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八話 剣術と猫好き!

 第六騎士団からの大鉄板とパンケーキの材料の到着を確認した生徒会面々は、庭の一角に人を集めて予行演習の準備を開始する。

「当日の本物よりは幾分か小さい物を作る予定で、学校の料理人たちにも監督を行ってもらうことにした」

「生焼けでお腹を壊されても困ってしまいますので…」

「ごもっともですね…。ひっくり返すのは身体能力強化のスキルを保有している生徒に参加してもらいました。当日も協力をしていただくことになるので、感覚を覚えてもらえれば助かります」

「「はいっ!」」

「…。」

 楽し気な面々へ厳しい表情を露わに向けているのはチマ、理由は簡単で上級生から口汚い陰口を叩かれたからである。

 生徒会という駿馬しゅんめの群に紛れる泥棒猫とでも見えているのか、彼女自体も立場だけ見れば優良物件なだけに面白くない女生徒が中心になって、彼是と陰で言われていた。直接言うようなことをすれば、首が飛びかねないのであくまで陰から。

「耳が良いのも考えものよね」

「ははっ、また何か言われているのかい?」

「そりゃあ生徒会なんて優良物件の寄せ集め集団なんだから当然じゃない。デュロの隣に私が立とうものなら、その後に何が起こるかなんてわかりそうなことなのに、下らない妄想ばかり嫌よね」

「…、まあ、そうだね。兄妹でなく従兄妹なのか良くないのだろう」

「兄妹ねぇ。デュロと兄妹じゃなくて良かったわ」

「どうしてだい?」

「同じ親から産まれて、スキルに大きな格差があったら嫉妬で狂ってしまうわ」

「チマが嫉妬か」

「私だって人よ、嫉妬くらいするわ。スキル持ってて羨ましいなぁってね」

「可愛いものだね」

「人の気も知らずに言ってくれちゃって」

 ふんす、と鼻息を鳴らせば、料理人指示の元で材料の投入と撹拌が始まり、野次馬たちもざわざわと賑わっていく。

「完成までは結構時間かかるわよね?」

「掛かるだろうね」

「見ているのも面白いかもしれないけれど、次第に飽きてくると思うから余興でもしない?」

「余興?」

「楽器の演奏でもすればちょっとした楽しみにでもなるでしょう?シェオ、六弦琴ギター竪琴ハープ竪笛フルート辺りを学校から借りてきて頂戴。生徒会の指示ってことにすれば、人手も借りられるだろうから」

「それなら自分も同行しますよ!」

「そう?じゃあリキュもよろしく」

「承知しました。お嬢様のお使いになる竪琴は、一回り小さいもので宜しいですか?」

「あったらでいいわよ、竪琴であれば演奏には困らないから。運搬の際には誰かの力を借りて、一人では運ばないように」

「はい」

 二人を使いに出せば二年生から二人も同行し、学校所有の楽器をいくつか運搬してきて、料理担当ではないチマたちが音合わせを行う。

「楽曲は、そうね。『ルーラー山脈から吹き下ろす夏の風 第二番』で良いかしら、皆聞いたことはあるわよね?」

「大丈夫です」「お任せください」

 楽器の運搬に同行した二人は楽器スキルを所持しているようで、曲名を伝えただけで触りを軽く演奏し、腕前をチマとデュロへ伝えていく。

「授業で何度か聴いたが良い腕をしている。私とチマの先導を頼んでもいいだろうか?」

「っ!光栄です!」「お願いねっ!」

 二年生が先導を始めた軽快な律動の耳心地良い曲は、ドゥルッチェ王国で五〇〇年ほど前にフレージェン・ショトという作曲家が西方領を一人で流離さすらっているときに書き上げたもので、初夏から中夏にかけての舞踏会で耳にすることが多い、有名な楽曲だ。

 第一番はゆったりとした曲調でこちらも人気を博しているのだが、大勢が集まって賑やかしい場面では第二番の方が適していると判断してチマは指示をだした。それが功を奏したのか、見物に足を運んでいた生徒たちはぽつりぽつりとダンスを始めて、簡易的な舞踏会となっていく。

 ポロロン、ポロロン。生まれて間もない子鹿が牝鹿の周囲を元気に跳び回る、そんな風景の思い浮かぶ律動には、子鹿の足取りステップ。急な雨に当てられて木陰で休む姿を想像しては、木々に滴る雫の舞いを。一年を通して何度もダンスを行うドゥルッチェ貴族は、聴き馴染のある楽曲で踊れない者などいない。

 臨時舞踏会が始まれば、あれよあれよと方々から人が集まってきて、気がつけば大所帯になっていた。

(始めはパンケーキに夢中になってたのに、今度は踊りにって。あんまり見られていない方がやりやすいけどさ~)

 リンは内心で呆れながら、パンケーキをひっくり返す準備に取り掛かる。

「三、二、一で一斉に持ち上げて、右回転でひっくり返します。幸いなことに見物客の殆どはダンスに夢中でこちらへ集中していません、失敗を恐れずにいきましょうか」

「「はいっ!」」

 バァナの言葉に一同は元気よく返事を行い、大きめのターナーを手に息を呑む。

「いきますよ。三、二、一!」

「「せいっ!」」

 数人がかりで持ち上げられた大きなパンケーキは、空宙くうちゅうで半回転しては焼面を上に着地をし、形を崩すことなく見事にひっくり返すことが出来た。

「「よしっ!」」

「上手くいってよかったぁ!」

 調理担当が喜んでいれば、それを祝うかのように楽曲が第三番へと変わって予行演習の会場は更に賑やかになっていく。

(上手くやったわねっ!ふふっ、何をかけて食べようかしら)

 チマはおやつに思いを馳せながら竪琴を演奏する。


「チョコレートシロップさいこ〜」

 緩んだ表情のチマはパンケーキを食みながら、ご機嫌な尻尾を揺らしている。

「チマ様ってチョコレート大丈夫なんですか?」

「夜眼族は猫から人になったわけじゃないのよ。獣貰神じゅうせいしんアーク・ティニディアの子ら八貰臣はっせいしんを祖に持つ、高い獣性と身体能力を受け継いだのがルーラー大陸西側の多種族群よ」

「なるほど…」

(ゲーム外の知識、それも試験勉強から離れちゃうと途端についていくのが難しくなる…。…この世界は生きていて、ゲームなんかじゃないってしっかり胸に刻まないと。エンドロールなんて流れないし、あたしたちの人生は続いていくんだから)

「良い事づくしじゃなくて、大陸西側では魔法スキルの取得率が東側とで大きく異なっていてね。魔法師なんかは大歓迎で受け入れておらえるみたいよ。回復魔法を使えれば尚の事」

「へぇ〜!何かあったら西側へ行ってみるもの良いかもしれませんね!」

「気軽に言ってくれるけど…片道切符よ」

「え?」

「当然じゃない。こっちで言うところの神聖しんせいスキル相当なのよ?手放すわけないじゃない」

「あー…、私はドゥルッチェの方が良いですね。家族もお友達もいますし」

「良かったわ。大手を振って出ていくなんて言われなくて」

 茶の香りを一頻り楽しんで、チマは優雅に茶杯を傾けて喉を潤す。

「今直ぐにというわけじゃないのだけどね」

「はい?」

「周年式典には私の親族がこちらに足を運ぶ可能性があるのよ。それに伴って夜眼族やがんぞくや他の西側種族も流入すると思うから、リンは警戒を怠らず…危険な目に合わないようね」

「拐かされる、と?」

「さあ、どうかしら。あまり詳しくないのよ、私は」

 チマの瞳は真面目そのもの。母方の実家を悪く言うつもりはないが…、という意思表示にリンは口端を引きつらせる。

(そういう文化があるのよね。ドゥルッチェで生まれ育ったから理解を出来ないし、したいとも思わない。こっちで大人しくしてくれるなら良いけど、文化は文化、そうそうに変えられるものではないわ)

「来年の…半ば辺りからアゲセンベ家で暮らす?」

「…。お言葉に甘えるかもしれません」

「リンの事はお父様とお母様もいたく気に入っているから、大歓迎で迎えてくれるわよっ」

(レィエ宰相かぁ。同郷のよしみって思えればいいけど…)

 現状、明確な敵ではないのだが、チマのために物語を滅茶苦茶にしてしまう過激派。心の底から仲良く出来る相手とは思えないリンである。

「あぁそうだわ。ねえ、バァナ」

「なんですかチマ様?」

「野営会当日も演奏を入れましょうよ、盛り上がるわ。…色々と面倒になりそうだから、デュロは演奏者確定ってことで」

「私もそれは考えていました。舞踏会は皆好きですし、丁度いい暇潰しになりますからね。ポピィさんとプファさんには当日も演奏して貰いたいのですが」

「構いませんよ」

「バァナ会長からご指名なら断れませんね」

 二年生の二人はキリッとした笑顔で返答をした。

「チマ様は如何なさいますか?」

「デュロが演奏組になるのだから私も演奏よ。踊る相手に困ってしまうわ」

「畏まりました、その手筈で進めたく思います。こちらも有志を募って人数を増やしましょうか」

「演奏を披露できる場であれば集まる人も多そうだし、結構な大所帯となりそうね」

「あまり多くても連携に支障が出るだけでしょうから、一人二人増やす程度で収めましょうか。先導はポピィさんがお願いします」

「はい!」

 そんな会話に聞き耳を立てる少女が一人、考え込んでは会場を離れていく。

(最近のデュロ殿下でんかは私を避けていらっしゃる。原因は生徒会にアゲセンベ・チマが加わったことですが…、私が生徒会へ勧誘されないのは百も承知。…学年も違いますし、こちらに視線を向けてもらう機会は有効活用しなくては)

 トゥルト・ナツは先程の演奏で使われていた楽器を思い出し、演奏で必要になるであろう楽器を厳選していく。


 明くる日。

「ふむ…」「なるほど?」

 難しい顔を突き合わせる生徒会面々、生徒から上がった報告を見ては首を傾げていた。

「先日のパンケーキ焼きの予行演習にて多くの者が舞踏のスキル上限上昇、調理に携わった者には調理スキルと身体能力強化スキルの発現と上昇、私とポピィ、プファは楽器スキルが。…一体何が起きた?」

「質問です」

「どうぞ、リン嬢」

「こうして話し合っているという事は前例のない事態なのですか?」

「そうですね。大規模なスキルの習得や上限上昇が発生する催しがあったのならば、もっと頻繁に行われているからね」

「まあそれもそうですね」

(ゲーム内でもこんなイベントはなかったし、…考えられるとしたら『怠惰』なんていうスキルを持っているチマ様の存在。『スキルに関するスキル』を所持していて、シェオさんやビャスさんのスキル数は多くスキル上限はかなり高く上がっていた。今までこういった現象が起こらなかったのは、屋敷に引きこもっていることが多かったとか?舞踏会にも殆ど顔を出さないみたいだし)

「チマも楽器スキルでも発現しているといいのだけど…」

「ですねぇ」「はい…」

 運がいいのか悪いのか、チマはこの場にいない。生徒会の面々は半らデュロ派閥で、チマに対する態度が柔らかい者たちなので、彼女にスキルが発現していることを祈っては、報告の数々に目を通す。

(ゲーム内のチマと行動してもスキルが上がりやすいなんて効果はなかった。…ゲームのとは違うスキルを所持しているのか、それとも条件があるのか。……う~ん、わっかんないなぁ~)

 とりあえずビャスにスキルの習得がしやすいかどうかを聞こうと心に留めて、リンは雑談に混ざっていく。


―――


 木剣を振るい重さを確かめたチマは準備運動をしつつビャスへと視線を向ける。

護陣佩ごじんはいもあるし、持ち得る力はある程度出しても大丈夫よ」

「…っ」

 頷きを返したビャスも木剣を振るい、手に馴染ませては夜眼剣術やがんけんじゅつ風の緩い構えで、チマとの対峙し息を呑む。稽古がてらの運動をと気軽なチマに対して、ビャスの表情は僅かながら重く、苦い。

(今日こそは夜眼剣術を形にしたい…)

 ビャスが複雑な表情をしているのには理由があって、チマとの手の空いているマイによって教えられている夜眼剣術だが、種族の違いもあってか習得は遅々とした進みで、会得仕切ったとは言えない状態が続いているからだ。

 夜眼族の二人は口を揃えて「スキルとしてでなく、技術体系としての『剣術』はスキルで習得できないから、ゆっくりと覚えればいい」と言ってくれているのだが、強くなるために一日での早く会得したいと考えるビャスは、屋敷に勤めてから数度目の模擬戦闘をチマに頼んでいた。

「っお嬢様、その…しゅ習得のコツとかはないですか?」

「コツねえ…小さい頃からの継続としか。まあそうね、柔軟体操を念入りにして身体を柔らかく使うことね。毎回同じ事を。言っている気がするけど」

「…っわかりました」

 チマの身体は非常に柔らかい。前屈をすればペチャンと足と腹がくっつき、Y字どころかI字バランスまでやってのける程で、それを元手にした器用な身の熟しが夜眼族の強みであり夜眼剣術の根幹だ。

 つまり純人族すみびとぞくが扱うには中々厳しい剣術である。

 態々わざわざいばらの道へ進むビャスを止めないのは、本人にやる気があることと、チマ自身が未だにスキルの取得を諦めていないことに他ならない。産まれてから一五年、何一つ新しいスキルが発現していない彼女がいたからこそ、多少の無謀も止めはしない。

 だが、それが原因で身体を壊したり悪影響が出ない状態に限っての話し。あくまで本人の無理にならない範囲でだ。

「私の準備はできたけれど、ビャスはどうかしら?」

「…!」

 こくりと頷き再び構えをとり、ビャスは駆け出した。

 先ずは身体を捻っての横薙ぎを繰り出す。片手で得物を扱う分、自身が振り回されないよう力の調整を行った心算だったのだが、路地裏での一件のような並外れた力は出ず、下手へぼい剣線が宙を泳ぐ。

 そのままでは痛い反撃を喰らうのが目に見えている為に、急ぎ剣を引き寄せて踵で地面を蹴飛ばそうとしたビャスだが、足は既に浮いておりチマのよって振り下ろされた木剣のかしらが腹に突き立てられた。

「ぐ、ふっ!?」

 護陣佩があるとは衝撃全てを殺せるわけでもないので、地面に叩きつけられた衝撃で空気を吐き出し、目を白黒させている。

「随分と腑抜ふぬけた剣だったけど、調子でも悪いのかしら?」

「うっ」

 憧れの相手でもあるチマから、「腑抜けた」と言われたことが痛かったのか、ビャスは眉を曇らせながら上体を起こして剣を握る力を確かめていく。

「ろろ路地裏で殴った時みたいな、力が出ないように調整した…心算だったんですが…」

「あの時とは状況が異なるし、それ以前の今までどおりのやり方でいいと思うわ」

「はいっ」

 チマに差し出された手を握り起き上がっては、土を落とし再び剣を構えてチマを見据える。

「それなんですけど、私に少し思い当たる節がありまして」

「思い当たる節?」

「実は私も第六に行って修練を積んだ際に、必要以上の力の振れ幅を感じまして。どうしたものかと屋敷で一人修練に励んだ時は問題がなかったのです」

「ビャスが路地裏と第六、私シェオが第六で妙な力の暴走が起こっている。ねえビャス、ゲッペに行った時はどうだったの?」

「も、問題はなかったです」

「特定の場所で箍が外れるわけじゃないのね」

「…。…っお嬢様と離れているとき、ですか?」

「はい、未だ仮定に過ぎませんがね。スキルを譲渡されると現れる『怠惰たいだ仕徒しと』が影響を及ぼしていると、私は考えています」

「ふぅん、私の周囲にいると力が制限されると。嫌な仕様ね」

「いえ、どちらかといいますと、お嬢様の近くにいる間は上昇したスキルの制御がしやすくなっているんですよ。『大量のポイントを一気に振り分ける』なんていうのは、開闢かいびゃくの神シーノワが知的種族にスキルの開示を行った時以来のこと。はっきりいって前例がありませんのが、力の暴発や必要以上の消耗が副次作用として表れていると私は考えています」

「私が譲渡したスキルポイントの影響ということは変わらないわね」

「いや、そういう――」

「いいのよ別に。ただ…私から離れてしまうと力を十全に振るえないのは危ないわね。路地裏での一件のように危害を加えてしまう可能性もだけど、いざという時に実力を振るえず…なんてこともあり得るわ」

「…。第六には暫くのお世話になりそうです」

「スキルのことはよく分からないけれど、騎士の皆には悟られないよう立ち回るようにね」

「承知しました」「しょ承知しましたっ」

「それじゃもう一戦いくわよビャス。次は上手くやれるでしょ?」

「はいっ!」


 力の出し渋りや暴発の心配がないビャスの剣撃は鋭く真っ直ぐだ。だが、真っ直ぐ故にチマには僅かな動作で回避され、細々とした反撃を喰らう。

(動きが硬いわね)

 元より師の許で習ったわけではない我流剣術に、夜眼剣術の混ざった発展途上の腕前では、しっかりと夜眼剣術を習った彼女に一撃を加えるのは難しい。

 ならばと小手先で剣筋を曲げてみたり工夫をするのだが、付け焼き刃が通用するはずもなく。

 振り下ろされる木剣の腹にチマが裏拳を当てて大きく軌道を逸らし、勢い余って地面に剣先が触れると同時に峰を踏みつけられてしまった。

「っ!」

 得物を潰されたうえで徒手空拳の間合い、ビャスは僅かにひるみ木剣へ力を加えて引き抜こうと試みる。するとチマは足の力を緩め、よたよたと覚束無おぼつかなく退く彼に対して木剣を振り下ろす。

 カンッ!限々ぎりぎりのところで木剣を持ち上げることの出来たビャスは、振り下ろされた一撃と返しの斬り上げを受け止めながら体勢を整え一歩踏み込んだ。

 軽い一撃を繰り出すと直感においで感じ取ったチマは一気に距離を開け、ビャスは次の機会を伺う。

(お嬢様は妙に鋭いところがある。退かれなければ僕の流れに持っていけたと思うのに)

(早い立て直し、だけど)

(あの踏み込みは!)

 チマが本気で攻め込んでくる時には、姿勢を低くしてから動き出す。これを数度目にしていたビャスは、木剣で防御を行うべく構えるのだが、夜眼剣術には相手の攻撃を防御する術は多くない。本能と身体能力強化で無理繰り防ぐために、木剣を寝かせた構えを取れば、若干視界が阻まれ。

(ここかしら。)

 チマは視線から姿を消すように位置取りを行い、間合いに入り込んでから自身の勢いを殺して砂を巻き上げた。

「っ?!!――ふぐっ!」

 顔面に迫りくる砂の数々に目を閉じてしまったが最後、チマの回し蹴りがビャスの側頭部に命中して僅かに体勢を崩し、そのまま襟を掴まれ、彼女の全体重が掛けられて引きずり倒されるのであった。

「ふぅ、私の勝ちね」

「っはい…」

「絶好調なんだけども、レベルが上がると身体能力が上がったりするものなの?」

「いやぁ…そういうことはないはずですよ。もしかしたら怠惰スキルが関与しているかもしれませんが、詳細がわかりませんので」

「……っお、お嬢様は夜眼族ですし、そっちの関連しょうか?」

「種族特性か才能か。どうせならスキルっていう目に見える形で欲しかったわ」

「…どんなスキルが、ほ欲しいんですか?」

「なんでもいいわよ、剣術でも裁縫でも学問でも。そのために色々と試してきたんだから。今ので発現してないかしら」

 巻紙スクロールを出すその瞬間までは楽しそうなチマだが、いつも通りと分かればつまらなそうに口を尖らせてしまう。

「あっ、僕は剣術と身体能力強化の上限が上がってます」

「ホント。ビャスは成長期なのね」

「なんというか、お嬢様となにかに挑戦しているや修練時には、スキルの発現や上限上昇が起こりやすいんですよね」

「羨ましい限りよ」

「…っそ、そういえばリンさんから、『チマ様との行動中にスキルを取得しやすかったりしませんか?』と、…聞かれました。なんだか、ゲッペの時とパンケーキの時で、すスキルが発現したとかで」

「確定ですかねぇ」

「『怠惰』って私が怠惰になるんじゃなくて、周囲の人を怠惰にするってスキルなのかしら…」

「お嬢様に仕えている限り、その心配は無さそうですが。…そうですね、使われ方を考えれば有り得る話しです」

「…っお嬢様の顔に泥を塗るような真似はしませんっ!」

「大丈夫だとは思っているけど。…私の存在って劇薬どくよね」

「ですねぇ…」「……。」

 「身の振り方には気を付けないと」というチマの言葉に二人はうなずいて、ビャスの修練に付き合っていく。


「はぁ…はぁっ、もう無理」

「あ、ありがとうございました…」

 何度も模擬戦を繰り返して、夜眼剣術を目に焼き付けていたビャスは、体力の絶え絶えになったチマから漸くの思いで一本を取り、大きく呼吸を行う。

「…未だ、硬いわね。やっぱ種族的に厳しいところもあるから、夜眼剣術を完璧に熟すのでなくて、織り交ぜて自分の剣術としてやっていきなさいな」

「…っ厳しいですか」

「ビャスに悪影響が出ない範囲で頑張って貰う心算つもりだったのだけど、今の貴方には夜眼剣術が足枷になっているわ。成長を妨げている、のではなくて重荷になっているの」

「っ!」

「分かっているみたいね。私は挑むのが嫌いじゃないし、何かに挑む姿勢は応援する。だけど。悪影響があるのなら話は別、貴方が潰れる姿を見る気はないのよ」

「わかりました」

「食い下がらないのね。言いたいことがあるなら言ってもいいわよ」

「…っ、同じ土台ではチマ様に敵わず、第六でも指摘されました。そ、それに自分自身でも天井は見えてしまいましたので」

「そう。でもね、諦める必要なんて無いわ、夜眼剣術でも得られるものは有ったでしょ?全てを貪欲に取り込んで自分の力にしてしまいなさい、優秀なスキルを保持していてスキルポイントもある。何れ、ビャスは私にとっての自慢に護衛になる、その保証してあげる」

「っ!はいっ!」

「いい返事ね。慣らしも兼ねて第六に通いなさい、気の良い騎士たちだし」

「…っ!」

 頷いたビャスは握りこぶしを作り、チマからの期待に応える可くやる気を燃料に機関こころへ火をべる。


―――


 獣医がマカロの全身を隈なく触診を行って、異常がないかを確認していく。本日はマカロが健康診断日を行う日であり、飼い主であるチマや食事の管理を行っている料理長も様子を眺めている。

「最近変わった点などありますか?」

「ほんのりお肉がついたくらいかしら、お腹がぷにっとしているでしょ?」

「ふむ。マカロ様はそろそろ高齢と呼べる年齢に差し掛かる時期ですから、それに伴った食事へ切り替えていく必要がありますね」

「といいますと、どういった食事を用意したら」

「そうですね。我々と同じで熱量カロリーや塩分などが少ないものを、一〇日に一度前後の頻度で混ぜ徐々に切り替えていって上げてください。いきなり変えてしまうと、変化に戸惑って体調を崩してしまう方もいますので」

「承知しました」

「マカロもそろそろおばあちゃんね」

「んぁ」

 マカロは七から八歳程で人に換算すれば四〇代半ば。お婆ちゃん、というには若いが高齢期といって差し支えない年齢であろう。

 欠伸を一つしたマカロはチマの許へと戻ってはくるりと丸まり、ゴロゴロと喉を鳴らしている。

「本日の診断で異常はなく、これまでも大きな病や怪我はなく健康そのものでしたが、やはり加齢と共に身体は弱っていくものですから、ご家族マカロ様に少しでも変化が見られたら、直ぐにお呼びください」

「ええ、わかったわ。何時も足を運んでくれてありがとう、代金とは別にお土産も用意してあるからご家族と一緒に楽しんでね」

「ありがとうございます」

「では、お医者様がお帰りになるから案内を」

「はい」

 使用人に指示を出しては、チマはマカロを優しく撫でていく。


―――


 ここ最近、市井に布陣札ふじんさつを流行らせようとした動きがあり、それに興味を持ったチマが試作品を取り寄せては一枚一枚確認していく。

 表面の印刷はやや質素で絵柄にも華々しさはない、現行で貴族たちが用いている物と比べたら月とすっぽんなのだが、裏面は違いが出来ないよう完璧な印刷がなされており、小さな差異での判別は不可能な作りとなっていて、チマをして「及第点ね」と言わせるほど。

(かなり出来に拘っているのね。砂時計は…)

 自身の道具(伯父ロォワから勝ち取った最高級品)と同時に砂時計を立ててみると、二秒ばかし遅れていたがこの程度であれば問題ないだろうと思いながらも、一応のこと書き出していく。

 次いで規定書ルールブックの読み込み。チマの持つ物と比べれば、言い回しが柔らかくなり、わかりやすく噛み砕かれて、力を入れていることが窺える。

(本気で流行らせようとしているのねぇ。今までは埋もれていたとんでもない逸材がいると思うとわくわくするわねっ!)

 指摘と褒状ほうじょうの届いた紹介は『公爵令嬢が認めた布陣札!』と、一応名前を伏せながらも「お貴族様から太鼓判を押された」触れ込みで販売を開始。

 結果的に、布陣札を好み公爵令嬢チマを知る貴族が興味を持って購入、それに煽られて貴族界に流行りの風が吹き始め、市井にも広がっていくのだとか。


―――


サブレを食みながら漫画を読み始めたチマのもとへ、家令のトゥモが訪れる。

「入って」

「失礼します」

「トゥモが態々わざわざ、どうしたの?」

「どうにもお嬢様と商談がしたいという商人が現れたのですが…。予約もない飛び込み商人、先ずは断ったそうなのですがマカローニの絵画を持っているとのことで」

「私の許へ、マカローニの絵をねぇ。耳聡みみざとい商人なのだし会ってみても良いんじゃない?シェオ休みで出ているし、ビャスも第六に行っているから、」

 チラリとチマがトゥモへと視線を向ければ、鷹揚おうように頷き腰を折る。

「承知しました。私が同席いたします」

「それじゃあ決定ね。応接室で待ってもらって」

 支度を済ませてからトゥモと共に応接室に足を踏み入れれば、北方九金貨連合ナインコインズユニオン北方系ほっぽうけい純人族すみびとぞくが長椅子に腰掛けており、チマを見ては柔らかな笑みを浮かべて立ち上がる。

 ドゥルッチェに多くいる中央から南方純人族と比べると、体格こそは少し大きめなのだが、耳が丸っと小さいのが特徴だ。凍傷になりにくくするための進化だとかいう学者もいるのだが、真偽は不明。

「陽光と爽やかな風が草木を育む夏の今日、こうしてお会いできたことを光栄に思います、アゲセンベ・チマ殿下でんか

「王女でないから殿下は不要よ。知っているようだけど名乗りは上げさせてもらうわ、アゲセンベ・レィエが娘のアゲセンベ・チマ。そちらは?」

「私は束柱獣金貨のパスティーチェから参りました、ラザーニ・ラザ・ベシャメと申します。国をまたいだ旅商人なんかをしておりまして、パスティーチェの画家マカローニの絵画を好んでいるご令嬢がいると耳に挟み、足を運ばせていただきました。急な訪問は失礼と存じておりますが、く早くにお目に入れたいと門扉もんぴを叩いた次第に御座います」

「ふぅん。絵画の件は理解したけれど、貴女は女性よね?パスティーチェではラザーニは男性名の筈よ、身分を偽ってアゲセンベ家を訪れるなんていい度胸ね」

「いやはや、博識でいらっしゃる。実は私、本名はラザーニャ・ラザ・ベシャールメと申しまして、女が商人なんてしていると知られれば恰好かっこうかもで御座います。故に男装をして男名を名乗っていたのです。重ね重ね失礼をお詫びさせて貰いたい次第に…」

 襟を軽く開いて見せれば、喉仏は見当たらずスラッとした喉元がそこにあり、喉を整え女性らしい声へと変えていく。

「そういう事情なら受け入れてあげるわ、商人ラザーニ」

「ありがとうございます、アゲセンベ・チマ様」

「次からは予約を取って、ラザーニ・ラザ・ベシャメと名乗るようにね」

「畏まりました。…これは、良い茶葉ですね。香りから推察するに…マフィ領の『プケ』でしょうか?」

「へぇ、当たりよ。ドゥルッチェにはよく足を運ぶのかしら?」

「これで二回目です。プケに関しては独特な果物に近い香りがするという知識がありまして、もしかしたらと」

「飲んだことがないのなら、遠慮なくどうぞ」

「お言葉に甘えさせてもらって。…、ほう、これが。次の行き先はマフィ領にいたしましょうかね」

「横から失礼します。茶葉には適切な管理が必要ですので、取り扱いの際には注意事項を伺ったほうが賢明かと」

「ご忠言ありがとうございます。…ふぅ、それでは私の持ち込んだ、マカローニの絵画を見てもらいたいのですが。開いても?」

「どうぞ」

 長椅子の隣に置かれた背負鞄を漁れば、布で厳重に梱包された小さめな絵画が姿を見せて、ラザーニが梱包を解いていく。

 そうして姿を見せたのは、差し込む陽射しを浴びて眠る猫の絵画で、チマは目を皿のようにして検めていく。

「これはどうやって手に入れたの?本人から?」

「実は金子きんすを貸していた商人仲間が、借金の利息代わりにと譲り受けたものでして。いやぁ、パスティーチェで販売しても良かったのですが、どうせならドゥルッチェの蒐集家しゅうしゅうかにと」

「残念ね、その商人仲間とやらに一杯食わされたみたいよ」

「へっ?」

「その絵画を持って付いてらっしゃい」

「あっはい」

 チマは応接室を出ていって廊下を進み、アゲセンベ家の小さな画廊へとラザーニを案内する。

 そこには多くない美術品が並んでおり、壁にはいくつもの猫の絵画が並べられていた。

「その子はメロっていうのだけど、模様の描き方が違っているし、使っている絵の具の品質も低いわ。若い頃の絵画かもしれないと思うかもしれないけれど、その場合は署名サインが違う。質の悪い絵の具を使っていた頃の署名はこっち」

「おぉ…、悔しいですが…してやられましたね…。…よく見ると署名も、崩れていますし」

 悔しそうに顔をしかめては、絵画へと視線を落とし、肩をもガックリと落とす。

「利息っていうのはいくらだったの?フィナン換算で」

「フィナンですと、…七〇〇〇フィナンでしょうか」

「じゃあその贋作がんさくを七〇〇〇フィナンで買い取ってあげるわよ。絵画そのものは悪くないから」

「いいんですか!?」

「ラザーニの歩き損になるけれど、それでいいのならね」

「是非是非!いやはや、ドゥルッチェへは足を向けて眠れなくなってしまいます」

「トゥモ、金子の準備をしてあげて。ふふっ、次からは確かなものを商品として扱うのね」

「はい!」

っかし…、この贋作を描いた画家はマカローニの作品をよく知っているわ」

「そうなのですか?」

「マカローニは日常的な猫の一瞬を切り取って絵画にしているのだけど、この贋作、いえ作品も、ふとした日常の一瞬を良く切り取りれていると思ってね。こういった少しの陽射しでも見つけて、移動しながら寝ていたりするものなのよ」

「なるほど。勉強になります」

「なら勉強をしていく?多くはないけれど教材があるわよ」

「いやぁ流石に本日知り合った商人が、こういった画廊に長居するのはよくないと思いますので」

「まぁそうね。…よく考えたら私の絵画や写真なんかがあって少し恥ずかしいわ」

 画廊にあるのはマカローニの作品だけでなく、レィエが保管しているチマとマイの絵画や、未だ未だ普及のしていない高級な映写機で撮影された写真も飾られている。そちらに視線を向けては、バツの悪そうな表情で外方を向いては画廊を出ようときびすを返す。

「いやはや、私の損失を補っていただきありがとうございます、アゲセンベ・チマ様」

「いいのよ。今度は本物を持ってきてちょうだいね」

 パスティーチェに良い縁が出来たとチマは喜び、ラザーニは金子を受け取って背負鞄にしまっていく。

「それでは再びお会いできることを願って、お別れは言いません」

「ふふっ、お元気で」

「アゲセンベ・チマ様もお元気で」

 軽く見送ってから、チマは購入した絵画を眺めつつ、何処に飾るかを考えていく。

「ちょっとしたところに飾るのが粋かしらね」


(いやぁ驚きました…。結構な力作だと思っていましたが贋作と見破られて、初見で変装まで看破されてしまった。お宝は見れた、という収穫はありましたが…、あそこまで絶賛してくれるのなら安くしておくべきでしたね)

 ラザーニはドゥルッチェの猫姫を思い返しては笑みを零す。

(いっそのこと本当の事を話してお抱えの画家になってしまうのも有りでした。………はぁ…アゲセンベ・チマ様には悪いと思いますが)

 商人ラザーニは元からそこに誰もいなかったかのように姿を消していく。

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