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その1(通常版)

ニブルヘイム・ガルガンチュア

 「ふぅっ!?くうっ……こ、ここは」

 男が目を覚ますと、そこはどこかの屋内だった。男が元居た場所と比べ、十世紀ほど昔の……

 「……待て……僕は一体、どこから来た。それに、ここはどこだ。元居た場所とはなんだ」

 記憶が無い、というのが適切かは元の記憶がないのでわからないが、最低限必要なことも覚えていないらしい。

 理解を要するが、男は記憶喪失ということでいいようだ。倫理観、常識はある一定を保持している。

 男が今居るところは、西暦でいう1400年代のヨーロッパのような、ファンタジー好きの日本人が好みそうな、煉瓦造りの城だった。凍えるような冷気が石と石の間から、絶え間なく漏れ出している。

 「……人の気配はあるようだが」

 こんな城が権力の象徴だった中世の感覚では、異邦人を迎え入れるような寛容な文化は恐らく無いだろう。人の気配があり、男の存在の拠り所を欲しているからと言って、むやみに人に遭遇していいわけではない。

 廊下の方から男性の声が聞こえる。男は隠れて聞くことにした。

 「ヴァルナ、バロンの様子は」

 「ふむ……ラーフの鑑定に依れば、命に別状はないようです。しかし……あのパラミナでの決戦の時に倒れたことによる被害は、彼の命一つで償い切れないでしょう」

 「……我らとて、まだ負けたわけではない。バロンが生きていることがわかれば、まだ反撃の糸口は見つけられるというものだ」

 男性の容姿は二十代後半と三十代前半……といったところ。男のことを話しているようだ。

 「バロン、入るぞ」

 男はその二人組が入ってくることは予期できた。ベッドに戻ったが、先程の男性たちを改めて見てみると、廊下から聞こえた重みのある声が出るとは思えない、端正な顔立ちの美青年が二人居た。

 「バロン。貴様には、先の国境での戦いの折何が起きたのか話してもらうぞ」

 男性の片方が男に向けて話しかけた。ヴァルナと呼ばれていた男だ。

 「……ふむ。僕はバロンという名なのか。ではそう名乗らさせてもらう」

 男はわざとらしく顎に手を当てた。

 「ふざけているのか?」

 ヴァルナは眉間に皺を寄せた。

 「……さあ、どうだろうか。何分ここがどこかすらもわからぬものでな」

 「わからないわけが無いだろう、ここは我が軍の首都、ガルガンチュアだぞ」

 「……そもそも、だ。僕は国境で戦った記憶などない。僕……?いや私は研究所に……

 すまないが、何もわからないんだ」

 傍観に耐えかねたのか、もう片方の男が口を開く。

 「そこからか……いいかバロン。私の名前はエンブルム。三大国の一つ、ニブルヘイムの王だ。この世界には女は一人しか居らず、その一人の女を巡って砂漠の国、パラミナと炎の国ムスペルヘイム、そして氷の国ニブルヘイムで争っているのだ。たった一人のその女は『神子』と呼ばれている」

 「……何?女が一人だと?バカな、ならこの世界はどうやって成り立ってるんだ」

 「私たちは過度の外傷以外で死ぬことはない。老いることは無いんだ」

 「……なるほどな。それで、僕はお前たちの部下か何かだったのか?」

 バロンはただ疑問を口にしたが、それがヴァルナの逆鱗に触れたようだ。 

 「貴様のせいで我々ニブルヘイムは国土の大半を失ったんだぞ!自分の責任から目を背けている場合ではない!」

 バロンの首に氷で出来た剣があてがわれる。

 「……ほう。本当に追い詰められているのなら、誰かの責任を追及するよりすることがあるんじゃないのか」

 「ふざけるな!」

 首元で氷剣が壊れる。

 「だが、貴様の言うことも一理有る。……貴様は、何をどれほど覚えている」

 ヴァルナは落ち着きを取り戻し、話をする気になったようだ。

 「……ああ。僕は何故ここに居るのかわからない。お前たちの知っているバロンが誰かわからないし、俺の名前がバロンかどうかもわからん」

 「なるほどな、記憶が無いということか。ひとまず、ここはニブルヘイムに協力してくれないか?」

 「……ああ、わかった。それ以外の選択肢も無いのだろう?」

 「物分かりがよくて助かる」


 会議室

「バロン。戦況の説明をする」

 ヴァルナがバロンの方を向きつつ、液晶のようなものを指で示す。

 その液晶には、地図と各軍勢の分布が記されていた。

 「赤がムスペルヘイム、黄がパラミナ、青が我らニブルヘイムだが、見て解る通り、我らの領地は無いに等しい。要であった国境の戦いにて凄まじい嵐が発生し、それによって国境が突破されたことで最早絶体絶命ということだ」

 「……なるほど、その国境の戦いに俺は出撃していたと、そういうことだな」

 「察しがいいな、その通りだ。先程はすまなかった。お前の責任でないことは知っていたのだが」

 「……気に病むな。まだ負けていないのなら、勝機は確実にある」

 「ふ、そういうところは忘れていないようだな。当然、まだ負けてなどいない。ムスペルヘイムは数こそ多いがその大半が機甲虫という生物兵器でしかない。極めて練度の高い少数で構成された我々と比べて個々の戦闘能力は極めて低い」

 「……ニブルヘイムまで攻め上がってきているのは少ないな」

 「やはり本能的な戦闘のセンスは隠せんな、バロン。そう、今氷竜の骨まで攻め上がってきているのは極少数、それも特段強い面子が揃っているわけでもない。

 そこで、私とお前の二人で氷竜の骨を奪還する。お前の記憶の復旧、そして戦力面から見てそれが最良だ」

 「……将軍自ら前線に出撃するのか」

 「ああ、何せもう残っている兵自体が少ないからな」

 「……わかった」


 ニブルヘイム・氷竜の頚椎

 城の外は一面の雪景色、北の狐の城のような、白一色だった。

 氷竜の骨へはガルガンチュアを出て、古代世界の時間で言う一時間程で着く。

 「……どうしてそんな近くまで来たんだ」

 バロンがヴァルナに問う。

 「機甲兵にロクな思考ができるとは思えん。あと少しで勝てるとか、自分が大将の首を獲るとか、そういう下らない欲で周りが見えてないんだろう」

 薄い新雪の下は岩かと思えるほどの硬度の氷が鎮座している。

 しばらく歩くと、開けた空間に無数の細いなにかが張り巡らされた場所に出た。

 「ここが氷竜の骨。あそこに建物があるだろう。あれが地下の食料を発掘する基地だ」

 「……地下の食料?」

 「わからないか。この世界は砂漠、火山、氷山で成り立っている。食料などあるわけがないだろう。食べなくても命に別状は無いが、士気が違うだろう」

 「……そういうものなのか」

 「ともかく、ここまで無計画に突っ込んでくるような機甲虫に食い尽くされる前に取り戻すぞ」

 ヴァルナに追随し、クレーター状の氷竜の骨を下っていく。

 建物の周りを飛び回っていた機甲虫がこちらに気づく。

 カルコソマ属、モーレンカンプだ。

 「鉄騎隊でも剛顎隊でもない!一気に叩くぞ!」

 ヴァルナが氷の大剣を作り出し、モーレンカンプと打ち合う。

 そしてそのまま、モーレンカンプは縦に真っ二つになった。

 「……すごいな、あんなに大きい虫を一撃とは」

 「言ったはずだ、練度が違うとな」

 ヴァルナは少し自慢げに答えた。

 「……ふん、守っていたのはこの一匹だけか」

 「こいつがまめだっただけだろう。他の大多数はこの中で食料を食い漁っているはずだ」

 「……ならば行こう」


 ニブルヘイム・食料基地

 クレーターの底には、楕円の屋根が被さった建物があった。入り口らしきドアは開け放たれ、暗闇が口を開けていた。

 「……この奥か」

 「ああ、この奥だ。行くぞ」

 闇の中に入ると、四方八方から視線を感じた。それに続けて、何かを貪る生物音と、何かが擦れ合う不快な音が響く。

 ヴァルナが暗闇に向けて、氷の刃を放つ。

 それと同時に、無数の羽音が闇の中を舞う。一つ、また一つと、次々に羽音が重なる。それと共に、闇の中に赤い光が二つずつ灯る。

 続いて赤い光は、こちらに向かって接近してくる。

 「……仕留めていいんだな?」

 バロンがヴァルナに視線で合図を送る。お互い頷く。

 鉄の針が硬質の床を引き裂いて涌き出る。闇の中で踊る赤い光を串刺しにし、赤い光が次々と消え失せる。

 入り口から入るわずかな光に照らされて、床に落ちた赤い光がこちらに突進する。それをヴァルナの氷剣が切り捌いていく。

 瞬きのうちに、赤い光は消え失せていた。

「終わったか。やるなバロン。今までと同じ戦いだ」

「……ああ、戦おうと思った瞬間、今みたいなことができた」

「それでいいのだ、この世界ではな。本能で戦い方がわからなければ、野垂れ死ぬだけだ」

「……ああ。ところで、この巨大な虫が機甲虫でいいのか」

「ああ、それがムスペルヘイムの主力兵器だ。外で倒したモーレンカンプも、機甲虫の一種だ」

「……よくわからないんだが、どうして虫を使う。兵器は他にあるだろう」

「知らん。費用対効果がいいからじゃないのか」

「……そういうものか。もっと詳しく調べておいた方がいい気もするが」

「調べてもわからんことを調べるより、今この戦争に勝つことが重要だ。未来のことを考える余裕など無いし、学を修める場所など作れるはずもない」

「……わかった。これは俺が一人で研究しておく。先に行こう」

 闇の中を進んでいくと、次第に開けた場所に出た。そこはボロボロになった豪華客船のホールのような、もっと分かりやすく言えば、ヨーロッパの劇場のような、西洋風の荘厳さを持った、ガラスのキヤノピーを被った広場だった。

「……ここはなんだ」

「氷竜の骨の中央だ。ここの真下から食料が獲れるんだ」

「……思っていたより敵の数が少ないようだが」

「言っただろう。ここまで攻め上がるのは余程のバカだとな」

「ああそうだな!ここまで攻め上がるのは無能のすること、兵法を無視した愚行だと!」

 広場に男の声が響く。二人が声の方に向き直ると、そこには赤い軍服を着た男が居た。

「アグニ、だと……!」

「……誰だ、あの男は」

 燃えるような赤い刺繍が施されているその軍服は、一目で火山地帯の国、ムスペルヘイムの兵であることがわかる。

「生きていたか、バロン。国境で死んだと思っていたが」

 アグニと呼ばれたその軍服は、バロンの方へ不敵な笑みを浮かべる。歯を剥き出しにして、何か恍惚とした笑みを。

「……知らん。誰だ」

「……?頭でも打ったか」

 アグニはきょとんとした。

「おいヴァルナ、こいつ本当に頭でも打ったか?」

「ああ。記憶の混濁を起こしている。好敵手を失ってしまったな、アグニ」

 ヴァルナが少し嘲るようにアグニに向けて顔を綻ばせる。

「ちっ、ニブルヘイムの兵ってのはどうしてそんなに目の奥が笑ってねえのに顔は笑えるのかわからんな。まぁいい。記憶が無くなっていようが、戦い方は体が覚えてるだろ。行くぜ、バロン、ヴァルナ!」

 鋼鉄の床を軽く踏んでアグニが飛び上がり宙返りして右足で蹴りを繰り出す。バロンがその場から飛び退き、蹴りが床に凄まじいへこみと焦げを残す。アグニが手で地面をついて後ろへ回転し、バロンと拳を突き合う。鋼が左腕から涌き出てアグニの脇腹を狙うが、アグニが全身から熱を放ってその刃の鋭さを失わせる。アグニはバロンの左腕を引いてバランスを崩させ、顎にアッパーカットを叩き込む。バロンは踏み止まり、右の拳をアグニの頬にぶちこむ。アグニは少しだけ怯んだが、ほとんど気にせずに蹴りを繰り出す。バロンは左腕でそれを弾き、強く床を踏んで後ろに飛び退きながら鋼の刃を地面から突き出す。アグニの腹に刃が突き刺さる直前に刃は熱で溶け、アグニは地を走るようにバロンに接近する。そのアグニを遮るように、ヴァルナが氷剣で切りかかる。

「手緩い!」

 氷剣を握りしめ、熱量を上げてへし折る。勢いをつけて回し蹴りを繰り出すが、ヴァルナは身を屈めてそれを躱し、新たな氷剣で切りかかる。咄嗟にアグニはそれを躱すが、僅かに頬骨に傷がつく。アグニは掌に炎を集中させ、それを至近で爆発させる。お互いに吹き飛び、受け身をとる。

「さすがにバロンとヴァルナが相手では分が悪いか」

 アグニは軽やかにジャンプし、キャノピーのガラスを破壊して縁に立つ。

「ニブルヘイムもまだ諦めていないようだな!せいぜいがんばって領地を取り戻せよ!」

 アグニはそう言い残すと、炎の軌跡だけを吹雪の中に残して消えた。

「……はぁ、はぁ」

「息が上がっているようだが、大丈夫か、バロン」

「……っあ、ああ。だが、本能で戦い続けるのにも限度があるぞ」

「ふむ。お前でも音をあげることはあるのだな。……いや、今のお前はもはや別人だったな。まあいい。お前の意思とは関係なく戦争は続くし、お前は戦力に計上される」

「……ああ……」


 ――……――……――

「※※※※!私の言うことは黙って聞けといつも言っているだろう!」

 青い髪の女の手を掴んで乱暴に投げる。起き上がろうとする女の腹を踏みつけ、顔を歪ませて睨み付ける。

「ご、ごめんなさっ……」

「黙れ!」

 女の胴体を蹴り飛ばす。高級そうな絨毯に、女の吐血が染み付く。

「このクソ女が……ちっ」

 苦虫を噛み潰したような顔で女を睨み付け、女は立ち上がり、心底申し訳なさそうな顔をした。

 それにまた苛ついて、拳を振り上げて――

 ――……――……――


 ニブルヘイム・ガルガンチュア

「……はっ!?」

 バロンは上体を勢いよく起こし、自分の右手をまざまざと見る。

「……あの女の子は、誰だ?それに、あの子を蹴って、殴り付けたのは……ただの夢だ、気にするほどのことでもないか。しかし……しかし。どうしてだ?あの女の子の目、顔、髪の色、声、その何もかも……恐ろしいほど覚えているのは……」

 バロンはしばらく考え込んで、立ち上がる。

 見たところ、バロンが最初に目覚めた場所と同じらしい。ガルガンチュアの一室、作戦室へ行く途中にある休憩室だ。

 しばらくぼーっとしていると、ヴァルナが入ってきた。

「バロン、作戦会議を――どうした、顔が疲れているが」

 バロンの顔を見て不思議に思ったのか、ヴァルナがその端正な顔を少しだけ歪ませる。

「……僕の顔はそんなに疲れているか?」

「ああ、してはいけないことをした……というのは抽象的すぎてわかりにくいだろうが、そんな感じの表情だ」

「……そうか。ならば一つ聞いて欲しいのだが」

 不思議そうな表情で、ヴァルナがバロンを見る。

「なんだ」

「……青い髪の女の子を知らないか?この世界に女性が居ないのは重々承知だが、ちょっと考えてみてくれ」

「青い髪の女か。そんなもの、考えるまでもないだろう」

 ヴァルナがさも当然のように言い放つ。

「……何?」

「いやはや、そんなことも忘れているとはな。青い髪の女と言えば、この世界の誰もがその体を苗床として求めているあの『神子』以外居ないだろう」

「……そう、なのか」

 ヴァルナがすぐ傍の棚にあった本を取り、その中の一ページを見せた。そこには、青く、長く、美しい髪を湛えた少女が写った写真が掲載されていた。

「……名前は?」

「さあ、そこまでは知らん。断片的にでも、お前の記憶が戻ってきたんだな」

「……(本当に僕個人の記憶か……?)ふう、ひとまずはそういうことにしておこう。作戦会議があるんだろう?僕のしょうもない会話に付き合わせて悪かったな。行こう」


 会議室に入ると、すでに男が三人居た。エンブルムと、眼鏡の男、薄着の男の三人だ。

 入ると早速、薄着の男ががなる。

「おい!おせえぞ将軍!バロン!早く作戦を考えねえと不味いだろうが!」

 眼鏡の男が諌める。

「ヴァーユ、落ち着きなさい。我々が焦っては勝てる戦も勝てませんよ」

 ヴァーユと呼ばれた男は、ばつが悪そうにして椅子に座り直した。

 ヴァルナが眼鏡の男の方を向く。

「ラーフ、アレフ城塞の情報を教えろ」

 ラーフと呼ばれた眼鏡の男は、ヴァルナが使っていた液晶を使い、どこかの要塞を映し出す。

「ここはアレフ城塞。ニブルヘイムの中にある、我らが作った唯一の建造物だ」

「……氷竜の骨にある食料基地はなんだ」

 ラーフが答える。

「あの基地は、元々この世界にあったものです。この世界にはいつ建造されたのかすらわからない建物がたくさんあるんです」

「……なるほどな。で、そのアレフ城塞は今どうなっているんだ」

 バロンが椅子に座り、ヴァルナへ視線を向ける。

 ヴァルナがラーフに視線を送り、それに反応してラーフがアレフ城塞の様々なアングルの映像を液晶に表示し、説明する。

「アレフ城塞は現在、大量の機甲虫に占領されています。食料基地にいたならず者の部隊に比べ、特殊部隊ではないものの正規軍ではあるので多少の練度があると言えます」

 バロンは映像の中に居た、一人の男を見てヴァルナに訪ねる。

「……あの男は」

 ヴァルナは先程の少女の話のときと同じ表情で答える。

「奴はカルブルム。パラミナの王だ。奴はエンブルムやバンギと違ってアグレッシブでな。前線基地に来るのはそう不思議なことではない」

「……カルブルム……」

 黙り込んでしまったバロンを見て、咳払いをしてラーフが話を進める。

「こほん。このアレフ城塞は現在、ゾルグというムスペルヘイムの兵が支配しており、施設の守りに入ったと見えます」

 ヴァルナが注釈を加える。

「あー、ゾルグというのはムスペルヘイムのコウモリ兵で、時間稼ぎや籠城が得意な奴だ」

 ラーフが話を戻す。

「ゾルグがここに居る以上、現存兵力を注いでも突破することは難しいでしょう。よって、再びヴァルナ将軍とバロン殿、そしてヴァーユに三人一組になって突破してもらいたいのです」

「……大勢で突破できない要所に少数で突っ込むのか」

「適材適所というものですよ。確実に奪還したい場所には確実な成果をもたらしてくれる人材を派遣すべきでしょう。万夫不当の猛将を数人で組ませて攻撃した方が、時間も人数も減らさずに済む」

「……いまいち道理が通らない気もするが」

「強者には強者の、一般兵には一般兵の仕事があるのですよ。今だって、アレフ城塞だけが重要なのではありませんから。現に、国境には我らの戦力が集中してムスペルヘイムの兵を押し止めていますからね」

 バロンはヴァルナの方を向く。

「……いつ出発だ」

「今すぐだ。休息など、我らには必要ないからな」


 ニブルヘイム・アレフ城塞

 コウモリの翼を外套のように体に巻き付けて、男が呟く。

「一体何時になれば、この世界は変調をきたすんだろうなァ……」

 機甲虫が羽音を立てて男の側に着地する。

「ゾルグ様、ガルガンチュアより数名の兵士がこちらに向かっているとのことです」

 機甲虫が大顎の間にある毛を擦らせて音を出す。

 ゾルグは機甲虫を一瞥すると、ただ一言だけ告げる。

「守れ」

 機甲虫はけたたましく羽音を散らし、城塞の指令室から飛び去った。


 ――……――……――

 雪が降り積もる道を、青い髪の少女と歩く。

「ねえ、バロン。あの子にあげた世界、ちゃんと機能してるかな?」

 雲に霞んで朧に光る太陽が、少女の美しい髪と注ぐ雪を照らし、思わず見とれてしまう。

「ちょ、ちょっと……急に見つめてこないでよね……!」

 少女が恥ずかしそうに顔を赤らめて、抗議の視線を送ってくる。その視線を受け止めるように、優しく微笑んで、そして――

 ――……――……――


 ニブルヘイム・氷竜の腕骨

「……ーい。おーい、バロン」

「……聞こえてる。なんだ」

 バロンが気がつくと、そこは映像で見たアレフ城塞だった。そして、ヴァーユが少し怪訝な表情で見つめてきていた。

「お前大丈夫か?記憶どっかやってから呆けすぎじゃねえか?」

「……ああ。少し馬鹿になったかもな」

「はッ。減らず口を叩けるんなら大丈夫だな。気を引き締めろよ」

 ヴァーユとバロンが雑談レベルの会話を続けていると、ヴァルナが提案を持ちかけてきた。

「二人とも聞け。正面から突っ込むのと、抜け道を選ぶのと、どちらがいい」

「楽な方だな!」

「……正面から突っ込むことにメリットがあるのか」

「ない」

 若干呆れながら、バロンがため息をつく。

「……じゃあ提案しないでくれ」

 深い雪道を、城塞に向かって進む。

 城塞から横にずれたところに着くと、ヴァルナが地面の雪をどかし、金属の蓋を露出させる。

「……まさか、下水道か……?」

 ヴァルナはバロンを見て微笑み、少し意地悪な笑顔を浮かべた。

「凍土の下水道は楽しいぞ、色々とな」


 ニブルヘイム・下水道

「……ひどい臭いだ」

「水の流れが止まらないように温水が循環しているからな。下水に流れる汚物が発酵してすさまじい異臭を放つんだ」

「ま、下水道の入り口は最新鋭のエアカーテンがあるから、外に臭いが漏れにくいんだがな」

 浅い溝に恐ろしく汚い水が流れ、温い風とすさまじい腐敗臭が漂う。

「進むぞ」

 ヴァルナが溝の脇にある煉瓦の道を走り出す。ヴァーユとバロンもそれに追随する。

 ある程度の距離を走ると、ヴァルナが立ち止まった。

「……どうした」

「この上だ」

「……ずいぶんと近いな」

「城塞のすぐ横にある下水道なんだからそりゃそうだろ」

「準備はいいか、バロン、ヴァーユ」

 二人は頷き、ヴァルナははしごを上る。


 ニブルヘイム・アレフ城塞

 重い鉄の蓋を持ち上げて下水道の入り口から城塞内に出ると、そこは大量のパイプが張り巡らされた部屋だった。

 僅に開いた鉄の扉から、光が漏れている。

「さて。ここは城塞の一階にある、ポンプ室だろう。ポンプ室は城塞の北の方にある部屋だ。ここから南下し、中央にある階段から二階に上がり、その後北西にある階段から三階の指令室へ突入する」

 服についた汚れを叩き落としながら、ヴァルナが手短に説明する。

「……ブリーフィングによれば、籠城が得意な……ゾルグとやらがここを守っているのだったな」

「ああ、やつは剛顎隊にも劣らぬ自己防衛能力を持ち、また兵の士気を保つことにも長け、逃亡も極めて周到に行う。

 パラミナでの戦いでは、ゾルグのいた町の攻略にリソースを削がれ続けた結果、大敗を喫してしまった」

「……国境での戦いの直前か?」

「ああ。悪いが、時間が惜しい。先を急ぐぞ」

 ポンプ室から出ると、無機質な金属の通路が続いていた。そこから右に進み、左へ曲がり、直進する。しばらく進むと、左手に大広間が見えた。その左奥には、大きな階段があった。

「……ポンプ室からここまでそこまで距離があるわけではないが、どうしてここまで敵が居ないんだ?」

「上だ!」

 バロンが疑問を投げ掛けたのと同時に、天井に張り付いていたムスペルヘイムの兵が三匹通路へ降り立つ。ゴキブリのような外見のそれは、背にチェーンソーを装備し、触覚のようなマニュピレーターでそれを振り回す。

「……ヴァーユ、顔が歪んでるぞ」

「い、いや俺、機甲虫以外の虫は無理なんだよ……!」

「バロン、構えろ!」

 ヴァルナが声を上げ、バロンが鉄の刃を床から突きだし虫を串刺しにする。ヴァルナの氷剣も続いて虫を両断し、ヴァーユも虫を一太刀で切り捨てる。

 床に釘付けにされた三匹のムスペルヘイム兵は、死体のままモゾモゾと蠢き、六本ある足の最も後ろにある二本が肥大化し、切り捨てられたものは破片を元に繋ぎ合わせて立ち上がる。残る四本の足はノコギリのようなギザギザの足へと変貌していく。完全に変態を遂げたその虫は、バロンの鉄の刃を腹に残したまま飛び上がり、バロンへ襲いかかる。バロンは体に鋼を纏い、右腕で虫の顔面に強烈なパンチを叩き込んで殴り飛ばす。鉄の通路を脂ぎった背中で虫が滑る。そして顔面から茶色の液体を溢しながら、平然と立ち上がる。

 もう一匹の虫はヴァルナへと襲いかかるが、瞬く間にノコギリの腕を全て切断され、腹へ氷剣を突き立てそのまま頭部へ切り上げられ、追撃で虫を支えている二本の足を切り、掌底を叩き込まれて魔力が炸裂し、氷漬けにする。

 最後の一匹はヴァーユへ向かうが、半狂乱に切りかかるヴァーユによって滅多切りにされて通路に粉状に落ちた。

 殴り飛ばされた虫はバロンへ突撃し、ノコギリを繰り出し、バロンはそれを避けずに手で受け止め、ノコギリを力任せに引きちぎる。空いた足の傷口に鋼を流し込み、虫の生物としての機能を停止させる。

「……大丈夫か、ヴァーユ」

「いやあ、はは……これ以上出てきたら作戦に支障が……」

「階段を登るぞ。早く上に行かないとな」


「……北西だな?」

「ああ。だがセキュリティ上、左右にある障壁管理モーターを弄らなければ指令室へは行けんだろうな」

「……なら急ぐぞ」

 階段を登りきるとすぐに右に曲がり、物陰から通路の様子を伺う。先程と同じく、敵の姿は見当たらず、天井に張り付いている敵も見当たらない。

「……おかしいだろう、流石に。ゾルグはもう撤収しているのか?」

「いや、そんなはずは……ヴァーユ、ラーフに連絡しろ」

「了解、将軍」

 ヴァーユが左腕のデバイスを叩き、無線が繋がれる。ラーフの声がデバイスから聞こえる。

『どうしたんだい、ヴァーユ。城塞に目立った変化は見られないけど……』

「城塞内に敵影がない。俺たちが辿り着く前に敵が移動したか?」

『いや。下水道の動体も雪原の動体も汚水や雪、つまりそこにあって然るべきものしかない。城塞内は迎撃設備が中心に建造されているから、事前に把握していた兵の数なら通路内を巡回する兵士がひどく多くなるはずだけど』

「……。つまり?」

『通路に兵士が居ないとなると、何かの新技術で兵を隠しているのか、それとも何者かの攻撃で消滅したか』

「何もわからん、か。それなら城塞の攻略を継続する」

 無線を切り、誰も居ない通路を突き進み、途中にある左の通路を進み、頭上が高く開けた場所に出た。壁に沿うように付けられた階段を駆け上がり、緑色の光を放つ機械がある部屋に出た。

 巨大な黒色の機甲虫一匹と黒みがかった黄色の機甲虫二匹が、バロンたちを捕捉した途端猛る。

「アクティオンとギアスか」

「……わからん。なんだそれは」

「アクティオンゾウカブトとギアスゾウカブト。機甲虫のなかでも重量級で有名なやつだ。少しは気を引き締めんとな」

 アクティオンが羽をはためかせ、バロンに向かって飛ぶ。バロンが横に避け、アクティオンは壁に激突して瓦礫が直撃する。続いてギアスが飛び、それをヴァルナが氷で押し止め、羽が開いて丸見えになっている腹にヴァーユが斬撃を与えて切断する。アクティオンは直ぐ様向き直り、角を使って床を思いっきり叩く。鉄の床が歪み、足元がふらつく。そして再び羽を開き、アクティオンが突進する。ヴァルナが氷の壁を作り出すが、その氷の壁を躊躇なくアクティオンは破壊し、ヴァーユを突き飛ばし、バロンへ突き進む。

 バロンはそれもまた回避し、アクティオンは緑色の光に突っ込み、溶けた。緑色の光が消え、部屋が暗くなる。

「……器物破損は軍法会議ものか?」

「実戦部隊しか居ない軍隊にそんな詰まらんものはないさ」

 ひび割れた床が崩れ、瓦礫と共に階段の始点へ落ちる。

「降りる手間が省けていいな!」

「……全くだ」

 塔から通路に戻り、反対側の通路へ進み、もうひとつの塔を登る。

 塔の上には先程と同じように緑色の光を放つ装置があり、黒光りするクワガタ型機甲虫一匹と黄色い艶のあるクワガタ型機甲虫二匹が待ち構えていた。

「……こいつらは」

「ブルマイスターとタランドゥス。ツヤクワガタというタイプだな。まあ正確に言えば違うが」

 タランドゥスが羽をはためかせ、忙しく足を動かしてバロンへ突進する。バロンは真正面でそれを受け止め、筋肉を強張らせて、タランドゥスを無理矢理二つに千切る。二体のブルマイスターは顎でヴァルナとヴァーユに切りかかるが、瞬く間に細切れにされ、三人は障壁管理モーターを機能停止させた。


 ゾルグは後ろで緑色の障壁が消えたのを片目に、ゆっくりと翼を広げた。そして横に居る特徴的な大顎を持つ機甲虫を見た。

「ゾルグ様、何かご用でしょうか」

 機甲虫は主の視線に応える。ゾルグはふと司令室から見える銀世界に目を向けて、そのまま口を開く。

「俺はニブルヘイムで生まれた。氷竜の骨の食料基地に居たんだ。俺は生まれた時から戦争のただ中にいた。俺が生まれたとき、氷竜の骨でムスペルヘイムとニブルヘイムが戦っていたんだ。俺は生きるために、ムスペルヘイムもニブルヘイムも罠に嵌めて食料基地に籠り続けた」

 ゾルグはゆっくりと歩き、なおも話し続ける。

「しばらく過ぎて、辺りが砂嵐に包まれた。このニブルヘイムで砂嵐が起こること自体おかしいことだったが、食料基地に罠を抜けて男が一人入ってきたんだ。

 ハンマーのような頭、鮫のような鰭、細身の長剣……そうだ、俺たちの主、カルブルムだ」

「ゾルグ様。昔話をなぜ今なさるのです」

「さあ、どうしてか、懐かしみたくなった。今思えば、カルブルムとは不思議なやつだ。中立を保っていたころのパラミナの長が、食料基地に籠っていた男にわざわざ会いに来て、打ち負かし、止めを刺さずに連れ帰るなど……しかもやつは、ことあるごとに娘がどうとかと……この世界に女は、神子しか居ないのに」

「ゾルグ様、やつらが来たようです」


 階段を三人が駆け上がり、開けた場所へ出た。

 壁はスクリーンで埋め尽くされ、真正面には大きなガラスが見え、吹雪の銀世界を繋ぎ止めていた。

「ゾルグ!」

 ヴァルナが叫ぶ。ゾルグは窓の向こうを見つめて、微動だにしない。傍に居る機甲虫が、顎の間にある毛を震わせて声を発する。

「お待ちしておりました」

「ディディエールか」

「アレフ城塞内部に機甲虫は居ない、それがどういうことか、わかりますか」

「……まさかとは思うが……」

 ゾルグがバロンたちへ向き直り、右の翼を上げる。

「嵐は来た」

 その声と共に、天井が砕け、夥しい量の機甲虫が降下する。

「んなバカな!ラーフ!」

 ヴァーユが無線を叩く。

『バカな、こちらも把握できてない!上空にも反応はなかったはずだ!』

 ゾルグが翼を再び閉じる。

「ラーフと言ったか。お前はこの城塞の索敵システムの盲点を忘れているようだな」

『何だって?』

「この城塞は直上にある物体を索敵できない。屋上や、司令室の屋根に取り付かれたらその姿を捉えることはできない」

 天井に空いた穴からは大量の機甲虫が雪崩れ込み続ける。

「ゾウカブトにドルクス……拠点防御に傾倒している……!」

 ヴァルナが顔をしかめる。

「時間が重要だ。確かにお前たちは強い。だが所詮、僅かな兵が実力で押し留めているだけ。その実力を無に帰す圧倒的な数の暴力の前には、ただ疲弊するのみ。数で押し続け、強引に勝つ。それはムスペルヘイムのやり方だ」

 ゾルグが目を伏せると、機甲虫は一斉に飛び立つ。最初に飛び込んできた機甲虫エレファスをヴァーユが両断する。ヴァルナによって凍らされ、バロンによって串刺しにされ、次々と機甲虫の死体の山が出来上がっていく。しかし、機甲虫は延々と天井から侵入してくる。

「数が多いな……」

 ヴァルナが毒づく。

「あんまり派手にやると司令室が壊れちまうしな……!」

 ヴァーユが呟く。それにバロンが反応する。

「……ここが壊れなければ派手にやれるんだな」

「ん?」

「……僕にいい考えがある」

 ヴァルナとヴァーユがバロンに注目する。

「……僕を信じて一回派手にやってみてくれ」

 二人は一瞬ポカンとしたが、すぐに機甲虫に向かった。ヴァーユが凄まじい力で刀を振り抜くと、台風のような渦巻き状の闘気が現れて機甲虫を粉々にしていく。ヴァルナは氷剣に力を注ぎ、機甲虫へ向かって振る。すると機甲虫が片っ端から凍っていき、そして即座に砕け散る。

「……いいセンスだ」

 室内に張られていた鋼の膜が剥がれ落ち、天井の穴からボトボトと機甲虫が落下する。

「な、何が起きたんだ?」

 ヴァーユが驚きの声を漏らす。技の規模とは裏腹に、司令室内は全く傷ついていなかった。

「ほほう。元からそうやって仕留めるつもりだったろう」

 ゾルグが翼を勢いよく広げて翼に付着した鋼を吹き飛ばす。

「……下でコックローチの兵を殺すときに気付いてな。この自在に操れる鋼を生体に流し込めば、どれだけしぶとくても一瞬でケリがつくとな」

「ん?それとこれとなんの関係が?」

「……予め、この部屋に入った時点で鋼を部屋中に薄く張っておいたんだ。司令室に伏兵が居ることは、城塞内の兵士の数が少なすぎることで把握できたからな」

 ヴァルナはだいたい把握したような顔をしていたが、ヴァーユはまだまだ理解できていないようだった。

「……僕の張る鋼は、例え膜のような薄さでも極めて高い強度を持つ。氷の刃や台風程度では破れんさ。天井の穴から入ってくる機甲虫が、膜を通るときに体内に鋼が吸収されて機能停止したのは予想外だったがな」

「つまりは、お前が膜を張ってたから無傷だったってことか」

「……そうだ」

 ヴァーユもようやく理解したようで、ゾルグの方へ向き直した。

 ゾルグが翼を広げ、翼とは別に生えている腕を使い、手に持っていた手紙をディディエールに持たせる。

「いいのですね?」

 ディディエールの問いに、ゾルグはただ頷いた。ディディエールは後方のガラスを破壊して、外へと飛び去った。

「……さあゾルグ。この城塞を返してもらおうか。あの数で押し止める算段だったのなら、まだまだ僕らの残り時間は多いぞ」

 バロンが構える。

「フハハハ、そうだ。俺が一人で時間を稼ぐんだ」

 ゾルグは飛び上がり、ヴァーユへ右足で強烈な蹴りを繰り出す。ヴァーユは咄嗟に後ろへ下がる。ゾルグは続けて左足で蹴り上げてヴァーユの胸を切り裂く。

「これは!暗器かッ!」

 ゾルグが足の暗器を放り投げ、自分の手で掴む。

「毒だ!あれには毒が塗られている!」

 ヴァーユが叫び、傷口を押さえる。胸の裂傷からは、不自然なほど流血していた。

「……これは……」

「この世界に生きるのなら、バンギのような豪腕か、ヴァルナやバロン、お前のように特殊な力を持っていない限り無駄に死に続けることでしか生きられない。だが俺は、これがある。俺の体は出血性の毒が血液として循環している」

「ちっ、貴様に傷を付ければこちらが血を浴びると」

 ヴァーユは力み、毒素を排出する。刀を構え直し、ゾルグへ突っ込む。ゾルグは軽やかにステップを踏みながら、紙一重でヴァーユの鋭い斬撃を躱していく。

「クソが!躱すな!」

 ヴァーユの斬撃は次第に真空刃となり、ゾルグの退路を絶つように生まれていく。ゾルグはその真空刃をも自在に躱し、暗器で流れるようにヴァーユに傷をつけていく。ヴァーユが力を込めて振り下ろした刀を避け、その隙を逃さずゾルグが刀を蹴り飛ばす。そして翼を切り離してヴァーユの頭部に絡ませ、暗器で頭を刺す。だめ押しと言わんばかりに蹴りを叩き込み、ヴァーユは後方へ吹き飛ぶ。

「ヴァーユ!ゾルグ、次は私が相手だ!」

 ヴァルナが氷剣を抜刀しようとするが、バロンがそれを制止する。

「なぜ止める!」

「……落ち着いてくれ将軍。ヴァーユや将軍の戦い方は、奴と戦うには王道過ぎる。僕ぐらいややこしい方が、奴も読みにくいんじゃないかと思うが」

「ふん……お前の腕が鈍ってないかどうかを見るいい機会か……」

「……ならば行こう」

 バロンが前に出ると、ゾルグは暗器を構え直す。翼の無くなったゾルグは異常に華奢に見える。皮と骨ばかりの細腕が勢いよく動き、暗器を弄んでいる。

「バロン。お前は記憶を失っているとか。では一つ聞こう。お前は、黒崎奈野花という人間を知っているか?」

「……黒崎奈野花……?誰だ、それは」

「知らんか……(ということは、あちらのバロンでは無いのか……?)」

「……なんだ、お前は……お前は何を知っている」

「記憶を失った以上、お前が過去誰と関わっていたかなどどうでもいいだろう」

「……」

 ゾルグは暗器を投げつける。バロンは駆け寄りつつ暗器を右腕で弾き飛ばし、鋼を纏った拳を振るう。拳はゾルグの腹にクリーンヒットして、ゾルグの体はぼろ雑巾のように転がる。

 しかし、ゾルグは何事もなかったかのように立ち上がる。

「……バカな」

「なるほど中々活きがいいなァ」

 ゾルグは天井に届くほどの跳躍と共に、切り揉み回転しつつバロンへ突っ込む。バロンはそれを鋼の盾を作り出して弾き、そのまま盾を凝縮してゾルグへ射出する。するとゾルグは空中で器用に体を反らし、鋼を回避する。そして何もない空間をまるで足場のように使って力み、加速する。

「……!?」

 バロンがその様に動揺した一瞬に、ゾルグは左腕の手首からブレードを出現させてバロンへ突き出す。それはバロンの腹を貫いた。バロンは苦悶を表情には出しつつも怯まず、至近に迫ったゾルグの顎に強烈なアッパーを叩き込む。ブレードが根本からへし折れ、ゾルグは床を滑っていった。なおもゾルグは平然と起き上がり、ひょろひょろの体を動かしている。

「不死というのも苦痛なだけだなァ、バロン」

「……(機甲虫とは何か……手応えが違う。中身が無い……まるで的を殴り付けているような感覚さえある)」

「さァ、勝負はまだまだここからだ」

 ゾルグは大袈裟に両手を広げ、そして右手で腰に提げていたナイフを取り出す。バロンは腹に刺さったブレードを引き抜くと投げ捨て、傷口を鋼で塞いだ。バロンが先に距離を詰め、鋭いストレートを繰り出す。ゾルグは軽やかなステップでそれを避けると共に、ナイフで何度もバロンを切りつける。バロンの皮膚は裂けていくが、まるで血が流れない。司令室の左右にあるディスプレイの光がバロンに当たる度に、バロンの傷口が鈍く輝く。

「ぬ!?なるほど、鋼は変幻自在、自らの体内にすら住まわせられるということか!」

「……そうだ。即ち、僕の体はその程度のなまくらで切り刻むことは不可能だ」

「クッハハハ!だが先程の刺突は防げなかった!鋼を流すにも多少の時間とお前自身の反応速度が必要らしいなァ!」

 ゾルグはナイフを右足で持つと、左足を軸に回転しながらバロンへと接近する。バロンもそれを迎え撃つように回し蹴りを繰り出し、両者の足が激突して競り合う。

「さすがバロン」

「……そろそろ本気でも出したらどうだ。このままでは決着がつかないぞ」

「それでいい。俺の目的は時間稼ぎ、お前たちも知っているだろう?」

「……ならこちらから行くぞ!」

 バロンの足がゾルグの足を膝で抱え込み、バロンは体を宙に浮かせてゾルグへもう片方の足で蹴りを入れ、怯んだゾルグへ逃さず拳を突き入れ、ゾルグの体内で鋼を炸裂させる。

「ぐはあっ!」

 バロンが勢いよく拳を引き抜くと、ゾルグは後退しながら悶える。鳩尾の部分に出来た大きな傷口からは、液状の鋼が滴り落ちている。

「……勝負あったな」

「バカめ、遅いわ」

「……何?」

 バロンの後方で、ヴァーユの端末が電子音を鳴らし、ラーフの声が聞こえる。

「国境に再びコーカサスが現れた!」

「……なんだと!」

 ゾルグが口から鋼を吹き出しながら笑う。

「フフフ……グフッ……そもそも俺が時間を稼ぐ必要すら無かったのだ……俺がここでお前たちに瞬殺されてお前たちが国境へ向かったところで……コーカサスには勝てん……!」

「戻るぞ!」

 ヴァルナが叫び、他の二人も同意する。ゾルグはふらふらのまま飛び上がり、そこから驚くべき速度で飛翔し、去っていった。

「あいつは逃がしてもいいのか!」

 ヴァーユが問う。

「構わん!今コーカサスがガルガンチュアまで来たら終わりだ!」

 ヴァルナが答える。

 そして、三人は城塞から飛び出した。


 ニブルヘイム国境

 三人は雪原を駆け抜け、次第に遠くに砂の大地が見え始めた。砂の大地と雪原の丁度合間に、直線状の建造物の残骸と、ニブルヘイム、ムスペルヘイム、パラミナの三か国の兵士の亡骸があった。

「急ぐぞ!」

 ヴァルナが先行し、それに二人が続く。残骸の下に辿り着くと、この世のものとは思えぬ絶叫が、空から響き渡る。

「コオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 直上から、三本角の機甲虫が落ちてくる。三人は咄嗟に回避する。機甲虫が残骸に落下すると、凄まじい竜巻が巻き起こる。

「……こ、これは……!」

 バロンが驚く。

「なんだ、どうしたってんだバロン!」

 バロンの反応にヴァーユが反応する。

「……こいつだ。こいつが国境を破壊したやつだ」

「貴様やはり覚えているんじゃないか!」

「……待てヴァルナ。今思い出したんだ」

「まあいい、話は後だ!」

 三本角の機甲虫―――コーカサスは、超巨大なクレーターの中から飛び出し、バロンへ突っ込む。バロンはすんでのところで回避する。コーカサスの通り道には、暴風が吹き荒んだ。雪も砂も舞い上がって、視界が極端に悪くなる。

「……くっ……二人はどこだ……!」

 バロンが左右を見渡しても、濃霧のように砂と雪が荒れ狂うだけで、二人の姿は全く見えない。そこにコーカサスが狙いすました突進を繰り出してくる。余りの速さに受け止めるわけにもいかず、バロンはただそれを回避する。コーカサスが通るだけで暴風が通り抜け、そのせいで更に視界が悪くなっていく。

「……逃げようにも二人を置いて行くわけには……コーカサスを撃退する他に選択肢はないか……!」

 バロンは目を閉じ、静かに佇む。暗闇の中に、吹き荒ぶ風の音が聞こえる。その中に、風の音を遮る不快な羽音が途切れ途切れに響き渡る。ある一点でその羽音は向きを変え、バロンの方へ向かってくる。バロンは更に意識を研ぎ澄まし、羽音との距離を測る。そして、最接近した瞬間に目を見開き、渾身の力を両腕に込める。見事にコーカサスの三本角の内、上部の二本を掴んで押し止める。

「……くうっ!なんという蛮力だ!」

 バロンの筋肉が悲鳴を上げる。バロンは咄嗟に、自分の体に鋼を循環させた。するとどうしたことか、バロンの肉体は一時的な筋力増強を促されたようで、コーカサスの角を難なく塞き止める。

「コオオオオオオ!!!!!オオオオオオッ!!!!」

 コーカサスは唸り声を上げ、雪のように白い羽を黄色く変色させて、身体中に赤黒い筋が浮かび上がる。

「……ッ!」

 コーカサスが赤黒い瘴気を放ち、バロンを遠く吹き飛ばす。そしてバロンは国境の残骸に叩きつけられ、視界が揺らぐ。

「コオオオオオオオオオッ!!!!!!!」

 コーカサスの瘴気は砂と雪の嵐を吹き飛ばし、尚も荒ぶり続ける。羽をしっちゃかめっちゃかに開いたり閉じたりして、辺りの雪を巻き上げて、瘴気が一瞬でそれを灰にして撃ち落とす。

「……なんだ、あれは……鋼を流した時、確かに僕の肉体は強靭になってやつの角を押し返したはず……!」

 バロンはゆっくりと立ち上がり、拳を構え直す。コーカサスが羽をはためかせバロンへ突っ込む。バロンは腕だけで飛び上がり、突進を回避する。そしてすれ違い様に両腕を横に振るい、剥き出しのコーカサスの腹を切り裂く。コーカサスは勢いを殺せずに残骸に突進し、残骸を粉々にして振り向く。

「……バカな、何のダメージも無いのか……!」

 コーカサスは突進を再び行い、バロンを突き飛ばす。バロンは両腕を交差して鋼を充填させて突進を堪える。猛るコーカサスの角を無理矢理に抑え込み、力を込めて角を弾き返し、続けて繰り出そうとした角の一閃を鋼を纏った拳で打ち返す。コーカサスの右角の先端が少しだけ欠けてコーカサスが怯む。

「オオオオオオオオオオ!!!!!!!」

 コーカサスが激昂し、更に激しい瘴気を放つ。その瘴気に巻き込まれてバロンは再び吹き飛ぶ。そしてコーカサスは頭部を振り回す。すると、瘴気が竜巻となってバロンへ向かう。

「……くっ、もはやここまでか……ッ!」

「諦めるな!」

 倒れたバロンをヴァルナが抱えて飛ぶ。

「……ヴァルナ!」

「まだ動けるか!」

「……ああ!」

「ならば行こう、奴を倒すぞ!」

 コーカサスはヴァルナとバロンを見据え、猛る。ヴァルナはバロンを下ろし氷剣を生成し、バロンは両腕に鋼を纏わせる。

「あの色の羽で戦場に来るとは……正気の沙汰ではないな」

「……油断は出来ないぞ」

「当然だ」

 ヴァルナが氷剣を振るうと、無数の氷塊がコーカサスへ飛ぶ。コーカサスは瘴気でそれらを撃ち落とし、羽をはためかせて突進する。ヴァルナがそれを迎え撃つように氷剣を振るい、コーカサスを氷漬けにして釘付けにする。バロンはその隙に開いたままのコーカサスの腹にラッシュを叩き込む。コーカサスが瘴気を放ち氷塊を粉々にすると、腹から汁を垂れ流しながらバロンへ振り向く。

「コオオオオオオオオオ!!!!!!オオオオオッ!」

「な、何だ!何がここまで……!」

「……ッ!何か来るッ!」

 コーカサスが再び角を振ろうとしたとき鋭い空気の刃がコーカサスを切り刻む。そして刃が来た方向からは、刀を持った男が一人悠々と歩いてくる。

「……ヴァーユ!」

「よお!視界が遮られて将軍ともはぐれたときは泣きそうになったが……三人揃えばたかが虫一匹!」

「オオオ……オオオオオオオオオッ!!!!!!!」

 コーカサスは不利を悟ったのか、羽をはためかせて直ぐ様パラミナの領地へと飛び去っていった。

「およ?俺らに恐れをなしたのか?」

「バカが。そんなわけがないだろう。だが確かに、最後の貴様の攻撃がバロンの連打で傷を負ったやつの戦意を折るには充分だっただろう」

「……ぐふっ……はぁはぁ……っ……一先ず、ガルガンチュアへ戻ろう……」

「ああ、そうだな」


 ニブルヘイム・ガルガンチュア

 会議室の中は、僅かな冷気が漂っている。

「色々と想定外ではあったけど取り敢えずアレフ城塞は奪還した。ここからニブルヘイムの反撃は始まる」

 ラーフはそう言いながら、液晶にデータを表示する。

「ところでバロン。貴様、あの嵐を見たときにコーカサスこそが国境を破壊した張本人だと言っていたが」

 ヴァルナが探るようにバロンへ問いかける。

「……ああそのことか。コーカサスが作り出す竜巻、あれが僕の見た最後の風景だ」

「ふん、まあいい。貴様の目を見れば嘘か本当かなどすぐにわかる」

「この後の作戦の話をしても?」

 二人とヴァーユに目配せして、ラーフが咳を一つ。

「国境の奪還はコーカサスの撃退によって成功したと言えるでしょう。そして、主要拠点であるアレフ城塞、食料基地の奪還も成功しました。となれば、次なるはパラミナへの侵攻、制圧が目標となります」

「……パラミナ」

「まずは国境の近くにあるアリンガという拠点を襲撃します。アリンガはかつてパラミナが、ニブル・ムスペル両国に対し、物資を補給するために使っていた場所です。故に、輸送用ビークル用の通路が多く、見張らしが良い。闘気を放てるほどの猛者が居れば視界の良さは警戒すべきですが、今の時代、火器が使えるのは我らだけ。まあ一つ、懸念材料があるならば……」

「砂嵐か」

「ええ。パラミナの兵士――砂竜と呼ばれる彼らは、砂を塊のまま吐き出すことができます。それを利用し、一時的に砂の煙幕を張って視界を奪う。あちらに赤外線ゴーグルなど無いでしょうが、一部の優秀な兵ならば目が利くかもしれません」

「……で、具体的に誰を倒せばアリンガは制圧したことになる」

「アーヴェス。彼を倒せば、それでアリンガのパラミナ兵の統率は乱れるでしょう」

「……アーヴェス。ゾルグの時のように何か情報はないのか?」

「アーヴェスはゾルグと同種の鳥人。翼膜を外套のように纏い、時にそれを脱ぎ捨て軽量化し、骨と皮ばかりとは思えぬほどの膂力を発揮する」

「……なるほど。それ以外は」

「ゾルグに比べ、非常に色鮮やかな翼膜を持っています。それと、優勢の時はとても強力ですが、追い詰められると弱体化します」

「……なんだその微妙な性格は」

「戦士と言えど十人十色ということですよ」

 バロンとラーフの会話が終わると、その場に居る全員が立ち上がり、各々の準備に取りかかった。


 ――……――……――

「見ろ※※※※!これがお前の教えたあの技術の力で作り出した砂漠!かつてイタリアと呼ばれていた場所だ」

 横に居る青い髪の女は表情の一つも変えず、ただ砂漠を見つめていた。男はそれを見て満面の笑みを浮かべる。そして青い髪の女の肩を掴むと、真っ直ぐに見つめた。

「お前のために私は世界をも滅ぼそう!お前という女が完全に私の物になるまで、そして明人様の望みを叶えるため、私はこの砂漠を世界に作り続けるのだ!人の文明は掻き消え、終焉が始まるのだ!」

 女はしばらく男に目を合わせたが、目を背けた。

 ――……――……――


 パラミナ

 砂嵐はなく、冷気が砂漠の熱気に掻き消される。

 まるで実験槽の中で、板で区切られているようにニブルヘイムの曇天から、パラミナの晴天へと天候が切り替わる。周囲に砂竜の姿はなく、平坦な砂原がどこまでも続いていた。

「……砂漠……」

「ん?どしたバロン?」

 ヴァーユが少しバロンを気にかける。

「……いいや、なんでもない」

「ハッ、暑すぎて白昼夢でも見たんじゃねえのか?」

「……そうかもな。一つ聞きたい、この世界にイタリアという街があったりはしないか?」

「いたりあ?なんだそりゃ。ムスペルの新兵器かなんかか?」

「……いや、なんでもない」

 砂を一歩一歩踏みしめながら、バロンは記憶の整理をつけていく。

「(まず始めに、僕はニブルヘイムで目覚める前、僕は少女から問いかけられていた。青い長髪の、可憐な少女だ。その子は僕のことをバロンと呼んだ。自分の名前は未だ不明だが、ヴァルナたちやあの少女からバロンと呼ばれている。次に見た少女の姿……部屋の中でその少女を痛め付けていた。僕は自分のことを私と呼んでいた。それに、身に覚えのない研究服を着て、重量をはっきりと感じるほど勲章を付けていた。その次、僕は陽が照らす雪道を彼女と歩いていた。その前と違って少女は極めて穏やかな表情で僕を見ていた。まるで恋人のように顔を赤らめて見つめてきた。そして今のは……自分のことを私と呼び、少女はこちらを見下すような視線を向けてきた……)

 ……さっぱりわからんな」

「止まれ、バロン、ヴァーユ」

 ヴァルナが手で二人を制し、その先に見える建造物を指差す。

「……あれがアリンガ」

 アリンガと呼ばれるその場所は、中央に大きな塔があり、そこから四方に通路が開けているようである。

「行くぞ」


「あー、カルブルム様、聞こえてますかー?」

 極彩色の翼を退屈そうに動かしながら、通信を行う。骨と皮ばかりの細腕を持ち上げて、通信機から聞こえてくる声に耳を傾ける。

「ええ、ええ、はい。奴らはもうじきここへ来るでしょう。ええ、はい。ええ、全ては貴方のために、カルブルム」

 通信を切断し、鳥男は外を見る。

「やれやれ……」


 パラミナ・アリンガ

「……敵の気配がないが」

「気を付けろよバロン。パラミナってのは奇襲が得意なんだ」

 ビークル用の通路は非常に幅が広く、高い壁には無数のキャットウォークが添えられているため、この通路の中央を歩くバロンたちくらいであれば、容易に虚をつくことができるであろうのに、パラミナの兵士はただ一人として見えなかった。

「なぜだ、なぜここまで敵がいない。ゾルグのように伏兵を用意していたとしても、ここは元々パラミナの領土。我らが破壊をためらうこともない」

「……アーヴェスとは、時間を稼ぐとか、そういった戦略の得手不得手はあるのか」

「ない。やつはラーフが言った通り、性格上の癖はあるが、戦いは癖がない」

「……まあいい。アーヴェスに会えばわかることだ」

 通路をしばらく駆け抜けると、次第に塔が近付いてきた。

 塔の麓にある鉄の扉を開けると、擂り鉢状の空間があった。その中央にある巨大な鉄の筒へ三人は降りた。

「……エレベーター」

「上に行くしかあるまい」

「……ヴァルナ、ここで待っていてくれないか?どうもここまで何もなかったのが気にかかる」

「よかろう」

「俺はバロンに付いていっていいのか?」

「……ああ。ラーフとの通信は君の役目だからな」

 バロンとヴァーユは鉄の筒の中にあるエレベーターに入り、上へ向かった。


 エレベーターのドアが開くと、白塗りの壁と灰色の床が続く通路に出た。

「……ニブルヘイムの建物とは意匠がえらく違うな」

「あー、そうだな。なんでも、Chaos社とかいう大昔の企業が作ったビルらしいぜ」

「……それにしても不気味だ。アレフ城塞の時のように、最小限の警備すら見えんが……」

 二人は通路を進む。荒れ果てた通路の横には、会議室や、休憩室など、用途別のプレートが張ってあるドアが並んでいた。通路を抜けると、ガラス張りの大きなスペースに出た。バロンは不意に流れてきた殺気に反応し、咄嗟にヴァーユを抱えて飛ぶ。

「な、なんだぁ!?」

 二人が体勢を立て直すと、今さっき通ってきた通路から何かが飛び出してきた。極彩色の外套に身を包んだ男が、緩やかに立っている。

「アーヴェス!」

 ヴァーユが叫ぶ。アーヴェスと呼ばれた男は、外套を脱ぎ捨てて答える。

「いかにも。久しぶりだなヴァーユ。まさかゾルグとコーカサスを撃退するとは思わんだったが」

「……僕たちの前に現れたということは、戦う意思があるということだな?」

「そりゃあそうだろうよ。なんで戦う気がないのにこんな敵の拠点に居るんだよ」

 アーヴェスは飄々としていながら、その瞳は何の感情をも映してはいなかった。

「……構えろ」

「バロン、お前に一つ聞こう。黒崎奈野花……この名前に覚えはないか?」

「……ゾルグも言っていた。その名の意味は!?」

「知らん!俺も主からそう聞けと言われただけだ。女の名のようにも聞こえるが……まあいい。とにかく俺の役目は、ただお前と拳を交えるだけだ」

 アーヴェスは細腕を動かし、右腕を上げ、左腕を横へ広げる。

「……その構えは……」

「フフ……我が主より授かりし拳法、お前にこそ使うべきだろう」

「……いいだろう。ヴァーユ、下がっていろ。拳での戦いに手出しは無用だ」

「わかった。死ぬんじゃねえぞ!」

 バロンは拳を構えると、ヴァーユは二人の後ろへ下がる。

「えやぁっ!」

 アーヴェスが右腕を振り下ろすと、斬撃が灰色の床を切り裂き、バロンの胴体にも鋭い切創を刻み込む。バロンは突きを繰り出すが、アーヴェスは左腕でそれを受け止め、右腕を振るい斬撃を飛ばす。バロンは左腕でその斬撃を受け止め、アーヴェスの体に左腕を捻り込む。アーヴェスの身体中から血が噴出する。

「……勝負あったな」

「ふん、そんなにすぐ決着がつくとでも?」

「……何」

「はぁっ!」

 アーヴェスはバロンの左腕を掴むと、勢いよく引き抜いて自らの口から砂の塊を吐き出す。灰色の床に着弾したそれは、瞬く間に拡散し、バロンの視界を奪う。そして、怯んだバロンへ向けて砂の中から鋭い突きが放たれる。バロンは上体を反らして回避し、その突きを放った腕に向けて闘気を放つ。しかし、闘気は砂をかき混ぜ、天井に大穴を開けただけだった。

「……ちっ、姑息な手を。お前もゾルグと同じく、ここで僕たちを足止めするだけの捨て石だとでもいうのか」

「違うな。さっきも言っただろう。俺はお前と拳を交えればそれで十分!もはや時を稼ぐなど眼中にないわ!」

「……ならばここで終わらせてやろう」

「たわけたことを!お前はこの砂の中、俺がどこにいるのかわかるまい!」

「……ああ、わからん。だが……」

 バロンはコーカサスの時と同じように目を瞑り、動きを止めた。

「ぬう!?動きを止めただと!?」

 アーヴェスは困惑しつつも、それを好機とみなし渾身の拳を放つ。手を開き、勢いよく両腕を開きながら斬撃を大量に放つ。砂の煙を切り刻みながら、バロンへ向かう。バロンはその刃に被弾する直前で頭上へ鋼と共に闘気を放ち、アーヴェスの放った刃を全て打ち消す。

 バロンはそのまま飛び上がり、アーヴェスの胸の中央を強く打ち抜く。アーヴェスは灰色の床に転がり、吐血する。

「……終わりだ」

 先程付けられた傷と合わせて、アーヴェスは満身創痍だった。

「なるほど……これが鋼鉄のバロン!ニブルヘイム、いやこの世界で最強の勇士の力か……!ふ、っくははははは!」

 アーヴェスは立ち上がり、壁沿いに張られたガラスへ近づく。

「また会おう!」

「……何を!」

 アーヴェスは砂を吐き出し、ガラスを割って飛んで逃げた。

「本当にアイツだけだったな」

 ヴァーユが呟く。

「……ああ」



「誰だ」

 ヴァルナが睨む先には、擂り鉢状の屋内の淵に立つ赤い馬に跨がった骸骨騎士が居た。

「ほう、おのれがヴァルナか」

 骸骨騎士は骨をカタカタと鳴らしながら、上機嫌な老人の声を出した。骸骨騎士は長剣を腰に携えている以外は、特に武装をしているわけではなかった。

「誰かと聞いている。質問に答えろ」

「儂か。儂は……うむ、黙示録の四騎士が一人、第二の使徒、世界に戦乱をもたらすもの。人呼んでレッドライダーじゃ」

「レッドライダー……ムスペルの兵か、パラミナか。貴様が敵かどうかも答えてもらおう」

 レッドライダーは少しだけ肩をすくめると、馬から降りた。

「今の時点では何も言えぬな。儂は来るべき最後の時のため、肩慣らしをしているだけじゃからな」

「肩慣らしか。つまりこの拠点には本来、もっと兵が居たと言うことか」

「その通りじゃな。儂はこの剣が吸うべき魂を求めている。それで始めに、おのれの魂を貰おうと思ってな」

「後悔するなよ、レッドライダー」

 ヴァルナは氷剣を作り出すと、羽織っていた外套を放り投げ、真っ白な鎧を露にする。

「そうでなくてな!儂も雑魚の相手は飽きてきたところじゃ、本気で来い!」

 レッドライダーも長剣を引き抜き、構える。

 まず始めにヴァルナが鉄の床を蹴り、擂り鉢の坂に設置されているコンソールを踏み壊してレッドライダーに接近し、目にも止まらぬ斬撃を重ねる。剣閃の軌跡に霜が降り、空気が何重にも切断され、レッドライダーの鎧を傷つける。しかしそんなことは意にも介さず、レッドライダーは長剣を振ってヴァルナの氷剣を叩き割る。咄嗟にヴァルナは新しい剣を作り出し、レッドライダーの長剣と競り合い、打ち合う。レッドライダーの長剣が左にブレた瞬間を逃さず氷剣をレッドライダーの眉間に突き入れ、僅かに怯ませる。更に一歩踏み寄り柄で顎を撃ち抜き、鋭い一撃で鎧の腹から右胸にかけてを削ぎ飛ばす。レッドライダーは後ろへ飛び退き、鎧の傷を確認する。

「ほほう、これがニブルヘイムの氷剣の死神……噂には聞いていたがこれほどとは」

「戯れ言は要らん。貴様の本気を見せろ」

「いいや、儂の本気はまだ見せられんな。まだその時ではない」

「ならばここで死ね。私たちの勝利の邪魔だ」

「わっはっはっは!儂に死はない。寧ろ儂は死を撒き散らす方じゃからな」

 ヴァルナが再びレッドライダーに肉薄し、連撃を叩き込む。それを長剣を動かすだけで全て反らし、ヴァルナの腹に撃掌を叩き込んで吹き飛ばす。

「ぐっ……!この邪拳が……!」

「本気とはこういうことじゃ。剣と魔法だけで戦う気なら、この先生き残れまい。人は武器を使う。だが人の体は恐るべき力を秘めている。その全ての力を放つのはやはり、己の肉体を武器にする者のみ」

「なら貴様はどうなんだ!その剣は飾りかッ!」

「儂はいい。武器などなんでもいいのだよ。おのれのように得物があるわけではないのでな」

「信念もなく戦場に出ていると言うのか、貴様ァ!」

「戦場で特別な感情を持つ、それは人の特権じゃ。儂のような者にはそんなものを思う必要性がない」

「ここで朽ち果てろ、レッドライダー!」

 氷剣で床を引き裂き、氷の波をレッドライダーへ放つ。長剣でその氷剣を破壊し、レッドライダーは馬に乗ってコンソールを蹴散らしながらヴァルナへ突進する。

「愚か者め!馬上の不利を知るがいい!」

 ヴァルナは飛び上がり馬上のレッドライダーを狙い澄まして斬撃を放つ。レッドライダーは長剣の腹でその斬撃を往なすが、馬の足が凍りついてつんのめり、鉄の床へ放り出される。勢いよく床を前転し、体勢を立て直し、ヴァルナの方へ向き直る。

「そんな駄馬に乗っていて私に勝てると思うな」

「クク、面白い。すぐにケリをつけて変えるつもりじゃったが、気が変わった。お許しを、奈野花様。儂はこの戦乱の剣を以て、己の闘争本能に従います」

 レッドライダーが持つ長剣がスパークを放つ。

「子供騙しか?そんなものが私に通用すると思うな」

「戦えばわかることじゃ」

 一瞬だけ視線を交わすと、レッドライダーとヴァルナは互いの得物を叩きつけ合う。まるでお互いにそうなることがわかっているかのように、全く同じ剣の軌跡で打ち合い続ける。が、少しずつ、氷の破片がレッドライダーの鎧に突き刺さりヒビを広げていく。目にも止まらぬ凄まじい斬撃をそのヒビへヴァルナは繰り出す。が、少し逸れ、レッドライダーの長剣がクリティカルヒットする。左肩口が大きく切り裂かれ、血液が床へ垂れ流される。

「バカな、なぜ……」

「支配、戦乱、飢餓、そして死。脳というただ一つのものに支配された体には、戦乱を与えればよい。ただそれだけで、その体は自由を失う」

「この剣か……小癪な!」

 ヴァルナはレッドライダーに蹴りを入れて長剣を引き抜き、傷口を凍らせて氷剣でレッドライダーの左腕を切り飛ばす。

「な……!流石に速いな、死神よ!」

「片腕程度では生ぬるい、貴様は生きて帰さん!」

 二人が視線を合わせ、今にも切りかかろうとしたその時、上層階から轟音が轟いた。

「今の音は!?」

「(まさか……あのお方が動かれたのか……!)」

 氷漬けになっていた馬が再び動きだし、レッドライダーを背に乗せる。

「すまんな、死神!儂はここに長く留まることはできなくなった!また会おう!」

「なっ!待て!」

 ヴァルナの追撃を器用に躱して、レッドライダーは去っていった。


「げほっ!げほっ!だ、大丈夫かァ、バロン!」

「……ああ、なんとか」

 突然の砂煙の中で体勢を立て直し、ヴァーユが剣閃で砂煙を幾重にも切り裂いて視界を切り開く。

 二人の視線の先には、3mはあろうかという巨大な黒馬に乗った黒い鎧の騎士が居た。

「……な、なんだこいつは……!気を付けろヴァーユ、ただ者じゃない!」

「わ、わあってるよそんなこたぁ……」

 その騎士を見た瞬間、二人の体は得体の知れない恐怖に襲われた。黒馬が身震いし、騎士が言葉を発する。

「久しいな、鋼の竜」

 穏やかなその声は、まるで女性の声にも思える。

「……誰だ、お前は」

「我が名は狂竜王。そなたたちの力を見定めに来た」

「まずいぜバロン……ここであんま時間を使うわけにゃあいかねえ……!」

「……わかっている……」

「まずは拳で試すとしよう。かかってくるがいい」

「……な、何?馬から降りんのか!?」

「ふむ、それもそうか」

 黒馬が掻き消え、黒い鎧が着地する。

「どうだ、これだ対等だろう」

「……くっ……」

「仕掛けてこないのか?ならばこちらから行くが」

「……!」

 黒い鎧の周囲の流れが僅かに揺らめき、無数の突きがバロンの視界を覆う。バロンは思わずたじろぎ、大きく後退する。

「……(なんだ今のは……!)」

「うん?どうした、遠慮は要らん。そなたの突きなら、私の鎧を貫くことも出来るのではないか?」

「……ぬぁっ!」

 バロンが右腕に鋼を纏わせ、鋭い突きを放つ。が、その鎧から噴出する何かに阻まれて、後ろに吹き飛ぶ。

「今はまだ、私と戦うときではないということか」

 黒馬が再びゆらゆらと現れ、狂竜王がその背に跨がる。

「済まんな、私もまだすべきことがある。そなたの力がわかってよかった。そこなる風の剣士、そなたも用心しておくのだ」

「なんだァ……?」

「この世界はただ輪廻するためだけにあるのではない。この世界の根元に至るまで、その鋼の竜を守り続けよ」

「当たりめえだ。こいつが居なきゃ俺らに勝ち目はねえ」

「よい。では私は帰ろう。行くぞ黒皇」

 巨大な黒馬は左前足で床を踏み抜くと、そのまま下へ降りていった。


 ヴァルナがレッドライダーの去った後の擂り鉢で暇潰しのために歩き回っていると、突然天井が割れて巨大な黒馬が降ってきた。

「今度はなんだ!」

「む?ほう、そなたが奴の言っていた氷剣の死神か」

「貴様は?」

「我が名は狂竜王。そなたが居るとは思わなかったが、まあよい。そなたの力も測らせてもらうとしよう」

「貴様も馬から降りんのか、戯けたやつらだ」

「この馬は私の闘気を体から逃がすための一つの策でな……これを引っ込めては対等な戦いはできない。そうか、私だけが降りたら良いのか」

「……(なんだこいつは……緊張感がまるでない……)」

 狂竜王は馬から降りると、軽く着地しただけで凄まじい音が鳴り響く。

「さて、ヴァルナよ。私にそなたの剣技、見せてくれないか?その類い稀な魔法の力でもよい」

「生憎私の力は大道芸ではない。貴様が全力で来んというのなら私も全力など出すものか」

「ふむ。ならば礼儀として、私の全力を少しだけ見せよう」

 狂竜王の背後で黒馬が掻き消え、狂竜王の全身から瘴気を放つ。

「なんだ貴様の体は……」

「はぁぁぁぁぁーッ……行くぞ、後悔せぬな?」

「何……」

「塵と砕けよ!」

 狂竜王が左腕をその場で突き出す。凄烈なまでの衝撃波がヴァルナを通り過ぎ、塔の壁を消失させて猛り狂う。

「がはっ……!」

 ヴァルナの体がボロ雑巾のように宙を舞い、そして落下する。

 擂り鉢状になっていた塔のフロアは、闘気の通った形に削り取られていた。

「ふう……また私の良くない癖が出てしまったな。少し闘気を弱めてしまった。許せ、そなたの望む全力を出し切ることができなかった。ん……?どうした、早く起き上がりたまえ。私がそなたの全力を受ける番だ」

「ぐっ……この闘気……ただの闘気ではない……!」

 鎧が所々砕け散ってはいるが、ヴァルナは二本の足でしっかりと立ち上がる。全身から夥しい血を吹き出しつつも、氷剣を手元で作り出す。

「いいだろう、答えてやろう狂竜王。私の全力を受けるがいい!」

 ヴァルナが魔力を放ち、渾身の一撃を放とうとしたとき、丁度エレベーターの扉が開く。

「……待てヴァルナ!そいつに玉砕覚悟の技を使っても傷一つ付けることなど出来ない!」

 バロンがヴァルナへ駆け寄り、ヴァルナを制止する。

「なぜ止める!これほどの闘気を扱うものを野放しにはできん!」

「……無駄だ!僕たちの誰もこいつには勝てん!」

「元々命を奪いに来たわけではない。死神よ、早まるな。そなたもまた、この世界を鋼の竜が乗り越えるために必要なのだ」

 狂竜王の背後に再び巨大な黒馬が現れる。狂竜王はそれに跨がる。

「死神よ、生きていれば、いずれまた会おう。それまで死んではならぬ。では、また会おう。非礼の詫びと言ってはなんだが、そなたたちが苦境に喘ぐとき、私が力となろう。……む?」

 狂竜王が外を見たとき、ヴァーユの腕のコーデックが電子音を発する。

「ヴァーユ、将軍、バロン!そこにムスペルの大軍がいる!」

 ラーフの大声が響く。

「……そのようだな」

「ふむ、ではこれはおまけだ。こんなところで死にかけてもらっては困るからな。そこでのんびり見ているといい」

 そう言うと、狂竜王は黒馬を走らせ、真正面のゲートを蹴破って外へ出た。

 バロンたちがそこから見た風景は、まさに驚愕すべきものだった。

 狂竜王が馬上から片腕を振るうと、大群の機甲虫が瞬時に粉々になってゆく。殺気を交えることはなく、ただ純粋な闘気が噴出し、鳥人さえ次々と撃ち落として進む。まるで無人の荒野を走るように淡々と、しかし敵をただの一匹も残さず滅していく。

「また会おう鋼の竜!この世界の結末まで、決して死ぬことのないようにな!」

 狂竜王は呑気に手を振って、走り去っていった。

 後にはただ、塵芥となったムスペルヘイムの兵士が転がるのみであった。

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