サイシアが何かに気付いたように走り出し、向かった先は厨房だった。そこにはコックが驚いた顔でサイシアを見る。
「サ、サイシア様!?一体こんなところにいらっしゃってどうしたというのです」
「お前、イベリス様の食事に何かしたのか」
驚くコックにサイシアは鋭い瞳で問いただそうとする、しかしコックは突然目をぐるぐると回し頭を調理台に打ち付けた。コックは気が狂ったように何度も何度も頭を調理台に打ち付ける。
「何をしている!ばか!よせ!」
サイシアが慌ててコックを止めようとすると、頭を打ち付けたコックはゆっくりと頭を上げ、おでこから血を流しながら不思議そうな顔でサイシアを見つめた。
「ここは、一体……?私は、誰でしょうか?」
ぼんやりしながらサイシアに問いかけるコックを見てサイシアは驚愕する。
(まさか、錯乱魔法?記憶を無くしたか、しかしその魔法が使えるのは……)
サイシアの胸に一抹の不安が広がった。
◇◆◇
翌日、サイシアとモルガはモルガの部屋で昨日のことを話し合っていた。その場にはイベリスの部屋を抜け出したアリアも当然のように陣取っている。
「アリア、どうしてあなたもここにいるんですか。また部屋を抜け出したのですね、今回はあなたのおかげでイベリス様を助けることができましたが、部屋を抜け出すのは良いこととは思えませんよ」
モルガの小言にアリアは素知らぬ顔だ。
「そもそも部屋を抜け出すってどうやっているんだ?」
「聖獣はありとあらゆる魔法を使えると言い伝えられています。部屋を抜け出すことなど造作もないのでしょう」
モルガの返答にサイシアはじっとアリアを見つめる。
(サイシアって顔はすごくいいんだけど無表情でちょっと怖いっていうか、とっつきにくいのよね)
アリアはモルガの足元にそっと隠れる。そんなアリアの様子に、モルガはアリアをそっと抱え膝に置いた。
「しかしアリアは本当に手触りが心地よいですね。いつまでも撫でていたくなる」
モルガはアリアを優しく撫でながら言った。そんなモルガの様子に、アリアもまんざらではない。
(モルガもイケメンだし、丁寧な口調と同じように撫で方もとても丁寧なのよね。結構繊細で優しい撫で方をしてくれるからモルガも好きよ)
アリアはモルガの手に頭を傾け、嬉しそうに目を細めた。
「そんなに気持ちいいものなのか?」
サイシアがモルガに撫でられるアリアを眺めてそう呟くと、モルガはふふ、と笑った。
「サイシアも触ってみますか?とても気持ちがよくて癒されますよ。何より可愛いですしね」
そう言ってアリアを渡そうとするモルガに、サイシアは慌てて遠慮する。
「い、いや、俺なんかに撫でられてもアリアが嫌がるだろう。俺はあまりアリアに好かれていないようだし。それに俺の手はゴツゴツしてきっとアリアも嫌がる」
「そうでしょうか。聖獣のアリアならそんなことは気にしないと思いますよ。どうしますか、アリア?」
モルガがアリアを抱えながらそっとアリアに尋ねた。
(確かにサイシアは苦手だけど、嫌いなわけじゃないし顔はめちゃめちゃタイプなのよね……。他の二人には撫でてもらっているのにサイシアにだけ撫でられないのも何だか違う気がする。サイシアはどんな撫で方をするのかも気になるし)
アリアはモルガに顔を向けてからサイシアの方に手足をバタつかせた。
「ほら、アリアもサイシアに撫でてもらいたいようですよ」
そう言ってモルガはサイシアの膝にそっとアリアを乗せ、サイシアは恐る恐るアリシアを見つめる。
「い、いいのか、本当に」
そう言って遠慮がちにアリアを撫でる。確かにサイシアの手はゴツゴツとして硬い。だが、それはサイシアが国でもトップを争うほどの騎士である証であり、サイシアの生き様が現れているかのようだ。そして何よりもサイシアは本当に本当に壊れ物を扱うように優しく、静かにアリアを撫でてくれた。
(サイシア、ぶっきらぼうだし手もゴツゴツしてるけど、それでも撫で方に人柄が現れているわ。サイシアの撫で方もとっても気持ちがいい)
アリアは嬉しそうに目を細め、サイシアの手に擦り寄る。そんなアリアの様子を見てサイシアは思わず嬉しそうに微笑み、その微笑みはアリアの胸を撃ち抜いた。
(な、な、な、なにその微笑みーっ!?ギャップのすごい破壊力……)
何を隠そうアリアは前世の追放令状の頃からギャップに弱い。そして聖獣となった今でもギャップにとても弱かった。
「本当にふわふわで気持ちがいいな。しかもとても可愛らしい。撫でさせてくれてありがとう、アリア」
静かにそういうと、サイシアはゆっくりとアリアをモルガの膝へ移した。
「気持ちよかったでしょう?イベリス様がゾッコンになるのもわかる気がします。……さて、アリアの話はこのくらいにして、本題に入りましょう」
真面目な顔で言うモルガの言葉に、サイシアもいつもの真顔に戻る。
「あの日、サイシアが厨房で見たのは、コックが錯乱魔法で記憶を無くした姿だった、と」
「そうだ。あれは確かに錯乱魔法だ。だが、この国であのレベルの錯乱魔法を使えるのはただ一人しかいない」
「……イーリス第二王子ですね」
イーリス第二王子。イベリア第三王子の兄だがイベリアとも第一王子とも血は片方しか繋がっていない。王子たちは皆母親が違うからだ。
「イーリス様がイベリス様を狙う理由はなんだ?イベリス様はまだ幼い、王位継承もするつもりはないと宣言している」
「おそらくは第一王子であるユーリ様と仲が良いことが原因かと。第二王子という位置でありながらも王位継承を狙うイーリス様は、イベリス様が成長した際にユーリ様の味方をすることを懸念しているのでしょう」
「懸念の根は早めに摘もうというわけか」
二人の話を聞きながら、アリアは腹立たしい気持ちになっていた。
(王位継承争いはどの国でもいつでも起こるものなのね。それにしてもそのイーリスって第二王子はなんて男なのかしら!あんなに可愛いイベリスを邪魔だから殺そうとするなんて)
思わず後ろ足を蹴り鳴らすと、モルガとサイシアはアリアを見て微笑んだ。
「アリアも怒ってくれているのですね。ありがとうございます」
「このこと、イベリス様の耳には入れない方がいいだろうな」
「そうですね、イベリス様はイーリス様のことを嫌っておりませんし、むしろ兄として慕っていますから……」
心優しいイベリスはイーリスが自分を邪魔者だと思っているなどとは微塵も思っていない。そんなイベリスに今回の黒幕がイーリスだと伝えるのは酷すぎる。
「それに確たる証拠がありません。いくら錯乱魔法が目の前で使われたと言ってもそれがイーリス様の魔法だという証拠はどこにもないのですから」
モルガは神妙な面持ちでそういうと、サイシアもアリアも静かに考え込んだ。