アリア氷河
「ねえゼル、ブリューナクに居るときに思ったんだけど」
「何だ」
「なんか寒くなーい?」
「確かに気温は低いが……別に寒くはないだろ」
「いや、寒くはないけど寒いというか……うーん、説明しにくいなー」
そんな他愛ない会話が、針葉樹林の間を通り抜け、氷河の波濤に掻き消される。
アリア氷河はアリア氷山より流れる川であり、氷山の砕けた氷を運び、森へ栄養をもたらす存在となっている。
一行はブリューナクを出た後、川に沿って北上している。
しばらく歩くと、木々の向こうに巨大な何かが見える。氷結した石が積み上げられた、珍妙な遺跡だ。
「あれかな」
「まだ全然冷たいんやけど、ここ越えたらほんまにブロケードなん?」
ルクレツィアがわざとらしく囀ずる。
「ああ。現に俺は、ここからブロケードに行ったことがある」
「まいっか。違ったらその時だよ」
氷結界の封印箱
内部は特に入り組んでいる様子もなく、一見すると巨大な石造りの倉庫にすら見えるかもしれない。
天井に大きな穴が空いていて、それは無理に突き抜けたような乱雑な穴だった。
「うーん、何もないし、ただ通り抜けるだけかな」
「元々通過点のつもりだしな」
ゼルとホシヒメが話しているところにノウンがゼルを、ルクレツィアがホシヒメを突き飛ばす。そして二人は上から降ってきた何かを息の合った攻撃で弾き飛ばす。何かはゆるりと宙を舞い、着地する。
「え何!?何が起きてん!?」
ホシヒメが大声を出し、ゼルと共に起き上がる。
「ノウン、やっぱこいつの仕業やったな」
「うん……出来れば信じたくはなかったけどね……」
何かは前に出て、日光にその身を晒す。
「な……」
ゼルが絶句する。
「私と……そっくり……」
ホシヒメも驚嘆の声を漏らす。
「アンタやったか、アカツキ。この世でホシヒメにあそこまで似とるのはアンタ以外居らんもんな」
ルクレツィアを一瞥すると、アカツキはニヤリと笑う。
「アンタならヤズもアカツキも殺れるやろうし、アルマとアルメールがこの速度で対応できるんも納得やわ」
「どういうこと?」
ホシヒメが問う。
「こいつはアカツキ。ウチら凶竜の元締めや。何らかの理由で行方不明になった原初凶竜パーシュパタの後釜。要は、当代の凶竜覇王のアンタが死なんようにアンタの使命を果たしつつホシヒメをなんらかの形で利用しようとしとるってことや」
アカツキは腕を組む。
「流石だな、最強の凶竜は洞察力も違うらしい」
ルクレツィアは刀を構え直す。
「お世辞は結構や。ウチは原初竜神どころか、都竜神にすら勝てへん雑魚やからな。しかしなあ、ウチらの王だけあって何が使命なんかさっぱりわからんわ。ホシヒメを殺すなら竜神の都で出来たやろうし、そもそも原初竜神を殺す必要がない」
アカツキは踏み込む。
「知る必要もない。ここで死ね」
構えを取った瞬間凶竜の二人は身構える。そしてアカツキはノウンへ迫る。合体剣を盾にするが、蹴りが貫通し、ノウンは吹き飛ぶ。後ろから放たれる高速抜刀を見向きもせずに片手で受け止め、振り向き様に足を払い頭を掴んで叩きつける。ルクレツィアは動じず鋭い蹴りでアカツキを吹き飛ばす。着地しようとするアカツキをノウンが迎撃するが、足を振り下ろし再度ノウンの剣を砕く。そのまま腹に掌底を加え、首を掴んで投げ飛ばす。切り込んできたゼルのガンブレードを避け、顔を掴んで叩きつけ、サッカーボールのように蹴り飛ばして壁に激突させる。ルクレツィアの雷撃を纏った刀が放たれるが、アカツキの髪を切り落とすに留まり、右腕を折られ、左胸を貫かれる。
「みんな!」
ホシヒメが叫ぶ。
「次は貴様だ、ホシヒメ」
アカツキが指差す。
「くっ……」
ホシヒメが構える。
「行くぞ」
二人が一気に間合いを詰め、拳を交錯させる。そしてホシヒメは拳の速さの違いを察知し、ガードする。アカツキの重い拳が、ホシヒメの腕にめり込み骨の折れる音と共に咆哮を上げる。そして反撃に移る余地すらなく、アカツキの二発目の拳が胸を抉り取る。ホシヒメは喀血し、手刀で応戦する。アカツキの頬を掠め、アカツキに首を掴まれる。
「この様ではヤズも浮かばれんな。お前のような雑兵のために命を散らしたとは」
ホシヒメは目を見開く。
「今……なんて言ったの……!」
「今更何をしようが無駄だ、死ね」
「おばあちゃんのこと……悪く言ったでしょ……!」
ホシヒメは自分の首を掴むアカツキの右腕を両腕で掴むと、思いっきり引き千切る。アカツキの右腕が縦に裂け、ホシヒメは着地する。
そしてホシヒメの足元から炎が噴出する。
「君が私を騙って何かをするのは構わない。私のことを信じてくれる人は君が何をしようと私を信じてくれるから。でも、君は私の仲間や知らない人たち……そしておばあちゃんまで傷つけて……君だけは絶対に許さないから!」
アカツキは力み、右腕を修復する。ホシヒメは猛烈な速度でアカツキに近付き、手刀を振り下ろす。アカツキは腕を交差して防ぐ。
「(これはまさか……まさか九竜の力を放ったのか!?)」
「はああああああッ!」
ホシヒメはアカツキの右腕を切断し、左腕で首を掴み、思いっきり頭突く。ホシヒメは反撃の蹴りを喰らって吹き飛ぶが、すぐに起き上がる。
「ちっ、童女風情が」
アカツキは全身から氷を放つ。
「気が変わった。本気でぶち殺す」
「怒りと憎しみと……楽しさと、喜びと、哀しみと……怠惰をこの手に……!」
ホシヒメの体からみるみる内に九つのオーラが放たれる。
「不死と、傲慢と、幻想をも……我が手に……!」
アカツキが破顔する。
「クハハハハハ!そうだ、それでこそchaos社の贄となるに相応しい!」
二人が拳をぶつけ合う。そのまま拳の連打が始まり、僅かに拳を外したアカツキの隙を逃さず拳を放つが、体に触れる寸前で何かに弾かれ、ホシヒメはラッシュを受ける。が、ホシヒメは痛みを噛み殺す声さえ上げず、アカツキの股に強烈な蹴りを捻り込む。そして反射的にアカツキが放った突きを受け止め裏拳を頬に叩き込む。風の刃がアカツキを切り刻む。そして右腕にもう一度、今度は炎を纏った手刀で切りつける。断面が焼き焦げ、そして自己再生を封じる。アカツキは飛び退く。
「これはまさか……怨愛の炎か……いや違う、これは九竜・烈火のもたらす……真炎かッ!?」
アカツキは動揺するが、すぐに平生を取り戻す。
「ふん、ならば、竜闘気を放つ他あるまい」
そして凄まじいエネルギーを纏い、鋭い手刀を放つ。ホシヒメの放つ拳とすれ違い、お互いの左胸を貫く。ホシヒメからオーラが退く。
「ふっふーん……油断、したねっ……!」
ホシヒメは根性で悪戯っぽく笑い、両腕でアカツキの左腕を捻り引っこ抜く。そして足でがっちり腰に組み付くと、全力の頭突きをぶつける。ホシヒメは足を離して落ち、アカツキは後退する。
「九竜の力か、やはり……ん?」
ブロケードの方角から遠く足音が聞こえてくる。
「流石に派手にやり過ぎたか」
アカツキは竜闘気を解き、竜化して天井の大穴から去っていった。程なくして、ブロケードの兵たちが入ってくる。
「こちらアルファ1。ホシヒメ一行を発見。何者かと交戦した跡がある。ひどく傷を負っている」
五人組の一人が無線で話す。
『こちらHQ。応急処置を施した後、マグナ・プリズンへ連行せよ』
「アルファ1了解」
そこまで聞いてホシヒメの思考は闇に落ちた。