魔獣討伐終了から一週間後。
皇城にて皇帝、皇太子も交えて結界が破られたことに関しての報告会が開かれていた。
「全員揃ったようだな。ローズフェリア卿、調査結果の報告を」
皇帝に名指しされたルージュは椅子からサッと立ち上がる。
「はい。魔獣が大量に帝国内へ侵入した今回の件ですが、レオリス王国による、結界の意図的な破壊が原因で間違いないと思われます。魔獣の方については、既に殲滅が済んでおります。しかし、再度結界が破られないという保証はございません。王国による結界の破壊は国防を揺るがす由々しき事態であり、早急な対応が必要であると考えます」
「向こうがどのようにして結界を破ったのかは判明したか?」
「私の力が至らず、そこまでは調査することが出来ませんでした。申し訳ございません」
「ふむ……。余も禁書庫で色々と調べてみたが、結界の破り方に関する書物は無かった。結界破りの仕組みが明かせない限り、此方も対処の仕様がない。引き続き、調査と国防を頼む」
「しかと承りました。陛下」
ルージュが礼をすると、難しい顔をした皇帝と皇太子が議場を後にする。
二人の退場後、頭を上げたルージュは椅子に座り直した。使える情報網は全て駆使した。だが、いくら調べようとも情報の断片すら掴めない。騎士団長でありながら、何一つ役に立てない自身の無力さに悔しさを滲ませた。
数日後――
休暇前に残っていた仕事を片付ける為、ノアは久々に登城した。部屋の扉が開いたことに気付いたルージュは手にしていた書類を机の上に置く。
「もう身体の具合は大丈夫? ノア」
「問題ありません。ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
「そんなの気にしないで。治って良かった」
ルージュは椅子から立ち上がり、伸びをした。彼は顔に疲労の色を覗かせている。ノアは綺麗に整頓された机の前に座る。
「お疲れのようですね。私で力になれることがあれば遠慮なく仰って下さい」
「ありがとう。なら、愚痴でも聞いてくれない?」
意外な返答にノアは思わず息を溢した。
「ええ。付き合いましょう」
「じゃあお願いしよう」
席に着くなりルージュは深く溜息をついた。
「例の一件の後からずっと王国に探りを入れてるんだけど、一つも有力な情報が得られないんだよ。ほんとどうなってるんだろう、あの国。結界について調べている内に、なんていうか……、すごく奇妙なことが出てきて」
ノアは眉を寄せる。
「奇妙?」
「うん。国民の誰も、現国王とその周辺に関する情報を知らないんだよ。初めは国王に関する事は口止めでもされているのかと思ったんだけど、そういう訳でもなさそうで本当にただ知らないらしかった。現国王の容姿すら知っている者がいない。先代国王の時は全くそんなこと無かったのに」
「現国王と言いますと……、先代国王暗殺のクーデターを起こし王位に就いた。そして、国王に始まり、王妃、自らと血を分けた第一王子、第三王子までも惨殺した元第二王子であるということは存じております」
「その通り。でもそこまでしか情報が得られないんだよ。第二王子に纏わるそれ以上の情報が厳重に隠匿されてる」
「元々第二王子は三人の王子の中でもとりわけ影が薄く、行事に顔を出したこともありませんでしたしね。第二王子のクーデターは前兆も無かった為、かなり衝撃的な出来事でした。病弱だという話が上がっていましたが、今となってはそれすら第二王子自らが流した噂であったかのように思えます」
ルージュは悩ましげに腕を組んだ。
「僕もそう思う。第二王子は生まれつき病弱なんかじゃないはず。クーデターを起こす頃合いを長年見計らっていた、狡猾な男だろうね。それにしても、第二王子がクーデターを起こした理由が分からないんだけど。第一王子と第二王子は年が大きく離れているし、わざわざクーデターなんて起こさなくても、じきに王位に就く事が出来たはずだし……」
唸っていたルージュが突然一度軽く手を叩いた。
「あ! でも一つだけ面白い情報が得られたよ」
「それはどのような?」
「第二王子は花がお好きらしい。まあ、役に立たない情報なんだけど。花を愛する心があるなんて、案外残虐なだけではないのかもしれないね」
「それはどうでしょうか」
ノアは未だ会ったことがない現国王に思いを馳せた。
――クーデターを起こすまで、一度も日の目が当たる事が無かった元第二王子。
会った事もなく、どんな人物であるのか見当も付かない。
「……仕事に戻るか」
ルージュは机に置かれている書類を手に取る。ノアは彼が嫌そうにペラペラと書類をめくっている様子を暫く眺めていた。
「そうですね」
ノアも休んでいた間に溜まっていた仕事に取り掛かろうと筆を取る。ルージュは俯き加減でノアに話しかける。
「愚痴に付き合ってくれてありがとう。小さい事でもいいから、結界や国王について情報が得られたらいつでも……」
動きを止めたノアの右手からガラスペンが滑り落ちる。皮膚が酷く引き攣れ始めた左の脇腹を手で押さえる。痛みと共に忌まわしい記憶が蘇る。思わず顔に苦痛を堪えた。ペンを取り落とす音に顔を上げたルージュは驚愕に目を丸くする。
「どうしたの。やっぱりまだ魔蟲毒の影響が……!」
ノアは首を横に振り、今にも立ちあがろうとしているルージュを静止する。
「いえ。これは毒とはなんの関係もありません。すぐに治ります。お気遣い無く」
ルージュは暫く心配そうにノアを見ていたが、
「でも顔がすごく青白いよ。医者を呼んで……」
「必要ありません」
きっぱりと言い切ったノアは鋭い眼光を向ける。ルージュはどうすべきか分からずおろおろとしていた。
「だけど……」
ノアにとってはこれ以上話を広げられることの方が苦痛でしかなかった。ノアは重い口を開く。
「……ただの、古傷です。ですので本当にお気遣いは不要です」
ここ数年は
「古傷? 今初めて聞いたよ。この前の魔獣討伐以外で、君が怪我をしたところなんか一度も見た事ないんだけど」
「聞かなかったことにして頂けると私としてはありがたいのですが」
ノアは窓越しに外の景色を眺める。分厚い白い雲が水色の空を覆っている。晴れてはいるが、何処となく鬱屈とした気分になる空模様だ。ノアは息が抜けたように、ふっと重怠げに笑う。
「きっと午後から雨が降ります。早く終わらせてしまいましょう」
「え。こんなに晴れてるのに?」
「はい。昼を過ぎれば分かるでしょう」
ノアは皮膚が引き攣れる痛みから気を紛らわせるように仕事を再開した。