――ANAT日本支部・作戦本部。
「早乙女副指令、大丈夫ですか?」
若い通信士の声が耳に飛び込んできた瞬間、私は現実に引き戻された。
モニターに映る戦況から、いつの間にか目を逸らしてしまっていたのだ。
無意識に握りしめたタブレットが、手汗でじっとりと濡れている。
「……大丈夫よ。ただ、少し考え事をしていただけ」
震える声が微かに聞こえるかもしれない。
それでも、私は努めて微笑んだ。
しかし、その笑顔はどこか無理があった。
指揮官として揺らぐことは許されないとわかっているのに、心の奥底にある焦りが静かに私を飲み込んでいく。
「無理しないでくださいね。指揮官が冷静さを保たなければ、皆に不安が広がります」
その言葉は胸に重く響いた。
彼の言う通りだ。
私が崩れては、士気にかかわる。
だが、モニターに映る矢神臣永――彼の姿が、どうしても私の視線を引き離してくれない。
冷徹で、完璧な戦士。
その姿を見るたびに、私の胸に痛みが走る。
「……ありがとう、気をつけるわ」
自分自身への言い聞かせだった。
だが、私の視線は再び彼に戻ってしまう。
矢神はまるで舞うように敵を切り伏せ、無駄のない動きで戦場を支配している。
かつて、私も彼の隣で戦ったことがあった。
あの頃は、まだ希望を抱いていた。彼の背中を追い続ければ、いつか肩を並べられると信じていた。
でも、現実は残酷だった。
「……私は、もう、あの戦場には戻れない……」
知らぬ間に、そんな言葉が漏れていた。
今の私は、ただ後方で彼を見守るしかできない。
矢神の戦う姿を見るたびに、過去の記憶が鮮明に蘇る。
――美月、俺の後ろに下がっておけ。
あの冷たい声が、今でも頭に響く。
初めて彼と戦場に立ったとき、私は恐怖で体が動かず、立ちすくんでいた。
敵が迫る中、ただ震えていた私に、彼の冷たく鋭い声が突き刺さった。
だが、その声に救われた。
――大丈夫だ。俺がすべて終わらせる。
彼の背中を見つめながら、もっと強くなろうと決心した。
いつか彼の隣に立つために。
だが、どれだけ努力しても、彼との距離は縮まらなかった。
彼は常に冷静で、私の想いには無関心だった。
そして私は、ついに限界を迎えた。
戦場でのトラウマ、仲間を失った悲しみが、私を戦場から引き離した。
矢神は何も言わず、ただ静かに私の前から姿を消していった。
「矢神……」
モニターに映る彼の姿は変わらない。
冷静で、無表情で、ただ機械のように敵を倒すだけ。
今の私には、彼の背中を追うことすら許されない。
「私はもう、彼を……」
その時、通信士の声が急に緊迫感を帯びて響いた。
「早乙女副指令、報告です!」
「なにごと?」
「工業地帯内で新たな異常が発生しました。SY-08JPが
「槌はさっき倒したはずでしょ!?」
「どうやら再生したようです!」
「あの状況から……再生?」
なにかがおかしい。
神徒の力や動きが、これまでとは異なっている。
「……ん?」
私は別のモニターに、不思議な光を見た。
「あれは……
目を凝らす。たしかにそうだ。
過去に一度だけ現れた、時空を操る“上級神徒”――円。
光のなかに、やつの球状の身体が見える。
「やつは……あそこでなにを……」
言っている間に、円の放つ光が輝きを増した。
「まさか……ッ!」
私は思わず叫んだ。
「
手が震えていた。
私は反射的にモニターに目を戻した。
無数の腕を持つ異形の神徒・縛が、矢神を取り囲んでいる。
縛は、相手を縛り行動を封じる力を持っている。
もし矢神が捕まれば――円は
――このままでは、矢神のアカウントが封印される。
「SY-08JP……押されていますッ!」
私の心は焦りでいっぱいだった。
モニターに映る彼の動きは、冷徹で正確。
だが、圧倒的な力を誇る彼が今、追い詰められている。
彼が封印される……そんな未来を想像するだけで、恐怖が私を支配した。
「SY-08JPのチャネルに繋いで! 直接通信を!」
「ダメです!SY-08JPのチャネルに繋げません!外部通信が遮断されています!」
「くそ…!気付かせないつもり!?」
このままでは矢神は
長期戦に持ち込まれれば、間違いなくやられる。
「副指令、どうされますか!?」
皆が私の指示を待っている。
だが、頭の中が真っ白になっていた。
矢神がいなくなる――そんなこと、考えたくもない。
「通信の復旧を急いで!他のプレイヤーのチャネルを経由してでも、なんとか繋いで!」
「了解!」
「それと――」
それと、これはたぶん、私のエゴだ。
「AS_20JP――白波梓の部隊を工業地帯中心部に向かわせなさい……矢神を救出する!」
「ですが……矢神さんが苦戦するような相手がいるんです! それに、敵の
「分かってるわ!」
思わず声を荒げた。
だが、その一言では全てが足りない。
「矢神臣永……SY-08JPは一流の嗅覚を持っている。彼がそこにいたなら、きっとゲートがある」
その言葉を、必死に自分にも言い聞かせる。
「それに……ここで彼を失うわけにはいかない!」
彼をここで失うわけにはいかない。
彼は私にとって……いや、ANAT日本支部にとって、ただの戦士以上の存在なのだから。
「矢神……無事でいて……」
モニターには、もう彼の姿は映っていない。
まるで彼が消えてしまったかのように、私の胸の中に虚無感が広がっていく。
私は、その感覚をどうすることもできなかった。
――SENET・工業地帯・中心部。
戦場の喧騒が、耳元で淡く響いていた。
冷静に状況を見極める。この二体、槌と縛、彼らは単独でも厄介な存在だ。
どちらか一体でも、他のプレイヤーに出逢わせるわけにはいかない。
思考が研ぎ澄まされていく。
彼らの攻撃は徐々にその目的が明らかになってきた。
槌は圧倒的な破壊力で俺の体力を削り、縛はその無数の腕を使って俺を拘束しようとしている。
連携が取れているが、彼らにはまだ隙がある。
「小賢しい……」
俺の決意は固まった。
ナイトホークを構え直し、槌の動きを観察する。
動きが素早いが、すべてが一直線に向かってくる。破壊力に頼りすぎている。
槌の狙いはあくまで力で押し切ること――ならば、そいつを逆手に取る。
一瞬、槌が地面を叩きつけようとした瞬間、俺はその動作を読み、右に大きく飛んだ。
巨体が地面に突き刺さる衝撃音が響き、瓦礫が舞い上がる。だが、すでに俺はそこにいない。
「今だ!」
槌が一瞬、体勢を崩したその隙を逃さず、ナイトホークを振り抜いた。
剣から発せられたエネルギー波が、槌の肩を切り裂き、その巨体を揺らす。
だが、まだ動きは止まらない。奴の耐久力は尋常じゃない。
「ふん……浅いか」
俺は冷静に距離を取り直し、次の攻撃の準備に入る。
だが、そこで異変を感じた。
背後から縛の無数の腕が俺に向かって伸びてくる。
拘束が目的か……すぐに回避行動を取るが、その腕は予想以上に早い。
俺の動きを正確に読んでいるかのように、絡みついてくる。
「まずい……」
縛の腕が俺を包み込もうとする瞬間、俺は思考をフル回転させた。
力ずくでこの拘束から抜け出すのは無理だ。だが、それでも――俺は諦めない。
「まだだ……!」
俺はナイトホークのエネルギーを最大限にチャージし、その刃を放つ。
刹那、縛の腕が切り裂かれ、俺の体が解放される。
「捕まえたつもりか……」
だが、縛の腕は次々と再生し、再び俺に向かってくる。
こいつの再生能力は厄介だが、無限ではないはずだ。
この戦い、長期戦に持ち込めば俺に勝機はある。