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第9話



 今夜、この屋敷で起きた一部始終は、人間の醜い部分だけだった。



 それは生者も死者も関係なく、老女の遺産をめぐる私利私欲にはじまって、積年の恨み辛みを晴らそうとする復讐心と、死を迎えてなお、現世にしがみつく執念で終わろうとしていた。



 後味の悪い夜だ。だから、黄泉比良坂の御仕事には付き合いたくない。自分にはひとつも関係ないことだと分かっているのに、今夜はいつも以上にやるせなさを感じる。



 命のともしびが消えて、まだ日の浅い老女の涙が、案外、綺麗だったのと、アスラの一太刀によって呪力が半分以上削がれたせいで、怨霊化していた老女の形相に、少しだけ生前の面影が戻ってきたような気がしたからかもしれない。



 だからと云って、優しい言葉をかけるつもりはないけれど、老婆の想いを推し量り、醜いばかりの夜に、ほんの少しの光を願う。



「貸金庫の鍵が、そんなに大事? この家のどこかにあるはずなのに、探しても見つからないね。怨霊になってまで固執しているんだから、金庫の中にある手紙には、あなたがどうしても叶えてもらいたい願いごとが綴られているんでしょうね。それが何かは分からないけど、とっても大事なこと」



 頷く老女の眼を、マヤは見据えていた。



「それじゃあ、訊くけど。生きているとき、あなたはどれだけ周りの人を大事にしていた?」



 怨霊が応えるはずもなく、マヤはそのままつづけた。



「大事にしていなかったのよ。天井でずっと聞いていたでしょ。だれひとり、あなたの名前を呼んで、死を悼む人はいなかった。悲しいよね。これが、あなたの人生の結末だった。あなたのためにと、鍵を探してくれる人はいなかった」



 何を思ったのか、老女はまた涙を流す。その涙が美しいうちに逝って欲しいと、マヤは願った。



「死んで後悔したって、ひとつの役にも立たない。さっさと死を受け入れて、ばっさり斬られて、の世に逝きなさい。アーメン」



 怨霊相手に喧嘩を売るマヤに、アスラが溜息を吐いた。



「最期の最期に、あおるなって」



 宝剣に鬼神の霊力が共鳴して、刀身が紫炎を纏う。



 上着の内側から、霊魂を移し入れる白木の霊璽れいじを取り出したアスラは、鬼の息吹を吹きかける。



「色即是空 空即是色 鎮魂帰依」



 人魂のようにフワリと浮き上がった霊璽れいじは、老女の頭上へ。



 霊璽に重なりあった望月を眺める老女に、現世とのことわりを絶ち切る、紫炎の一太刀が浴びせられた。



 今日は老女の四十九日。叫びも、呻きもなく、渦巻いていた呪力が霧散し、砕けた霊魂が霊璽へと集まっていく。



 静かになった夜空から落下してきた白木の板は、マヤの少し前にあった茶筒の上に、カンッ──と甲高い音をたてて落ちた。



 老女の魂が宿った霊璽と衝撃でコロコロと転がる銀色の茶筒を、マヤは拾いあげた。



 すると、どこからやってきたのか、



「いやあ~ おつかれさまです~」



「さすがです~ おみごと~」



 アスラと同じ黒スーツで、おかっぱ頭の男女が現れた。



「臨終課のヤツラだ」



 ムスッとしたアスラの額からは角が消え、瞳の色も黒に戻っている。



 そういえば数日前、このおかっぱコンビを巨大仏壇から迎え入れたのを、マヤは思い出した。あれからずっと、老女の霊魂を現世で探し回っていたのだろう。



「神木様、こんばんは!」



「ご協力に感謝いたします!」



 平身低頭の臨終課の職員に霊璽を渡したマヤは、男女が調査課の鬼課長アスラに小言を云われている間、錆びた茶筒の蓋を強引に開けた。



 足元に転がっていたとき、妙な音をさせていたのが気になった。その正体は──大量のガラス製の御弾おはじきだった。



 100枚ぐらいあるだろうか。いや、もっとかもしれない。どうりで持った瞬間、コンクリートブロック並みに、ずっしりとしていたワケだ。



 透明な御弾きには、赤、青、黄、緑の模様があって、見ているだけで懐かしい。茶筒の中に片手を入れたマヤが、平らな御弾きの感触を楽しんでいると───そこに、異質なものがあった。一枚の写真。



「…………ああ、こういうオチか」



 経年劣化で色褪せた写真の裏には、こちらも黄色くなったテープで貼り付けられた《鍵》があった。小さな鍵には、銀行名を手書きした針金付の荷札まで付いている。



 アスラと話を終えた臨終課の職員は、霊璽を白布を包んで一礼した。



「それでは、失礼いたします。この者たちの記憶から、今夜のことは消しておきますので~」



 失神した男女5人を霊力で浮かせた男につづき、



「我々はしばし、魂の浄化を見守ります」



 おかっぱの髪を揺らした女は、そう云って闇に消えた。



 廃屋系幽霊屋敷に、夜風が通り抜けていく。屋根がないので、大変涼しい。



 もうそろそろ、いいかな。



「アスラ、これ」



 重たい茶筒ごと、マヤは写真と鍵を鬼課長に渡した。






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