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第11話



 俺がとなりにいるからな──じゃねえ! と、鬼の口調で毒づきたいマヤだったが、ここはグッとこらえる。



 ダメ、ダメ。人外相手にムキになっても、ひとつも良いことはないと、これまでの経験から学んでいる。ここはひとつ、冷静に。



「いいこと、アスラ。運転中に余計なことは云わないで。夜の峠道は、それでなくても危ないの。車の運転に集中させて」



「余計なこと? 俺、云ったか? いつだ? まあ、しかし……集中できないのは、しょうがねえな。なにせ、この俺がとなりにいるからな。チラチラ見たくなる気持ちもわかる」



「……とことん、わかってねえな。この鬼は」



 ダメだ。冷静では、いられねえ。



「おい、マヤ、女がそんな言葉を使うな。お里が知れるぞ」



 それがどうした。黄泉比良坂界隈かいわいで、マヤのお里はとっくに知れ渡っている。



 そもそも、人様家ひとさまんちの仏壇から、土足でやってくる鬼風情に、とやかく云われる筋合いはないッ!



「わたしのお里はどこでもいいのよ! いまは、そういう話しをしているんじゃないのっ!」



「それじゃあ、なんだよ?」



「わたしが云いたいのは、アンタのさっきのしょうもない戯言についてよ。馬鹿も休み休み云えっつってんのっ! この腹立たしさが、そこらへんの鬼課長には、わっかんないかなあっ!」



 一気にまくしたてるマヤに、そこらには決していない鬼課長が「馬鹿?」と首をかしげた。



「俺は、馬鹿じゃないぞ。調査課は馬鹿じゃ、務まらなねえからな。それに、高位階級の霊体だし、神格も持っている。黄泉比良坂所のなかでも出世街道まっしぐらな鬼……」



「だから、そういうことじゃないのっ!」



 残念ながら、鬼と人の会話は一向に噛み合うことがなかった。



 ──疲れる。はやく帰ろう。



 もうこれ以上、鬼の戯言ざれごとに、付き合っていられない。



 西洋の魔物にしても、東洋のあやかしにしても古今東西。ヤツらは、美しい容姿を武器に、人間を誘惑するのが大好きだ。



 鬼も似たようなものだろう。若い女を手玉にとって、反応をみて面白がる。たちが悪いったらない。本気にしたら最後、骨の髄まですすられたあげく「もう、飽きた」と、ポイッとされ兼ねない。



 そうはなるまい。だまされない。たぶらかされない。まどわされない。



 アスラは幽世の鬼で、わたしは現世の──今生人こんじょうびととやらなんだから。鬼の戯言なんて、信じるな。喜ぶな。浮かれるな。



 深い溜息を吐き、ステアリングを握り直したマヤは、ゆっくりと車を発進させた。



「なぁ、なに怒ってんだよ」



 しかめっ面になったマヤの横顔を、今後はアスラがチラリとのぞいてくる。



「怒ってないから。気が散るから話しかけないで」



「なんだよ。せっかく口説いているのに。いっそ心のままに、俺に墜ちてしまえば楽だぞ」



「墜ちるか、馬鹿! そんなことしたら、一生後悔する」



「後悔? そんなものは、死んでからすればいい」



 鬼って、幽世一の馬鹿かもしれない。



「あのね、教えてあげる。人間はね、死んだら終わりなの。だからわたしは、後悔しないように、真っ当な人生を歩むんだから。人生の終わりは、畳か、あるいは病院のベッドの上で迎えるの」



「へえ、そうかよ。真っ当な人生なあ」



 鼻で笑ったアスラを横目で睨んだマヤは、口を尖らせた。



 真っ当な人生……自分で云っておきながら、呆れてしまう。



 もうとっくに普通とはかけ離れた人生を歩んでいることに、さすがのマヤも気づいている。



 畳もベッドも遠のいて、最悪、この鬼が「おい、さっさと黄泉比良坂を通れ」と臨終をむかえて早々迎えにやってきて、白装束の背中を押してきそうだ。嫌だ。嫌だ。ああ、嫌だ。



 しかし、嘆くのはまだ早い。真っ当な人生をあきらめるのは、まだ早い。まだ、二十代だと、マヤは自分に云い聞かせる。もう少しジタバタしたい。



 もしかしたら、仏具店のとなりに都会から若い男の移住者がやってくるかも……しれない。もちろん人間だ。



 もしかしたら、過疎化まっしぐらの夜依よい町の現状に、「これはマズイ」と奮起した町役場が、企業の誘致に成功するかもしれない。



 夢は広がる。



 大きな工場でもできれば、雇用が生まれ、人が集まり、マヤにも素敵な出会いが巡ってくるかも……しれない。そうして、いつかだれかと恋をして、結婚する可能性は……ゼロとは云い切れない。



 結婚相手はもちろん人間で、現世に生きる現代人であるべきだ。そうだ、そうだ。夢をみるのは自由だ。



 ──おせえ、おせえ。



 マヤのとなりで、鬼が嗤った。






∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 






 秋の夜、鬼が笑う。



 都合のよい「夢」を積み上げていくマヤの思念が流れてきた。



 ──おせえ、おせえ。



 それはもう、手遅れだ。



 まったく、このマヤときたら、なにも分かってねえな。もうとっくに、おれの【印】が付けられていることに。



 口説いても怒ってばかりで、まったく本気にしない。それどころか……何が素敵な出会いだ。もう、俺と出会っているじゃねえかと、アスラは云いたい。俺以外のだれかと恋をして、結婚する可能性はゼロだ。



 まぁいい、人間だろうが、妖だろうが。ほかの男にくれてやるつもりは、毛頭ない。そもそも、俺を残してマヤだけ死ぬこともない。



 なぜなら、そういう宿命さだめなのだから。



 マヤが天寿をまっとうするときは、畳のうえでも病院のベッドのうえでもなく、俺の腕のなかだ。なんなら、俺とオマエ、ふたりで仲良くの世に出掛けようじゃねえか。



 さて、時間はたっぷりある。じっくり口説いて、四六時中、俺だけを求めるようになるまで、あとどれくらいかかるか。ゆっくりと浸食していくのも、悪くない時間の使い方だ。



 アスラは車窓に目を向ける。



 夜の山道には、魑魅魍魎がつきものだが、今宵は鬼神の気配を感じとってか、ずいぶんと大人しい。トンネルのなかですら、もぬけの殻だ。



 もう、これ以上、マヤを怒らせたくないから、軽く相手をしてやってもいいというのに。これでは、となりにちょっかいを出したくて、たまらなくなる。



 不埒な指が伸びていかないように、アスラは茶筒を握りしめた。




 ──ああ、今夜も、若草のいい匂いがする。




 宿命さだめの伴侶の匂いは、かくも格別だ。








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