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その2(通常版)


 ニブルヘイム・ガルガンチュア

「……すまない、ヴァルナ。僕の判断ミスだ」

「気にするな。私も少し図に乗り過ぎた」

 ベッドに包帯だらけのヴァルナが横になっている。ニブルヘイムの冷気に耐えるため吊るされている点滴には不凍糖なる物質が封入されている。ヴァルナはバロンを見上げると、申し訳なさそうに口を開く。

「狂竜王……やつは一体何者なんだ……私が手も足も出なかった」

「……ああ、僕も戦ったが、拳が掠ることさえできなかった」

「バロン、私はしばらく体を休める。頼むぞ」

「……ああ」

 バロンは踵を返し、部屋から出た。自分が最初に目覚めたその部屋から出ると、右に進む。石の廊下を音を殺してゆっくりと歩いて行く。突き当たりにある扉を開くと、ラーフとヴァーユが液晶の前に座っていた。

「よう。将軍の様子はどうだい」

「……問題ない。話を聞いたらむしろ心配したのが馬鹿馬鹿しく思えてくる」

「全力を誘ったら予想を遥かに上回る力を発揮されたために敗北したと……まあ確かに、それなら愚かというかなんというか……」

「……ヴァルナのことを気にかけるのはここまでだ。君らの話によるなら、この世界の男は完全に木っ端微塵にされない限り死なないんだろう?ではヴァルナのことを気にしても仕方ない」

 バロンは極めて冷静に、椅子を引いて座った。

「……ラーフ、アリンガでの戦いは予想外だらけだったが、次に奪還する、もしくは攻める場所はどこだ」

 ラーフは立ち上がり、液晶に映像を映す。砂漠の一地帯が映された。

「……ここは?」

「パラミナ首都、ムラダーラ。パラミナの丁度中央、古代の城の前にある大都市です」

「……古代の城……?」

「思い出してねえのか、バロン」

「……いや、全く……ッ!?」

 バロンは唐突に、猛烈な頭痛と閃光に襲われた。


 ――……――……――

 薄暗い洞窟の中に居る。青い光を放つ岩が所々に表出し、僅かな視界を確保している。横には赤い鎧の骸骨騎士が胡座をかいて座っていて、そして青い光に照らされた洞窟の中央で、美しい青い髪の少女が舞を舞っていた。

「これが原初の大賢者……宙核殿、かように美しい娘を伴侶としているとは、中々どうして、男の性に従順ですなあ」

「……世辞はいい。誰がどう評しようが彼女は僕と運命を共にせねばならん」

 男は立ち上がると、少女の方へ近寄る。少女は舞を止め、男を見つめる。

「エリアル、舞はそろそろ終わりだ。次の世界が始まる」

 男が少女の頬を撫でると、くすぐったそうに少女は微笑んだ。

 ――……――……――


 閃光が収まると、バロンは横で自分の体を揺らしていたヴァーユに手で大丈夫だと合図を送る。

「ったく大丈夫か?古代の城でなんかピンと来たのか?」

「……いや、何も。だがその古代の城がどんなものか大体はわかった。神子が居る場所であると同時に……僕の記憶の鍵があるに違いない場所だ」

「ほう、あなたの記憶……少し気になったのですが、バロン。あなたは私たちの知っているバロンと同じ姿をしているだけで、我々の知っているバロンではないのでは?」

「……確かに、言われてみれば。そちらの言う僕は、今も思い出せた記憶と全く合致しない。むしろ、いつも神子とそっくりの少女と一緒に居るんだ」

「神子とそっくりの……ふむ、ますます気になりますね。あなたの記憶がもっと正確にわかれば、この世界がなぜひたすら戦い続けているのかわかりそうなものですが」

「……ああ。思い出したら教える。今は作戦に集中しよう。それで、ムラダーラをこれから攻めるのか?」

「ええ。ですが、今すぐにではありません。ムラダーラの少し前に、コルムナという砦があります。そこを落としてから、ムラダーラを攻めます」

 液晶に映る映像が切り替わる。無数の基郭によって建物内が区切られた砦が現れた。

「……なんだこれは。少し利便性が低すぎではないのか」

 バロンが少し不思議そうに尋ねる。

「コルムナはゾルグが作った砦で、防御及び時間稼ぎに特化した高機能防御砦です」

「……なるほど確かに、これだけ迷路のように区切られていては攻め込むのは時間がかかりそうだが」

「いえ、ここの真髄はそこではない。ここは攻め込んだものを決して外に出さない形式の砦なのです」

「……なるほど。攻められるのを予防するより一度自らの懐に入れてから消化すると」

「ええ。ですから今回は、バロン、あなた一人でここに攻め込んでもらいたい」

「……!?」

 予想外の提案に思わずバロンは目を見開く。

「マジか!それでいいのかラーフ!」

 ヴァーユも同じように驚く。

「ええ」

 ラーフは眼鏡の位置を直す。

「食料基地、アレフ城塞、国境、そしてアリンガ……バロンの強さは、間違いなく我々の知るバロンそのものだった。例え別人であったとしても、その姿であの強さ、間違いなく我々の知るバロンです。ならば、この程度の砦を落とすなど造作もないでしょう。というより、あなたが一人でコルムナを落としている間に我々は首都を落とす準備をしたいので、あなた一人に任せます」

 ラーフはしれっと椅子に座った。どうやら、バロンにはもう言うことはないということのようである。

「……まあいい。今までは二人が居たからな。僕自身の拳の腕を戻すためにも引き受けよう」

 ヴァーユがバロンを見つめてニンマリする。

「気ぃつけろよ?」

「……わかっている」


 パラミナ・コルムナ

『君には真正面から馬鹿正直にコルムナに突っ込んでほしい。大丈夫、砦に付いているような弩砲くらい、君には効かんだろう』

 腕につけた時計のような装置……今までヴァーユが持っていたコーデックから、ラーフの声が聞こえる。

「……そちらは」

『ムラダーラに攻め込むための準備は順調だ。後はバロンがどれだけコルムナで大暴れできるかだ』

「……わかった。見えてきた」

 砂丘の向こうに、映像で見たのと同じ砦が見えた。警備は厳重なようで、機甲虫だけでなく、鳥人の姿も見える。

「……うむ、あれだけの数が居れば全力で行くしかないな」

 バロンは砦へ真っ直ぐ歩き始めた。

 バロンが砦の正門の前に立つと、機甲虫や鳥人が喚き立て、バロンへ向かってくる。

「……ぬんっ!」

 バロンが肩を怒らせると、凄まじい闘気が放出される。機甲虫はコントロールを失って落下し、鳥人は怯んで空中に漂っている。

「……行くぞ」

 バロンは腕に鋼を流し、眼前の機甲虫に強烈な拳を叩き込んで一撃で破壊していく。そして飛び上がり、鋭い手刀で鳥人も薄く切り刻んで落とす。

 ものの数分の内に、正門を守っていた兵士は皆木っ端微塵になっていた。バロンは正門へ向けて闘気を放ち、正門を破壊する。砦の中に入ると、外よりも更に多くの兵士が居た。

「……機甲虫、鳥人……将は居ないのか」

 バロンは指先に鋼を滴らせ、それを斬撃にして機甲虫の大群へ飛ばす。機甲虫は縦に真二つになり、ゴロゴロと死体を転がらせてゆく。空中から奇襲を仕掛けてくる鳥人も、バロンの片手間に放つ裏拳で粉々にされる。一匹だけ鋼の刃を越えて突進してきた機甲虫が居たが、バロンはそれを真正面から正拳で打ち砕いた。そして二つ目の基郭も闘気の波で木っ端微塵に砕ける。

「ははは!いやはや、豪快な攻めっぷりよ!この砦の基郭はニブルヘイム国境の対空砲さえ耐えるのだが……やはり鍛え上げられた闘気には勝てるわけもないな!」

 砦の基郭の上に見たことのあるコウモリ男が立っていた。

「……ゾルグ……!」

 コウモリ男は飛び上がり、空中で腕を組んで気取った着地をする。

「やはりこの世界、いかな戦略を組もうがたった一人の猛将で全てひっくり返されてしまうな」

「……増援なりなんなり呼んだらどうだ」

「既にそうさせてもらっている。たった一人でここまで来るような化け物にどれだけ雑魚を差し向けても同じだとはわかっているがな」

「……ならば構えよ。僕の拳の糧となれ」

 ゾルグは外套を脱ぎ捨て、機械に包まれた体を晒す。

「……なんだこれは……!」

「これが俺の死に装束だ。バロン、俺はここでお前と刺し違える覚悟でいる」

「……その覚悟、しかと受け取った」

 その言葉が合図となって、両者は動き始める。異常なまでに鋭利な踏み込みで間合いを詰め、バロンが先手を放つ。ゾルグは上半身を捻って躱し、その勢いのまま下半身を持ち上げて左足でバロンの腕に蹴りを入れる。バロンの攻撃を受けた、つまり攻撃に使った腕、右腕は一瞬闘気が乱れ、鋼があらぬ部分から吹き出す。バロンは左腕ですぐさま闘気を放ち、ゾルグの右脇腹を削り取る。ゾルグは踵から暗器を出し、地面に腕で着地して後転し、暗器でバロンを切り裂く。互いに飛び退き、バロンは全身から闘気を放って傷口を瞬時に塞ぐ。

「……いい。やはり戦いとはこうでなくてはな」

「すぅー……ふぅー……強い。もはや捨て身の間合いでなければこちらが一方的に殺られるほどに」

 両者が踏み込み、拳を放つ。バロンの右腕がゾルグの左腕から発せられる磁力で逸らされ、ゾルグが更に接近して渾身の撃掌を叩き込む。凄まじい衝撃がバロンの腹部を駆け巡り、膝を折らせる。しかし、追撃をせずにゾルグは飛び退く。そしてゾルグは胸に手を当てる。すると、そこには機械の鎧に空いた大穴から血が溢れていた。

「……凄まじい撃掌だ……だが」

「かはっ……この捨て身の邪拳、初見で見抜くとは……さすがだバロン!」

 闘気の残り香が渦巻き、煙を放つ。バロンの体は多量の内出血を起こしていたが、負傷部を鋼で繋ぎ止め、闘気を流して一気に治癒させ立ち上がる。

「……ここまでの男だとは思わなかった、ゾルグ」

「男には死を思うことでのみ、得ることのできる剛力もある」

 ゾルグはそう言うと、胸に空いた大穴に自らの腕を捻り込み、己の機械の鎧を引き千切り投げ捨てる。

「……防具を捨てるだと。僕の致命の拳から命を守ったその鎧を捨てていいのか?」

「捨て身の拳に防具は不要。アレフ城塞では時間を稼ぐために守りに徹したが、俺はここでお前と刺し違える覚悟だ」

「……いいだろう。僕もその覚悟に答えよう」

 バロンは全身の筋肉を強張らせると、凄まじい闘気を放って自らの鎧を粉砕する。

「それでこそだ!これからは互い背水の戦い、命を気合いで繋ぎ止めるのだ!」

 ゾルグが恐るべき踏み込みから蹴りを放つ。バロンはそれを膝と肘で挟み込み、足を粉々にする。ゾルグは足に力を込めて曲げ、バロンへ向けて再びの撃掌を放つ。撃掌をバロンはもう片方の腕で受け止め、足を挟んでいる方の腕でゾルグの首を鷲掴みにする。そして地面に叩きつけ、渾身の拳を放つ。ゾルグは両腕を地面に叩きつけてスルリと抜け、その拳を躱す。バロンの拳は地面にめり込み、木っ端微塵に打ち砕く。隙だらけのバロンに右手を突き入れ闘気で背骨を爆裂させる。バロンは地面をのたうち、だがすぐに立ち上がる。

「……ふっ……くははは!血が迸るのを感じる……!」

「ぐふっ……がはぁっ……!そうだなバロン、これが戦いだ……!」

「……行くぞゾルグ。お前の捨て身の拳、もはやネタも尽きただろう」

「気付いていたか……ならば決着といこうではないか!」

「……はぁぁぁぁぁぁぁ!」

 バロンが両腕を天に翳し、闘気で辺りを包み込む。両者が同時に踏み込む。ゾルグが一歩深く踏み込み撃掌を放つ。しかし、バロンはその撃掌に向けて更に深く踏み込み撃掌との隙間をゼロにする。ゾルグの掌が己の闘気の内に入り、衝撃を殺す。バロンは渾身の一撃をゾルグの顔面目掛けてブチ込む。ゾルグの体は大きく吹き飛び、地面に叩きつけられる。

「ま、まさか……俺の拳を本当に見切っただと……」

「……お前の捨て身の拳、それは敵が想定するより更に距離を詰めることで、一瞬乱れた敵の闘気を己の撃掌で何倍にもして流し込む邪拳。その性質ゆえに、一撃で仕留められなければ二度とは使えぬ禁断の技。逆にこちらが撃掌との距離をゼロにして闘気を流し込む隙間を無くせば、それだけで無力化される」

「ふっ……そこまで見切られていたか……見事、ニブルヘイム最強の男よ……!」

 バロンがゾルグの目を閉じてやると、後ろから気配を感じて振り返る。粉砕した基郭の向こうに大群の機甲虫が居た。偏平な体をしたクワガタ型の機甲虫のようだ。ヒラタクワガタ、それの同類だけで構成されているらしい。彼らは中央に道を作るように整列しており、その道の奥から一際巨大な機甲虫が現れた。

「ふむ、貴様がバロンか」

 なんとその機甲虫は大顎の間にある触角と毛を擦らせて声を発したのである。バロンは驚愕したが、しかし冷静に尋ねる。

「……お前は?」

「我が名はパラワン。ムスペルヘイム鉄騎隊隊長である」

「……鉄騎隊?」

「ムスペルヘイムの機甲虫部隊、そのなかでも侵略征圧を目的とした部隊、それが鉄騎隊」

「……なるほど、ムスペルヘイムの最前線を任されているということか」

「その通り。貴様らにここまでの余力があったことは誤算だが、ここで我が大顎の錆になってもらう。ついてこい」

 パラワンは顎を振って促すと砦の外へと出ていった。

 バロンもそれに従ってヒラタクワガタの列の中央を進む。砦の前の開けた場所に出るとパラワンは止まり、バロンの方を見る。

「一騎討ちを所望する」

「……奴らは」

「あれは全て私の部下だ。手出しはさせん」

「……そうか」

「行くぞ!いざ尋常に!」

 パラワンは顎を思いっきり振り抜く。すると、無数の衝撃波が刃のようにバロンの体を何度も切り裂く。

「……ぐはぁっ!?」

「遅い、遅いなバロン!」

 パラワンは顎を何度も振り抜く、その度にバロンの体を何度も切り裂く。ボタボタと血が砂漠に落ちる。バロンは立ち上がり、尋常ならざる速度で踏み込む。

「ぬ!?これはゾルグの!」

「……ぬああああ!」

 パラワンは顎を振り抜く。だがその衝撃波が届くより先にバロンは飛び上がり、空中で加速してパラワンの上体の装甲に撃掌を叩き込む。一瞬乱れた闘気はパラワンの装甲に穴を開け、煙を立ち上らせた。

「ふん、己の技すら信じられんか」

「……違う。これは倒した男の強さを忘れぬためだ」

「まあいい。貴様を倒すことに意義があるのだからな」

 パラワンは振り向き様に顎で地面を切り上げ、バロンの左腕を切り裂く。バロンは構わず前進し、闘気を纏った剛拳を無防備に放つ。パラワンはその隙を逃さず顎を捻り込み衝撃波を放つ。余りに鋭い真空刃はバロンの左胸からズタボロにしてゆくが、バロンは至近に迫ったパラワンの顎を掴み、持ち上げてラッシュを叩き込む。機甲虫の柔らかい腹に何度も拳をめり込ませる。止めの一撃をぶつけようとした瞬間、パラワンは顎の間に溜めた闘気を放出し、バロンを吹き飛ばす。

「ぐはぁっ、くくっ、この私としたことが」

「……僕のこの体にここまで深い傷をつけるとは……」

「そう、我が闘気は暗黒闘気。コーカサスの纏う瘴気と同じものだ」

「……あの黒い瘴気と同じ……」

「暗黒闘気によりつけられた傷は治癒魔法や闘気による再生、更には細胞の増殖をも防ぐ。つまりその傷は治らない」

「……ぬくく……だが鋼で塞ぐことはできよう!はぁっ!」

 バロンは身体中の切創に鋼を流して応急処置を施し、闘気を腕に流して練り上げる。そしてパラワンに向けそれを放つ。砂を巻き上げつつ猛進するそれをパラワンは真正面から受け止め、全身から暗黒闘気を放つ。バロンの嵐のような闘気を瞬時に無力化し、それだけでは飽きたらずバロンを滅多切りにして吹き飛ばす。砂漠に落ちたバロンは、もはやピクリとも動かなくなった。

「この程度か……アグニが好敵手と認めるほどの男とは思わんが、ここで死んでもらおう」

 パラワンがバロンへ近づいたそのとき、パラワンは凄まじい殺気を感じて飛び退く。そしてバロンとパラワンの間を遮るように巨大な黒馬に乗った黒騎士――狂竜王と、その後ろにフードを深々と被った人間が現れた。フードの人間は黒馬から飛び降りると、バロンの傍に近寄って座る。狂竜王はパラワンを見据え、どこからともなく手に槍を持つ。

「去れ、鉄騎の王よ。この男を死なせてはならぬ」

「貴様は……女か……?神子とは貴様か……?」

「私は神子ではない。神子とはこの世界の輝く盃、私のような野蛮なものではない」

「まあいい。神子でないなら容赦も要るまい。どけ!貴様がどこの所属かはどうでもいいが、その男を守る気なら殺すのみ!」

 狂竜王は黒馬から降りると、砂漠に轟音を轟かせて着地する。そして黒馬はフードの人間の方へ歩み寄る。

「行け!ここは私が引き受けよう。そなたはニブルヘイムの者に私のことを伝えよ」

 フードの人間は頷くと、バロンを魔法で浮かせ、前足を折って屈む黒馬に乗せ、自身もまた黒馬に乗り、その場から脱した。

「追え!」

「無駄だ」

「何?」

 砂漠の向こう側へパラワンが視線をやると、地平線の向こうに薄い膜が見える。

「貴様何をした」

「結ばれなければならない運命もある、ということだ」

 パラワンが大顎を振るい、真空刃が狂竜王の鎧を切り裂く。が、その鎧は傷一つついていなかった。

「は……?バカな、貴様は一体……!」

「ふむ、鋼の竜も死んではならんが、そなたもまた、ここで死ぬわけにはゆかぬ。しばらく眠ってもらおう」

 狂竜王が槍を掲げると、猛烈な暗黒の嵐が吹き荒れる。そして槍をパラワンたちの方へ突き出す。すると、前方が暗黒で潰れてなくなり、後には鉄騎隊が全員倒れ伏しているだけだった。


 黒馬は廃墟の中でフードの人間とバロンを降ろし、霞のように消えてなくなった。

「どうか死なないで、バロン……!」

 フードの人間が手をバロンへ翳すと、バロンの全身から瘴気が逃げてゆき、傷がみるみる内に癒えていく。

「……ん……」

 バロンの視界に光が戻る。そして最初に見えたフードの人間と目が合うと、思わず飛び起きる。

「……エリアル……!?エリアルか……!」

 フードの人間の華奢な肩を鷲掴みにする。するとフードから美しい青い髪が少しだけ零れる。フードの人間は手を払うと踵を返し、どこからともなく現れた赤い馬に乗った赤い鎧の骸骨騎士の手を取りその後ろに乗る。

「……待ってくれ!君は……」

 フードの人間は、零れた髪を戻すとバロンを一瞥した。

「次は助けないから」

 レッドライダーはフードの人間の合図を見て、馬を走らせた。馬が見えなくなったのと同時に、コーデックが鳴る。

『バロン大丈夫か!?さっきフードを被った変な奴が私たちの元へ来て狂竜王がコルムナを落としたと……』

「……フード……そいつは青い髪だったか……?」

『い、いや。馬に乗っていたから顔までは……』

「……わかった。今からそちらに向かう……」

 バロンは廃墟から出ると、ラーフたちのいる場所へ向けて歩き出した。


「バロン……」

 青い髪を指でくるくるしながら、赤い馬に揺られる。惜しむように呟いたその様に、レッドライダーが反応する。

「どうした、あの男とまだ一緒に居たかったか?儂に言われてもどうすることもできんがなあ」

「わかってる……バロン……またあなたを抱き締めたいから……死なないで……」

「ふっ、難儀なものじゃなあ。乙女の恋路は障害がたくさんじゃ」

 レッドライダーは呆れながら馬を急かし、古代の城へと駆けていった。


 パラミナ・ニブルヘイム前線基地

「……」

 砂漠をただ歩いている間、延々と脳裏にあの青い髪が揺れる。フードの中に一瞬見えた顔も、掴んだ肩の、体の華奢さも……それと同時に、自分の記憶も揺れる。自分と思われる人間が殴った少女、ヴァルナから教えてもらった神子の姿、雪原で微笑んだ少女……それとあのフードの人間……いや少女は、恐ろしいほどに似ていた。

「……だが神子が、この世界の勝者に与えられる謂わば『賞品』であるのなら、パラミナの砂漠に、わざわざ出てくるはずがない……」

 そうしてただ歩く内に、白い鎧の兵士たちが見える。バロンはそれに駆け寄る。

「……おい、君たち」

 兵士の一人が反応する。

「バロン様、ご無事でしたか!」

「……ああ。ラーフたちはどこにいる?」

「ご案内します」

「……頼む」

 兵士は歩き出す。バロンはそれに従い、すぐ傍の砦に入っていく。砦の中は慌ただしく兵士が対空砲や個人の携行する装備の調整をしていた。砦の奥にあるテントの前で兵士が止まり、中へと促す。

「……ありがとう」

 バロンが礼をすると、兵士は去っていった。バロンはテントの入り口の幕を上げ、中に入る。そこには即席のテーブルの上にホログラフの機械を置き、映し出された地図を囲んでラーフ、ヴァーユ、ヴァルナが居た。

「……ヴァルナ、体はもう大丈夫なのか」

「万全だ。……とは言いがたいが、エンブルムを出すよりはいいだろう。本陣に怪我人だけ残すなど危険すぎるからな」

「いいですかバロン、あなたが来たので作戦の説明をしますが」

 ヴァルナが退き、ラーフが眼鏡の位置を直す。

「この砦はムラダーラの眼前、ポルナレイオ。あなたがアリンガで暴れたお陰で、何の苦もなく奪えました。ここからムラダーラへ攻め込みます。ただし、ムラダーラの門にはリッチーと呼ばれる門番が居ます。それの相手をバロン、君にしてほしい」

「……リッチーとは何者だ」

 ヴァルナがそれを聞いて口を開く。

「リッチー・タルバド。パラミナ随一の勇士であり、あのバンギをたった一人で食い止めたと言われる男だ」

「……また知らん人物が出てきた。バンギとは?」

「バンギ。ヴァナ・ギラス・ヨーギナ。ムスペルヘイムの王であり、エンブルムやカルブルムを軽く凌駕する無敵の覇王」

「……そんな強い男がどうして前線に出ない」

「ムスペルヘイムという国を作るときは自ら敵を葬っていたが、いつからか表舞台に出てこなくなったな」

「……それでそのリッチーとやらはどんなやつなんだ」

「確か、全盲で義足の男だ」

「……そんな義人がどうやって戦う」

「知らん。だが人間、いや生物というものは、失った機能を他の部位で補うものだ。それにやつは、闘気の扱いに長けていると聞く」

「……ふむ、そうか……」

 ヴァルナが椅子に座り直し、ラーフがまた喋り始める。

「リッチーさえバロンが押さえてくれれば、私たちは他の城壁から登って攻め込みます」

「……門番の意味とは……」

「彼は一騎当千。そこにこちらの数少ない兵を行かせないだけでも有意義なのですよ、バロン」

「……まあいい。僕は作戦に従うだけだ」



 パラミナ・ムラダーラ

「カルブルム、ニブルヘイムがやってきますが」

 白い鎧の男が、青い鎧の鮫に話しかける。鮫の男は軽く頷く。城の窓枠から見える青空を眺めて、二人の男は覚悟を灯した眼光を交わす。

「私の子が望んだ希望……その目で確かめるのだ」

 鮫頭――カルブルムは悲しげな光を瞳に宿すと、白い鎧――リッチーはその悲しみを察する。リッチーは鎧を外すと、カルブルムへと差し出す。

「む……」

「拳士が防具を外す意味、理解していましょう」

「いや、ゾルグにも言ったのだが死は覚悟せずともよい。どうしてお前たちはそうまでして死を選ぶ」

「それがこの世界に生きる意味、この戦乱の大地に生まれ落ちた所以なのです」

「その果てに奴と私の子だけが残ると知っていてもか」

「神子など俺にはどうでもよいのです。ただあなたのため、この命を擲つこと、それが俺の使命であり、最後の喜びなのです」

 カルブルムは希望に満ちた目で語るリッチーを見つめる。そしてその希望に迷いがないことを認め、防具を受け取った。そしてそれを腰から抜いた長剣で滅多切りにする。

「必ず生きて帰ってくるのだ。私は形見というものが嫌いだ」

「御意」

 部屋から去っていったリッチーを眺めて、カルブルムは溜め息をつく。

「なぜだ、なぜこうも命を簡単に消し去るのだ、エリアルよ……」

 カルブルムは玉座へと座り直し、欠片だけ残った鎧を握りしめた。


『バロン、リッチーの出陣だ』

 コーデックから聞こえる声で、バロンは眼前の巨大な門に注目する。上半身裸の銀髪の大男が、ゆっくりと歩いてくる。

「……お前がリッチーか」

「いかにも」

 バロンはリッチーの顔を見る。確かにヴァルナの言う通り、目には光が見えない。それに、太股の半ばより下は不自然な外見だった。リッチーは城壁の左右を見やると、少し微笑んだ。

「なるほど、俺にはお前だけと言うことか」

「……そうだ。残念だったな門番。お前の役割は果たせない」

「いや、俺の役目はお前の力を引き出すこと。我が主がそれを望んでいる」

「……ひとつ聞きたい。パラミナとは長らく中立だったはずだ。それがどうして、ムスペルヘイムと手を組んだ」

「それは俺が語ることではない。知っているはずだ、拳士なら何をすべきか」

「……戦うだけ、か」

 リッチーから闘気が溢れ出る。それが合図となり、空気が騒ぐ。バロンが闘気を撃ち放ち、リッチーはそれを僅かに飛び上がるだけで躱す。

「……当たった試しがないな全く……!」

 宙へ飛び出たリッチーは、グルグルと高速で回転しつつ着地する。指の間隔と同じ距離が開いた斬撃がバロンを掠める。

 リッチーの鋭い指線を潜り、バロンが拳を放つ。リッチーがそれを防ぎ、槍のような闘気を放つ。バロンの肩を深く抉るが、バロンが闘気を流さずともその傷は瞬時に癒えていく。

「まさかそれは神子の力……!」

「……何!」

「我が主が話していたことがある。神子の力で傷を癒された男はしばらくの間、継戦能力の面でまさしく不死身になると」

「……(ならばやはり、あのフードの少女は……!)」

「まあよい。どれだけ治癒能力が高かろうと実力で勝っていなければ俺が負けることはない!」

 リッチーが手を合わせ猛烈な勢いで突きを放つ。バロンはそれを片腕で抑え込み、リッチーの肩に突き入れ闘気を爆裂させる。しかし、抑え込んでいたリッチーの腕がバロンを持ち上げ、お互いに空中で新たに構え直す。バロンはラッシュを打ち込む。リッチーはそれをほぼ反動をつけない連続キックで打ち返す。そして両者は空中で拳を放ち交差し、着地する。

「流石だ、ニブルヘイム最強の男よ」

「……鋭いな」

 バロンの腕が弾け飛ぶが、再び再生する。

「……神子とは一体……」

「この世界の全て」


 城壁から白い鎧の兵士が次々とムラダーラの内部へと侵入してゆき、砂竜や鳥人と交戦する。ヴァルナもそれに乗じて突き進む。パラミナの兵を一撃で切り伏せながら、ムラダーラの中心にある一際巨大な神殿のような建物に到着する。その大きさに見合った巨大な階段を登ろうとしたそのとき、階段の中腹を突き破って巨大な二本角の竜が現れる。

「角竜か!」

 黄土色の甲殻に一対の翼、そして象徴的な二本の大角。パラミナの攻城兵器、角竜だ。角竜はヴァルナを捕捉すると、唸り、身を屈めて力を溜め、猛烈な速度でヴァルナへと突っ込む。ヴァルナは氷剣の腹でそれを止めようとするが吹き飛ばされ、階段の横に等間隔で建てられている柱に叩きつけられる。角竜はそれに向けて再び突進する。柱に激突するより早く、ヴァルナは大きく飛び上がり、氷剣の出力を上げて角竜を一撃で切り捌く。頭部から二つに分かれた角竜は倒れ、ヴァルナは氷剣を納め、階段をかけ上がる。

 神殿の中は三つの通路に分かれていたが、ヴァルナは迷いなく中央の通路を進み、日光の差す広間へと辿り着いた。そこには、鮫のような頭の男が窓の無い窓枠から外を眺めていた。

「カルブルム、貴様もこれで終わりだ」

 カルブルムは振り返ると、ゆっくりとヴァルナの方へ歩いてくる。

「覚悟はいいか、カルブルム」

「ヴァルナ、お前では役不足だ」

「なに!?」

「実力には文句はない。だが戦うことに意味はない」

「どういうことだ!」

「待とう、バロンを。chaos社のことを話して意味があるのはこの世界でやつだけだ」


「……chaos社だと……!?」

 両者の腕が激突して激しい闘気を漏らす。

「お前の記憶にあるはずだ、その名が!」

 バロンがラッシュを放ち、リッチーがそれを軽やかに避け、バロンの拳の上に着地する。

「……バカな」

「砕けよ!〈閃転光槍輪〉!」

 拳から飛び、宙返りしつつ腕を振るい、バロンは余りの衝撃で吹き飛ぶ。

「……ぐはっ……」

「お前は知らねばならぬ、会わねばならぬ。我が主に、神子に」


「chaos社とはなんだ」

 ヴァルナが日光で照らされたカルブルムに問いかける。カルブルムがその疑問に応じて、ヴァルナの方を向く。

「とある男の狂気が産み出した、新たな世界を作らんとする企業」

「それがどうバロンと関係がある」

「私はchaos社から来た」

「なんだと!?」

「chaos社こそ、私をムスペルヘイムと組ませた元凶だ。そう、あれは――」


 ――……――……――

「奈野花様、一つお話が」

 美しい湖と山を目前に捉えた白い庭園で鉄製の椅子に座った栗毛の少女にカルブルムが話しかける。奈野花と呼ばれた少女は紅茶をゆっくりと味わって飲み干すと、傍に立つカルブルムをちらりと見る。

「バロンのことね?」

 美しい黒いドレスを靡かせ、ブーツで庭園の石床を踏み割って立ち上がる。一歩一歩軽く歩むだけで石床を粉々にする。

「はい――どうかエリアルをあの男の傍に置かないでほしい。あの子はまだ十七だ。未来ある我が子をどうしてあんな男の慰みものにできようか」

 奈野花は手すりに手をかけて、ゆるりと視線を落とす。奈野花は溜め息をつく。

「あなたの気持ちはよくわかるわ。我が子を大切に思う気持ち、痛いほどよく解る。けれど、大局を見失ってはいけない。あなたには解らないでしょうけど、あの二人は深い愛で繋がっているのよ?すぐにわかるわ。でも、そうね――どうしても、あなたがどーしてもと言うのなら、その深い子への愛情に免じて、チャンスをあげるわ」

「チャンス?」

 カルブルムが訝しげに問う。

「形あるものは崩れ去る。ほらこのように」

 奈野花は持っていた紅茶の入った陶器のコップを軽く力んで粉々にする。

「ならば崩れる前に救いなさい。DAAで発見された異世界、あの戦乱の世界に彼女は居る。私も助けてあげるから、せいぜい急ぎなさい。あの世界では、女は苗床でしかないわ」

 ――……――……――


「エリアル……つまり神子がお前の娘だと?」

「そうだ。どういうことかはわからんが、私の娘であるエリアルと、この世界で神子と呼ばれるエリアルは同一人物らしい」

「それに黒崎奈野花……ゾルグが言った名だ。バロンがそいつの息子というのも信じられんな」

「まあ待て。どちらの拳が勝ったか、見届けてからにしようではないか」


「えやぁっ!」

「……ぶりゃああっ!」

 猛烈な一撃で両者の闘気がバチバチと弾け、舞い上がった砂を撃ち落とす。

「ぐはぁっ……!」

「……ぐふっ……お前は本当に眼と足を失っているのか……!」

 両者が離れ、そして崩れる。

「くっ……ふははは。不思議だ、お前の拳からは何の邪念も感じられない」

「……僕もだ。お前は一体……」

 両者が立ち上がったその時、砂丘の向こうに陽炎が揺れる。

「……あれは……!」

「アグニ……!」

 炎に包まれた男がゆっくりと二人に近寄ってくる。

「ようバロン。食料基地以来だなァ」

「……くそ、こんな時に……」

 アグニが闘気を放つ。それを見て迎え撃とうとバロンが一歩踏み出すが、リッチーがそれを制する。

「……な、何を……」

「ここは俺が引き受けよう。お前は我が主のもとへ」

「……だが奴の狙いは僕だ」

「お前はここで道草を食っている場合ではない。俺が戦ったのは、我が主に会うにふさわしい男か試しただけにすぎん」

「……すまない、恩に着る!」

 バロンは踵を返し、ムラダーラへと駆けていく。

 アグニは更に燃え上がり、リッチーへと接近する。

「満身創痍と言えどバンギが認めた男、相手にとって不足なし!」

「アグニ、お前が俺に勝ったことなどないことを忘れたか」

「くっははは!俺に後退はない。ムスペルヘイムの前に立つものはすべて打ち砕き進むのみ!」

 アグニが構え、リッチーがそれに応えて構えをとる。アグニが炎を放つ。リッチーが闘気槍を撃って迎撃する。アグニは飛び上がり、空を蹴って加速する。炎を纏った手刀を振り抜きリッチーの胸部を十字に切り裂く。傷口が燃え上がり爆発する。

「ぶっ!?こ、これは!怨愛の炎!」

「ご名答だ、リッチー。心を糧として燃え上がる怨愛の炎、その力は通常の炎で焼けぬものまで焼き尽くす!」

「(この世界にも偶然怨愛の炎が……?それとも、月城燐花もしくは、今満月香と接触したのか……?)」

「出し惜しみはせん!それは戦う相手への侮辱だからな!」

 蹴りで交差し、揺らめく炎の拳でリッチーへ突きを放つ。リッチーはわざとバランスを崩してそれを避け、強烈な蹴りを叩き込む。アグニは踏み止まり、リッチーの足に突きを入れ闘気を流し込む。

「ぐっ……何だ、力が……!」

「俺の闘気でテメェの傷を治してやったのさ。どのみちテメェが死ぬなら、やっぱ全力を破ってこそだろう!」

「後悔することだな……!」


 黒馬の蹄が城壁の上部を踏み割り、僅かに嘶く。狂竜王の後ろに乗る、フードの少女がフードを深く被り直す。

「全く、彼方は無事なのか。そなたの救った命をさえ、一瞬の内に費やしているが」

「狂竜王、天使の子の力が見たいのでしょう?そうであるのなら、バロンはあれでいい。命の輝きこそが、闘気の本当の力を解き放つ」

 狂竜王は黒馬の上体を持ち上げると、黒馬で城壁を下る。

「ならばその命の輝きとやら、じっくりと見定めさせてもらう」


「来たか」

 ヴァルナの後ろから、バロンが現れる。

「バロン!リッチーを倒したか!」

 ヴァルナが歓喜の声を上げる。

「……いや……途中でムスペルヘイムが来た……リッチーはそれを押し止めている」

「何だと!」

「……ラーフとヴァーユには伝えた。カルブルム、戦うにしても、投降するにしても、まずは逃げよう!」

 カルブルムはゆっくりとバロンに視線を合わせる。

「その必要はない。奴が私の知る奴と同じならば、思っている以上に律儀だ」

「……何……?」

「お前の母は約束を守る女ということだ」


「その命もらったぁ!」

 アグニの鋭い突きがリッチーの左胸を刺し貫く。

「勝負あったな、リッチー」

「確かに……俺とお前の勝負はお前の勝ちだ……だが」

 轟音と共に巨大な黒馬が城壁を走りながらやってくる。そして飛び上がり、アグニたちの前に着地する。爆発のような着地音を鳴らし、砂煙が上がる。

「よくぞ耐えた、鬼槍の拳士よ」

「そちらこそ……ぐふっ……我が主との約束を守るとは……」

 アグニはリッチーを投げ捨て、首を鳴らす。

「どこのどいつか知らんがいい度胸だ!気に入ったぜ!」

「全く、世話の焼ける同僚だな、奈野花」

 狂竜王はやれやれと溜め息をつく。

「おい!さっさと馬から降りろ!馬上の不利を知らん凡夫かテメェは」

「断る。そなたは世界を焼き尽くすほどの可能性が見えるが、今は赤子。降りる必要はない」


「……僕の母……?」

「そうだ。恐らく、私とお前が会うことを妨害されたくないのだろう」

「……リッチーがお前に会えばわかると言っていた」

「私はお前を回収しに来た。異世界―――ここ、worldBに居るお前と、私の娘であるエリアルを、連れ戻しに来た。お前はDAAでの研究中、何者かに襲われ、この世界に連れてこられた」

「……何?待て、僕はこの世界に元から居たとこの世界の人間は言っている……!」

「そんなことはどうでもいい。私はお前を連れて帰り、エリアルの人生を元に戻す」

「……断る。僕はまだこの世界で何も成していない。まずはこの戦争を終わらせる。僕が誰なのかを知るためにも、ニブルヘイムを勝たせる」

 カルブルムは呆れて首を振る。

「バカな、お前はこんな世界でまだ戦うというのか。お前はバロンだ、それ以外何者でもない」

「……ああ。僕はバロンなんだろう。だが、確固たる『自分』を持たずに神子に面と向かって会うことなどできない」

 バロンは力強く踏み込む。

「……僕は僕自身の思いで、言葉で、拳で、僕自身を作り上げる」

 カルブルムは剣の柄に手をかける。それにヴァルナが反応する。

「力ずくでも回収させてもらうぞバロン。私の娘のために」

 カルブルムが黄金に輝く両刃剣を引き抜く。

使用者ユーザー上書きリライディング。月城燐花からカルブルム・フィーネへ。起動アクティベート、エクスカリバー!」

「……何!?エクスカリバーだと!?」

 バロンは目を見開き、少し動きが鈍る。カルブルムがエクスカリバーから光を放って突撃する。ヴァルナがバロンを押し飛ばし、氷剣とエクスカリバーと打ち合う。

「何だこの剣は!」

「なるほどこれが氷剣……面白い!」

 エクスカリバーは光を放つと、凄まじい加速で氷剣を叩く。ヴァルナの鋭い一撃もギリギリで逸らし、カルブルムの重い一撃をヴァルナが打ち返していく。

「……な、なぜエクスカリバーが」

 横で立ち上がったバロンが呆然とする。


 ――……――……――

「エクスカリバー?」

 黒髪の少女が訝しげに問う。

「はい、燐花様。イギリスで長年語られてきた、あの騎士王の剣です」

 勲章で垂れ下がった左肩の白衣を戻しながら、男は続ける。

「伝承では王しか抜けぬなどというつまらん世迷い言を言っていましたが、これも所詮、シフルによるロックの一種でしかありませんでした」

 燐花と呼ばれた少女は黙って頷く。

「この剣は、極めて優れた闘気を流して作られています。誰が作ったにせよ、これに込められた闘気は相当なものです」

「闘気……即ち、生命力から来るシフルの一種ですね」

「ええ」

 男はカプセルに入った聖剣の周囲をゆっくりと歩きながら、話を続ける。

「シフルであることを活用すれば、魔力も闘気、闘気も魔力となります。明人様から頂いた燐花様のその絶大なる魔力を使えば、この剣を扱うこともできましょう。DAAに必要なエネルギーを取り出した後は、燐花様の新たな武器となりえるでしょう」

 燐花はふむふむと頷く。

「なるほど。お心遣い感謝します、バロン・クロザキ技術長」

 ――……――……――


「……(バロン・クロザキ……!)」

 エクスカリバーと氷剣が交錯し、闘気の輝きを氷剣が乱反射する。

「貴様の剣、その輝きは闘気らしいな」

「その通りだ。極められた闘気は光となり、極大の破壊力を持つ」

 剣を弾き合い、両者が間合いを取り直す。

「バロン!貴様は見ていろ、この男は私が倒す」

「……わかった」

 バロンは一歩引く。そしてカルブルムが先に踏み込む。ヴァルナは目にも止まらぬ速さで斬撃を放ち、カルブルムは体をぐらつかせる。その隙を逃さず、ヴァルナが追撃を振り下ろす。カルブルムはエクスカリバーから光を放ち、強引に上体を起こす。そして起きた勢いで無理矢理氷剣にエクスカリバーを叩きつける。

「……勝負あったか……」

 カルブルムは手を痺れさせ、エクスカリバーを取り落とす。と、同時にヴァルナも氷剣を納める。

「おかしい。貴様の剣には殺気が感じられん。倒そうと言う意思は感じられるが、どうやっても勝ちたいという覚悟がない」

 ヴァルナが倒れたカルブルムに手を貸す。

「私はただ娘を救いたいだけなのだ。だがそのために、むやみに命を奪おうとは思わん」

 カルブルムはゆっくりと立ち上がる。

「……カルブルム、手を貸してくれないか。お前もわかっているはずだ、この世界で神子という存在である限り、彼女はこの世界から離れられないと」

「わかった……手を貸そう、バロン」

 カルブルムはバロンと握手を交わす。

「すぐパラミナの兵を止めろ、カルブルム」

「ああ、わかっている」


「でやぁぁぁぁぁ!」

 アグニの凄まじい蹴りが繰り出されるが、狂竜王は右手を軽く上げて受け止める。

「バカな!」

「もっと本気で来るといい」

「ほざけ!」

 アグニは空中で体勢を変え、猛ラッシュを打ち込むがその全てを狂竜王は受け止める。

「侵略する炎のごとき剛拳、電のごとき俊敏さ。なるほどこれはよい。だがしかし、手緩いな」

 狂竜王は僅かに呼吸をし、人差し指をアグニへ突き刺す。アグニは吹き飛び、砂漠の上に落下する。

「バカな……お前は一体……!」

 狂竜王はゆっくりと黒馬に座り直し、フードの少女に合図する。そして黒馬がアグニへと歩を進め、フードの少女がアグニに手を翳した。するとアグニの体がみるみる治癒されていく。

「はっ……!?これは……!?」

 フードの少女が告げる。

「アグニ、貴方の願いを叶えましょう。ここでバロンと戦いなさい」

「……ッ!?」

 アグニは見上げたフードの中に、息を飲むほどの美しい青い目と青い髪を見た。

「テメェは……まさか……神子……!?」

「行きましょう、狂竜王。我々はここに留まるわけにはいかない」

 驚くアグニを余所に、二人を乗せた黒馬はムラダーラの方へ駆けた。


 神殿の前の階段の、角竜が開けた穴の前に黒馬が轟音と共に着地する。黒馬は掻き消え、狂竜王はしっかりと階段を踏みしめ、フードの少女を受け止めてゆっくりと降ろす。

 そして二人は階段を上がり、神殿の内部へと入る。

 バロンたちが足音に気付いて振り返ると、見たことのある黒い鎧の巨人と、フードの少女がいた。

「……狂竜王……それに、君は……」

 フードの少女はバロンの視線を避けるようにそっぽを向いた。それを見て、狂竜王が口を開く。

「来るんだ、バロン。アグニが待っている」

「……なに?」

「この世界の戦いはここより始まる。行くぞ、さあ来い」

 狂竜王は黒馬を現出させ、狂竜王はフードの少女を抱えて黒馬に乗る。そして狂竜王の後ろにフードの少女が座り、バロンへ手を差し伸べる。バロンはその手を取り、黒馬に乗る。バロンは少女の手をしみじみと握り締める。

「……ひとつ聞きたい。君は――」

「聞かないで」

「……わかった」

 ヴァルナが勢いよく狂竜王へ叫ぶ。

「貴様、バロンをどこへ!」

「気になるのならそなたもついてくるがよい。カルブルム、そなたもだ」

 エクスカリバーを拾い、鞘に納めたカルブルムが、狂竜王の方へ向き、軽く頷く。

 階段へと歩き始めた黒馬の後を、ヴァルナとカルブルムがついていく。外に出ると、パラミナの兵が武装を解除して整列していた。ニブルヘイムの兵の姿はなく、全員退却したようだ。そうしてムラダーラの内部を見渡していると、バロンの目に先程現れた姿があった。

「よう、バロン。待ってたぜ」

 黒馬が城門の前で止まる。フードの少女はバロンへ向き直ると、バロンを抱き締めた。甘い香りがバロンの鼻腔を擽り、バロンは少女に釘付けになる。そしてフードの少女はバロンを見つめると、少しだけ笑った。バロンは強く頷き、黒馬から降りる。そしてアグニと対峙する。

「これは純然たる決闘らしいぜ、バロン。そこの黒騎士が邪魔するやつは消し飛ばしてくれるらしい」

 アグニは嬉々として言葉を紡ぐ。溢れる闘気が空気を震わせ、そこにいる全員が身震いする。

「……僕はどうやら、どちらのバロンの面倒事も抱え込んでしまったらしい」

「んあ?何を言ってやがる」

「……お前と戦うこと、それも僕の宿命ならば」

 バロンは闘気を噴出させ、腕に鋼を迸らせる。

「っはぁ!いいぜ、戦おうじゃねえか!」

 二人の闘気が逆巻く気配に、カルブルムが神妙な面持ちになる。

「これが本当の闘気……リッチーの戦いは近くで見たことがなかったが……」

 狂竜王が答える。

「闘気とは命の輝き。真の闘気の戦いとは、ただ対峙するだけでも疲労していくものなのだ」

 バロンとアグニが対峙したまま、ある程度の時間が経つ。アグニの筋肉がピクッと動いた瞬間、バロンは先手を撃ち踏み込む。アグニもほぼ同時に踏み込むが、一瞬遅れたのが仇となったか、先にバロンの拳がアグニの胸を叩く。が、アグニは怯むことなく炎を纏った突きを放ち、脇腹を削ぎ取る。そしてお互いに空いた方の手で打ち合い、怨愛の炎が迸る。バロンの皮膚を燃やしていく。バロンもまた、それに怯むことなく身を擦り合わすほどに接近し、僅かに乱れたアグニの闘気を突き破り、撃掌を叩き込む。アグニの全身から血が吹き出し、闘気の流れに乗って霧のように飛び散る。アグニは地面を蹴り、爆炎の跡だけ残してバロンの背後に回っていた。バロンがそれに驚き振り返ると、四肢に甚大な切創が現れる。

「……一進一退、互いに一部の隙もないな」

「けっ、やっぱ今まで戦ったやつの技を使いやがるな、テメェは」

「……当然だ。倒した相手がこの世界に生きた証、それは戦い方だけだ」

「へっ、まあいい!テメェとの戦いが楽しければそれでいいんだよ!」

 再び真正面で向かい合い、今度はアグニが先に踏み込む。バロンよりも圧倒的に速いその踏み込みから繰り出された水平に開かれた手刀を躱す。だがバロンの胸には十字の鋭い傷がつく。傷口は燃え上がり、激甚なダメージを与える。だが至近距離にあるアグニへバロンは拳を振り下ろし、砂漠に叩き伏せる。

「……ふーっ。お前に僕は負けない。絶対に負けるわけにはいかない」

「くっ……くはははは!そうだな!俺もテメェにだけは負けねえ、絶対になァ!」

 アグニは立ち上がって吠える。そして拳を叩きつけ合う。炎を纏ったアグニの拳を避ける内、バロンの思考はふわふわと浮いていく。そして無想のまま拳を放つと、星の煌めきのような粒子が散ってアグニを殴り付ける。

「おお、まさか、これは」

 その光景に狂竜王は兜の奥の目を見開く。

「バロン……やっぱりあなたは……!」

 フードの少女が微笑む。

「……なんだ今のは……」

「がはっ、何が……!」

 両者は少しだけ戸惑ったが、また先程と同じように殴り合いを始めた。


 ムスペルヘイム・グロズニィ

「バンギ様」

 溶岩地帯にある、フォルメタリア鋼で出来た要塞の中で、一匹の機甲虫が2mを軽く凌駕した大男に話しかける。

「我に何用か」

 バンギはその機甲虫を見下ろし、訪ねる。

「ムラダーラが落ちました。それと、リッチー・タルバド、ゾルグ・ゾチラハが戦死したと」

 バンギは表情一つ変えない。

「そうか。だが我が国にはまだ来てはいないのだろう。汝に任せている以上、この国は誰も入れまい。そうだろう、グランディスよ」

 溶岩の光に照らされて、肉厚な黒い体が姿を現す。ドルクス属・オオクワガタの中でも大型のその体躯。まさにグランディスオオクワガタである。

「左様。我ら剛顎隊が居る限り、ムスペルヘイムは墜ちませぬ」

 バンギはそれを聞くと満足して、凄まじい足音を立てながら去っていった。

「バンギ様とバロン……神子はどちらの手に落ちるのか……」


 パラミナ・ムラダーラ

「〈闘気爆裂撃〉!」

 怨愛の炎を纏った紅蓮が波となって砂漠を焼き尽くす。バロンは両腕を交差して凌ぎ、空中に飛ぶ。

「なまっちょろいぞ!」

 アグニはバロンが追って空中に舞い、鋭く突きを放つ。バロンはそれを流し、蹴り上げてアグニの脇腹にめり込ませる。

「うぐっ!」

「……ここで決める!はぁぁぁぁぁぁっ!」

 がら空きになったアグニの胴に拳を出鱈目に放つ。アグニは砂の上に落下し、バロンは砂漠に着地する。

「ぬうぅぅぅ……」

「……勝負あったな」

「まだだ……こんな傷など……うおおおおお!」

 アグニは力ずくで立ち上がろうとするが、血を吹き出して後ろに倒れる。

「……今は退け。命は奪わん」

「はっ……そういえばそうだ……バロン、なぜこの世界の男は死んでいる……どうして死ぬんだ」

 アグニは素っ頓狂な声と顔をして、雲一つない虚空を見つめる。

 狂竜王がそれを聞いて、黒馬を歩かせる。

「炎神よ、世界は回り始めた。男はついに命を散らし、この世界を終えるときが来たのだ。さあ乗るがいい、炎神よ。鋼の竜の情け、甘んじて受けよ」

 血塗れになったアグニを抱えて、狂竜王は黒馬を促す。

「……待て狂竜王。その……去る前に、そいつと話がしたい」

「む……?なるほど、まあいいだろう」

 狂竜王はフードの少女へ合図すると、フードの少女はバロンの方へ顔を向ける。

「何」

「……また会えて良かった、それだけ伝えたかった」

「そう。……死なないでね」

「……ああ」

 狂竜王は黒馬を走らせる。ムスペルヘイムの兵は一瞬戸惑ったが、駆けていく黒馬を追っていった。

「これは……勝ったのか」

 ヴァルナが呟く。バロンがふらふらと歩き、ヴァルナと顔を見合わせる。

「……ああ。僕たちはパラミナを落とし、味方につけた。首都攻略戦は成功したんだ」

 バロンはカルブルムに視線を合わせる。

「……来てもらおうか、カルブルム。色々と聞きたいこともある」

「いいだろう」


 ニブルヘイム・ガルガンチュア

「皆の者、よくぞ帰ってきてくれた」

 エンブルムが仰々しい身振りでバロンたちを出迎える。

「ん、カルブルムも来たのか。まあいい。ヴァルナたちと一緒に来たということは味方になってくれたということだな?」

 カルブルムはエンブルムと向かい合うと、手を差し出す。

「これは?」

「挨拶だ。異世界流の」

「ふむ」

 エンブルムはその手を取り、握りしめた。

「うむ。これでよし。では会議室へ行こう」


 会議室

「まずはカルブルム、貴様がムスペルヘイムに付いた詳しいわけを聞こう」

 ヴァルナがカルブルムへ問いかける。

 カルブルムはふっと目を閉じ、そしてゆっくりと開く。

「ヴァルナ、お前には話したが、私はこことは違う異世界、古代世界にあるchaos社という企業の社員だった。私にはエリアルという一人娘がいた。エリアルは特別顧問であった黒崎奈野花の息子、バロン・クロザキの秘書をしていた。だがバロン・クロザキはエリアルに暴行を加え続け、それを悪びれる様子もない。そこで私は奈野花特別顧問に直談判をしに行った。そこで提案されたのがこの世界に来ることだった。奈野花の話によればこの世界で唯一の女としてエリアルは存在しているとかで、それが真実なら、バロン・クロザキの傍に置くより明らかに危険だ。私はchaos社で試用段階だったインベードアーマーで竜の体を得て、DAAの核であるエクスカリバーを借り受け、パラミナにやってきた」

 その場にいる全員が聞き入っていたが、バロンが口を挟む。

「……待て、僕をなぜ回収する必要があるとパラミナで言ったんだ。今の話では、黒崎とやらは僕のことを話してはいないし、お前の目的も娘の救出だけのはずだ」

「いや、お前も必要だバロン。お前はchaos社で最も優秀な研究員だからな。奈野花特別顧問は息子でありchaos社にも必要なお前を取り戻すことを条件に協力すると持ちかけてきたのだ」

「……それでだ。その黒崎奈野花が僕の母というのは本当のことか?」

「ああ。バロン・クロザキ。奈野花特別顧問の息子、27歳だ」

「んあ?どういうことだ?」

 ヴァーユが首を傾げる。

「その異世界にもバロンが居て、この世界にもバロンが居て、今ここにいるバロンは記憶が飛んでてどっちのバロンかわからねえ。んなら、どうして黒崎奈野花ってやつはこのバロンが自分のバロンだってわかってるんだ?」

 カルブルムはその疑問を確かに受け止めた。

「確かに、そう言われれば……今私の前に居るこのバロンからは、一切の邪念を感じない。無垢な男だ。クロザキから感じた邪気を感じない」

 ヴァルナも付け加える。

「そういえば目覚めてから最初に話したときも違和感だらけだったな。私たちが知っているバロン・エウレカとはまるで違った」

 ラーフが口を開く。

「そういえばバロン、あなたは神子の名を知っていますか」

「……エリアルだろう。やつの娘と同じ名前だ」

「ふむ……そちらのバロンはエリアルという少女と関わりを持っていた。そして今のバロンは恐らくクロザキのものではないが、エウレカの時の記憶ではないエリアルとの記憶を持っている。だが性格はエウレカのものに近い……ただし昔のように極端な獰猛さを持っているわけでもない……」

「……カルブルム。お前は元の世界に戻る方法を知っているんだな?」

「ああ。だがまだ使えんだろう」

 ヴァルナが疑問を投げ掛ける。

「どうしてだ」

「私が目的を果たせば奈野花特別顧問がゲートを開いてくれるらしい。だが私も、それがどこに作られるか知らん」

「……そうか。なら、ムスペルヘイムを落とし、エリアルを手に入れるだけだ。僕は自分自身がどうあるべきなのか知りたい」

 ラーフが眼鏡の位置を戻す。

「ならば行こう、ムスペルヘイムへ」

「……それで、ムスペルヘイムへはどう向かう」

 ラーフは液晶に映像を映す。

「ムスペルヘイムは三国中もっとも過酷な灼熱の大地。国土の全てが溶岩の冷却された岩石であるという国。首都アジュニャーを除き、二つの要塞があり、それぞれに大量の機甲虫がいるようですね。まあそれはあとの話として、ムスペルヘイムの何がもっとも危険か、それは国境を守る機甲虫の軍隊、剛顎隊です」

「ごーがくたいってのはなんだ?」

 ヴァーユが問う。それを受けて、ヴァルナが説明する。

「剛顎隊だ。覚えてないのか。あの肉厚の機甲虫だ。ドルクス属、鋼鉄の肉体を持つ」

 ヴァーユは右手で左手をポンと叩いて合点する。

「あーあれか!ぐ……ぐらん……ぐらんなんとかが隊長のあれだな!」

「……ぐらんなんとか……?」

「グランディスです。パラワンと双璧を成すというムスペルヘイム最強の勇士の一人。ゾルグが籠城などの耐えることに特化しているのなら、彼は真正面から完膚なきまでに守ることに特化している」

「……真正面から……守る?」

「ええ。真正面から守る、それが正しいでしょう。ヴァルナ将軍もそうとしか言えないと思いますよ」

「私に聞くな。そういうことは軍師が説明しろ」

「グランディスは優れた闘気の持ち主で、闘気を盾にして突き進むんですよ。剛顎隊の一糸乱れぬ編隊によって全員の闘気が融合して、すさまじい防御力を発揮しつつ進軍してくるのです」

「……つまり、闘気を盾にこちらを押し潰しながら進むと」

「その通り。その守りは一部の隙も作らない、まさに金城鉄壁といえるものです」

「……どう戦う。まさか、また僕が一人で相手にするとかいうことじゃないだろうな」

「流石にそれはありませんよ。今回は陽動も必要ありませんし、拳法使いも居ませんからね」

「……では」

「砂竜の砂煙を活用し、彼らの隊列を乱します。あ、やっぱりバロンは一人で戦いますね」

「……見切り発車か!?」

「こほん。グランディスの相手を出来そうなのはバロン、エンブルム、カルブルムでしょうが、エンブルムは離れられませんし、いざとなればカルブルムに任せるとしますが、ともかく。剛顎隊の隊列を砂竜のブレスによって撹乱し、グランディス本人を誘き出す。そして剛顎隊を対空砲や角竜で撃破していく。グランディスはカルブルムやヴァルナ、ヴァーユで相手をする」

「……ちょっと待て、やっぱり僕は一人じゃないか?」

「仮にパラワンやコーカサスも来た場合、対処しきれませんからね。あなたには切り札として残しておきましょう」

「……一人なのか……まあ慣れたが。もしかしてラーフ、君は今までも見切り発車で作戦を……」

「それはないですね。ただ突貫工事な作戦なところはありますが」

「……まあいい。他のみんなはもう準備は出来てるのか」

 バロンは他の全員を見渡す。全員が視線が合うと同時に頷く。

「……今回は準備がいいな。僕が一人で砦を荒らしに行かなくていいらしい」

 バロンがやれやれと悪態をつく。

「ふむ、話が纏まったのなら行こうか」

 カルブルムが両手をパンと叩いて立ち上がる。

 ヴァルナとヴァーユもそれに続いて立ち上がり、会議室から出ていく。

 エンブルムがバロンの肩を叩く。

「君は君の宿命に殉じるといい。この世界は動き始めた。今までの終わりのない世界ではない。君と神子が出会うことで、君が自分自身を見つけるのなら、ニブルヘイムは君の味方であり続ける」

 バロンはそっとエンブルムの手を掴み、強く握りしめる。

「……ありがとう。そちらも己の望む生き方を」

 バロンは踵を返し、会議室から出ていった。

「原初より歯車は回り続け、ついに終わりを迎えるか」

 エンブルムは譫言のように呟く。

「エンブルム様……?」

 ラーフが不思議そうに顔を覗き込む。

「ラーフよ。わかるか、九つの竜が暴れ狂っていた原初の世界から、遂にこの周で結末を迎えるのだ。天使の子と悪魔の子の宿命を終わらせる、最後の戦いが、直に来る」

「何を……おっしゃっているのですか」

「我々も三千世界の終焉に参加することができる。恐らくその時、我々は世界の全てを知る。今は分からずともよい。この世界を制することが先決だからな」

「そう……ですね」


 ――……――……――

「バロン、ここで決着をつけるか」

 金色の闘気を纏った黄金の騎士が、構えを取り殺気を放つ。

「……兄さん。もはや僕たちに選択肢はない……あなたがエリアルを求め、僕がそれを阻むのなら……容赦はしない」

「初めからわかっていたことだ。ならば行くぞ、バロン!」

「……来い!」

 ――……――……――


 ムスペルヘイム国境

「……っ」

 視界を包んでいた記憶が抜けると、砂漠の熱気ではない、灼熱の臭いが漂っていた。

「気がつきましたか、バロン」

 ラーフが右前方に立っている。バロンは椅子に座っているようだ。

「……すまない、少し眠っていたか」

「まだ作戦は開始されていません。もう少し休んでもよいですよ」

「……いやいい。戦いの直前まで寝るバカがどこにいる。ムスペルヘイムに動きはあったか」

 ラーフは首を横に振る。

「まだですね。グランディスは慎重なことで有名ですから、まだ打って出はしないでしょう」

「……他のみんなは」

「各々の準備に取りかかっていますよ」

 バロンは慌ただしく動くパラミナとニブルヘイムの兵を見つめる。

「……彼らは死を思っているのか」

「いえ、私もヴァルナも、ヴァーユも皆死というものを理解できない。ゾルグやリッチーが死んだとき、アグニや我々も驚きました」

「……カルブルムや僕はわかる。死の意味を。そして君らにもすぐわかるはずだ」

「死の意味……」

「……さあ行こうか、ラーフ」


 ニブルヘイム・ガルガンチュア

「来たか、ベルガ。君の弟はついに動き出した」

 雲に霞んだ太陽が朧気な光を放ち、城の柱の間から射し込む。

 腕を組み外を眺めるエンブルムに、一人の男が近寄る。ベルガと呼ばれたその男は、西洋の騎士のような黄金の鎧を着て、凄まじい殺気を放っていた。

「終わりは今から始まる。エンブルム、いやランスロット。原初世界からの因縁、ここで決着をつける」

 それを聞いて、エンブルムは苦笑する。

「ははは。そういえばそうだな、アグラヴェイン。いや、今はベルガか。全く、ギネヴィアもアーサーもあそこで死んでいれば、私が黄泉よもつを宿せたと言うのに」

 ベルガは闘気を迸らせ、鎧を粉々に吹き飛ばす。闘気は金色の光を放ち、周りの冷気が湯気へと変わっていく。

「死を貴様に」

「哀れなやつだな、君は。原初世界からずっとこの世界で、弟と同じように記憶を失って彷徨していたとは」

 ベルガが踏み込み、黄金の闘気がエンブルムの頬を掠める。

「甘い」

 エンブルムの体はふわりと浮き上がり、闘気の全てを流す。そしてエンブルムの体はいつの間にかベルガの後ろに回っていて、ベルガの体が切り刻まれていた。

「くっ……ぬああああ!」

 ベルガが勢いよく腕を振りながら後ろを向き、闘気を放つ。ガルガンチュアの壁を破壊しながら闘気は駆け巡る。

 エンブルムは闘気を流しながら無数の影となってベルガを翻弄する。

「変わらないなあ、ベルガ。よくも悪くも猪突猛進で、力任せで全て解決すると思っている」

 影がベルガの横をすり抜けると、ベルガの脇腹を深く切り裂く。

「ギネヴィアを手にかけようとした私を止めに来たときもそうだった。モルドレッドから逃げたあとも、何も考えずに神子と共に戻ってきた」

 ゆらゆらと流れ出る闘気がエンブルムを包み込み、その像を無数のものにしている。

「貴様こそ己の実力を買い被り過ぎだな」

「何……?ふぐぅっ!?」

 エンブルムの体が蒸発して、皮膚を千切り飛ばす。

「君は……その闘気をそれほど上手く使えるようになっているとはね」

「貴様を倒すため、俺は天使の子の力を調べ続けた。ランスロット!貴様はここで死ぬのだ!この真なる闘気の前に焼け死ね!」

「(ぷっ……こいつは何もわかっていない。つくづく哀れな男だ。だが……ある意味好都合だ)」

 ベルガが闘気を纏った拳をエンブルムへ放つ。エンブルムはそれを避けすれ違い様に切りつける。不敵に笑うエンブルムを、光の輪が吹き飛ばす。エンブルムは咄嗟に受けの構えを取り、衝撃を逃がす。そこに鋭い突きが飛んで来て、エンブルムの胸に四本の指が突き刺さる。

「終わりだ、ランスロット!」

「フフ……クハハハハ!」

「何がおかしい!」

「哀れな男だ、ベルガ。真の闘気とはこんなものではない。君が天使の子の力を使えると思うなよ」

 エンブルムから真黒い闘気が溢れる。

「な……ッ!貴様暗黒闘気を!」

「フハハハハハハハハ!」

 激流のような闘気はベルガを飲み込む。感覚を失ったベルガは攻勢が緩み、そこを逃さずエンブルムは指を引き抜く。そして無防備なベルガに暗黒闘気を叩き込んで吹き飛ばす。

「さあ止めだベルガ。神子への愛に善がり狂え。私も知らぬ始源の呪いに堕ちるのだ」

 エンブルムが倒れたベルガに突きを入れようとすると、気配を感じて振り返る。

「レベン、君はまだ出番ではないだろう」

 そこには、赤いツーサイドアップの少女が立っていた。レベンと呼ばれたその少女は、狂竜王と似た鎧を来て、両腕から血塗れの布を垂らしていた。

「私もそう思ったの。でもおねーちゃんが行けって言うから。その人を痛めつければいいのかな?」

「狂竜王から何か言われなかったのか」

「ううん、何も」

 エンブルムは構えた右手を降ろし、レベンに促す。レベンはそれを見て、可愛らしい顔を凄まじく歪めて笑みを浮かべた。エンブルムとレベンが立ち位置を入れ替わり、レベンは腕を上げる。すると、布が意思を持っているかのようにゆらゆらと動き、中腹から手のように五つに千切れる。そのままベルガを掴み、肋骨をボキボキと砕き始める。

 エンブルムは思わず苦笑を漏らし、口許に手を当てて目を細める。ベルガは暗黒闘気によるダメージがよほど甚大なのか、全く目覚める様子はない。

「(全く……愛情ってものは恐ろしいな。理解不能だ)」

 エンブルムはふとそんなことを考えた。

「(そもそもこの世界自体、奴の神子への愛で成り立っているようなもの。この女もまた、遠い昔の伴侶の幻影に惑わされている)」

 エンブルムがボーッとレベンの行為を見続けていると、明らかに人間からは起きないような音が鳴り響いているのに気付いた。

「待てレベン!そいつを殺すな!」

 レベンはゆっくり振り向いて、健やかな笑みを浮かべて、布をベルガから離す。壊れたぬいぐるみのように、ベルガはガルガンチュアの石床にドサッと落下した。

「ランスロットはこの人のこと好きなの?」

「いいや、全く。しかしそいつは狂竜王の目的に必要なものだ。まだ殺しちゃいけない」

「ふーん。私はおにーちゃんが誉めてくれるならなんでもいいよ」

「(おにーちゃん……この女の執着する男か)」

 エンブルムは僅かに思索したが、レベンからの詮索を避けるためにすぐベルガに近寄り、背中に突きと共に暗黒闘気を流し込む。

「君に正しい記憶は要らない。愛か憎しみか。人の六罪の中で最も深い罪か、最強の力足る愛か、君が示すんだ」

 エンブルムは会議室に戻る通路に戻ろうとして、レベンの方に振り向く。

「レベン、余り君はこの世界を彷徨くな。余計な面倒を起こしかねん」

「わかった。私おねーちゃんのところに帰るね!」

 レベンはスキップしながら、古代の城へと消えていった。


 ムスペルヘイム国境

「……ラーフ!」

「わかってる!総員配置に付けぇ!」

 ラーフの号令で全員が敵を見据える。巨大な黒い壁、闘気が作り出す障壁が砂漠の向こうからじりじりと迫ってくる。一糸乱れぬその隊列に、カルブルムの率いる砂竜隊と角竜隊が突撃する。角竜が剛顎隊と激しく衝突し、猛烈に競り合う。剛顎隊の作り出す壁は角竜の角をへし折り、角竜を押し退けて進む。退いていく角竜の合間から砂竜隊が現れ、先頭のカルブルムがエクスカリバーから闘気を極太のレーザーに変えて発射し、剛顎隊の闘気壁と正面衝突し、穴をこじ開ける。そこへ砂竜が砂を吐き掛けようとしたとき、一斉に剛顎隊の機甲虫が飛び立つ。砂竜の砂は虚空を裂き、砂漠に着弾する。剛顎隊は各々砂竜や角竜に突っ込み、戦闘を開始する。角竜の強烈なラリアットを甲殻に直撃しても、剛顎隊の機甲虫は全く怯まず、大顎の一撃で角竜を硬直させる。

 飛び立った剛顎隊の中に、一匹だけ微動だにしない機甲虫が居た。

「グランディス!」

 カルブルムは自らの駆る砂竜を走らせ、その機甲虫の前で止まる。

「カルブルム殿か。最初から裏切るとは思っていましたが」

 グランディスは触覚をふよふよと動かす。不満なようだ。

「しかし、あの騎士が言うことに乗る気持ちもわかる。あらゆる知性は、より大きな目的のために生きることで些細な倫理観を投げ捨てられる。死ぬ自由さえ奪われ、子すら作れず、食料など気を紛らわす程度のものでしかない。呼吸も排泄も、何もかも、この世界では奪われている。カルブルム殿、貴殿はあの騎士に拐かされて、この世界に迷い込んだのだろう」

「なぜお前がそれを」

「あの騎士は大いなる流れだ。必要なものに必要な事象を伝え、不要なものを間引く。全ては神子ではなく、あの騎士が動かしているようにも感じる」

「……」

「まあいい。我々戦士には大局などどうでもいい。必要なものは勝利、ただそれだけだ。大局を見据えるのはバロンや我が主、神子やあの騎士だけでいい。一介の戦士は、ただ戦場で消え去るのみ」

 カルブルムが砂竜から降り、グランディスと向かい合う。

「ならば私たちが選ぶ道は一つ」

「いざ尋常に」

 カルブルムがエクスカリバーから闘気を吹き出しブーストしてグランディスに接近する。グランディスは山のごとく構え、エクスカリバーの一撃を真正面から受け止める。グランディスの装甲は赤熱し、足の爪が掴んだ砂漠の砂が形を崩す。そして頭をかち上げ、カルブルムを弾き返す。カルブルムは空中で立て直し、エクスカリバーを逆手に持ち突き立て、グランディスの顎と火花を散らす。そして至近で砂を吐き掛け視界を潰す。エクスカリバーを持ち直し、闘気を込めてグランディスに叩きつける。凄まじい衝撃で砂漠の砂が舞い上がり、巨大なクレーターが出来上がる。それでもグランディスの甲殻が砕けることはなく、グランディスは顎でカルブルムを挟み込んで放り投げる。クレーターの壁面に叩きつけられて体勢を崩されるが、カルブルムはすぐさま立ち上がる。

「流石に堅いな…」

「貰い物の力で、この牙城を崩せると思うな」

「ほざけ……!」

 カルブルムは砂を深く蹴り込み、猛烈な勢いでグランディスに接近し、闘気の嵐をエクスカリバーに纏わせて解き放つ。爆風がグランディスを包み込み、跳ね上げる。そして空中へ飛んだグランディスを追ってカルブルムもエクスカリバーの闘気で舞い上がる。羽を開いたグランディスと、カルブルムは空中で切り付け合う。グランディスは横殴りの闘気でカルブルムを叩き落とし、切り揉み回転しながらカルブルムに突っ込む。カルブルムはエクスカリバーの闘気で盾を作り出し、その突進を眼前で凌ぐ。


「……ラーフ!空を見ろ!」

「鉄騎隊!バロン、ヴァルナ、ヴァーユ!出番だ!」

 その声に他の二人も勢いよく外へ出る。

 空を覆うように現れた機甲虫は、獲物を見つけたかのように三人を捕捉した瞬間、一斉に降下する。ヴァーユが先陣を切り、鉄騎隊の一匹を切り捨てる。ヴァルナがバロンの進む先にいる鉄騎隊を纏めて凍らせ、バロンは真っ直ぐ突き進む。不思議なことに、バロンを追撃しようとする鉄騎隊の機甲虫は居なかった。

 バロンは眼前に佇むただ一匹の機甲虫と対峙する。

「……借りを返しに来た」

「来たかバロン。いかに死を目の当たりにしようとも戦わぬ道を選べない…因果なものだな」

「……行くぞパラワン。リベンジで負けるつもりはない」

 砂漠の熱気の中に、仄かに火の粉が混じり始める。バロンは着ていた服を脱ぎ捨て上裸になると、凄烈なほどの闘気を放つ。それに呼応してパラワンは暗黒闘気の瘴気を放つ。

「今回は誰にも邪魔はさせん!行くぞ、バロン!」

「……来い!」

 パラワンが頭を振ると空気が揺れ、バロンを滅茶苦茶に切り刻む。

「…!(この速さ、やはり尋常ではない…!)」

 バロンは力むと刃を吹き飛ばし、瞬時に傷を塞ぐ。そして膨大な闘気を槍のようにして放つ。それはパラワンの暗黒闘気の鎧を突き破り、パラワンの甲殻を焦がす。

「ぐっ…なぜ暗黒闘気の傷を癒せた!?それにこの技…リッチーの技を…!」

「……戦士の死は終わりではない。勝者の血となり力となり、生き続ける」

「バカな、貴様は」

「……そうだ。既に暗黒闘気は見切った。既にお前も僕の力となった。暗黒闘気とは闘気とは真逆に流れる力、故に闘気の流れを遮る」

「クク…クハハハハ!そうか!なるほどな!だが、所詮暗黒闘気を破っただけだ!私が貴様の一部になるのではない、貴様が私の血肉となるのだ!」

 パラワンは頭をX字に振り、刃を飛ばす。バロンはそれを避ける。偶然後ろに居た鉄騎隊の一匹がそれを喰らって粉々に砕ける。バロンが凄まじい加速でパラワンに接近し、鋭く拳を放つ。拳は触覚を掠め、パラワンがその右拳へ斬撃を放つ。バロンは右腕に鋼を流して堪え、パラワンの頭部の裏に拳を叩き込む。パラワンはバロンの胴を挟み込んで締め上げる。

「…がっ……!」

「千切れろ、バロン!」

 バロンはパラワンの大顎の左鋸を右腕で抱え込む。鋭い闘気の刃がバロンの体を切り刻む。

「……くっ…ぬおおおおおおっ!」

 左拳の渾身の一撃で、パラワンの左鋸がへし折れ、砂漠に突き刺さる。解放されたバロンは飛び退き、パラワンは苦痛に身を捩る。

「不覚…!」

「……ぐっ…」

 両者は一瞬崩れるが、直ぐに立ち直る。


「さすがカルブルム殿。ニブル・ムスペルだけの戦いに参戦できるだけの力はある」

「そちらは加減でもしているのか?先程からまるで傷が付かんが」

 グランディスは立て直すと、僅かに頭を下げる。

「申し訳ない。戦いを侮辱しているわけではないのだが、どうにも戦う気にならん」

「ならばここで逃げるのか?」

「それはない。私が倒れたら、誰が主の…いや、戦いに雑念は要らんか」

 カルブルムはクレーターの上の動向に気付き、砂竜に手をかける。そして更に、グランディスの闘気の流れが乱れていることに目を向ける。

「(闘気とは意志の強さ、気高い魂に呼応するもの…それが弱まっているのか。察したか…それとも)」

「カルブルム殿」

 グランディスは空を見上げる。

「いつも私は空を見ていた。どうして空は青いのかと思っていた。そちらの世界で言えば気体と宇宙が関係しているらしいが、この世界はこの戦乱の大地だけで成り立っている。ならばなぜ、こう変わらず空は青いのだろうか」

 カルブルムは思わず硬直する。空を見ると、高高度から黒い点が地表へ向かってきていた。

「ああ、コーカサス。お前のように狂えるなら、私は主を…バンギを殺そうとしたのだろうか」

 カルブルムは叫び、クレーターから飛び出す。それに面喰らったニブル・パラミナの兵はパニックになりながらも後ろへ下がる。黒い点がクレーターに落下する。凄まじい衝撃がクレーターから噴出してカルブルムたちを吹き飛ばす。そしてクレーターの中央でその三本角にグランディスを串刺しにしたコーカサスが吠え猛る。そしてコーカサスの起こした衝撃でクレーターの壁が雪崩を起こし、クレーターを埋める。コーカサスが埋まったクレーターから飛び出し、真っ黒な瘴気を放つ。その瘴気が風に乗って、ニブル・パラミナの兵士が持ってきた機関砲を破壊していく。そして角に刺さったグランディスをカルブルムへ放り投げる。カルブルムはそれを避けて、砂竜から降りる。

「オオオオオオオオ!!!」

 コーカサスはまだ薄黄色の羽を広げ、カルブルムへ突進する。エクスカリバーから闘気を放ち、カルブルムはコーカサスと打ち合う。コーカサスの欠けた角から暗黒闘気が溢れ、エクスカリバーが見る見るうちに光を失っていく。

「クソッ!暗黒闘気とは分が悪いか!」

 コーカサスがエクスカリバーを吹き飛ばし、角の先で小規模な竜巻を起こしてカルブルムを吹き飛ばす。

「まずい…まだ二期なのにこの強さだと…!」

 コーカサスがカルブルムへ突っ込む。

「ここまでか…!」

 カルブルムが諦めて目を閉じる。

「アーステッパー!」

「!?」

 コーカサスの回りに岩が隆起し、魔力の網がコーカサスを留める。カルブルムが驚いて立ち上がり、後ろを見ると、眼鏡の男が走ってきた。

「大丈夫かカルブルム!」

「ラーフ!」

「鉄騎隊はまだ予測できたが、コーカサスまで来るとは」

 コーカサスは出鱈目に魔力の網に突進する。しかし、暗黒闘気が魔力に触れて乱れ、僅かに全力から外れているようだった。

「この網は魔力で出来ているのか」

「ああ。カルブルム、早く逃げよう。バロンもパラワンを撤退させたらしい。コーカサスは倒さなくてもこの戦いは勝利だ」

「わかった」

 二人はそれぞれ砂竜に乗り、その網から離れていく。しばらく離れると遠くで轟音が鳴り響いた。


 ムスペルヘイム・アジュニャー

「グランディスは死んだか」

 バンギが玉座に座ったまま、大顎のへし折れたパラワンに問いかける。

「はっ。剛顎隊は全滅、鉄騎隊も潰走してしまいました」

 パラワンは死を覚悟して硬直する。しかし、バンギは動ぜず、ゆっくりと姿勢を変える。

「気にせずともよい。最後には、我がこの拳で全てを平らげるのみ」

「ですが…それならば我らが戦う必要も……」

「汝ほどの猛将ならばわかっていよう。この世界の戦いは何か大義のためにあるわけではないことを。戦略的な意味で戦っているのではない。我らの本能を満たすためだけに戦っているのだ」

「しかし……」

「汝も律儀な男だ。負い目を感じているのか。ならば、汝にはツェリノの防衛を任せよう。果てるのならばそこで果てよ」

 パラワンは頭を上げると、大きく頷く。

「ありがたき幸せ。必ずやこのパラワン、陛下に我が命の最後の輝きを見せましょう」

 パラワンは踵を返し、ゆっくりと闇へと消えていく。

「我は未だ微睡みの中、目覚めるのは今少し先よ……」

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