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第3話



 ドシャ降りの今夜も、「ちょっと付き合え」と御役所仕事に駆り出されたマヤは、目的地まで運転をさせられている。



 急カーブが連続する峠道。滝のような雨がルーフを叩く車内で、アスラは長い脚を窮屈そうに組んで、さも当たり前のように助手席におさまっている。



 手にした黒いファイルに目を落とし、ときどきページを指先で軽く弾く仕草をする。その横顔をチラリと覗いて、マヤは胸の内で毒づいた。



 相変わらず、顔だけは良い。顔だけ。顔だけ。本当に顔だけ。



「今、俺の悪口云ったな」



 漆黒と呼ぶにふさわしい黒い瞳の流し目が向けられる。



「云ってない。思っただけ」



「いっしょだろ。なんだよ、俺が相手してやらないから拗ねてんのか」



 頭も中身も相変わらず、オカシイ鬼だ。



「ちがう、そこじゃないから。それから、拗ねてない。こんな悪天候のなか、一文どころか、一銭の得にもならないことに付き合わされている自分自身を、憂いで嘆いているだけ」



「一銭の得にもならないってことはないだろ。俺と一緒にいたいって云う女たちは、幽世に腐るほどいるぞ」



「だったら、腐らせる前に、その女たちと行ってくれないかなっ!」



 助手席から、笑い声が漏れた。



「今度はヤキモチか。安心しろ。現世で俺が相手にするのは、オマエだけだから」



 鬼って、バカじゃあ~なかろうか~



 自意識過剰な鬼が、ふたたびマヤの心を読んだ。



「俺をバカ呼ばわりしていいのも、オマエだけ。特別だからな」



 心の声は筒抜けなのに、どうして、その真意は何ひとつ伝わらないのだろうか。



 悪天候がつづくなか。顔だけは良い鬼をとなりに乗せて、車は峠道を下りはじめる。



 ちなみに、現世うつしよ調査や捜査にやってくる黄泉比良坂よもつひらさか所の職員は、なにもアスラだけではない。



 ほかの部署の職員たちも「すみませ~ん」と、ちょくちょく仏壇を通ってくるし、



「あの、ここに行きたいんですけど~」



 現世に不慣れな職員からは、道を尋ねられることもめずらしくない。



 しかしアスラほど、現世人うつしよびと遣いの荒い職員はいないと、マヤは断言できる。



 こっちの都合など鼻から聞かず、「どうせ、ヒマなんだから付き合えよ」となり、都合が悪いと云ったところで、「ふーん。でも、俺が優先な」と問答無用で引っ張っていく。



 残念ながら、鬼の馬鹿力にはかなわない。ときに引きずられ、ときに担がれて、連行されるのが常だ。



 本日もその流れで、連れ出されたワケなのだが──



「あと、どれくらいで着く?」



「自分で見て」



 機嫌の悪いマヤは、指がわりの顎で、ナビゲーションのディスプレイを指し示す。ついでに、不満だという態度もしっかり示し、無駄になるとは分かっていても文句を口にした。



「毎回、思うけど。なんでわたしが県をまたいで、目的地まで送っていかないといけないわけ?」



「オマエんちの仏壇が、現世の入口だから。そこは、あきらめろ」



「他の職員の方々は、目的地まで御自身で行っているようだけどっ!」



「下っ端と俺の仕事はちがう。いっしょにするな」



「どう違うのかなっ?!」



「俺には、現世調査および捜査で、相方を指名する権利がある。その権利を行使して指名したのが、【今生こんじょうつなぎ人であるオマエ】だから、これからも同行してもらう」



今生こんじょうつなぎ人ってナニ? その指名、いつした? わたしは了承した記憶がないから、さっさとチェンジして。たくさんいるんでしょ、アンタと手を繋いで色々したい方々が!」



 到底あきらめきれない、理不尽さだ。



 しかし話は終わったとばかりに、アスラは本日の御仕事について「そういえば、まだ説明してなかったな」と黒いファイルをめくりだす。



「今日は、49日前に死んだ資産家のババァの霊体捜査。納骨も済んだっていうのに、いまだに黄泉比良坂を通らねえ。事前調査では、初七日を過ぎたあたりから霊魂が禍々しくなりはじめて、ついこの間、臨終課の職員が悪霊化した霊体を見つけて、慌てて連絡してきたってワケだ」



「悪霊……って、マジで付き合いたくないんだけど」



「大丈夫だ。憑かれても俺が祓ってやるし、マヤに手を出させたりしないから安心しろ」



「そうじゃない、行きたくないってこと! 悪霊なんて見たくないってこと! わかってないな!」



 そう云ったところで、アスラは聞く耳を持っていない。



「それともうひとつ。ババアの遺書に、遺族に向けたメッセージがあったらしいんだが、どうやらそれが原因で悪霊化して彷徨っているみたいだな」



「それで、どうするの?」



「何がなんでも取っ掴まえて、閻魔が審判を下す66日目までに幽世に送らねえとヤバいな」



「どう、ヤバいの?」



「霊体が悪霊化するのを見過ごした時点ですでにヤバいが、これが怨霊おんりょう化なんかしてみろ……黄泉比良坂所の〖職務怠慢〗〖監督不行届』以外の何ものでもないだろ。閻魔庁からのペナルティは相当なもんだ。臨終課の担当職員と課長、所長の罰は、間違いなく阿鼻叫喚クラスだな」



 それはヤバそうだけど。



「でも、今日で49日でしょ。まだ2週間以上余裕が……」



「ない。極悪人の霊は通せても、悪霊は黄泉比良坂を通せない。現世で強制成仏させてから霊を浄化するのに14日間、それから黄泉比良坂を通して、庁舎での最終チェックと事務手続きに、最低2日はかかる」



「49+14+2だから……ちょっと待って、今日中に掴まえないとダメじゃない!」



「そういうこと。だから、急いでくれ」



 現世も幽世も、御役所仕事に融通はきかないようだ。






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