「それで歌う順番はどうします?」
「もう曲も決まってるから先に歌いたい」
「分かりました、じゃあ夏乃さんからどうぞ」
「うん、ありがとう」
夏乃さんは充電ポートからタブレットとマイクを取り外して曲を予約する。モニターに表示された曲名は最近若者の間で流行っている人気ドラマの主題歌だった。
夏乃さんはマイクを握って立ち上がりノリノリな様子で歌い始める。気持ち良さそうに歌っている夏乃さんだったが聞いている俺は何とも言えない気分にさせられていた。
恐らく凉乃がこの場にいたらきっと俺と同じ気分になっていたに違いない。
「……やっぱり夏乃さんって音痴ですね」
「あっ、結人はお姉ちゃんにそんな酷い事を言うんだ」
「でも本当の事じゃないですか」
夏乃さんの歌を聞き終わった俺はそう感想を述べた。昔は俺と兄貴、凉乃、夏乃さんの四人でカラオケに行っていたわけだが、その頃から全く変わらずめちゃくちゃ下手くそなままだ。
「夏乃さんって勉強もスポーツも出来る文武両道タイプな人間なのに歌だけはいつまで経っても上手くなりませんよね」
「別に歌が上手くならなくても生きていく上では困ることなんて全く無いし」
「まあ、それはそうでしょうけど」
中学生の頃までは音楽の授業があったため歌う機会はそれなりにあったが高校からは美術か書道を選べば音楽を履修する必要は無い。
だから夏乃さんは中学校を卒業以降は音楽の授業を取っていなかった。ちなみに合唱コンクールなどの際はピアノの演奏者に立候補して逃げていたようだ。
そんな感じだから夏乃さんは気心の知れた本当に仲の良い特定の人としかカラオケには行かないらしい。
「夏乃さんの歌を聞いて褒めてくれるのって多分兄貴くらいしかいないんじゃないですか?」
「確かに綾人は私にぞっこんだからどんなに下手くそでも褒めてくれそう」
俺の言葉を聞いた夏乃さんはそう肯定した。割と夏乃さんを揶揄ったりいじったりする俺とは対照的に兄貴は絶対にそんな事はしない。
何としても夏乃さんに好かれたいと思っている兄貴はどんな些細な事でもとにかく褒めまくっている。そのため夏乃さんの歌を聞いても何かしらの理由をつけて褒めるに違いない。
「いつも思うんですけど夏乃さんは兄貴と付き合わないんですか? 今まで兄貴から何度も告白されてるとは思うんですけど」
「こんな事を言うのはちょっと可哀想かもしれないけど私的には綾人に全くと言っていいほど魅力を感じないんだよね」
「えっ!?」
夏乃さんの口から出たまさかの言葉に俺は思わずそう声をあげてしまった。凉乃を含め学校中の女子を虜にしている兄貴に対して魅力を感じないとまで言い切るとは完全に予想外だ。
「だからはっきり言っておくけど私は綾人と付き合うつもりは一切無いよ。それに今後気が変わることも絶対無いから」
「そ、そうなんですね……」
どうやら兄貴の恋が成就する可能性はゼロと言っても過言では無いらしい。つまり兄貴と夏乃さんをくっつけて凉乃をフリーにする作戦は実行不可能だ。
「そもそも私には昔から好きな人がいるからその人以外とは絶対に付き合う気がないし」
「えっ、夏乃さんって好きな人いたんですか!?」
「うん、本当に大好きだからその人の全てになりたいって本気で思ってる」
夏乃さんはまるで恋する乙女のような表情でそう答えた。今日は夏乃さんに関する初耳の情報が多過ぎて本当に驚きの連続だ。
それにしても夏乃さんの好きな相手とは一体どんな相手なのだろうか。ちょっと俺には想像する事が出来そうになかったが兄貴以上にハイスペックな人間である事はほぼ間違いないだろう。
「雑談するのはこれくらいにしてカラオケに戻ろうか、このまま話してるだけだと時間も勿体無いし」
「ですね、今度は俺が歌うので聞いててください」
「結人の歌を聞くのも久しぶりだから楽しみにしてる」
「夏乃さんよりは絶対に上手い自信があるので期待して頂いても大丈夫ですよ」
「おっ、結人も言うようになったじゃん」
そんなやり取りをしながら俺はタブレットを操作して曲を入れる。どの曲を入れるかはかなり迷ったが無難に最近CMでよく流れているラブソングを歌う事にした。
夏乃さんからマイクを受け取った俺は立ち上がって歌い始める。久々のカラオケという事で最初は少し緊張していた俺だったが歌っているうちにどこかへと吹き飛んだ。
「相変わらず結人は楽しそうに歌うね」
「実際に歌うのは好きですから」
「さて、次は私の番か……」
それから俺達は注文したフードメニューを食べながら二人で楽しく歌い続け、気付けばあっという間に二時間が経過していた。
もしかしたら二時間は少しだけ長いかもしれないと部屋に入った時は思ったりもしていたが実際はそんな事無かったようだ。
「満足したしカラオケはこのくらいにしておこうか」
「二時間は本当にちょうどいいくらいの時間でしたね」
俺達は荷物をまとめて伝票を持つとそのまま部屋を後にした。