裏山にある墓地には心臓喰いの怪物が住んでいる。
そんな噂が出始めたのは最近だけど、噂の発端は二週間前に起きた猟奇殺人事件へと遡る。なんでも発見された遺体は、あまりに凄惨な状態だったという。まるで野生の獣に引き裂かれたかのように肉が乱暴に裂け、ほとんどの骨が露出していたらしい。顔の判別すらできず、まさしく肉塊という単語が相応しい有様だったとか。
で、最初は熊に狙われたのではと考えられたが、二体目の死体が出たことで迷走した。二体目も同様の損壊具合だったのだが、奇妙なことに何故か心臓だけが綺麗さっぱり抜き取られていて、それは一体目も同じたったのだ。そんな器用な真似を動物ができるとは思えず、警察が動き出した頃には三体目が登場し、つい先日に四体目が新たに誕生したことで猟奇殺人事件と認定された。
少し不気味で不思議な事件だけど、世の中の事柄はほとんどが他人事だ。大多数の人間にとっては自分とは無関係な場所で起きた無関心な事件として片付けるだろう。
勿論、僕もその一人なのだけれど……残念ながら今回は依頼されてしまったので、数少ない関係者の一人になってしまった。
「へぇ。墓地ってもっと薄汚いところだと思ってたけど、意外と綺麗なんだな」
時刻は深夜二時。目的地にして噂の現場である墓地に到着したけど、当然ながら自分以外に人はいない。広さは大体サッカーコートの半分くらいで、墓石が整然と並んでいる。
墓地の中央付近まで歩き、周囲を見回す。今日は単なる下見調査なので、噂に関する手がかりでもないか探すだけの予定だ。
でも、これも体質のせいなのか。それとも神様が勤勉すぎるのか。僕の周りでは偶然と奇跡と運命が手を取り合うことが頻繁にあるわけで。
「――――」
突如として目の前に見知らぬ人物が現れた。背丈はごく普通だ。人混みに入れば目立たず、すれ違う人々の中に紛れてしまうような、平均的な身長で。服装はジャージとパーカー。フードを深く被っており、その顔は包帯でぐるぐる巻きに隠されている。隠れていないのは、ギョロリと血走った目玉と、歯茎が剥き出しの口ぐらいだった。
奴が心臓喰いなのだろうか。にしては現代風味が強すぎるし、手はゴム手袋を装着しているし、扱う武器なんて包丁だ。
風貌からして怪物というより、大火傷して精神が狂った引き篭もりのイメージが強い。
「お前が心臓喰い?」
「――ヒ」
不審者が嗤う。名を呼ばれて喜んだのか、不審者は僕の方へ駆け出し包丁を横に振る。狙いは首筋。動脈に迫る刃鉄。避けられない。完全に油断していた。
ドクン。
死を告げるように心臓が跳ね上がる。と同時に体まで勝手に跳ね上がった。
否。跳ねたのではなく、後方へ引っ張られたのだ。おかげで不審者の包丁は空を切り、僕の首は無傷で済んだ。
誰が自分を助けたのか分かりきっているけど、念の為に振り返って確認する。
そこにはセーラー服を着た一人の美少女が立っており、僕の服の襟を鷲掴んでいた。
「やぁ、遅くなってすまない。今宵も楽しんでいるかい?」
「ったく、やっと来たか。もう少し遅かったら僕のお腹に包丁が刺さっていたところだぞ」
「仕方ないじゃないか。ケータイって苦手なんだ。めーるとやらの確認に時間がかかってしまったんだよ」
艶やかな黒い長髪を触りながら、美少女は老人のような言い訳を口にする。
彼女の名前は
「使い方が分からないなら、今度のお供えの時に使い方を教えようか?」
「い、いい。これくらい自分でできる――――それで? 件の心臓喰いとやらは何処にいるんだい?」
「目の前にいるだろ。包丁持った、人間の形をした怪物が」
僕が不審者を指差すと、神様は目を瞬かせて首を傾げた。
「? 君は何を言っているんだい? 人間の形もなにも、そこにいるのは人間そのものじゃないか」
あぁ、やっぱりね。連中が放つ独特の気配を感じないから、もしかしてとは思ったけど。なーんだ。ただの人間か。
僕ががっかりすると、神様も肩を竦めて首を振る。
「わざわざ来たのに、とんだ骨折り損だよ。手間賃としてチョコプリン三個が妥当かな」
「はぁ? 三個は取りすぎだろ。せめて二個にしてくれ」
「君を助けてあげた分で一個追加してるんだよ。チョコプリン一個で君の命が助かるんだから感謝して――」
ずぶん、と。プリン交渉をしていたところで包帯男が神様へ突進し、細身の体に包丁を突き刺した。見事に彼女の脇腹辺りをブッ刺している。
「ヒャハハ、ヒャハッ、ヒャハハハハハハハ! 死ね! 死ね! みんな死んじまえ!」
ずしゅ、ずしゅ、なんて擬音が似合いそうなくらい包丁を抜き差しして、包帯男は彼女の腹部を徹底的に刺し続ける。
涎を垂らしてご満悦した表情を浮かべる様はまさしく狂人だ。実に楽しそうでなによりだけど、夢中になりすぎるのは良くないと思う。
「おら、おら、痛いだろ! 怖いだろ! あははは! ざまぁみろ! くたばれクソガキ!」
「――いい加減、離れてくれないかな? 君の体、臭くて嫌いだ」
「……え? は、あ?」
神様の冷たい声、不審者の困惑声、そして最後にばしんっ、と鈍い音が響いた。それは不審者が『ナニカ』によって弾き飛ばされた音で、遅れてどがっ、と不審者が墓石に激突する音が立った。
背中から硬い石に打ち付けられたのだ。あれは相当痛かっただろう。不審者はよろよろと立ち上がり、「てめぇ!」と怒り心頭で顔を上げる。
でも怒りは一瞬で過ぎ去り、瞬く間に硬直した。ようやく気づいたらしい。自分の前に立つ少女が人間ではないということに。
「ひぃっ! な、な、なんだ、お前……!」
不審者は尻もちをついて後ずさる。無理もない。今、神様の背中からは無数の腕が生え出ている。まるで千手観音のように、上下左右斜めに隙間なく伸びている。でも仏様みたいな綺麗な腕じゃない。
それらは細長く、病的に痩せこけていた。皮膚は乾燥してひび割れ、ところどころから薄い煙のようなものが立ち上がっている。腕が動くたびに、かすかに鳴る乾いた擦れる音が、耳障りに周囲を侵食していく。
ちなみにこの腕の群体が、不審者を弾き飛ばした『ナニカ』である。
「なんだよ、その腕……! なんなんだよ、お前は!」
「おやおやぁ? おっかしいなぁ? 怪物なら真っ先に私の相方を狙うはずなのに、私を刺すだなんてさぁ。君は怪物失格だねぇ」
「ひいぃぃぃぃぃぃぃ!!」
失格もなにも相手は人間。多分ただのイかれた殺人鬼かな。本物に睨まれては誰であろうとおしっこ漏らして泣き叫ぶ。
どんな時でも、偽物は本物には敵わないのである。
「包丁で滅多刺しにした後、手で傷口を広げてさらに切り刻んでぐっちゃぐちゃにして、記念に心臓を引っこ抜く……人間とは思えない殺害方法だねぇ」
「な、なんでっ……!?」
「彼等が教えてくれたからだよ――――君に殺されて、君を殺したくて仕方がない、哀れな彼等がね」
ニッコリ笑う神様の周りに、薄紫色の大きな蛍火が四つ浮かび上がる。前に見たことがあるから知っている。あれらは死んだ人間の魂だ。
「君を殺してくれるなら私に魂を差し出すと言っている。そういうあっさりした代償はあまり好きじゃないんだけど、偶には違うことをするのも一興だよね」
三日月のように神様の口が歪む。奇遇かな、今夜の月も同じ欠け方をしているよ。
「ば、化物っ! 来るな……来るなぁ!」
「あぁ、駄目じゃないか。そんな風に泣かれたら、じっくり虐めたくなってしまうよ」
ペロリと舌なめずりする神様。顔だけ見れば好物を前にした可愛らしい女の子なんだよなぁ……なんてくだらないことを考えていたら、何やら右足に違和感が。
「た……助けっ……!」
視線を落とすと、僕の右足を掴む不審者の姿が映り込んだ。包帯は涙と鼻水でずぶ濡れで、今の姿の方がよっぽど不気味に見える。
良心ある人間なら助けようとするのかもしれない。慈悲の心を持つ人間は罪人だって愛するからね。
でも残念。僕は誰も愛せないし、慈悲の心なんて持てないし、良心だって痛まない。
だから僕の右足を掴む不審者の手を容赦なく引き剥がすことなんて楽勝なのだ。はい、べりっ。
「あ……たす……」
「悪いな。僕はお前みたいに『舞台の上に立つ』側じゃない。『観客席から舞台を眺める』側でいたいんだ」
「あ……あぁ……嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! 助けて! 助けてくれぇぇぇぇぇぇ!」
お別れの言葉を聞き届けた不審者は、神様の腕達に掴まれ、地面に押さえつけられる。大の字の形だ。確か昔の処刑法でこんな態勢をするものがあった気が……あ、思い出した。牛引きだ。
「なるべく痛みつけるよう頼まれたからね。君はこれまでの被害者とは比べ物にならないくらい苦しんで壊れてもらうよ。精神的にも、肉体的にもね」
墓地に響く絶叫。繰り広げられる凄惨な解体ショー。僕は特等席から、その様子を眺めるのだった。
三日後。朝のテレビで五体目となる死体が例の墓地で発見されたという報道があった。
ニュースキャスターは被害者の名前など大まかな情報を淡々と語り、警察が同一犯による連続殺人と仮定して捜査を続けると発表した。
六人目の被害者が出ないことを願う的なコメントを番組のゲストが口にしていたけど、そんなことはもう起きないだろう。
だって犯人死んでるし。五体目が犯人だし。まぁ言ったところで誰も信じないだろうけど。
え、犯人の動機だって? そんなもの知らないし興味ない。殺した時点で迷宮入りだ。
「いってきまーす」
今日も僕の一日は変わらない。いつもの時間に起きて、いつもの時間にご飯を食べて、いつもの時間に制服へ着替えて、いつもの時間に家を出る。
そしていつもの時間に登校していると、ポケットにあるスマホから着信音が。
「あ、神様からメールきてる。向こうから送ってくるなんて珍しい」
あの人……人ではないけど……は古き良きガラケータイプなので、スマホアプリが使えない。だから連絡のやり取りは電子メールとなっている。
で、肝心の中身はというと。
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「け、い、た、い、つ、か、う、お、し、え、て……携帯の使い方を教えてか。なんだ、やっぱり強がりじゃん」
全く。しょうがないから「いいよ」と返信。返事が来るのは多分お昼かな。あの人、返信すっごく遅いから。
文字の打ち方とかきちんと教えてあげよう。いざという時に連絡取れないのは困るし、何より余計な記号まで打ち込まれると読むのに一苦労だからね。