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第4話 返事の有無は臨機応変に

 僕には友達がいない。世間話をする相手はクラスメイトにいるけど、遊びに出かけるような仲じゃないので、せいぜい知り合い程度の関係だ。なので自分の家に自分以外の誰かを招く機会なんて訪れないと思っていた。

 神様と出会うまでは。

「やぁ、来ちゃった」

 モニター付きインターホンが鳴ったので確認すると、画面上で手を振るセーラ服女子がいた。まだ通話ボタンを押してないのに何で声が聞こえるのかは謎だけど、足を運んできた神様を出迎えないのは罰当たりだ。

 僕は玄関まで急ぎ走り、ドアを開ける。

「どうした突然。チョコプリンでもたかりに来たのか?」

「私がいつもお腹を空かせているみたいな言い方はやめてよね。今日は挨拶に来ただけだよ」

「挨拶? 神様がわざわざ人の家に訪問していいのかよ」

「神社にいたところで何もすることないし。それに話し相手ができたんだ。暇潰しに付き合ってくれてもいいだろう? ほら、上がっていいかい?」

「……別にいいけど。何も面白いものなんかないからな?」

 玄関扉を閉じて神様を招き入れる。その際、神様の口元が不気味に歪んでいるように見えたけど、彼女が怖いのはいつものことなので些細な気づきだ。

 そのままリビングへ案内するなり、神様は遠慮なくソファに座ったと思いきや、勝手にテレビをつけた。

 いや手慣れすぎじゃない?

「あ、お菓子はポテチでお願い。飲み物はお水でいいよ〜」

「お菓子を出す前提で話し通すなっての」

「ふ〜ん。君は客人をもてなす気遣いがない人間なんだねぇ。残念」

「あーもう、わかったよ。水とお菓子な。でもポテチはないから」

 ブーブー、なんて文句を言う神様を他所に、僕は台所の棚からお菓子を探す。知り合いから貰ったチョコバーが大量にあるので、神様に消化を依頼しよう。

「ところで透。君の目の調子はどうなの?」

「ん? 特に変な感じはないな。いつも通り余計なものが色々見えちまってるよ」

 今も取り出したチョコバー数本に毛玉みたいな怪物がくっついているし。

 全く紛らわしい! 一瞬、巨大なカビだと思っちゃったよ!

「前は痛みが凄かったそうじゃないか。もうその辺は平気なのかい?」

「あぁ。あれ以来、痛みは全然ない」

「ならいいけど……油断しないでね。君の目はんだから。もし容量オーバーになったら、すぐ私に言うんだよ」

「分かってる。高校一年生という青春を謳歌する年代で失明なんてなりたくないからな」

 まぁ青春を謳歌するほど高校生活が充実しているわけじゃないけど、以前の僕はそんな軽口を言える余裕すらなかった。入学して早々、常に眼球の裏側が発熱し、激痛が走って、そりゃもう散々な有様だった。医者も原因不明だとお手上げ状態で、神様と出会っていなければどうなっていたことか。彼女には感謝してもしきれない。

「ねーねー、お菓子まだー? きびきび動こうよー」

「はいはい、今運びますよ」

 適当に選んだ長角盆に、適当な量でチョコバーを乗せる。そして適当に選んだコップに水を入れて、これもまた乗せる。なんとも気遣いの欠片が感じられないけど、ほら、親しい間柄になるほど扱いが雑になるっていうじゃん? 面倒臭いからとか、決してそんな理由ではないのだ。

 なんてくだらない言い訳を胸中で紡ぎつつ、神様の元へ盆を運ぼうとした時。

 ピンポーン、と。インターホンが鳴った。

「おや、私の他にも訪問予定の人がいたのかい?」

「いや、そんな予定は立てちゃいないが……何かの宅配か?」

 とはいえネットで注文した覚えはないし、基本的に置き配の指示を出しているから、配達員が直接来ることはないはず。

 一先ず確認するため、インターホンのモニターを見てみる。

 そこには真っ白なワンピースと、長い黒髪で顔を隠す女性が立っていた。

 配達員ではないのは判明した。続けてインターホンの通話ボタンを押してみる。


「 あ け て く だ さ い 」


 ……声が聞こえた。はっきりと、解錠を求める冷たい声だ。しかも所々で砂嵐みたいな雑音が混じっていた。

「……透、返事をしてはいけないよ」

「お、おう?」

 プルルル、プルルル。

 プルルル、プルルル。

 今度は廊下から固定電話が鳴り始めた。見に行ってみると、番号は表示されておらず、鳴り止む気配もない。うるさいので受話器を取る。


「 あ け て く だ さ い 」


 耳朶を這うミミズのような声。僕は思わず受話器を手放してしまった。

 なにを隠そう、実物であれイメージであれ、僕はウネウネ系が大の苦手なのだ。

「勘弁してくれよ……もしかして神様が連れて来ちまったんじゃないか?」

「それはありえないよ。私は怪物から嫌われているからね。むしろ私が歩くと怪物が道を作ってくれるぐらいさ。それなのに連中の一味が来たってことは、私という脅威以上に君が魅力的なのだろうね。ふふ、モテる者は辛いねぇ?」

「怪物にモテてもなんも嬉しくないっての!」 

「 あ け て く だ さ い 」 

 ドンドン、ドンドン。

 ドンドン、ドンドン。

 そろそろ苛立って来たのか、玄関扉を乱暴に叩く音が立ち始めた。


 ドン  ドン  ドン  ドン。

   ドン ドン ドン ドン。

  ドン ドン ドン ドン ドン ドン 。


「 あ け て く だ さ い 」

「 あ け て く だ さ い 」

「 あ け て く だ さ い 」

「 あ け て く だ さ い 」

「 あ け て く だ さ い 」

「 あ け て く だ さ い 」

「 あ け て く だ さ い 」

「 あ け て く だ さ い 」



     「あ け ろ」



 ……音が鳴り止んだ。扉を殴る音も、電話の音も、インターホンの音も完全に聞こえなくなった。

「……諦めて出て行った、のか?」

 いや、微かに肌を刺すような寒気がする。まだ居座っているはずだ。きっとこちらの反応を伺っているに違いな……。

「あれ? なんか部屋が急に暗く?」

 まだお昼で太陽の光が降り注ぐ時間帯なのに、きちんとカーテンを開け切っているのに、妙にリビングが暗い。僕の家の周囲には陽光を遮るものはないのに、なんで。

 ちょっとした疑問を解決する。そんな軽い気持ちで家の掃き出し窓をみやる。

 そこには。


    「み つ け た 」


 窓に張り付く白い服の女がいた。インターホンのモニターで見た時よりも明らかに大きく、窓越しに見える顔面は青白い。瞳孔はなく、ただ真っ黒な瞳を見開いて、こちらを眺めている。

 バンッ、バンッバンッ。

 女の怪物が両手で窓を力強く叩く。

 窓が揺れる。空気が振動する。このままでは割れてしまう。

「神様――」

「分かっているさ。君は私のモノだ。他の誰にも渡すつもりはないよ」

 そう言って神様が立ち上がる。ペタペタと落ち着いた様子で床を歩き、まずは窓の右端へ。

 掴んだのはカーテンだ。それを持ったまま、今度は窓の左端へ移動し、対のカーテンを掴む。

 そして両のカーテンで窓を完全に閉め切った。

「見ても楽しいモノじゃないからね。それに君の場合、隠した方が嬉しいだろう?」

 神様は笑うと、カーテンの端を潜り、窓を開け、外に出た。

 カーテンに映る影は少女と大きな人型の怪物だ。でも、僕が瞬きした瞬間。

 少女の影は人型の怪物の比ではないくらい膨張し、手のような、あるいは触手のような細い線を伸ばして――――人型の怪物を串刺した。


「ぎゃ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙!!」


 悍ましい絶叫が響く。ビリビリと窓が震え、その間も影が鞭のように乱れる。

 怪物同士の戦闘なんて生易しい。

 圧倒的強者による蹂躙劇だ。

 正常な人間なら目と耳を塞いで現実逃避するだろう。恐れて怯えて気が狂うだろう。

 だけど僕は。

 いつまでも。

 終わるまで。

 その劇場に釘付けになるのだった。

 神様の食事が完了したのは約一分後だった。カーテンを開け、何事もなかったかのように太陽が僕を照らす。背筋に走っていた悪寒はもうなくなっていた。

「神様、あの怪物って……」

「特に意味を持たない野良だよ。力はそれなりにあったようだけど、私の敵じゃない」

 神様は口直しにとチョコバーをモリモリ食っている。セーラー服に粉が散っているのに気にした様子がないので、かなり気に入ったらしい。チョコプリンがない時の代用品が決定した。

「流石は神様、最強で最恐の味方がいて僕は幸せ者だ……それにしてもヒヤヒヤしたよ。神様がいなかったら、今頃は襲われてただろうな」

「いや、そうでもないかな」

「……え?」

 僕の疑問に答えるためか、神様は最後のチョコバーを急いで咀嚼して飲み込む。

「人間の家はね、現世という大きな世界とは別の、確立した一つの領域なんだよ。玄関口はその境界線。同じ世界つまり現世の住人ならば不自由なく境界線を越えられるが、怪物達は違う。彼等は本来この世にあってはならない存在だからね。現世のルールが適用されない。だからおいそれと簡単に領域内には侵入できないんだ」

「じゃあ、どうやって侵入するんだ?」

「方法は三つ。一つ目は人間に憑依し、宿主の一部として擬態する。ただし魂……精神が弱っている人間でないと憑依はできないし、憑依した後に精神が強まった場合は消滅してしまうから、余程弱っていなければ狙われることはない。そして二つ目は領域に穴を開ける。一番手っ取り早い手段だけど、反動で力を大きく削がれるリスクがある。力に自信があるもの、知性のカケラもないものしか取らない方法かな。で、最後の三つ目が住人の許可を得る。正確には『その家に関わるモノの声』で許しを得ることなんだけど、これが結構厄介でねー……」

 神様は髪の毛をいじりながら溜息を吐いた。

「さっき電話が鳴っただろう? 例えばあの時、君が受話器を取って『もしもし?』って言ったとする。もうこれで許可されたことになるんだよ」

「は? いや、それはズルくね? 許可もなにも言ってないじゃん!」

「だから厄介なんだよ。ちょっとした言葉が許可になりかねない。軽い返事でも怪物達との繋がりになってしまうのさ」

 だからインターホンが鳴った時、返事をするなと言ったのか。

「ってことは、声を出さなければ向こうは家の中に絶対入れないってことか?」

「相手が三つ目の方法だけを取るなら、そうなるね」

 怪物が家の前まで来たら、とにかく声を出さない。よし覚えた。

 ……そういえば。

「デパートとかスーパーの入り口で、偶に『いらっしゃいませ』っていう機械の音声があるけど、ああいうのってどうなの?」

「あれも『その家に関わるモノの声』だから、常に許可している状態だね。タチの悪い怪物ホイホイってやつ」

 いやゴキブリホイホイじゃん。

 しかも毒餌がないバージョン。

 確かにタチが悪い。

「まぁなんにせよ、君の家に足を運んで正解だった。小腹を満たすには誘蛾灯の近くが一番だからね」

 神様が小悪魔めいた笑みを浮かべる。表情も相まって、どうも今の台詞が引っかかる。

 誘蛾灯。それって確か、虫を寄せる明かりって意味で……。

「……ん? それってつまり、結局たかりに来たってことじゃね?」

 僕の指摘に対し、神様は悪戯っぽく舌を出して微笑んだ。


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