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第6話



 天井に故人が張り付いているとは知らず、探し物が見つからない苛立ちで親族たちは、ますます口汚く罵りはじめた。



「そもそも、あの耄碌婆、いつの間に弁護士と会ってたんだ。こんなクソみないな遺言書を残しやがって!」



 中年太りの語気が強くなり、背広は頭を振った。



「ふつうは、相続人全員の同意と立ち合いがあれば、貸金庫を開けることは可能なはずだ」



「ああ、そうさ。それを、あの婆は、新しく作成した遺言書に、貸金庫の開閉についての取り決めを明記しやがったのさ! まったく、そういうときだけ頭が回りやがる!」



 男女5人には、深い溜息が漏れた。



 掛け軸を撒き直した若い男が訊ねる。



「ところで、もし、金庫を開けられなかったら、どうなるの?」



 その問いに、中年太りがまた怒りだした。



「百箇日を迎えるまでに、貸金庫を開けられなかったら、遺産のすべてを遺書で指定した団体に寄付するって……馬鹿かっ!」



「本当よね! 子どもと夫に先立たれた憐れな独居老人をだれが面倒見たと思ってるのさ!」



 老いた女が同調すると、



「面倒を見たって……世間体を気にして、施設に放り込んだだけでしょ」



 若い男が茶化したところで、そばにあった木箱を老いた女から投げつけられる。



「掛け軸が欲しかったら、黙ってな!」



 宙を舞った木箱は、若い男に届くことなく途中で落下し、蓋が外れた。



「おお、怖っ。でもさあ、結局、婆さんが弁護士に遺言状を託したのって、呼び出された親族がだれひとり面会に行かなかったからでしょ。嘘でもいいから優しくしておけば良かったんだよ。ちょっと面会に行ったら教えて貰えたんだからさ」



 それまで黙っていた痩せた女が、皺だらけの手でハンカチを強く握りしめた。落ち窪んだ目を見開いて、低い声で恨みごと口にする。



「だったら、アンタがやれば良かったのよ。口ばっかりで、いつも人まかせのくせに。わたしがどれだけ嫌な目に合ってきたか、甥のアンタには想像もできないだろうよ。何度、うしろから灰皿で殴り殺してやろうと思ったことか。寝ているあの女の首を、何度、絞めてやろうと思ったか……あの女の顔を思い出すだけで反吐がでる」



 これには、さすがの男衆も押し黙ったが、故人の妹らしい老いた女だけは、痩せた女の言葉に大きく頷いた。



「そうよ、大姉さんはいつだってお姫様きどりで、感謝ひとつできない女だったじゃないか。結局、旦那にも息子にも見放された挙句、先立たれてんだから! アンタ、よく我慢したよ。わたしがアンタだったら、とっくに刺し殺していたさ」



 広間が重苦しい空気に包まれたとき、たまらず背広の男が雑多な山に手を突っ込んだ。



「もう、いい。探せ! この家のどこかに鍵があるはずだ。とにかく探せ!」



 しかし、老いた女の苛立ちはピークに達したのか、金切り声をあげだした。



「だから、どこにあんのよ! もう、探し疲れた! いったい、金庫の手紙に何を書いたっていうのよ。何かして欲しいことがあるなら、生きてるうちに弁護士にでも云っとけばいいじゃないか! 腹立つ、腹立つ! 忌々しいったらないよ!」



 それはマヤも気になった。



 そんなに大事なことなら、なぜ金庫の鍵といっしょに、信頼できる弁護士に託さなかったのか。



 それが、マヤにはわからない。



 金切り声を上げる女を見て、若い男が煩そうに「やれやれ」と首をふる。



「相変わらず忘れっぽいなあ。弁護士が云っていただろ。あの婆さん、人前では虚勢を張って、頭がしっかりしているように見せていたけど、最期の方は、とっくに耄碌もうろくしてたって」



 薄ら笑いを浮かべた男は、別の掛け軸へと手を伸ばした。



「あたらしい遺言書を作成するときには、もう自分で隠した鍵の在りかを忘れたんだから。なんでも、俺たちに見つかるのが嫌で隠したらしいけど……笑えるよな。その鍵を、今度は俺たちに探させようってんだから」



 ようやくマヤは、合点がいった。



 そういうことか。お婆ちゃん、自分で隠して……忘れちゃったのか。



 ここからはマヤの想像でしかないけれど、そのころにはすでに介護施設にいたため、弁護士に鍵の捜索を依頼したものの、遺品の整理後、見つからない場合は免責とされたのだろう。



 その条件を老女はのめなかった。だから、遺産目当ての親族を利用することを思いついたのだ。



 鍵を探してくれたら、遺産が手に入るよ、と。



 貸金庫にある手紙の内容が実行されることを条件に、遺産が相続されるように、新たな遺書を残したのだろう。



 いまのところ。故人の思惑どおりに、ことは進んではいる。



 遺産目当ての男女5人は、貸金庫の鍵を見つけることに必死なのだから──と、思っていたら、痩せた女がボソリと云った。



「もう、いっそ、この屋敷ごとしてしまおうか……」



 それはどこか投げやりで、もう金なんていいから、この屋敷ごと記憶から故人を葬り去りたいと云っているように聞こえた。



 女はさらに、きつく、きつく、ハンカチを握りしめる。



「わたし、知ってるんだよ。あの女は何が厭って、この屋敷が無くなっちまうことさ。だから、貸金庫の鍵を探させて、それが見つからない間は、この屋敷が残されると思っているんだ……」



 生きているはずの女からは、怨念のようなものを感じる。



 アスラが一歩前に出て、マヤを完全に背中にかばう。



「気をつけろ。あれは半分、生霊みてえなもんだ。死んだ婆さんとの間に、何があったか知らねえが、あれは相当な怨念だ」



悪霊に生霊。もう、本当に帰りたいと思ったマヤだが、怨念がこもった痩せた女の話に耳を傾ける。



「本当は、本当は、わたしのものだったんだ……全部。あの人と結婚して、子どもを産んで、幸せになるのは、わたしだったんだ……それを、あの女が全部ぶっ壊しちまって……だからさ、わたしも全部燃やして、壊してやるのさ」



 今夜の引き金は、それだった。







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