃ空いた時に連絡するわ」

 挨拶を済ませ、交番から外へ出る。

 これにて今回のお役目は終了。チョコプリン十個は痛い出費だが、後で米倉さんからお金を徴収するので問題なし。

「さてと、この後は何をしようかな……」

 まだ夏休みは始まったばかり。昼間に遊ぶ相手は神様しかいないので、とりあえず廃神社へ向かうとしよう。

 ……そういえば。

 肩喰かたばみはとり憑いた人間を殺した後、しばらくはその場に留まるという。

 まるで次の獲物を待ち構える狩人みたいな習性だが、獲物を仕留めるには賢いやり方だと思う。

 死体は印象に残りやすいし、恐怖を煽りやすいし、人の目を集めやすい。

 隙を作ってとり憑くのは簡単だろう。いやぁ本当、嫌らしくてズル賢い怪異だ。

 ……って、待てよ。それじゃあ衰弱死に至らしめた肩喰かたばみは、一体どこにいったんだろ?

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