ドシャ降りの今夜も、「ちょっと付き合え」と御役所仕事に駆り出されたマヤは、目的地まで運転をさせられている。
急カーブが連続する峠道。滝のような雨がルーフを叩く車内で、アスラは長い脚を窮屈そうに組んで、さも当たり前のように助手席におさまっている。
手にした黒いファイルに目を落とし、ときどき
相変わらず、顔だけは良い。顔だけ。顔だけ。本当に顔だけ。
「今、俺の悪口云ったな」
漆黒と呼ぶにふさわしい黒い瞳の流し目が向けられる。
「云ってない。思っただけ」
「いっしょだろ。なんだよ、俺が相手してやらないから拗ねてんのか」
頭も中身も相変わらず、オカシイ鬼だ。
「ちがう、そこじゃないから。それから、拗ねてない。こんな悪天候のなか、一文どころか、一銭の得にもならないことに付き合わされている自分自身を、憂いで嘆いているだけ」
「一銭の得にもならないってことはないだろ。俺と一緒にいたいって云う女たちは、幽世に腐るほどいるぞ」
「だったら、腐らせる前に、その女たちと行ってくれないかなっ!」
助手席から、笑い声が漏れた。
「今度はヤキモチか。安心しろ。現世で俺が相手にするのは、オマエだけだから」
鬼って、バカじゃあ~なかろうか~
自意識過剰な鬼が、ふたたびマヤの心を読んだ。
「俺をバカ呼ばわりしていいのも、オマエだけ。特別だからな」
心の声は筒抜けなのに、どうして、その真意は何ひとつ伝わらないのだろうか。
悪天候がつづくなか。顔だけは良い鬼をとなりに乗せて、車は峠道を下りはじめる。
ちなみに、
ほかの部署の職員たちも「すみませ~ん」と、ちょくちょく仏壇を通ってくるし、
「あの、ここに行きたいんですけど~」
現世に不慣れな職員からは、道を尋ねられることもめずらしくない。
しかしアスラほど、
こっちの都合など鼻から聞かず、「どうせ、ヒマなんだから付き合えよ」となり、都合が悪いと云ったところで、「ふーん。でも、俺が優先な」と問答無用で引っ張っていく。
残念ながら、鬼の馬鹿力には
本日もその流れで、連れ出されたワケなのだが──
「あと、どれくらいで着く?」
「自分で見て」
機嫌の悪いマヤは、指がわりの顎で、ナビゲーションのディスプレイを指し示す。ついでに、不満だという態度もしっかり示し、無駄になるとは分かっていても文句を口にした。
「毎回、思うけど。なんでわたしが県をまたいで、目的地まで送っていかないといけないわけ?」
「オマエ
「他の職員の方々は、目的地まで御自身で行っているようだけどっ!」
「下っ端と俺の仕事はちがう。いっしょにするな」
「どう違うのかなっ?!」
「俺には、現世調査および捜査で、相方を指名する権利がある。その権利を行使して指名したのが、【
「
到底あきらめきれない、理不尽さだ。
しかし話は終わったとばかりに、アスラは本日の御仕事について「そういえば、まだ説明してなかったな」と黒いファイルをめくりだす。
「今日は、49日前に死んだ資産家の
「悪霊……って、マジで付き合いたくないんだけど」
「大丈夫だ。憑かれても俺が祓ってやるし、マヤに手を出させたりしないから安心しろ」
「そうじゃない、行きたくないってこと! 悪霊なんて見たくないってこと! わかってないな!」
そう云ったところで、アスラは聞く耳を持っていない。
「それともうひとつ。
「それで、どうするの?」
「何がなんでも取っ掴まえて、閻魔が審判を下す66日目までに幽世に送らねえとヤバいな」
「どう、ヤバいの?」
「霊体が悪霊化するのを見過ごした時点ですでにヤバいが、これが
それはヤバそうだけど。
「でも、今日で49日でしょ。まだ2週間以上余裕が……」
「ない。極悪人の霊は通せても、悪霊は黄泉比良坂を通せない。現世で強制成仏させてから霊を浄化するのに14日間、それから黄泉比良坂を通して、庁舎での最終チェックと事務手続きに、最低2日はかかる」
「49+14+2だから……ちょっと待って、今日中に掴まえないとダメじゃない!」
「そういうこと。だから、急いでくれ」
現世も幽世も、御役所仕事に融通はきかないようだ。