楽々と侵入できた廃屋のような屋敷には、奇跡的に電気が通っていた。
ほとんどの電灯は切れているものの、ポツリ、ポツリと弱々しい白色灯が足元を照らしてくれるだけでも、マヤにはありがたかったが、それにしても室内の荒れ方は、想像していた以上だった。
破れた障子紙、外れた網戸、腐りかけた床板に散乱する衣類や紙類。
アスラの調査資料によると、この廃屋の家主で故人となった資産家の老女は、ひどく偏屈な性格で、数十年前に離婚したあとは、この広い屋敷で、ほぼ独りきりの暮らしをしていたという。
享年90歳を過ぎた老女に、屋敷の管理ができたとは思えないが、行政に相談するなり、お金があるのだから人を雇うなりして、もう少し健全な暮らしは出来なかったものかと思う。
腐った床を避けて、アスラを先頭に長い廊下を進むことしばし、ひときわ荒れた惨状の一帯が目に入ってきた。
薄暗い廊下に面した居室の襖はすべて開け放たれ、家具や戸棚の
さすがにこれは酷い。
「泥棒にでも入られたのかな」
廃墟とはいえ、大きな御屋敷だし、空き巣に狙われても不思議はない。しかしそれは、前をいくアスラに否定された。
「いや、ちがうな。身内の仕業」
「身内? やだな。
「それだ。それから……あとはババァだな。霊体になってまで必死に何かを探してやがる」
一気に背筋がゾクリとした。
「霊体って、幽霊のこと?」
「まあ、そうとも云うな。どんな姿形かは、霊体しだいだけどな」
つまり、オーソドックスな幽霊とは限らないということか。幽霊というだけで怖いのに、さらにグロそうな見た目を想像して、鳥肌がたつ。
それにしても、成仏できないでいる霊の『探し物』って、いったいなんだろう。どうせ、あの世には持っていけないのだから、あきらめても良さそうなものなのに。それほどまでに、未練あるものとは。
あれこれ想像しながら長い廊下を曲がったところで、アスラが立ち止まった。
「──いやがった」
ここまでくると恐怖よりも好奇心が勝ったマヤは、大きな背中のうしろから顔を覗かせ、ああ、見るんじゃなかった。すぐに後悔した。
大広間と思わる一室で、畳の上に集められているのは大量の掛け軸や壺、反物や小物類に、束になった書類などなど。
雑多な品を山にして、いわゆる金目の物を
「無いな。どこに隠しやがった……あの婆さん。オマエ、妹だろ、何も聞いてないのか」
「知らないよ。あんなクソ女のことなんか。ようやく死んでくれて、せいせいしたっていうのに、面倒なことを遺書に残していくなんて、ああ、腹立つ! ふつうに死ねないのかねっ!」
口の達者な老いた女が喚くとなりで、5人の中では一番若く見える男が、雑多な山から適当そうに選んだ巻物をひろげて、口笛を吹いた。
「この掛け軸は、なかなか、いいな。幽霊画っていうのが不気味だけど、ネットオークションで売れそう。俺、貰っていい?」
「好きにしろ。俺たちは貸金庫の鍵さえ見つかればそれでいい」
幽霊画に厭そうな目を向けた男は、仕事帰りなのか、唯一背広姿でパラパラと紙の束をめくっていた。
「銀行関連の書付には、貸金庫の契約なんてないぞ。弁護士が云うのは確かなのか」
最初に口を開いた中年太りの男が、忌々しそうに応えた。
「まちがいない。30年ほど前に契約した書類の写しを見せてきた。どこの銀行かは、教えられねえってさ」
「まったく、面倒な。それで、そこに隠し預金と駅裏の土地の権利書があるというのも、確かか?」
「ああ、遺書には、金庫の鍵を探して、金庫内にある手紙を読めとさ。なんでも、生前の婆さんが死後、親族に託したことが綴ってあるらしい。それを果たした者に、預金と権利書を譲るとさ」
「つまり、遺書の遺書ってことか。なんだ、それは……馬鹿にしやがって。しかも、その金庫の鍵が行方不明じゃ、話しにならない。棺と一緒に燃やしてないだろうな」
「それはない。要らない物は色々棺にぶち込んだけど、万が一紛れていても鍵なら灰の中に残っているはずだ」
背広男と中年太りとの会話に、老いた女が溜息を吐いた。
「ああ、こんなことなら、生きてる間に自白剤でも使って聞き出しておけばよかった」
とても聞いていられない。マヤの眉間にシワが寄った。ここまで云われる故人も故人だが、身内も身内としか云いようがない。
ふたたび天井に視線を送ったマヤは、大きな溜息を吐いた。
さっきは、アレを見て、よく悲鳴をあげなかったと、自分を誉めてやりたい。
どんな姿形かは、霊体しだい──と、アスラは云っていたが、なかなかどうして、ショッキングな造形だった。
しかしながら、こうして身内らしい男女の話を聞いていると、彼らの顔もまた、善人とはほど遠い顔をしていると、マヤは思った。
憎々し気な言葉を吐く男女の表情は、正直云って、天井から見下ろしている故人の、悪霊化した恐ろしい形相と大差ないんじゃないだろうか。