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第8話



  怨霊凧を任せられたマヤが、全身全霊で「イヤだ」をアピールするなか。



「追加報酬決定だな」



 両手が空いたアスラは、咥えていた宝剣を右手に握り、中指と人差指を立てた左手を口元に寄せると、フッと『鬼の息吹』なるものを吹きかけた。



 その二本の指を開いてピースサイン。そのまま額へ。左右の眉の少し上を押さえて、「ノウマク────」真言をつぶやいた。



 アスラの目が、黒から朝焼けの空の色に変わっていく。輝く朱色の瞳と、額からわずかに先端を覗かせた2本の角。



 霊力が一気に強くなり、左手で鬼道を放つと、たちまち磁場が変化して畳の上にあった掛け軸や書類の束がふたたび巻き上がった。



 怨念がこもった呪力の黒い矢は、向きを一斉に変えて、両側にある漆喰の壁へと一直線に飛んでいった。



 無数の矢によって射抜かれるのは免れたものの、アスラから加護を受けていない親族たちは強い霊力に当てられ、激しく嘔吐したのち次々と失神していく。



 怨霊化した老女もまた、唸り声をあげて苦しみもがいた。その苦悶の表情といったら……10日は悪夢にうなされそうだ。



 そんなに苦しいなら、さっさと成仏しなさいよ、と思うマヤの頭上で、激しく抵抗する怨霊凧は、首に巻き付いた霊力の縄から逃れようと首を振り回し、持ち手のマヤに向かって呪詛を吐く。



 恨み、辛み。邪念、私怨。怨念、怨嗟。



 アスラの加護により、それらはすべて跳ね返されているのだが、それでも気が滅入りそうだった。



 わたしは、無理やりに付き合わされている一般人なんですけど。黄泉比良坂所の職員ではないんですよ。臨時職員でもないんですよ──と、云ったところで、怨霊化した故人が理解してくれるとは思っていない。



 仕方がなく持ち手を続行しながら、アスラをかす。



「まだなの? 早くして」



「……もう、ちょい。念のため、矢の邪気を祓っておく」



「さっさとしてよね」



「はい、はい。ご苦労さん」



 ようやく自由になった左手を差し出してきたアスラ。



 すぐさま、霊力の縄を手放したマヤは、「ああ、やだ、やだ」と自己流の魔除けを唱えた。



はらたまい清めたまえ、えんがちょ、クワバラ、クワバラ、救い給えアーメン、ふるべゆらゆらとふるべ、チチンプイプイ」



 これを背中で唱えられたアスラが、心底嫌そうな顔で振り向いた。



「オマエ……それは取っ散らかり過ぎだろ」



「いいのよ。気持ちの問題なんだから。そっちは自分の仕事をして!」



 そう云って、アスラの背をドンと平手でたたく。



 あとは、この鬼に任せればいい。腐っても鬼の長、阿修羅アスラ様なのだから。



 光の縄を左手首に巻き付けたアスラは、また左手の中指と人差指を伸ばして、何やら真言を唱えた。



「ひとまず、その有り余っている怨念の力から、なんとかしないとな」



 利き手に握られた法剣が霊力を帯びて青白く輝く。



 アスラが天井に向かって一閃すると、霊力が刃となって大広間の天井が、ド真ん中から真っ二つにした。



 怨霊化した老女の影も半分以上斬り落とされ、平屋作りの屋敷の屋根は、左右に滑るように落ちていった。



 マヤが見上げた先には、満月になりかけの美しい月が浮かんでいた。



 左手を月にむかって伸ばしたアスラは、二本の指先で宙を切る。月光によって力が増したアスラの鬼道による攻撃が、怨霊化した老婆の呪魂に直撃した。



 絶叫が響き、月を背にした老女が涙を流しはじめる。



「うらめしや、くちおしや……あの人とあの子に会いたい、もういちど、もういちど……」



 それは哀れな老女の後悔、無念。



 怨霊から目を逸らすことなく、アスラが云う。



「マヤ、怨霊の感傷に耳を傾けるなよ。憑依する相手を探しているだけだ」



「わかってる」



 怨霊に同情するほど、善人ではない。



 どんなに後悔していようとも、現世に未練が残っていようとも、つぎのアスラの攻撃で、この怨霊は調伏されるだろう。



 いつものことだ。アスラの仕事に同行するようになって、マヤには思うことがあった。



 成仏できずに現世を彷徨う霊のなかには、あまりに理不尽な死を迎え、なにひとつ受け入れられないまま、悪霊化した霊魂もあったが、それは稀な方。多くは生前の自己責任としか思えない理由で悪霊化している。この老婆のように。



 理由は、おおむね同じ。典型的な覆水盆に返らず、あとの祭り。悪霊にしても怨霊にしても、現世に未練を残しすぎなのだ。



 生まれてから死ぬまでの時間は平等ではないけれど、だれしも1度や2度は、自らの行いを顧みるチャンスはあっただろうに。



 それを活かせなかったのも、まだ大丈夫だと高を括ったのも、いわば自業自得、因果応報、まじで身からでた錆び。



「うらめしや~」なんて、やっている場合じゃない。他人ばっかり恨んで、自己反省しないから、大切な人と会えなくなるのよ。



 生前の老女の怒りや悲しみは、本人のみぞ知るところかもしれない。しかし、この屋敷を見る限りは、お金はあったのだろう。食べる物にも、寝る場所にも、困らなかっただろう。それだけで、十分幸せだとマヤは思う。



 どんなに客足が悪くても、仏具店なんかを営んでいると嫌でも耳にする。孤独死や、野垂れ死に。だれにも看取られることなく、引き取り手もないまま埋葬される遺体は少なくない。



 それに比べたら……朽ち果てるまえに火葬されたのなら、畳の上で線香をあげてもらえたのなら、良かったじゃないか。



 そう思ってしまうのは、生者の傲慢だろうか。






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