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第10話




 ◆  ◆  ◆  ◆ 




 午前零時。



 深夜の山道をコンパクトカーが走っていく。



 無言のアスラは、助手席で茶筒を片手に考え込んでいる。



 怨霊化した老女の御魂を、強制的に成仏させた夜。おかっぱコンビが消えたあとの屋敷で、茶筒の中身を確認したアスラは、夜空を仰いだ。



「どうすんだ、これ」



「こっちが訊きたい。でも、やっぱり執念だよね。白木の板が落ちてきて、カンッ──っていっしょに転がってきたんだよ」



「……めんどうくせえ」



「そうかもしれいけど、アスラなら、どうにかできて、なんだかんだと文句を云っても結局、なんとかしてあげるんでしょう?」



「…………あのよお」



「云っておくけど、付き合わないよ」



「冷てえなあ」



 天候が回復した帰り道は、夜のドライブになった。



 とはいっても、県境越えの峠道。闇夜に景色はなく、外灯が並んでいる同じような道をひたすら走り抜けていく。



 この時期、朝晩の冷え込みは厳しくなる一方で、木枯らしが吹いているのか、赤く色づいた葉が路面に舞い落ちているのを、ときおりヘッドライトがとらえた。対向車のヘッドライトはしばらく見ていない。



 暗色の夜の景色を見飽きたマヤは、眠気覚ましの缶コーヒーを飲みながら助手席をちらりと盗み見ると、頬杖をつきながら車窓を眺めるアスラがいた。



 鬼の眼には、マヤには見えない何かが見えているのかもしれない。



 きっと楽しくも、美しくもない景色だろうけど……



 頬杖をついて、傾くアスラの横顔を見れば、何を憂いているかは、容易に想像できた。



はからずも見つけてしまった茶筒の件とは別に、霊魂を砕いて成仏させたときに見せる、不機嫌とは少し違う、しんみりとした空気を漂わせるのは、この男の癖のようなものだ。



 慰めてやるつもりは、さらさらないが。



 現状、マヤだって、憂鬱で仕方がなかった。夜依町までは、まだ1時間以上かかるし、なにより今夜は、死者、生者、入り乱れての醜態をまざまざと見せつけられたのだから。



 露骨なドラマのワンシーンを観ているとでも思えば良かったのに、当事者たちの声や表情はまぎれもなく現実で、悪意と悪意のぶつかり合いは、静観するマヤを疲弊させ、ついつい怨霊を相手に、喧嘩まで売ってしまった。



 それが悪かったのか、


 老女の霊魂が、アスラの法剣によってに十字に斬られ、呪力が祓われたとき、晩年を施設で過ごした老女の切なる願いが、マヤにも届いてしまった。



∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞



 屋敷のどこかにある


 家族写真を探して欲しい。


 たった一枚だけ。


 写真を墓に納めてほしい。


 壊れていく記憶のなかで、


 あれだけは最後まで宝だった。



∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞




 茶筒のなか、御弾きといっしょに半世紀を過ごしてきた写真。



 貸金庫の鍵は、オマケのようなものだった。



「面倒くせえけど、仕方がねえ」



 マヤの視線に気がついたのか、アスラは茶筒から写真を取り出した。



「婆さんが現世で魂を浄化させて、黄泉比良坂よもつひらさかを渡ってきたら、黄泉に送り出す前に見せてやろうと思う」



「いいんじゃない」



「そのあとは、現世にある墓に埋葬してやるつもりだから、やっぱり、マヤも付き合えよ」



「なんで、わたしが?! ひとりで行ってよ」



「いいじゃねえか。俺といっしょにまた山越えドライブして、帰りに美味いもんでも食って帰ろうぜ」



「デートかっ!」



「それもいいな。そのときは恋人らしくしてやろうか」



「本当に、馬鹿じゃないのっ!」



 いつもの調子を取り戻してきたアスラが、マヤの髪を一房手に取り梳く。



「俺と恋人ごっこしたい女は──」



 秀麗な顔を近づけて、無駄にいい声でささやく。



「腐るほどいるぞ」



「だったら! 何度も云うけど腐る前に、その女たちと恋人ごっこでも、夫婦ごっこでも、何でもすればいいじゃない」



 車のヘッドライトがカーブを照らす。



 運転に集中したいマヤの耳元に、アスラは顔を寄せた。



「それはダメだ。現世で俺が恋人にしたい女はマヤだけだし、夫婦めおとになるなら、現世でも幽世でも、伴侶は『オマエだけ』だから」



 ピシリと固まったマヤは、カーブ手前でブレーキを踏むのが遅れた。極端に道幅の狭い峠道を走行中。ブレーキ操作のミスは命取りになる。



 制御を失った車体が、進行方向から斜めに傾いていく。最悪なことに、日中に激しく降った雨のせいで路面は濡れていた。



 ガードレールのある左側は、落ちたら終わりの崖で、右側には剥き出しの岩肌が壁になっている。



 急ハンドルと急ブレーキでタイヤが軋み、濡れたコンディションの路面を、車体は面白いように横滑りしていった。



 恐怖で半ば硬直しかけたマヤが握るステアリングに、助手席からアスラの右手が伸びてきた。



「おいおい、車も命も粗末に扱うなって」



 小刻みなステアリングの操作によって、コントロールを失っていた車体はクルリと回転して止まった。



 停止する直前、フワリと宙に浮いたような気がする。おそらくアスラが、わずかな霊力を使って横回転する車体を制御したのだろう。



 危なかった。



 真夜中ということもあって、対向車も後続車もいなかったのは不幸中の幸いだったが――鬼の戯言ざれごとのせいで、寿命は10年ばかり縮んだ。



 岩肌を正面に停車した車内で、ホッと胸を撫でおろしたマヤは、縮んでしまった寿命分の怒りをぶつけはじめた。



「何してくれてんのよっ! 危ないじゃないのよっ!」



 怒鳴られた鬼は、眉をひそめて、



「ひとつも危なくねえ。俺がとなりにいるからな」



 そう云ってから、意味ありげにわらってみせた。






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