僕の近所には廃墟となったビルがあるんだが、そこの屋上に足を踏み入れた者は呪われてしまうという。
「人間はすぐなんでもかんでも呪いに結びつけたがるよねぇ。仮にその噂が本当だったら、私達はどうなるのかな?」
「さぁ? お互い既に呪われてるような身だから、なんともならなかったりしてな」
時刻は零時。僕と神様は廃墟ビルの階段を上がっている最中だった。
廃墟とはいえ勝手に立ち入るのはいけないことだが、僕達は悪い子なので気にしない。
「私、屋上って場所に一度は行ってみたかったんだよね。高い場所から見る街並みって、どんな感じなんだろ」
「綺麗とか、広いとか、暗いとか、静かとか、怖いとか。あとは惨めとか?」
「え、何で惨め?」
「地上に広がる街に対して自分がちっぽけな存在に感じるから」
「えぇ……君は本当に変わった人間だよねぇ……」
憐れむような視線を向けてくる神様。人間なんて一人一人違うんだから、変人がいたっていいじゃないか。
でも残念。世の中の大多数は変わり者を許さないのである。
「……あ、神様。鍵がかかってる」
階段を上がり終え、屋上への道を遮る扉に到着したが、やっぱり施錠されている。どうしたものかと腕を組んだ矢先。
「問題ないよ。ほら」
ガチャリ、と。神様が人差し指を振った途端、施錠が解かれる音が立った。
ほんとこの人、何でもありだな。
「さぁさぁ、お待ちかねの屋上だよ! 早く開けてよ透!」
「へいへい」
遠足に来た子供みたいにはしゃぐ神様を横目に、僕は扉を開ける。
夜風が出迎え、薄汚れた灰色の屋上床が見え、視線を上げた先には――。
「……誰だ」
そこには屋上から飛び降りようと風を浴びている男性がいた。柵を越え、足場と呼ぶには狭すぎる屋上縁に立っており、今にも消えてしまいそうな雰囲気を漂わせている。
「……お前達も、俺の邪魔をするのか?」
なんか急に男から敵意を向けられたんだが、睨まれるのは慣れてるのでモーマンタイ。これくらいじゃ僕は怯まないのだ。
「えーと、そこにいると危ないですよ」
「ほっといてくれ。俺はこれから自由になる。もう、こんな世界にはいたくない」
「だから自殺するんですか?」
僕の確認に対し、男の敵意が増した。
「……お前も命は大事にしろって考えか? どいつもこいつも好き勝手言いやがる……そういう綺麗事を吐けるのは死にたくなるくらい辛い想いをしたことがないからだってのに、さも自分は強い人間だと勘違いして俺を助けようとしやがる。ふざけやがって」
「いや、あの」
「死んだら誰かが悲しむ? 死ぬのはよくない? 知るかそんなこと! 俺が死んだって悲しむ奴なんかいない! 死ぬのが悪いと思えるのはお前らが恵まれてるからだろ! 俺が俺の命をどう使おうが他人にとやかく言われる筋合いはねぇ!」
「いや、だから」
「止めるなよ。そこで大人しく目に刻め。ガキだろうと止めやがったら許さねぇからな」
「だから止めないって。どうぞ勝手に死んじゃってください」
どーぞどーぞ、と手で促す。
別に誰が何処で死のうが他人の僕に口出しする権利はない。自分の命は自分だけのもの。お好きに使ってくださいな。
「……止めないのか」
男は目を瞬かせる。
その答えはさっき言ったので、代わりに今度は神様が口を開いた。
「私達はただ気まぐれに足を運んだだけの見物人さ。君が飛び降りようと、私達は見物人らしく見届けるだけだ」
「……変な奴だな、お前ら」
「呪われる、なんて噂がある場所で死のうとする君も中々の変人だと思うけどね」
「……はっ、呪いなんて関係ねぇよ。単に人目につかないビルを探して見つけただけだ」
男は薄ら笑みを浮かべる。柵から手を離したので、いよいよ死ぬのだろう。
彼がなんで自殺を選んだのか。理由は分からないが、そう選択せざるを得なかった原因があるのは確かだ。で、基本的にそういった連中は、原因を排除するためではなく、原因から逃げるために死を選ぶ。
僕はそれが、とても――――。
「――――勿体ない」
ぼそりと呟く。
どうやら僕の声が聞こえていたらしく、男が振り向いた。ついでに神様も。
「……どういう意味だ」
「透、勿体ぶらずに教えてよ」
怪訝そうな顔と、嬉しそうな顔。全く異なる二つの表情に、僕は呆れ顔で返す。
「いやだって、あんたが死ぬのは嫌なことがあって辛い目に遭って、もう生きてるのが嫌になったからなんだろうけどさ。それであんたが死んで、あんたを苦しめた要素は生き残るってのは、なんか納得いかなくね?」
「……」
「どうせ死ぬんだろ? だったら自分を苦しめたものをちゃんと片付けて、スッキリした状態になってから死んだ方がいいんじゃないかなと思ってな。自殺なんていう人生最大のイベントにおいて、後悔しながら死ぬのは勿体ないじゃんか」
「……」
男は無言で僕を見つめる。虚を突かれたような、なにかを悟ったかのような顔を貼り付けながら、じっと見つめてくる。
「流石は私の透だ。君は人間でありながら怪物寄りの言葉を紡ぐ。なのに平然としているんだから、もう堪ったもんじゃないよね」
何を言ってるのか分からないが褒められてるっぽいので、ここは人間らしく照れるとしよう。えへえへ。
「……本当に、変な奴らだな。お前ら」
男は苦笑する。そこに先程までの敵意は込められておらず、彼は屋上縁からこちらに移動してきた。
「ん? 飛び降りないのか?」
「……お前が言ったんだろ。後悔して死ぬのは勿体ないって」
男はそんな捨て台詞を吐いて、屋上から去っていった。
◇
あれから数日後。
結局ビルの屋上に入った僕達は呪われることなく、問題なく日常を謳歌している。
「いやぁ、やっぱり深夜の屋上は気持ちいいね。街がまるで深海みたいに静かだ」
そう言ってきゃっきゃとはしゃぐ神様。
例の屋上は時々僕達の憩いの場として利用されている。
屋上から眺める夜景を、神様が大層気に入ったのだ。
「そういえば、あの男の人はどうなったのかなぁ。もう死んでしまったのかなぁ」
「さぁな。案外、元気にやってるんじゃないか?」
なんて言った直後。屋上の扉が開き、誰かが入ってきた。あの男だ。
「あぁ、あぁ、お前達か。また会えるなんてな。会いたかったんだよ、ずっと」
微笑む男の顔は余裕の色が滲み出ている。なーんか前見た時より生き生きとしているぞ。
「あんた生きてたのか。で、どうして屋上に? また飛び降りようとするのか?」
「いいや違う。お前達を探していたんだ。お礼を言うためにな」
「お礼?」
僕が首を傾げると、男の口が歪んだ。
両の口端が耳にくっつくぐらいの、醜悪な笑み。
「今、最高に楽しいんだ。最初は罪悪感が芽生えたんだが、流れで二人目を片付けたらそんなものは消え去って、逆に高揚感が増したんだ。苦しみが減ったんだよ。それでもう一人を片付けたら、また苦しみが減って、すーっと気持ち良くなった。本当に俺は間抜けだ。ゴミを放置すれば悪臭で身も心も汚くなるなんて簡単な事実に気が付かないで、ずっとずっと我慢していたんだからな。ゴミはきちんと燃やせばいいだけなのに、今まで苦しんでいたのが馬鹿馬鹿しく思える。お前に出会ってなかったら、俺は馬鹿のまま死ぬところだった。お前のおかげで俺の後悔は順調に減っていってる。ありがとうな」
「お、おう。そりゃ良かったぜ?」
突然の長いコメントに思わず困惑してしまったが、男は気にせず「本当にありがとう」と僕の両手を掴むなり再度礼を告げ、また屋上から去っていった。
「……なんだか元気そうだったねぇ」
なにがおかしいのか、神様は笑いを堪えるように肩を振るわせている。
「え、なに。なんか面白い部分あったか?」
「いや本当に、人間とはおかしな生き物だと思ってさ。死のうと考えるくらい生気を失っていたのに、ちょっと憂さ晴らししただけで、あんなに元気になるんだもの。簡単にコロコロ変わっちゃうなんて……あぁ。なんて哀れで醜く、脆くて可愛い生き物だろうか」
恍惚とした表情で神様は空を見上げる。それを美しいと捉えるか、不気味と捉えるかは受け手の感性次第。ちなみに僕は前者だ。
「にしてもあの男、いくらなんでも変わりすぎやしないか? まるで別人みたいだったぞ」
「ふふ、そうだね。まるで何かに呪われたような変わり様だったね」
「……いや、そんなまさか」
噂が真実だとでもいうのか。
「いいや、このビルに怪物はいなかったし、呪いなんてものはなかったよ。あの男が君と出会うまでは」
「は?」
「彼はね、君に呪われたんだよ」
全く理解ができない。僕がいつ、あの男を呪ったというのか。手段も理由もないじゃないか。
「手段ならあるよ。人間なら誰しもが扱えるものが――――言葉だよ」
「言葉?」
「そう。人が発する言葉には力がある。話し手が軽い気持ちで発したものでも、受け手によっては凶器になりえる。言葉で人を殺すのも変えるのも操るのも、そう難しい話じゃない」
「ってことは、あれか。俺が勿体ないって言ったのが、あの男には呪いになったと?」
「君のせいで噂が本当になってしまったねぇ」
神様が嗤う。全身に虫が這うような、不気味な寒気。
神様のことは好きだけど、こういう時の顔は嫌いだ。
足元を掬うような意地悪味があって、心臓がバクバクしちゃう。
「君は舞台とは関わらないのではなかったのかい?」
「……観客席から応援する声があっても変じゃないだろ」
「ふふ、そうだね。君は応援しただけ。舞台には立っていない。君の声を聞いて、彼がそう演じたくなった。それだけだ。でもね……」
そっと。神様は近づいてきて、僕の耳元で囁く。
「今後は思ったことをすぐ口に出すのは控えた方がいい。言葉が人を壊し殺すのは、なにも受け手だけじゃないからね」
◇
それからしばらくした後。ネットのニュース記事の中に、火元不明の焼死体が連続的に発見されているという内容があった。遺体は同じ会社の従業員ばかりで、警察は関係者を洗っているという。
だけど、その後も犯人は捕まらず、誰が言い始めたのか、ネットの裏掲示板にて『掃除家』という都市伝説が流れるようになったとか。