これは『すこし不思議な物語』だと、マヤは思うことにしている。
「うちの仏壇は、黄泉比良坂と通じているんですよ」
神木家以外のだれに話して聞かせたところで、そんな不可思議な話しを信じる者はいない。
それならと、もっと詳細に伝えようとして、
「信じられないかもしれませんが、うちの仏壇からは本当に鬼や天狗、ときどき狐や猫もやってくるんです。そうです、そうです……鬼に天狗です。一応、御役所勤めの職員なんですがね」
そこまで話してしまうのは、けっこうな冒険だ。
田舎なので、狐や猫についてはギリギリセーフかもしれない。その正体はお狐様と化猫だけれども。
しかし、鬼と天狗はダメだ。頭がおかしいと疑われてしまう。
狭い田舎は、噂が広まるのもあっという間。
「あそこの仏具店の店主、どうやら憑かれたな。徳の高いお坊さんに来てもらった方がいいんじゃないか。
「こんな田舎にいるかねえ。いるなら都会か、もっと山奥の寺だ。それよりも、本格的におかしくなるまえに、御祓いにでも連れていってもらった方がいいだろう。まだ若いのになあ。かわいそうに。憑き物つきの花嫁なんて、もらい手がないだろうねえ」
そんなことを云われかねない。
つまり、婚活に支障がでるようなリスクは冒せないということだ。
と、いうわけで──
今日も『神木仏具店』は、表向きはいつ閉店してもおかしくない経営状態で、平常どおり営業中。年季のはいった毛ばたきで、商品の香炉や鳴物にたまった埃をはらっていく。
パタパタやりながら、ふと思い出したのは、あの老女のことだ。怨霊化した老女の魂を強制成仏させた夜から1週間後。
用もないのにフラりと現れたアスラは、「腹が減った」と神木家の茶の間に居座り、ご飯と味噌汁、焼き魚と煮物の
「あのとき、婆さんを怨霊化させた痩せた女がいただろ。屋敷を燃やしてしまえって云い放って。あれ、婆さんの父親が他所でつくった妾腹だった」
幽世ともなれば、守秘義務などはないらしい。
「どうやら、婆さんの旦那に惚れこんでたみたいだ。死んだ旦那も、実際に手を出していたみたいで、よくある痴情のもつれってやつだな。まったく、半分とはいえ、血のつながった姉妹に手をだすとは、節操のねえ婿入り男だ」
まさか鬼に
埃を払い終わった毛ばたきを、いつものように表にでてパタパタとやっていると、ひんやりとした秋風が吹き抜けていく。ここ最近、ぐっと秋めいてきた。
裏山には栗の木がある。空は秋晴れ。天気もいいし、栗拾いにでも行こうかな。もうすぐ十五夜だし──と、店先にあるカレンダーを見たマヤは、あっと気づく。
「そういえば、あれからちょうど2週間なんじゃ……」
怨霊化した老女の霊が浄化日数を終え、今日あたりに黄泉比良坂を通るはずだ。
茶筒の中にあった写真はどうなっただろうか。
『婆さんが現世で魂を浄化させて、
そんなことをアスラは云っていたけれど……
「無事に、
そんなことが頭をよぎった昼下がり。みるみると空が暗転していくではないか。ポツリ、ポツリ、小雨が降りだした。栗拾いは中止だ。
秋の空は移ろいやすいというけれど、急変すぎやしないか。仏具店の軒先に避難して、怪訝な顔で空を見上げたマヤは、ふと気配を感じた。
──あ、今日もやってきそう。それも、すぐにやってきそうだ。
雨も降ってきたし、ということで、今日も早々に店じまいした。
店舗側のシャッターをおろして、裏の作業場兼倉庫に向かう。
内側からは、ドンドンと叩く音がする。
「おい、開けてくれ。急用だ」
急用じゃないときはないのか。
「早くしてくれ」
いつものように
ズズズッ、ズズッと鈍い音をたて、わずかにひらいた隙間から鬼の手が伸びてくる。
仏壇から飛び出してきたスーツ姿の鬼は、今日も当たり前にように「行くぞ」と云ってきた。
「どこに? この間のお婆さんの霊が、また行方不明にでもなったの?」
「いいや。あの婆さんは今朝、黄泉比良坂をとおって無事に庁舎に到着した。写真を見せてやったら、また泣いていた」
「一件落着だね。ギリギリ閻魔様の審判にも間に合ったし、よかった。よかった」
「よくねえ。いまは、それどころじゃねえ」
めずらしくアスラの顔が引き攣っている。どうやら、本当に良くないことが起きているようだ。
「今度はなに? どこの部署の不手際なの?」
「閻魔庁。正しくは閻魔のおっさんだ。怨霊化した婆さんの一件があって、臨終課の奴らに喝をいれにきたまでは良かったんだが、そのついでに現世の祭りに来ていた大黒天に会いにいって……」
ん? 七福神の大黒様?
「会いにいって、それでどうしたの?」
「その……祭ってこともあってか、だいぶ酒が入っていたらしくてな。ちょっと、大黒天の打ち出の小槌を借りたらしい」
「それで?」
「それを持って、現世の祭を楽しんでいた
「落としたって、まさか打ち出の小槌を失くしたの?」
「そういうことだな」
「…………」
呆れてものが云えない。
おそらくアスラは、閻魔様に頼まれて、現世に
怨霊化した霊魂のつぎは、打ち出の小槌って……
ただ、これだけはたしかだ。
「その探し物に、わたしが付き合う必要はないよね」