「失礼いたしますわ!」
生徒会の扉が開け放たれて姿を見せたのはトゥルト・ナツ、自信に満ち溢れた表情でチマを一瞥し堂々とした態度で歩みを進めていく。
「紹介をしますね。トゥルト
バァナが表情に出すことはないのだが、どこか引き気味な雰囲気が漂っており苦労したことを伺える。
「貴女、楽器も出来たのね」
「当然の嗜みですわ。まあただ、
ドヤァとチマに表情を見せつけるのだが、これといって悔しそうな表情をするでもなく、家族や周囲の者を馬鹿にされているのでなければ敵対することもないので。
「本気じゃない。当日は足を引っ張らないように頑張るわ」
「当日だけでなく、事前の練習も怠らないでくださいまし」
「ええ、分かっているわ」
感心の視線を向けられて、ナツは面白くない表情を僅かに見せていた。
(よかったぁ…、この場でバチバチやられても困っちゃうからね~。…まぁナツ様はバチバチしてるけど)
(前回よりも大勢の前で演奏することになるのだから、練習量を増やしておかないといけないわね。ビャスの鍛錬はシェオにでもお願いしちゃおうかしら)
(アゲセンベ・チマ、貴女よりも輝いてデュロ殿下の目を私に向けて見せますわ)
因みに胸を撫で下ろしたのはリンだけでなく他の面々もである。宰相レィエを面白く思わない貴族の筆頭がトゥルト家であり、派閥的にも半ら敵対に近い状態。本人らには直接関係ないといえればいいのだが、親の関係は子に直接影響するもので、チマが登校した日に
「トゥルト・ナツは生徒会に入るの?」
「悪けれど人数を変えるつもりはないし、ナツ嬢本人が一番わかっているだろう?」
「…っ、はい…」
いくら勢いがあるトゥルト家とはいえ、王族の在籍する生徒会へ圧を掛ける事は不可能だし、レィエの娘であるチマの存在が非常に大きい。
(分かっていますわ…、わかっていますとも。だから少ない機会に私を見て貰う必要がありますのよ!)
「何処かで音合わせもしないといけないわね。どうせならいい音を皆に聞かせたいし」
「い、いいですわね!」
(敵ながら良いこというじゃありませんか!)
それに対してデュロは「
「構わないが多く時間を取ることはできないからな」
「細々とやればいいのよ。明日、いや明後日にでも一度音合わせってことでどう?」
「よろしくってよ」
「分かった時間を用意する」
ポピィとプファも了承して、練習の時間が決定していく。
時を置いて。
「近いから、この教室を使うとしようか」
デュロたち演奏班御一行は空き教室と化している生徒会室の隣に移動しては、楽器の調律を簡単に行っていく。
(知ってはいましたがアゲセンベ・チマが使うのは
「何を演奏するの?」
「フレージェン・ショトの『秋風の河川』なんてどうでしょうか?」
「簡単な楽曲だから合わせには丁度いいだろう」
「ええ。当日の楽曲は追々で決めていけばいいので、とりあえずは合わせを重要視し、当日に楽しんでいただけるだけの腕を培いましょう」
「私も演奏したことがあるし譜面も覚えているから問題ないわ」
「譜面をいただけますか?自信が無いわけではありませんが、足を引っ張るような真似はしたくありませんので」
「用意してありますのでどうぞ」
「ありがとうございます」
譜面を簡単に読み込んでいき、記憶を頼りに一通り演奏してみれば、ナツは問題なく五人は合わせの演奏を開始する。
(お嬢様があんなにも楽しそうに…)
シェオはもやもやとした感情を胸に抱きながら、学友と演奏している姿を眺めていた。
自身が学校へ行くように促して、その結果としてこの場所があるのだが、稽古や練習と称して一緒に行動を共にしていた身からすれば巣立ってしまったような、一抹の寂寥感と幾ばくかの嫉妬心を胸に宿している。
(お嬢様にとって私はただの従者に過ぎませんし、身勝手を叱られてからそんなに日も経っていません。疚しい心は放り捨てなければ…。初めてお嬢様と共に稽古事をしたのは確か、楽器の演奏でしたね)
昨日の事のように思い出せる竪琴の音色を、練習風景に重ねてシェオは護衛を行っていく。
―――
(よし、今日から俺、いや私はアゲセンベ家勤め。孤児院や学校で面倒を見てもらった恩をかけせるよう、誠心誠意頑張らないといけません!)
グッと拳を握り力を込めたのは一五歳のシェオ。アゲセンベ家の資金提供する学校を卒業し、アゲセンベ家に雇ってもらった彼の業務初日である。
「あまり肩肘張りすぎると出来ることも出来なくなってしまいます。先ずは気楽に職務に挑んでください」
「はい、トゥモ
「ところで一つ質問なのですが、騎士団からも見習いの誘いが届いていたと耳に挟みまして。どうしてアゲセンベ家に?」
「孤児院、学校とアゲセンベ家の旦那様に助けてもらい生きながらえたようなものなので、大恩を返すべくこちらへの志願をした次第です」
「そうですか。ここには同じような方が多くいますので、他の方とも上手くやれるでしょう。頑張ってくださいね」
「はい!」
未だ未だ青いシェオは元気な返事をしては使用人業務へと打ち込んでいき、庭先で剣鍛錬をしている
(あの方がアゲセンベ家のお嬢様。幼いのに剣術を習っているなんて、骨太な方なのでしょうか?)
興味が湧いたシェオは仕事を熟しがてら庭へと向かっていき、邪魔にならない場所に陣取っては観察していく。
(筋は良さそうですが、幼いってこともあって強さは感じられませんね。ただ、あの独特な剣術は厄介そうな)
「今日はこんなところかしら」
「お勉強もありますから、程々にしておきましょうか」
木剣を老年の侍女へ預けたチマは、一度息を吐き出し屋敷内に戻ろうと踵を返す。すると見慣れない使用人と視線があって、首を傾げていた。
「見ない顔ね、新人?」
「は、はいっ!俺、じゃなかった私は本日付けで勤務することになりました、使用人のキャラメ・シェオです!仕事を怠けていたのではなく、お嬢様が変わった剣術を修練していると思い、見学をさせてもらった次第にあります」
「私はアゲセンベ・チマよ。見学は程々にね、シェオ」
仕事を抜け出して怠けていたことは気付かれており、チマに小さく笑われたことを恥じたシェオは険しい顔を見せて、屋敷に戻る彼女を見送る。
(―――めっっっちゃ可愛いお嬢様だった!)
揺れる尻尾の後ろ姿を凝視していたシェオは、胸が高鳴り頬が上気するのを感じては、初恋という双葉が開いたことを自覚して少しばかり戸惑っていく。
シェオは
だが
職務とチマへの恋心に慣れ始めた頃、シェオは彼女へ何故諦めないのかを問いてみれば。
「私のせいでお父様やお母様、伯父様、私に関わる皆が悪く言われるのが嫌なの。それに諦めなければ何れ道が開かれるかもしれないでしょ、漫画でもそういう話しはあるし」
「そう、ですか」
「シェオも無駄と思う口かしら?」
「いえ、全く。お嬢様、もしお嫌でなければ私も様々な挑戦に加えてはいただけませんか?私には使用人としての職務がありますので空いた時間になってしまうのですが」
「ふむふむ、一人でやるよりも楽しいかもね。いいわよ、空いている時間に私のところへいらっしゃい」
ご機嫌そうなチマは柔らかな笑みを咲かせて、小さな手を差し出す。
「シェオが飽きるまで協力してちょうだいな」
「はいっ!」
軽く握手をしたシェオは自身の手を見つめて、宝物を包むかの如く優しい握り拳を作っては口端を上げていた。「あらあら」と微笑む侍女を気にした風もなく。
(使用人衣は縒れていませんよね…、皺は…なし。よしっ)
「失礼します」
「入っていいわよ」
やや緊張の色が見えるシェオはチマの言葉に促されて私室へ足を踏み入れた。
「今日は時間があるということだったけど、楽器の覚えはあるかしら?」
「楽器ですか…、恥ずかしながら」
「ふふっ、別に恥じることはないわよ。これから覚えていくのだから」
「私がですか?」
「そうよ。私は結果的にスキルが発現すればいいのだから、貴方に教えるのも楽器を扱うことに変わりないわ」
「承知しました。それでどんな楽器を教えていただけるのですか?」
「私の出来る竪琴でも良かったのだけど、今日は四弦琴を使って」
頷いたシェオは四弦琴を手にとっては椅子に腰掛け、軽く弦を弾く。
ポロンポロンと鳴る音を確かめながら、隣に寄ってきたチマに胸を高鳴らせながらも、七つ年下の女の子に楽器を習っていくのである。
「今日はこんなところかしら」
「楽器とは中々に難しいですね」
「覚えが良いから一緒に演奏して楽しむくらいなら直ぐよ。楽しみだわ」
「頑張ります」
シェオが机に四弦琴を置いて一息つくと、チマは自分の椅子を小さめな竪琴の前へ置き三六本ある弦を一旦撫でては音を確かめ、演奏を開始していく。大絶賛する程の腕前ではないのだが耳心地の良さはあり、なにより小さな身体で竪琴を弾く姿が愛らしくシェオはご満悦だ。
「お上手ですお嬢様!ドゥルッチェ
「いつか本物を聴けるように同行させてあげるわよ。楽団鑑賞なんて行ったらひっくり返っちゃうわね」
「そんなにですか。私はお嬢様の演奏がす…ごく良いと思うのですが」
「スキルがあるわけでもない、そして手当たり次第になんでも挑戦しているから、特別上手じゃないの…残念ながらね。遊びの
子供らしからぬ憂いを帯びた表情にシェオは胸を締め付けられる思いをし、直ぐ様にチマの眼の前へ跪いては手を取る。
「私は未だアゲセンベ家に仕えて日も浅く、お嬢様の事を詳しく知っているわけでもありません。然しそれでも毎日、稽古事に打ち込んみ勉学も欠かしていない姿を目にして、感銘を受けていたのです。ですからお嬢様は将来、このドゥルッチェに、いえ大陸に二人といない素晴らしい女性へと成長しますよ」
「そう、なら諦めることなく進んでみようかしらね。色々と試しながら」
ころころと陰りのない笑みを咲かせたチマへ、大胆な事をしてしまったと内心焦るシェオ。二人は苦楽を共にし様々な稽古事へ挑戦するのだ。
「引退?…そうね、もういい歳だものね」
「はい、お嬢様がお生まれになって早一〇年、私もそろそろ引退をして隠居しようかと旦那様へ相談していまして」
「それが来月というわけね。…寂しくなっちゃうわ」
老年の侍女が年齢的に職務を続けるのが難しいと、引退を心に決めてチマへ打ち明けたのである。
「有り難きお言葉に御座います。後任に関してですが、旦那様はお嬢様がお決めになっても良いと仰言ってましたが、如何がなさいますか?」
「後任ね。…シェオがいいわ、一緒にいて楽しいから」
「うふふっ、そうですか。では私の方から旦那様に伝えておきます。改めてですが、今まで有難う御座いました、お嬢様」
「それはこっちの台詞よ。私が産まれてから面倒を見てくれてありがとう、貴女のお陰で、貴女が隣に居てくれたから私は前を向いて歩いてこれたのよ。本当にありがとう」
くしゃりと表情を歪めたチマは、ぎこち無い笑顔を作っては侍女の手を取り、指先に口づけをした。物心が付いた時には隣で朗らかな笑みを浮かべてくれていた老年の侍女、第二の母と言って差し支えない彼女へ最大の感謝を込めて。
「それじゃあ引退するまで、短い間だけど宜しくね」
「はい、お嬢様」
さて、書斎に呼び出されたシェオはレィエに加えてトゥモと侍女が待っており、喉を鳴らしてから重い足取りで部屋を進んでいく。
「よく来たねシェオ。ははっ、総緊張しなくて良い、叱ろうと思って読んだわけではないからね」
「そう、ですか」
「実は彼女が侍女を引退することになって、その事をチマに話したところ後任として君を指名したんだよ」
「私を?」
「そうシェオを。アゲセンベ家に仕えてかれこれ二年、チマのスキル探求に付き合ってくれていることは話を聞いているし、何よりチマが非常に懐いている様子だから私の方からも頼みたいと思ってね。どうだろうか?」
「その私なんかで宜しいのでしょうか?異性ですし、使用人として歴が浅く侍従として働けるだけの実力があるとは思えないのですが」
「先ずは後者だけど、経験と実力に関してはこれから徐々に積み重ねていってくれれば十分だ、元より使用人は多く仕えてくれているから、
「なるほど」
「前者に関しては、
「っ」
三人から向けられた視線は確かな重圧があり、心に理性という名の
「お嬢様に、お嬢様から直接伺ってからでも宜しいでしょうか?」
「それもそうだね。トゥモ、呼んできてくれるかい」
「承知しました」
一礼をしたトゥモは直ぐ様退室しチマの許へと向かっていく。
「私はね、チマと共に様々へ挑戦するシェオの事を非常に評価しているんだ。未だ未だ若いことは確かだけども、チマが道を間違えるような場面に於いても、それを正せるだけの人材に育ってくれるのではないかと、そう思わずにはいられなくてね。数年でなくとも一〇年二〇年、長い期間を掛けて彼女の支えとなって欲しいのさ」
(それは別に従者でなくとも良い、違う形でもチマが
「……お嬢様が私を選んでくれるのであれば、―――」
「あら、私が何を選ぶの?明日のおやつ?」
扉を開け放ったチマは真っ直ぐに書斎を進んでいき、シェオの顔を除いては笑みを浮かべた。
「シェオを後任に、という話しをしていたら、チマから直接聞きたいとのことでね」
「その事でしたのね。シェオ、貴方は私にとって共に歩める心強い味方だと思っているわ。時を見て二年間も私に付き合ってくれて分かっていると思うけど、世間一般では『無駄』とせせら笑われるような挑戦を毎日毎日続けているわ。だけど、それに歩幅を合わせて付き合ってくれて、無駄だと笑わないシェオは私にとって大事な大事な人なのよ。…どうか私に仕えていただけませんか?」
琥珀色の鮮やかな瞳には期待と信頼の感情が宿っており、シェオはそれを真っ直ぐに突きつけられ。
「…、このキャラメ・シェオ、未熟者ではありますがお嬢様の期待に応えるべく、粉骨砕身の思いで侍従としてお仕えいたします!」
「あははは、大袈裟ねシェオったら。いいわ、手を出して」
「?こうですか」
「そうよ」
シェオの手を取ったチマは、感謝を込めて指先に口づけをした。
「~~~~っっ!!」
言葉にならない悲鳴を上げた彼は、茹で上がった蟹の如く顔を真赤に染め上げて、暫くの間を硬直していたのだという。
「チマ…それはね、年頃の男の子には刺激が強すぎるよ」
「そうなのですか?」
「ほら、シェオはピクリとも動かなくなってしまったじゃないか。感謝を示す口付けだけど、相手を選ばないと大変なことになるから、しっかりと相手を見極めて使うようにね」
「はい、わかりましたわ」
「お父さんには沢山していいからね」
「明日は両頬にしてさしあげますわ」
「楽しみにしているよ」
固まっているシェオが動き出すまで、仲良し父娘はのんびりと雑談をして過ごしていた。
―――
「日も暮れてきたし合わせはこんなところにしましょうか」
ポピィの一言で一同は手を休めて一息つく。気がつけば夕刻、五人は思った以上に熱中していたようで、茜色の野外を見ては目を丸くする。
「二回三回集まれば耳汚しすることのない演奏が叶いそうだ」
「余興なのでそこまでの期待はされてないとおもいますが、やはり演奏するのであれば最高のものを提供したいですからね!」
二年のポピィとプファは楽器スキルにポイントを振り分けているだけあって、
「楽器はこの教室に残してもらって構わないとのことでしたので、
「竪琴は演奏者が少ないので置いたままで、他のは音楽教師が回収してくれるとのことです」
そんなこんなで片付けを終えて、ナツ以外は生徒会室に顔を出し各々解散することとなった。
「ねえシェオ」
「なんですかお嬢様?」
「今度一緒に演奏しない?ご無沙汰じゃない」
「練習にということなら付いていけるとは思えないのですが」
「違うわよ。ほら、初めて私と一緒に何かしようってなった時は楽器の演奏だったじゃない?だから初心に帰ってゆったりしたいのよ」
「っ!喜んで!」
「そうだ、リンとビャスも加えて四人で楽しくやるのも有りね」
「ええ、ええ!是非とも!」
尻尾があったら千切れん程に振られていたであろうことが見て取れるシェオに、チマは小さく笑みを零す。
「なんのお話しですか?」「よ、呼びましたか?」
「今度一緒に楽器を演奏しようって話し。お遊びでね」
チマ御一行は賑やかに廊下を歩む。