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第2話 甘いお肉にはご注意を

 ある日の夕方。商店街を歩いていたら肉屋のおっさんに声をかけられた。

「よぉ、そこの兄ちゃん! 今夜は焼肉かい? だったらウチの肉を買っていきな! とびっきりの旨いやつがあるぜ!」

 僕に弟はいないし、性別も間違っているし、今夜は適当にジャンクフードで済ますけど、一々訂正するのは面倒なので何も言わない。

 普段ならそのまま通り過ぎるところだけど、おっさんが手に持っていたブロック肉が凄く魅力的に感じて、つい足を止めてしまった。

「なんか凄く高そうな肉っぽいけど、商店街で売れる値段なのか?」

「お、見る目があるな! これは特別な肉だからな。普通のとはわけが違う。でも安心してくれ、今日は特別サービスでお安くしとくよ! さあ、どうだい?」

 肉屋のおっさんは嬉しそうに笑いながら、その手に持つ肉の塊を僕に見せつけてきた。パックに包まれた艶やかで鮮やかな赤身の肉は、まるで生きているようにしっとりとした光を放っている。ごくり。不思議と唾を飲み込みたくなった。

「どこの肉なんだ? 牛? 豚? それとも鶏?」

「……」

 無言。別に難しい質問じゃないのに、おっさんは笑顔のまま固まる。しかも目が笑っていない。怪しいセールスマンがカモを見つけた時のような表情を浮かべている。

「まぁ、細かいことは気にしなさんな。とにかく買わないか? この肉を食えば今まで味わったことのない幸福感を味わえるって保証するよ」

「幸福感ねぇ。わざわざ高そうな肉を食わなくても僕の舌は安価の肉で十分喜ぶから、別に……」

「そこらの肉と同じにされちゃ困る。よし、分かった。大サービスだ。今回は一パックだけ無料であげよう」

 おっさんは満面の笑みで俺に肉パックを押し付けてきた。

「いや、タダってわけにはいかないだろ」

「いい、いい。持ってけ持ってけ。家に帰って遠慮なく食べてくれ。それで幸せを感じたら、また明日にでも買っていってくれや。勿論、その時は金を払ってもらうぞ!」

 おっさんの笑顔の裏には、何か底知れない黒い影が見え隠れしているようだった。誰がどう考えても怪しいことこの上ないし、タダほど恐ろしいものはないけど、僕の好奇心には遠く及ばない。

 僕はその肉から手が離せず、心の中で警鐘が鳴っているのを感じながらも、やっぱり持ち帰ることにしたのだった。

 帰宅するなり、早速お肉を開封したい衝動に駆られ、乱暴にパックを破り捨てた。

 一見、牛肉に似た筋のあるお肉なのだが、妙に甘い匂いがする。香水のような、ハチミツのような、嗅いでいて飽きない匂いだ。

 匂いのするお肉なんて腐らせたもの以外で見たことがない。しかも、あら不思議。知らない肉で食べてもいないのに、これが美味しい肉だと頭が訴えているじゃないか。

 食べて、食べて、食べて。

 食べる、食べる、食べる。

 食べろ、食べろ、食べろ。

 空腹でもないのに、食べたくて仕方がない。口の中は唾で一杯になっている。ちょっとした水分補給ができるくらいだ。

「あー、こりゃマズイな。絶対に食べちゃいけないやつじゃん」

 吹き出す汗を拭い、唾を飲み込み、落ち着いて呼吸を整える。欲望を狂わされても、理性が無事なのは幸いだった。

 とりあえず急に這い出てきた空腹感を抑え込むため、早いけれど夕食の準備に取り掛かる。

 この怪しい肉の処遇は神様に相談してから決めるとしよう。そして今日の夕飯は肉料理じゃないものにしよう。

「え、うそ、うわぁ本物だ! 僭肉せんにくなんて珍しい! こんなのどこで拾ったのさ!」

 深夜。チョコプリンのお供えも兼ねて例のお肉を廃神社へ持っていき、早速神様に見せたところ、このようなコメントを頂いた。

「僭肉? なんだよ、それ。反応からするに旨いのか?」

「高級食材だよ! 人間が食べたら死ぬけど」

 前後の説明の落差が凄まじいが、とりあえず食べたらいけないモノなのは判明した。

 食べなくて良かった。自分の理性に感謝しなくちゃね。

「食べたら死ぬってことは毒でも入ってるのか?」

「毒っていうか呪い……いや寄生中……繁殖行為だから子種っていうのが正しいのかな?」

「つまり、どゆこと?」

「あ、ちょうどいいところに別の肉が森に入ってきた。話すより見せた方がわかりやすいだろうし、ちょっと見にいこうか」

 急に神様は立ち上がるなり廃神社の階段を下っていき、おいでおいでと手招きする。

 一体何を見せたいのか。無知な僕は神様の後を追い、境内の外に出る。

 行き先は廃神社から少し先にある獣道。僕がよく神様のところへ向かう時に近道として利用する道だ。

 森に慣れていない人は決して踏み入れない道で、ましてや深夜に歩く輩は僕みたいな変人を除けばいるはずがない。

 だけど、今、そこには肉屋のおっさんの姿があった。商店街で見たような覇気はなく、目は虚で、麻薬でも服用したのかフラフラとおぼつかない足取りでいる。

「なんであのおっさんがこんな森の中に……?」

「ほら、そろそろ始まるよ。静かに見てて」

 しっ、と人差し指を立てる神様。ドキドキ、ドキドキ。まるで映画の上映が始まる前に映画館が暗くなった時のようなワクワク感。

 何が公開されるのだろう。僕は草陰に隠れて、おっさんの様子を眺める。

 ――あ、うぁ、ば……。

 おっさんはゾンビみたいな呻き声を上げ始めたと思いきや、その場に崩れ落ちた。手足をばたつかせ、口を大きく開けたり閉じたりしながら、苦しそうに喉を鳴らしている。数秒後、彼の体が不自然に痙攣し、頭がぐるりとありえない方向に向きを変えた。

 どう見ても人体の可動域を超えた動きだ。目を凝らせば、首が縄みたいにしわができているし、確実に死んで……。

 ポロリ。どすん。

「うわっ、ちょ、頭が取れたぞ!」

 思わず小声を漏らしちゃったが、神様の冷たい視線に慌てて口を押さえた。頭を失ったおっさんの体はどんどん奇妙な形に歪み、骨が折れる音や筋肉が引きちぎれるような奇怪な音を響かせている。加えて沸騰した水のように皮膚がぶくぶく蠢き出した途端、人の形を保っていたはずの肉体がスライムの如く溶けていく。

 そして――おっさんは巨大な肉塊と化した。その見た目は、俺がおっさんから貰ったお肉を大きくしたそれである。

「うわぁ……まじかよ。あの肉、人肉だったのか」

「そうだけど、正しくはないかな。言っただろう? 繁殖行為だって。僭肉せんにくってのはお肉の形をした怪異でね、自分を食べた動物の肉体を少しずつ乗っ取って、自分の肉として上書きするんだ。昔、ある村の猟師が鹿を狩って村人達と肉を分け合ったことがあったんだけど、数日後、村人は全員消えていてね。辺りには見慣れない肉の塊が幾つも転がっていたとかいないとか」

僭肉せんにくを食ったら僭肉せんにくになるってことか。でも、それだと繁殖っていうよりかは寄生が近いんじゃね?」

「彼等は宿主を僭肉せんにくに変えた後、分裂するんだよ。お仲間を増やすためにね。言うなれば子供を産むってこと。ほら、繁殖行為だろ?」

「……なるほど。だから今、おっさんの肉から小さい肉がぼとぼと落ちてきてるのか」

 俺が指差した先では、おっさん僭肉せんにくから無数の肉片が剥がれ落ちている。それらは丁度おっさんから貰った肉一パックと同じくらいの大きさで、芋虫みたいに地面を移動している。 

「あっ、ダメダメ! 逃げちゃう!」

 慌てて神様は走り出し、問答無用でチビ僭肉せんにくの一つを捕まえた。どうするつもりなのかなーと様子を見ていたら、ハンバーガーに齧り付く勢いで思いっきり僭肉せんにくを口に入れた。ちょっと! 拾い食いは良くないぞ!

「う〜ん! とろっとろで甘い! 最高のデザートだ!」

 美味しそうに咀嚼する神様。両頬がお肉で膨れ、もっちゃもっちゃと音を立てている。生肉を貪るリス、ここに誕生なり。

「ちなみにチョコプリンとそのお肉、どっちが美味い?」

「チョコプリンかな。高級さで選ぶなら後者だけど、安価で手頃に取れるのは前者だ。私は好きな時に美味しいものを食べたいのでね。高級食品ってのは、たまに食べるからこそ美味いものだろう?」

 キメ顔で言ってるけど、両頬が袋になっているので俺の心には響かない。ただその食いっぷりは俺の食欲を刺激してくる。

 よし。明日の夕食は肉をたっぷり使った料理にしよう。

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