留置所に入れられて何日経ったか。
ここには時計もなければカレンダーもない、今の時代にテレビもない。携帯だってもちろん電波が届かない。
だからここは普通の留置所じゃないんだと思う。
探索者専用の留置所。一体いつまで僕はこんな場所で過ごさなきゃならないんだ?
日が経つにつれ、自分の犯してしまった罪の重さが両肩にのしかかる。
なんで、ナンデ、何で。
もっと自分は上手く立ち回れたはずだ。
どうして引率の僕が、逃げ帰るだなんて無様な真似を?
正直プレッシャーに押されていたのが原因だと思う。
僕を雇ってくれた会社の社長は言っていた。
若い力を伸ばすために力を貸す、と。
僕の他にはテレビで活躍してるアイドルや俳優だって居た。
皆が皆、ゲームの延長線でダンジョンに潜った。
会社の方針で、自分の能力以上のモンスターと戦うのは禁止とされている。
自分のランクよりも一つ下くらいが一番ちょうど良い。
ただしやり過ぎるな。上手く魅せるのもダンジョンタレントの腕の見せどころだ、と口が酸っぱくなるほど言われたな。
多分、僕は人生が上手くいきすぎて驕っていたんだろうと思う。
自分一人だけでなら上手くやれる場所に、他人を連れてきた。
もしあの場所にもう一人自分がいたら上手くやれたんじゃないのか?
いや、違うな。
僕の心は濁りきっていた。
頼忠に嫉妬し、亡き者にしようと計画した。
そして選別した女の子は、僕に同調してくれるヨイショ組二名。
もう一人は敢えて中立の子を混ぜた。
頼忠に淡い希望を持たせるためだ。
それはどんどんと思い描いた通りになる。
そこまでは良かった。
けど、女子達がたかがレベル5で天狗になるのは予想外だった。
Eランクダンジョンの推奨レベルは10。
僕は30あるが、レベルが離れすぎてると、経験値がうまく入らないシステムがある。
基本的に経験値はモンスターと向き合い、恐怖に打ち勝つことから始まる。
動きを見切り、隙をついて討伐。
トータルで与えたダメージが経験値に換算されるのだ。
自分一人で倒せば総取りできる。
しかし経験値の分配時に一番恩恵がでかいのは与ダメージMVPだ。
次いで被ダメージMVP。ラストアタッカーなんて微々たるもの。
アイテムの所有権が手に入るくらいだ。
それがEランクダンジョンなら尚更ゴミもいいところ。
ゴミをもらって一喜一憂する彼女達が滑稽で、内心嘲笑っていた僕は心の底からのクズ野郎だった。
「E-65、面会だ」
「僕に会いにくるやつなんて居るのか?」
「お前の母君だ。面会室は録画されている。滅多な気を起こすんじゃないぞ?」
チッ、開口一番嫌味かよ。嫌な奴だ。
僕は片腕を強く引っ張られながら見たこともない景色の通路を歩み、面会室へと入った。
防弾ガラスの向こう側にはいつもより枯れた母さんが座っていた。
ああ、ああああ!
何で僕は思い至らなかったんだ。
僕がミスを犯せばその皺寄せが全部母さんに行くって。
席に着くなり、僕は自分のミスに気が動転した。
母さんは最後に見た日より10歳以上は枯れていた。
いや、疲れ切っていたんだと思う。
僕が罪を犯したから。本当だったら親子の縁すら切られていたっておかしくないのに、それでも母親として来てくれた。
僕は、そんな偉大な人を裏切ったんだ。
「母さん。会いにきてくれてありがとう!」
「シン、なかなか来てあげられなくてごめんなさい」
「その、仕事だって忙しいんでしょ? しょうがないよ」
「仕事は辞めたわ」
「え?」
どういう事だよ、仕事を辞めたら食べていけないじゃないか!
「記者がね、シンの事情を聞きに押しかけてくるの。一体どんな教育をしたらあんな子供に育つんだって。お母さん軽いノイローゼにかかってしまったわ。会社はね、ご迷惑をかけてはいけないと自主退社したの。シンが家に入れてくれたお金でも食べていけるから、もうこれ以上頑張るのはやめようと思ったのよ」
「あ、ごめん。僕のせいで」
「いえ、こればかりはシンだけの所為ではないわ。母さんもね、愛する夫を亡くして気が動転していたの。ちょうどその時現れた【聖女】の称号を持つ方が、日本に来日してくださった。蘇生できるかもしれないという情報に、母さんは藁にも縋る思いだったわ。その情報を集めるために、お仕事を何件も掛け持ちしたし、飯狗さんご一家にも迷惑をかけた。きっとまだ気持ちが若かったのね、母親としての気概が足りてなかった。一人じゃ何もできないシンを置いて、私は無駄だと知りつつお父さんの復活を願ってしまったの。ごめんなさいね、シン。私は貴方にとって良い母親ではなかったわ」
「お父さんは死んだんだよ、あの日、あの時に。だから僕はお父さんの代わりにお母さんを支えようとした!」
「知っているわ。でもね、母さんはお父さんを諦められなかった。ごめんなさいね、シン。私は貴方の気持ちを踏み躙ったの。私は弱い女だわ、一人でシンを育てていくと決めても、心のどこかでお父さんを追いかけてしまうの。それで」
稼いだお金のほとんどを、父さんの捜索に回したんだね?
僕はそれを勘違いしたのか。
なんてことだ……頼忠に今更どんな顔をして会いに行けばいいんだ……
「そうだ、母さん…頼忠たちは見つかったの? 僕、途中で離れ離れになっちゃって」
「無事よ」
「良かった、救出部隊が間に合ったんだね!」
「その、他にもう一人いなかった? 要石カガリさんて子が、頼忠と一緒に別れちゃって」
「その子も無事、保護されたわ」
「そっか、良かった……」
僕が最悪に至らず安堵しているところに、母さんの声がかぶせられる。
「ねぇ、シン。頼忠君はね、別に凄腕探索者に救助されたわけではないの」
「えっ?」
どういうことだよ、母さん。
だって頼忠は【+1】だよ?
ヨワヨワで雑魚雑魚な、吹けば飛ぶような貧弱ステータスだ。
救助以外でどうやって助かるっていうんだ。
「これを貴方に言っても信じてもらえないと思うけどね? 頼忠君は、あのダンジョンを踏破して帰ってきたの」
「嘘だ! レッドキャップが一般モンスターとして現れるダンジョンだよ!? ボスだって格上だ! それを【+1】と【洗浄】だけで倒したっていうの!?」
僕の驚きは世間一般の評価だ。
誰だって驚くし、僕がそう思うのもおかしくない。
けれど母さんは、心底見損なったような視線で、僕へと問いかける。
「誰にそう言われたのかわからないけれど、頼忠君はやり遂げたわ。戦う力すら持たなかったけど、逃げずに、一緒にいた女の子を守り切ったの。それは誰にでもできることじゃないわ。仲間を見殺しにして逃げ出した貴方とは違うのよ、シン。お父さんの勇敢さを、どうやらシンは引き継がなかったようね」
「わかったふうな口を聞かないでよ!」
気づけば僕は、大切に思ってるはずの母さんに向けて酷い言葉を浴びせかけていた。
父さんは勇敢で偉大な人だった。
それはわかる。
でも、それは一朝一夕で身につくものじゃない!
成功体験を積んで、その上で成り立つ実績だ。
僕はまだ、それを積んでる状態なんだ!
だからすぐに実績を出せって言われても無理なことなんだよ!
「そうね、私は専業主婦だし、探索者のことは詳しく知らない。でもね、頼忠君はここぞという時、女の子を囮にして逃げたりはしなかったの。そこだけはあなたと明確に違うの」
「ぐっ!」
狭間ひとりと春日井小波。
確かに彼女たちを見殺しにしたのは僕だ。
でもそれは、仕方のないことだったんだ!
「あの子たちは、僕の命令に従わなかった! 相手が悪かった! それだけ手強い相手で!」
「ええ、そうでしょうね。でもね、シン。頼忠君は、貴方と違って戦う術を持たないままで置き去りにされたのよ。戦う力を持っていた、貴方と違ってね」
「さっきから母さんはどっちの味方なの!!」
僕は思わず叫んでしまう。
僕に面会に来てるはずなのに、話題にあげるのは頼忠の話ばかり。
息子の僕は可愛くないのかよ!
思わずそう疑ってしまいたくなる。
「私はシンの保護者として、今日ここに足を運んでいるわ」
「だったら、少しは僕の身を案じてくれてもいいじゃないか! 言葉を重ねるたびに頼忠の話ばかりして!」
「そうね、少し軽率だったわ」
「わかればいいんだよ」
思わず、そうこぼした。
僕はここで深く反省した。
三ヶ月我慢すればまた普通の生活が待ってる。
その時、頼忠に謝って……要石さんに頭を下げればまた元通りの生活が来るんだ。だからここは我慢して、
「ねぇシン、貴方もここでいっぱい悔やんだと思うわ」
「え、うん」
なんだよ、母さん。急に話を改めて。
「でもね、娘さんを亡くしたご家族はそれ以上に連れて行った貴方を憎んでいるの」
「え?」
「当然その憎しみの矛先は私の元にも届いてるわ。もう、貴方一人が謝れば済む問題ではなくなっているのよ? もし許しを得たいのなら、次のダンジョンアタックに貴方も参加なさい、シン。それが娘さんを亡くしたご家族の溜飲を下げることの出来る唯一の方法らしいのよ。もう、それしか道は残されていないの……私だって、本当はこんなこと、貴方に言いたくないわ」
泣き崩れる母さん。
待ってよ、どうしてそんな話に?
確かに僕が連れて行ったのは事実だ。
でもダンジョン内での死亡は、探索者では暗黙の了解。
探索者はダンジョン内でなくなっても仕方のないことだって、みんな言ってる。
「その顔は、探索者のルールであの子達を見ているのでしょうね」
「そうだよ、僕が手引きしたんだ。残念だけど、彼女たちに伸び代は……」
バンッ!
母さんが僕の言葉を遮るように大きな音を立ててテーブルを叩いたからだ。
「貴方! 全然反省してないのね! 母さんは悲しいわ! こんな! こんな子に育つなんて、お父さんもきっと悲しむわ。母さんももう、貴方のことを庇いきれない! もう、どうなったって知らないわ! ダンジョンで飢え死にしちゃえばいいのよ!」
「なんで、なんで実の息子にそんな言葉が言えるんだ! だったら、産まなければ良かったじゃないか! 僕だって、生まれるなら裕福な家庭に生まれたかったよ!」
「貴方がそう言わせてるんじゃない! 私だって、何かの間違いだと思いたかった! でも今日、貴方に会って確信したわ! 貴方は狂っている! 前の優しいシンはどこへ行ったの? 返して! 私の可愛いシンを返してよ!」
悲痛な声だった。
実の母親にそこまで思わせてしまうほどの歪みに、自分でも気づかないままでいた。
いや、気づいていたさ。
頼忠に、あんな感情を向けていた時点で。
僕はとっくの昔に壊れていた。
どの口で、仲良くしようだなんて──
はは……母さんに言われるまで、自分で気づこうともしなかった。僕
は普通だ。何も間違ってないって、みんなもそう言ってるからって、それが当たり前だと信じ込毛としていた。
誰も僕を否定しなかった。
僕がそういえば、世界はそれに倣った。
だから勘違いしてしまったんだ。
「ごめん母さん。間違えていたのは僕だ。表向きだけの反省しかせず、心のどこかで今まで通りの日常が、戻って来る信じてた。でも、そんな日常はもうどこにもないんだね?」
「ええ。貴方が見殺しにしたお嬢さん達のご遺族は貴方に死んで欲しいのかもしれないわ。だから、こんな無理難題を課したのよ」
「母さんは、僕にそこに潜るべきだと思うの?」
「それしか道は残されていないのよ」
「そっか。やれるかな?」
「やれなくても、諦めないで。私も応援してるから、頑張ってちょうだい。私のためじゃなくてもいい、でも父さんに恥ない行動を心がけてほしいの。生き汚くても、卑怯でも構わないわ。ただ生きて、帰ってきて!」
「わかった。でも、どこに潜るかだけでも、先に教えてほしいな」
いつになく心が穏やかだった。
怒り、嫉妬、妬み。全てを飲み込んで、今は全てを冷静に対処できる気がする。
「そうね。Bランクダンジョンというところらしいわ。そこに現れるモンスターから、金の鍵を取ってくるのが目的らしいわ」
母さんも俺が落ち着きを取り戻したのを察して、普段通りの口調で話してくれた。
けど、話の内容はいまだに頭の中に入ってこない。
ごめん、もう一回言って?
Bランクの時点で無理ゲーなのに、最終目標がなんだって?
母さんはにこやかに、一字一句間違えることなく、同じ言葉を続けた。
僕はさっきまでの冷静な気分爆発させながら、駄々をこねた。
「無理だよ! 死んじゃうよ! 金の鍵なんてボスをオーバーキルしないと出てこない代物なんだよ!? それを僕一人でやれっていうの!?」
「そうね」
「そうね、じゃないんだよ母さん! 母さんは探索者じゃないからわからないけど、それってすごく大変なんだ! 多分父さんだって道半ばで諦めるレベルの無理難題だよ! そんなミッションを僕にやれっていうの!?」
ヒートアップする僕の発言を穏やかに聞きながら、されど母さんが言葉を押さえることはなかった。
むしろ底冷えし切った視線を実の息子に向けて注ぎ込む。
「ねぇ、シン?」
「なぁに母さん」
「貴方は何度も無理だ無理だというけれど、一般の、探索者でもないお子さんを、死んでもおかしくない場所に連れて行ったのは他でもない貴方なのよ? 今更どうして貴方のわがままが通ると思うの? もうそんな状況じゃなくなってきてるとさっきから言ってるわよね?」
「あう……」
「でも安心してちょうだい。親御さんたちは何も貴方一人にだけに行けと言ってるわけじゃないの。頼忠君ともう一人。一緒に踏破した要石カガリさんも同行してくれるらしいわ。良かったわね」
よくないよ!
むしろ、そんな足手纏いを連れて行って、どこに安堵する要素があるってんだよ!
僕にはタダで死ぬだけじゃなく、惨たらしく死ねってこと!?
大体、頼忠が踏破したことをまだ僕は信用してないんだ!
何をどうすれば【+1】がレッドキャップが雑魚で出てくるボスモンスターを討伐できるっていうんだ。
それこそ、僕を騙すための嘘じゃないの?
「どうしたの、シン? 表情がすぐれないようだけど」
「いや、本当に頼忠があのダンジョンを踏破したのか理解できなくて。どうやって踏破したとか、詳しく聞きたいなと思って」
「それは今度のアタックの日に直接聞くといいわ」
「今じゃダメ?」
「ねぇ、シン」
「なぁに?」
「母さんが専業主婦で、探索者のことを何も知らないとわかっている上での質問かしら?」
「ごめん……そうだよね、頼忠が説明したって母さんは理解できないか」
「そうなのよ、肝心なところで役に立てなくてごめんなさい」
「いいよ、今日はありがとう。今度のアタックは頑張るね」
「シン、くれぐれもこれ以上世間様に迷惑はかけないでちょうだいね? 母さんは信じてるけど、世間の目は特にあなたに厳しいわ。そうだ、ちょうどその時のダンジョンアタックはメディアに広く公開されるらしいのよ。母さんにかっこいいシンを見せて頂戴ね?お家で応援してるわ」
「はい?」
「面会時間終了だ。いくぞ、E-65」
「ちょっと待って! 電子機器の使えないダンジョン内でどうやってメディア公開を!?」
「ノーコメントだ。お前に知る権利はない。期日まで大人しくしてるんだな!」
そうやって、僕はまた殺風景な個室へと閉じ込められた。